58 たったひとつの冴えないやり方
「これ我輩たち大分無茶しておるな」
茨の赤い海の中。
みんなが作ってくれたトンネルの中を、弾丸のような速度で疾駆しながら、ジルベリアさんは他人事みたいにそう言った。
「無茶?」
「触手の壁にはまだ相当厚さがある。あとはなんとかするとは言ったが、これを我輩たちだけで突破するのは現実的には難しい。少なくとも、外から見てる者にはそう映るであろうな」
「そんな。じゃあ何か他の方法を」
「良い」
「え?」
「良いではないか。愉しくなってきた。我輩はずっとこういう戦いを待ち望んでおったのだ。負けるかもしれない、いや、負けて当然と思われておる絶対的強者との邂逅を」
ジルベリアさんはにやりと口角を上げる。
「ほんと、ジルベリアさんは戦い好きだよねぇ」
「ナギは嫌いか?」
「そんなに好きじゃないかな。私は平和が一番って人だから」
私は言う。
「でも、これからの戦いは結構楽しみだよ」
「なぜだ?」
「だってジルベリアさんが負けるわけないもん」
ジルベリアさんは一度意外そうにまばたきして、それから小さく笑って言った。
「そうだな、我輩は勝つ」
「そうだよ、当たり前じゃん」
千メートル近い厚さの触手の壁が目の前に姿を現す。
気が遠くなるほどの密度と質量を持った赤い茨の壁。
「行くぞ」
「うん」
二度の再生を経てさらに強さを増した触手は、一本一本が神話の大蛇のような化物と化している。
そんな触手の海に、私たちは勢いを一切ゆるめず音速で着弾した。
瞬間起きたのは、大地をふるわす轟音。
そして、一方的。あまりにも一方的な破壊だった。
緋龍族の王、その鋼の巨体は、絶大な強度を誇る触手をいとも容易く、粉微塵にして突き進む。
その速さと強さに、触手たちはまったく対応することができなかった。
格が違う。
この触手たちを前にしてでさえ格が違う。
万の怪物を持ってしてなお、今のジルベリアさんは止められない。
勢いをまったく落とすこと無く、数秒で五百メートル前進する。
あと半分。
しかし、触手は再生する。
さらに強く、さらに数を増す。
敵の強さを学習し、それを止めるよう最適化されていく。
ジルベリアさんの動きがはっきりと鈍り始める。緋色の皮膚が裂けて、赤い血が噴き出す。
だけど、ジルベリアさんはまだとっておきの武器を隠し持っていた。
「――灼龍王の咆哮」
放たれたのはすべてを焼き尽くす熱線。閃光のように赤い光の線がはしったかと思うと、触手たちは一瞬で蒸発し、竜の王に道を開ける。
翼が躍動しジルベリアさんは再び加速する。
音を、すべてを置き去りにして、触手の海を裂いたその先、立ち尽くす巨大な『災厄』へ疾駆する。
距離があっという間にゼロに近づく。
勝てる――そう思った瞬間だった。
起きたのはミキサーにかけられたみたいな激しい振動。
どちらが上で、どちらが下かもわからない。
そして、私が顔を上げたそのときにはジルベリアさんはもう前へ進めなくなっていた。
大樹にからみつく大蛇のように、無数の触手がジルベリアさんの翼を、身体を絡め取っている。
鋭い爪も、咆哮も、もう触手たちには通用しない。彼らはそれも学習して再生している。
「ぐ……離せ……! あと少し……あと少しではないか……!!」
もう触手を倒すことは叶わない。
それくらい彼らは強くなってしまっている。
あと少しなんだ。
みんなの力でここまで来た。
あきらめるなんてできるわけない。
何か……何か手はないか……!!
瞬間、閃いたのは最高に頭が悪いやり方だった。
「ジルベリアさん、私を投げて!」
私の言葉に、ジルベリアさんは困惑した声を上げる。
「正気か!? ナギの身体でそんなことをすればただでは――」
「大丈夫。怪我しても治せるから。即完治だから」
「だが死んだら治しようもないであろう! ダメだ! そのような無茶を認めるわけにはいかぬ! ナギは我輩の主なのだぞ! 代わりはどこにもいないのだぞ!」
「ううん。私は死なない。絶対大丈夫」
私はジルベリアさんをしっかり見返して言った。
根拠なんてどこにもない。
でも、これが私がこの僅かな時間で思いつく唯一の手段だった。
弱くてちっぽけな私でもできる唯一の打開策。
たったひとつの、冴えないやり方。
「お願い。投げて」
「ぐ……絶対死んではならぬからな。許さぬからな。冥府まで連れ戻しに行くからな」
「だから死なないって」
心配してくれるその言葉がうれしい。
みんな、私のことをすごく大切にしてくれて。
だから、私はみんなのためにも、絶対に生きて帰らないといけないんだ。
「……我輩の右腕に乗れ」
ジルベリアさんは観念したように言う。
私は急いで右腕に移動した。触手に絡め取られず、まだ唯一動かせる右腕に。
「死ぬなよ」
「うん」
迷いを振り切るみたいに目を固く閉じて、それからジルベリアさんは私を投擲した。
「行け! 終わらせてこい!」
ジルベリアさんの力は投げることにおいても絶大だった。風圧で外れる身体の関節を、マドレーヌを食べて元に戻す。
触手たちがあわてた様子で私を追う。しかし届かない。つかめない。
分厚く絶望的な茨の赤い海を越え、あとは『災厄』本体に私のごはんを食らわせるだけ。
クラゲのような身体。ドーム球場のように大きなその傘に、ぱかっと大きな穴が開いたのはその直後だった。
穴の中で発光する紫色のエネルギー体。似た光景を私は見たことがある。
それは緋龍族さんの咆哮に似ていた。
「ナギ! 避けよ!」
聞こえたのは、ひどく焦った声。
そこでようやく思いだす。竜の山を消滅させた赤黒い光の奔流を。
ってあれ使うの!? あんなの私なんてオーバーキルもオーバーキルだよ!
空中だから避けるなんてできるわけないし!
なんとか、なんとかしないと!
あわあわする私をもちろん『災厄』は待ってなんてくれない。
傘の中心、穴の奥でゆれる紫の球体が妖しく光を放つ。
赤黒い光が一瞬で私の視界を覆い尽くした。
「ナギ――!!」
放たれた光線はあっという間に私という存在を蒸発させる。
寸前にやけくそで口の中に詰め込んだありったけのマドレーヌの甘さが広がる中、
何の防御手段も力も無い私は、いとも簡単に塵となって消える。
ああ、さらば楽しき異世界生活。
――その直後、私の身体は何もなかったみたいに再生した。
「――――!?」
『災厄』に動揺がはしる。
私も多分同じくらいびっくりしていた。口に詰め込んだマドレーヌの有り余る回復作用で不可避の一撃を突破できちゃうなんて。
私はただ、自分にできる唯一の手段を取っただけ。
でも、それでも!
今たしかに私は、私たちは勝利をつかみ取ろうとしている。
傘のところにぱかっと開いたあの大穴はおそらく『災厄』の口のはず。
ならば、私は用意してきたマドレーヌをそこに全力で投げ込めば良い。
これで終わりだ! そう懐を探って気づいた。
無い。
もうマドレーヌが無い。
しまった。さっき全部食べちゃったから。
背筋に液体窒素を流し込まれたみたいな悪寒がはしる。
どうしよう、何か他の手段を考えないと。
でも、魔王厨房で呼び出してる時間は――
口の中で何かが動いたのはそのときだった。
さっきいっぱいに詰め込んだマドレーヌは、まだ口の中に残っている。
ああ、なるほど。そういうことか、と私は思った。
まるで『いばら姫』のようだ、とジルベリア様は言ったけど。
きっとあれは盛大なフラグだったのだろう。
茨の森の呪いを解くのは、いつだって王子様のキスなのだ。
なんて、私は王子じゃ無いし、キスというよりただの口移しなんだけど。
しかも、キスの相手不気味なクラゲの化物だし。
ロマンチックさのかけらもない。
でも、森を救うためだから仕方ないか。
私はあきらめてクラゲな怪物の口の中に紫色の球体に着弾する。
妖しく光を放つそれに口づける。
瞬間、視界がまばゆいエメラルドグリーンの光で埋め尽くされた。
『災厄』の身体が発光している。
淡い蛍火のような光になって霧散していく。
それはまるで、桜の森の中にいるかのような光景だった。
蛍火の花びらが、桜吹雪のように辺りを舞っている。
光は次第にその強さを増す。
何も見えない。
目を開けていることもできない。
一時的に視界を失った私が次に目を開けたとき、広がっていたのはお花畑だった。
絨毯のようにふかふかの、色鮮やかなお花畑。
そこは『災厄』がすべてを破壊した聖域跡の中心部。
深いクレーターの一番底。
粉雪みたいに淡い蛍火が落ちてくる。干からびた大地に触れて消える。
茫漠とした遠くの岩肌から、小さな新芽が顔を出したのはその直後だった。ごまみたいに小さな新芽はみるみるうちに大きくなる。葉が開く。蕾を作る。花が咲く。
蛍火はとめどなくひらひらと落ちてくる。
新たな種子が芽吹き、空に伸びて鮮やかな花を開いていく。
それは息をするのも忘れるくらいに美しい光景だった。
「うそ、私生きてる……」
私の隣には神樹様が立っていた。
金糸の髪に、翡翠の瞳。神様みたいに綺麗な外見なのに、気さくでおしゃべりな自称十七歳の高位森精族の長。
呆然と信じられないみたいに立ち尽くしている。
「神樹様。良かった。生きてたんですね」
「でも、あんなに絶望的な状況だったのに……。しかも、八千年前の傷が治って神樹本来の力も戻ってるし……」
「あ、そうか。完全障壁が無くなってたから」
私の力は神樹様をしっかり根底から治療してくれたみたいだった。
さすが女神様パワー。これで、余命僅かだった神樹様も、無事健康体に戻れたというわけだ。
さっきからすさまじい成長速度で広がっている花畑も、私の力の残り香と完全復活した神樹様の力が合わさった結果なんだろう。
「私、こんなに恵まれてていいのかな。あんな化物になって森をめちゃくちゃにしちゃってたのに……」
呆然とつぶやく神樹様。
「もちろん。良いに決まってます。みんな神樹様のこと好きですから。神樹様を慕って協力してくれた魔族さんもたくさんいたんですよ」
私はにっと微笑む。
「黒妖精族さんや蛇王族さんが協力してくれたのも神樹様のおかげですしね。だからこれは、神樹様ががんばった結果なんです。正当な報酬です」
「ほんとにいいのかな。これからも生きていっていいのかな」
「いいんです。健康に幸せに森を守っていってください。それがみんなの願いなので」
「……ありがとう」
神樹様はほとんどかき消えそうな声でそう言った。
両目からあふれる大粒の涙を拭うけれど、拭っても拭っても涙は次から次へと零れて落ちていく。
大地に落ちた雫は、新たな種子を芽吹かせる。茎が伸び、葉が開く。蕾を作る。花が咲く。
気がつくと、聖域跡は花々の海になっている。
桃色、黄色、青紫、水色、赤、紫、白、橙。
色とりどりの花が、一面さざめく波みたいに風に揺れる。
神樹様がいるから、この場所はきっともう大丈夫。
半年もすれば、元通りの緑豊かな森に戻っていることだろう。
聖域の幻想的な花が次々に咲き誇る姿を見ながら、この景色だけでもがんばった甲斐があったな、と私はにっこりした。




