56 神樹の森防衛戦
聖域の入り口に、私たちは横一列になって布陣した。
鍛冶人族さんの装備に身を包んだ魔族さんが並ぶ姿は壮観で、私今こんなにたくさんの仲間と戦ってるんだ、とうれしくなる。
『災厄』との距離は十キロほど。はるか遠く、それは巨大なクレーターの中心にちょこんと佇んでいる。茨のような深紅の触手が暇を持てあましてるかのように揺れていた。
「ジルベリアさん、背中に乗せてもらって良い?」
巨大なドラゴンの姿のジルベリアさんに言う。
このジルベリアさんでさえ、『災厄』の前には大きめのスズメバチくらいの大きさしかないんだけどさ。
「危険だぞ」
「ジルベリアさんの背中ほど安全なところなんてどこにもないって」
私は笑う。
「みんなを鼓舞するためにも私は最前線にいないといけないんだ。最強だって言っときながら、後ろで見てるんじゃ士気も上がらないでしょ」
「それはそうかも知れぬが」
ジルベリアさんはため息を吐く。
「ナギはやっぱり、自分の命を軽く見ておる節がある」
「そんなことないって。今は生きてるのがすごく楽しいし、ずっとみんなといたいって思ってる」
私は心配そうな緋色の瞳に微笑む。
「だからこそ、みんなのために私も力になりたいって思うんだ。みんなを守るために、私は戦いたい」
「なるほど。なかなか王らしい顔になってきたではないか」
ジルベリアさんは一度目を伏せてから言った。
「ならば良い。我輩がナギの翼になる」
聖域跡はしんと静まりかえっていた。
横一列に並んだ魔族さんたちは、陸上短距離の選手のように身を屈め、災厄に突進するそのときを待っていた。
そこに、怯えの感情は無い。
大切な森を、そして大切な人を守るため、一緒に戦おうとしてくれてる。
種族は違う。姿形が違う。肌の色が違う。
だけど、たしかに私たちは仲間だった。
「全軍突撃っ!!」
瞬間、上がったのは地鳴りのような咆哮だった。
数え切れないほどの魔族さんが一斉に地面を蹴り、雄叫びを上げる。
大地が揺れる。
みんなが力を合わせる、その力強さを改めて私は実感する。
「行くぞ」
「うん」
ジルベリアさんが、巨大な翼を振る。瞬間、私たちはすべてを置き去りにしていた。
景色が一瞬で線になる。なのに、その背中の上は止まってるみたいに穏やかだった。風圧も加速度の負荷もほとんど感じない。
あれ? いつもは風圧すごいのに。
不思議そうな私に、ジルベリアさんが言った。
「翼竜種は風属性に強い耐性を持つ種族でな。我輩は風に対する完全耐性を持っておる」
それでこんなに快適なんだ。
「ん? でも亜人の姿で背中に乗せてもらったときは風圧すごかったような」
「い、いや、ナギの反応が見たかったからわざと切っていたわけじゃないぞ? うむ」
「…………」
私の反応が見たかったからわざと切っていたみたいだった。
「ジルベリアさん、今日のおやつ抜き」
「なっ!? それはあんまりではないか!?」
「あんまりじゃないよ。正当な報いだよ。私のばきばきに折れた骨たちの痛みを思い知れば良いよ」
「だが、おやつの時間は我輩の生きる喜びで――」
「仕方ないな。じゃあ、この戦いに勝ったら、いつもの二倍大盛りにしてあげる」
「ふむ。また勝たねばならぬ理由ができてしまったな」
いたずらっぽく微笑むその表情が真剣なものに変わる。
ジルベリアさんは鋭い声で言った。
「――来るぞ」
『災厄』が最初の一撃を放ったのは、戦闘を開始して二百八十秒が過ぎたときのことだった。
私たち、『神樹の森』連合軍は、その僅かな時間で既に『災厄』との距離を半分近く詰めていた。距離にして五キロほど。
その意味では『災厄』の初動は遅すぎたと言っていいかもしれない。
しかし、『災厄』が不意をつかれて後手に回ったのかというとそうではない。むしろ、すべては『災厄』の想定通りに進んでいた。
逃げられないよう、狩る者は獲物を引きつけて捕食する。
大樹の幹のように巨大な触手がまず蹂躙したのは蜥蜴人族さんの前線だった。響いたのは大地が粉々に砕ける炸裂音。岩盤の破片と大柄な蜥蜴人族さんたちが紙吹雪みたいに空に巻き上げられ、地面に落ちて大地を激しく揺らす。
残ったのはえぐり取られた大地の空白。
たった一凪ぎ。寄ってきた羽虫を払うかのような、ただそれだけの動きで、千を越える数の蜥蜴人族さんが弾き飛んで動けなくなった。
すぐに仲間が救援に駆けつけて、私の作ったパンやお菓子で傷ついた身体を回復させるけれど、しかし、動揺はみんなの動きを鈍らせる。
「か、勝てるわけねえ……こんなの勝てるわけねえよ……」
だが、獲物が動きを止めないのは、『災厄』にとって意外な事象だったらしい。不思議そうに身体を揺らして、それからもう一度触手を振る。
次に襲ってきたのは無数の触手。数十、いや数百の深紅の茨が一斉に私たちの前線へ疾駆する。
あまりにも破壊的なその一撃は、しかしそれを上回る暴力によって消し飛ばされた。
「臆す必要はありません。我々がついている」
リーシャさんは大剣を一閃する。直後起きたのは、巨大な風の斬撃。巨大な刃が襲い来る無数の触手を切り飛ばす。
神話の大蛇のように巨大な深紅の茨は次々に落ちて大地を揺らした。
「緋龍族騎士隊の力を見せるときです! 全軍突撃!」
「ほらほら、みんな仕事の時間っすよ! リー隊長に続くっす!」
咆哮が続く。
ドラゴンさんたちの突撃は敵前線に風穴を開けた。
その穴に魔族さんたちが一斉になだれ込む。
「儂らが壁になる! 主らは後ろから援護を!」
樹人族さんたちは、大きな身体で壁を作る。
大樹のような巨体は、きしんだ悲鳴をあげながら、すべてをなぎ払う触手を受け止めて見せた。
「指図しないで。ちっ、みんな、麻痺毒の矢」
黒妖精族さんたちが矢を放つ。触手の動きがはっきりと鈍くなる。
「断る。我が望むのはさらなる闘争のみ。進め」
蛇王族さんたちは前へ前へ出て、前線を切り崩し、
「みんな、合わせてください。其は光の紋章、神々の怒り。高みから舞い降り、偉大なる裁きを下す。ひれ伏し、祈り、ただ慈悲を請え――」
高位森精族さんたちは、両手を組み、声を合わせて唱える。
「――『聖なる裁き(グランドクロス)』」
瞬間、雲の切れ間から光が降りてくる。まばゆい光の帯が、触手たちを一瞬で蒸発させ、天に返した。
海を割った予言者のように、触手たちの群れの中に道ができる。
「今です! 全軍一気に中央を突破! 『災厄』との距離を詰めましょう!」
触手の海に空いた道を走る。残りの触手たちが道を防ごうとするが、しかし数も力も足りない。
戦況ははっきり私たち有利に傾いている。
「しかし、この鎧はすごいの。軽い上に、驚くほどダメージを軽減してくれるわい」
「弓については認めるしかないわね。あたしたちが使ってたのよりはるかに性能が良いわ」
「我も気に入った。サーベルの提供を頼む」
「ねえ、セードルフ。僕ら一生分くらい褒められてない?」
「レイレオさんがすごいですからね。当然です」
魔族の王たちに褒められて、おじさん二人はなんかいちゃいちゃしていた。
「いただいたお野菜とお料理もすごいです。魔力増加の付与は経験がありますが、ここまで絶大な威力になるなんて」
「は、高位森精族さんに褒められました」
前線の少し後ろでびっくり目を見開くソラちゃん。
同じく褒められた私も、ふふふ、と頬をゆるめる。
「よし、この分なら勝てそうかも」
「いや、これはまずいな」
「え?」
「どうやら、あれは我輩たちが思ってた以上の化物らしい」
ジルベリアさんの言葉の意味が私にもわかったのはその直後だった。
不気味な紫の光と共に、失った触手たちが再生する。濃い深紅の茨は、今までのそれより二回り以上太く、無数の鋭い棘を備えている。
「ぐっ、まずい……これは支えきれぬぞ」
「嘘……麻痺毒の矢が効かなくなってる……」
「我の力を学習したか。面白い」
何より、問題はその動きが以前より格段に速く、力強くなっていることだった。
前線が押し返される。
折角できた道がふさがっていく。
残る距離は三キロほど。しかし、とても届かない。ものの数分で壊滅させられてしまうと考えなくても直感的にわかってしまうほどに、新たな触手には絶望的なまでの強さがあった。
「私たちの力を学習して強くなってるんだ……」
「どうする? 時間はあまりないぞ」
考えている時間は無かった。
早く決断しなければ、状況はそれだけ悪くなる。
勝算があるかはわからなくても、それでも、ここから先の数十秒にすべてを賭けるしかない。
「みんな! 全員で道を作って! あとは私とジルベリアさんでなんとかするから!」
「承知しました」
シトラスさんの反応は早かった。
「敵正面に活路を開きます。これが唯一の勝機と心得なさい。全軍前へ」
「みんなで一歩でも距離を詰めましょう、とライムは侍女隊のみんなに呼びかけます」
『災厄』は既に緋龍族さんの動きを学習している。それでも、一糸乱れぬ連携の取れた動きは、一瞬強くなった触手を圧倒し、押し返した。
「皆の者! なんとしてでも開いてくれた道を維持なさい! 今こそナギ様へのご恩を返すとき! 進むのです! 大鬼族の勇気と覚悟はこんなものではないでしょう!」
大鬼族さんたちが、それを広げて支えてくれる。
道がはっきりと形になり始める。
しかし長くは持たない。触手はさらに強くなっている。けれど前線が崩れる前に、他の魔族さんたちがそこに加わっていた。
「シトラス、合わせなさい。宿敵のあなたに背中を預けるのは不本意ですが、今回ばかりは仕方ありません」
「それは私の台詞です、とシトラスは舌を鳴らします。まあ貴方の力は私が一番知っていますから。私たちがこの状況で最も成果を上げられることでしょうし」
「そうですね。騎士隊の皆、いきますよ。この世で最も力強い咆哮を見せてあげましょう。そして事実を持って証明するのです。我らの咆哮は、侍女隊のそれよりも明白に優れているということを」
「戯言を。私たちの方が優れているのは自明のことです、とシトラスは事実を述べます。見せてやりなさい、騎士隊のそれより優雅な咆哮を」
互いに背中を合わせるリーシャさんとシトラスさん。傍らに、騎士隊と侍女隊のみんなが並ぶ中、咆哮が『災厄』の前に立ちふさがる触手の海に向け放たれる。
「「――灼熱龍の双咆哮」」
無数の触手が一瞬で蒸発する。茨の赤い海に道ができる。
「「「今です、ナギ様! ジルベリア様!」」」
みんなの声が響く。
「勝つぞ」
「うん」
私たちは、躊躇いなくそこへ飛び込んだ。




