55 『災厄』と希望
ジルベリアさんがそう言った理由がわかったのは、聖域の境界にたどり着いたときのことだった。
「な、なんだこれ……」
聖域だったはずの場所。
何もない空間。
佇む空白。
えぐり取られた大地の残骸。
半径十キロほどに渡って展開された圧倒的な破壊の跡は、魔族さんたちのささやかな希望を打ち砕くのには十分すぎるだけの衝撃を持っていた。
そして、遠くその中心に『災厄』はぽつんと鎮座している。
不気味に佇むその身体は二百メートル以上あるだろうか。クラゲのような身体は、可愛らしい丸みを帯びていたけれど、それが尚更その異様さを強調していた。
空を覆う巨大な赤黒い傘には、泡立ち爛れたような跡が無数に散る。蠢く無数の触手はその一本一本に茨のような鋭い棘がついていた。脳髄の神経回路のように複雑に入り乱れるそれの奥、傘の中心で、何かが怪しく紫色の光を放っている。
目にしているだけで背筋を冷たいものが伝った。あそこにいるのは、私たちのような小さな存在が立ち向かっていい相手じゃない。私は本能的にそう感じている。怯えている。
「こ、こんなの勝てるわけねえよ……」
ふるえる声で一人の蜥蜴人族さんが言った。怯えはあっという間に戦場に伝染した。
青ざめた顔で唇をふるわせる魔族さんたち。歯をかたかたと鳴らし、両腕で小さな自分を抱きしめ、なんとか逃げられないかと視線を彷徨わせる。
戦線が総崩れになるのも時間の問題だと思った。まだ戦ってすらいないというのに。
「寄せ集めだからな。無理もない」
低い声で言うジルベリアさん。
私の配下の魔族さんたちは気丈に振る舞っていたけれど、それでも不安に感じているのは雰囲気でわかった。
改めて理解する。私たちはとんでもない相手と戦おうとしている。
逃げられるなら逃げたいと思った。背を向け駆け出せたら、どんなに良いだろう。
でも、それじゃダメだと私は知っている。
みんなを守りたい。一人だって失いたくない。
これは私の人生でなんとしてもやらないといけないことなんだ。
「ジルベリアさん、ちょっと前へ行かせて」
「何をする気だ?」
「気合いを入れ直す」
私はみんなの前に立って振り返る。
注がれるたくさんの魔族さんたちの視線。
落ち着け。びびるな。臆すな。ふるえるな。
息を吸い込む。
ここからは、私の一世一代の大芝居だ。
「聞いて! みんな注目!」
私は声を張り上げる。
「集まってくれてありがとう。私はナギ・ジルベリア王国の王、ナギ。これから私たちはあの『災厄』と戦うことになる」
脚のふるえは身体を揺らして隠した。
手のふるえは腕を組んで抑えつけた。
人前に立つのは苦手だ。大失敗した小学校の学芸会を思いだす。
頭をくしゃくしゃと撫でてくれたお母さんの手のひらも。
だけど、大丈夫。私はあの頃より強くなったから。
いっぱい失敗して、苦しんで、成長したから。
だから、見てて。
「みんな、あれを見て勝てないと思ったんじゃないかな。正直に言うと、私もそう思った。だから君たちのその気持ちは自然なことだよ。逃げたいと思うのは当然だし、逃げても良い。私はみんなに無理して戦えと言うつもりはない。ここにいるみんなは立ち上がろうとしてくれた。ここまで来てくれた。その気持ちに私は感謝を伝えたい。本当に、ありがとう」
一言ずつ、丁寧に言葉を放つ。
私の言葉は魔族さんたちにとって意外なものだったらしい。
そりゃそうか。逃げて良いなんて、この状況で普通は言わないだろうから。
「でも、そんなみんなにだからこそ、私は言いたい。ここで本当に逃げていいのかって」
無数の視線を真っ直ぐに見返す。
「みんな大切な家族や友達がいて、だからここに来たんだと思う。こんな戦い誰だってしたくない。でも、立ち向かわなければ失うことになる。だから私たちはここにいる。ここで逃げても迎える結末は変わらないよ。森は失われ、みんなも、その大切なものたちも失われる。次に動き出したとき、『災厄』は簡単にこの森を塵に変えてしまうだろうから」
重たい沈黙が流れた。
それは事実だ。私たちを待ち受ける絶望的な未来。
「だからこそ、今。ここで力を合わせて戦おうよ。私たち一人一人はちっぽけだよ。あんな相手になんてとても勝てない。でも、ここにいる全員が力を合わせれば、戦うこともできるんじゃないかな。奇跡を起こすこともできるんじゃないかな」
私は一度言葉を切る。
みんなに声が、思いが届くのを待つ。そして、続ける。
「みんなが思ってるよりみんなは強いよ。ここには森中から魔族さんたちが集まってる。天才のレイレオさん。みんなが持ってるのは聖王国の軍勢を追い払った鍛冶人族さんたちの武器だ。私の国の優秀な大臣が作った野菜と、私の料理も食べている。目を閉じて自分の身体に聞いてみて欲しい。みんな、今まで経験したこと無いくらい力が漲っているのを感じるはずだから」
実際に目を閉じてくれる魔族さんたちもたくさんいた。
彼らは改めて自分の中にあるその力に気づかされたみたいだった。
表情に、少しだけ勇気の光が灯る。
「強い魔族さんたちだってここにはたくさんいる。大鬼族さんたちと、そのお姫様。力は森の魔族屈指。『神樹の森』で三強と言われる三種族にもひけは取らない。そして何より、三強の樹人族さん、蛇王族さん、黒妖精族さん。彼らの強さは私以上にみんなの方がよく知っているはずだ。その上、森で最上位、聖域の高位森精族さんも全員万全の状態で加わってくれている。私たちは強いよ。奇跡を起こせるだけの力を持っている」
そうだ、三強に高位森精族までいる。
いけるかもしれない。
やれるかもしれない。
そんな気持ちが魔族さんたちの中に生まれ始めていた。
まだだ。まだ足りない。
あの『災厄』の恐怖を跳ね返すには足りてない。
だから、私はとっておきの弾丸を放つ。
「加えて、私たちには伝説の緋龍族さんもいる」
私の言葉に、魔族さんたちはきょとんとした顔をした。
一体何を言っているのだろう、という顔。
緋龍族なんてどこにもいない。いるわけないじゃないか、と。
「ジルベリアさん、本当の姿を」
「良いのか?」
「うん。他のみんなもお願い」
「承知しました」
緋龍族さんたちが本当の姿を見せる。
身体がまばゆく発光したかと思うと、そこにいるのは伝説の灼熱龍だ。鮮やかな緋色の姿に、魔族さんたちが絶句する。
「う、嘘だろ、本当に緋龍族が……」
「あんなにたくさん……ありえねえ……」
「おい、見ろ。三帝竜の一つである王までいるぞ」
混乱しているのは、私の配下の魔族さんたちも一緒だった。
隠しててごめんね、と心の中で謝る。
動揺が全軍を包んでいた。
レイレオさんと、蛇王族の王、樹人族の王だけが落ち着いた顔をしていた。この三人だけは、驚かない程度には察しが付いていたということか。
「その通り。三帝竜の一つ、ジルベリアもいる。そして、私はこの子たち緋龍族の主人をしてる。それがどういう意味かわかるかな」
そして、私は悪い笑みで、渾身のはったりを叩きつけた。
「緋龍族を従えて、この森にあっという間に大国を築き上げた私がいるんだよ? 私たちは強い。みんなが思っていたよりずっとね」
ざわめきが魔族さんたちを包んでいた。
「緋龍族が配下って。そんなことありえるのか……」
「だが、あのナギって魔族は大空洞で大鬼族たちを簡単に倒して配下にしたと聞いたぜ」
「一体どんな化物だよ。信じられねえ……」
「でも、もしかしたら俺たち本当に勝てるんじゃねえか?」
「いける! いけるぞこれ!」
絶望と同様、希望も伝染する。
勝てるかもしれない。希望の種子はみんなの心を勇気づける。
「何より、そんな私たちよりもっともっと強いものをみんなは持ってるよ」
最後に、私はそう続けた。
「地位や名声なんかよりずっと強いもの。それはみんなの心にある力だ。私たちはみんな、戦う理由を持っている。守りたいものを持っている。私たちは、大切な誰かのためには自分のため以上に力を出せる生き物だよ。その力を私は信じてる」
私は拳を上げた。
「立ち向かおう。絶対に失いたくない大切な誰かを守るために」
歓声が爆発した。
それは本当に何かが爆発したんじゃないかと錯覚するくらいに大きな爆発だった。
魔族さんたちが空に声を上げ、拳を掲げる。
熱気と汗が、霧となって私の髪を湿らせた。
「まったく。主は大した役者だな」
響く熱狂の中で、ジルベリアさんが近づいてきて言う。
「ごめん、折角隠してもらってたのに」
「良い。我輩も一切加減せず暴れられるというものだ」
ジルベリアさんはそう言ってくれたけど、しかし私は他の魔族さんたちに謝らないといけない。
混乱を防ぐためとは言え、仲間なのに隠し事をしてたわけだから。
「みんな、隠してて本当にごめん。言うと、大きな騒ぎになっちゃうかと思って言えなかったんだ」
頭を下げる。
だけど、返ってきたのは予想外の反応だった。
「緋龍族を配下にしてるなんてすごいですナギ様!」
「まさか、あの伝説の緋龍族と仲間になることができるなんて……」
目を輝かせるソラちゃんと大鬼族のお姫様。
驚いたことに、むしろ好意的な反応の方がずっと多かった。
過ごした時間の中で、みんなそれだけ私たちのことを理解してくれてたってことなんだろうか。
「ナギって本当にすごい魔族だったのね……」
ナクアさんは絶句していたけど。仲間ではない魔族さん的には驚きの方が大きい様子。同じように目を見開いている魔族さんたちもたくさんいる。
すごく過大評価されちゃってる気がするけれど、褒められるのはうれしいので内心にやにやしておく。
表には出さないけどね。今の私は最強魔族感出してないとだから。
「みんな、勝とう」
そして、戦いの火蓋は切って落とされる。




