53 そんな結末、絶対に認めない
その瞬間。
聖域は跡形もなく消し飛んだ。
「聖域が消し飛んだ……?」
私はリーシャさんの報告に自分の耳を疑った。
「じゃ、じゃあ高位森精族さんたちは?」
「生存者は見当たりませんでした。おそらく、一人残らず」
「そんな……」
状況に心が着いていかなかった。
あんなにたくさんいた高位森精族さんが全員……
神樹様もエルさんも、死んでしまったということだろうか。
どうして……
一体どうしてこんなことに……
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
私はこの国の王で、みんなを率いる立場なのだ。
ちゃんと考えて、正しい決断をしないと。
「一体何があったの?」
「わかりません。聖域の木々は半径五キロメートルに渡りすべて消失。巨大なクレーターが残るのみでした。中心には謎の高エネルギー体が鎮座していました」
「謎の高エネルギー体?」
「はい。山のように巨大な高エネルギー体です。形状としてはクラゲに近いでしょうか。泡立ち爛れた雲のような傘と、のたうつ無数の触手を持っていました。それ以上何と形容すれば良いかわからないのですが、おぞましい、狂気そのもののような物体でした」
リーシャさんの報告に、ジルベリアさんは苦々しげに言う。
「おそらく、神樹を依り代に何かよくないものを降ろしたのだろうな」
「よくないもの?」
「ああ。それ以上のことは我輩にもわからぬが」
「シトラスさん、今すぐ大臣を集めて。もっと情報がいる」
大臣たちはすぐ集まってくれた。シトラスさんが声をかける前から既にみんなこの城に向かってくれたらしい。
「聖域を一瞬で消滅させるような存在か……」
レイレオさんは痛む頭をおさえるみたいにこめかみを突いて言う。
「僕も見当が付かない。六魔皇との外見的特徴ともまったく違うし、そこまで絶大な力を持つ存在、他には……」
「レイレオさんでもわからないんですか」
「すまない。今、生理学と生物学と歴史学に詳しい仲間と一緒になんとか正体を突き止めようと資料を漁ってはいるんだけど」
会議室には、図書館からたくさんの本が持ち込まれて山を作っていた。研究者らしい鍛冶人族さんたちが懸命に資料をたぐっている。
「ごめんなさい。私もまったく見当がつきません」
「わたしもです……」
大鬼族のお姫様とソラちゃんが言う。
「シトラスさんも心当たりない?」
「申し訳ありません、とシトラスは顔を俯けます」
「そっか。シトラスさんでもダメか……」
会議室が沈黙に包まれる。
現状この国に聖域を消滅させた存在についてわかる魔族さんは誰もいないということになる。
「しかし、聖域を消し飛ばすなんてそれこそ神でもないとできることでは」
犬人族のおばあちゃんが独り言みたいにつぶやく。
「じゃあ、神樹様とは別の神様とか?」
私は女神様を思い浮かべて言う。
って、女神様がこんなことをするとはとても思えないんだけど。
レイレオさんが机を叩いたのはそのときだった。
「神……そうか、神か!」
「ありえます。その可能性はあります」
うなずくシトラスさん。
「わかったの?」
「待って。今資料を探す」
レイレオさんは本の山をかき分け、一冊を引き抜くと机の上で広げる。
「創世記の記述だ。神が光を作る前、世界は七柱の旧支配者により支配されていたと書かれている。原罪と呼ばれる七種の根源的な邪悪。神は彼らを異界に封じ込め、光に満ちた空と大地を作った」
シトラスさんがその隣で本を覗き込みながら続けた。
「新たな神により異界に封じ込まれた原初の神々。何者かが神樹を依り代として彼らを顕現させたとすれば、この事象に説明は付きます」
「じゃあ、神樹様は何者かに利用されてその邪神を呼び出す道具にされちゃったってこと?」
「おそらく」
執務室の机を叩く。
大きな音が響く。
私の骨は折れている。
痛くない。
こんなの痛くない。
利用された神樹様の痛みに比べれば。
「気持ちはわかるが落ち着け、ナギ。悲しみの中にあっても心を殺して民のために決断するのが王の務めだ」
言うとおりだった。
私は落ち着かないといけない。
怒るのも泣くのも今は我慢しないと。
「ごめん、取り乱した。それで、私はこの国の王として何をすればいいのかな」
「森を捨て、できるだけ多くの仲間を連れ遠くへ逃げる。打てる手としてはこれしかないだろうな」
ジルベリアさんの言葉が私は信じられなかった。
「この国を捨てるっていうの?」
「大事なのは土地より民だ」
ジルベリアさんは鋭く言った。
「神樹を依り代としたあれはその力を利用してほぼ完全に近い状態で顕現している。あと一月の間に少なくとも世界の半分はあれによって塵と化すことだろう。ただの一魔族が戦える相手では無い。そういう存在だ」
緋色の瞳は揺らぐこと無く静止している。ジルベリアさんは既に心を決めているのだ。
「でも、それじゃ森は――」
私が言いかけたその瞬間だった。
視界が赤黒い光の混濁に押しつぶされる。激しい振動が会議室を揺らす。
ミキサーの中に放り込まれたかのようだった。立っていることができなくて私は机に倒れ込む。水晶のシャンデリアが激しく揺れる。窓のガラスが割れる音が城中から聞こえた。
揺れがおさまって目を開ける。赤黒い光は消えている。
「一体何が……」
「竜の山の方からでしたね」
お姫様の言葉にうなずきつつ、会議室から出て窓の外を見つめる。
割れた窓の破片の向こうにそれはあった。
否、なかった。
「嘘。でしょ……」
竜の山の上半分が最初から無かったみたいに消し飛んでいる。
えぐり取られたような跡だけがそこにあったものの名残を残していた。
「ブレスだな。もっとも、あれは竜でないから別の呼称の方が正しいのかもしれないが」
ジルベリアさんは淡々とした声で言う。
「これでわかっただろう。あれは我輩たちがどうこうできる相手では無い」
たしかにその通りだと思った。
聖域を一瞬で消し飛ばし、竜の山を一息で塵に変えた化物。
戦闘好きのジルベリアさんでさえ、最初から戦うことをあきらめるような相手。
逃げるのは、現状取れる最善の選択なのかもしれない。
「でも、国のみんなが全員無事に逃げる事なんてできるの?」
「無理だな。犠牲は出る。みな我輩たちのように強い魔族ではない。運が良くても半分以上は犠牲になるだろうな」
「半分以上が……?」
言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。
言葉にすれば簡単なことで。
だけど、それは絶対に簡単に済ませてはいけないこと。
一緒に国を作ってくれた魔族さんたちの半分以上が、死んでしまうということ。
「だったらダメだよ。そんなの選べない」
「ナギ。現実を見よ」
「見てるよ。見てるから言ってる」
私はジルベリアさんを見返して言った。
「私にとって、みんなは大切な仲間だから。そんなに簡単にあきらめるなんてできない。もっとみんなが不幸にならない方法は無いかな。できるだけたくさん助けられないかな」
「そんな夢物語のようなことあるわけが――」
「無いとあきらめたら、絶対に見つからない。探してみようよ」
「だが早く決断せねば時間が」
「わかってる。五分。五分だけ待って」
私は考える。全身全霊で頭を働かせる。
できるだけたくさんの魔族さんが幸せになれる選択を探す。
みんなあんなにがんばって素敵な国を作ってくれた。
毎日毎日一生懸命働いてくれた。
私はそれを見てる。知っている。
みんな私のことをすごく好いてくれた。
ナギ様に着いていくって言ってくれた。
知っている。
神樹様は誰よりもがんばって森を守ろうとしてた。
私にこれから先のことをお願いって言った。
知っている。
だから、こんな結末は絶対に許せない。
そんな理不尽、あってなるものか。
「ナギ様、もう六分が――」
「良い、リーシャロット。あと二分待つ。我輩が責任を取る」
五分って言ったのに。
私は本当にダメなやつだ。
一人じゃ何もできない。
弱くて。
ちっぽけで。
取るに足らない存在で。
だけど、あきらめない。あきらめてたまるか。
どんなにつらくてもくじけなかった前向きさだけが、私が誇れる唯一のものなんだから。
「絶対障壁があるというわけではないので、物理的に攻撃は通るはずなのですが……」
「だが、力が違いすぎる。我輩たちでは一発当てるだけでも至難の業だぞ。それに、そこまで間合いを詰めれば、まず生きては帰れぬ」
そのやりとりが、私は妙にひっかかった。
何か、何かある。
落ち着け。息を吐け。
絶対に見つけろ。
違和感の根拠を。
「絶対障壁は無いんだよね。で、踏み込めば一発は入れることができる」
私は確認するみたいに言った。
「できるな」
ジルベリアさんはうなずく。
「だったら、私のごはんを食べさせれば元の神樹様に戻せるんじゃないかな」
沈黙が流れる。
時間が静止したかのようだった。
長かったような気もするし、短かったような気もする。
やがて、緋色の瞳がぱっと見開かれた。
「あり得る。可能性はある」
ジルベリアさんはレイレオさんとシトラスさんに視線を向ける。
「鍛冶人族の長、シトラス、どう思う?」
「霊酒で狂化状態だった大鬼族が元に戻せるなら、作用的には可能だと思う」
「汚染された池を浄化したことを考えれば、むしろ可能性は高いとシトラスは考えます」
私は拳を握る。
「やろう、ジルベリアさん」
「ったく。我輩の主人は我輩以上に絵空事が好きらしい」
ジルベリアさんは苦笑してから言った。
「任せよ。我輩が必ず彼奴に一発入れてやる」
その隣に並んだのはリーシャさんだった。
「我もお供します、ジルベリア様。我はナギ様とジルベリア様の剣ですから」
それから、サファイアブルーの瞳を曇らせて続ける。
「しかし、彼我の戦力差はあまりにも大きいと考えます。我々だけで料理を食べさせられる距離まで近づくのは……」
「まったく。宿敵は重要な戦力を忘れています、とシトラスはため息を吐きます」
「そうっすよ! あたしらがいるじゃないっすか、リー隊長」
「その通りです、とライムは侍女隊のみんなと手を上げてアピールします」
ドラゴンさんたちが集まってくる。気がつくと執務室の外は魔族さんたちでいっぱいになっていた。みんな心配して駆けつけてきてくれたらしい。
「私たちも戦わせてください。戦仕事なら、大鬼族に勝るものはおりません」
「姫様ガソコマデ言ワレルノデシタラ仕方アリマセンナ」
「任セテクダサイ。蹂躙シテ見セマス」
「必ズ勝チマス」
言ったのは大鬼族のお姫様と大鬼族さんたち。。
「わたしたちにも手伝わせてください。怪我人の手当くらいはできます。あと、作ってる野菜を食べたところ身体機能が向上することがわかりまして。食べてってください! 絶対力になりますから!」
「はい。我ら犬人族一同、どんな時もナギ様の元を離れません」
ソラちゃんたち犬人族さんと、
「僕たちも手伝おう。他のみんなも鍛冶人族の武器を自由に好きなだけ使ってくれ」
「ええ、やってやりましょう、レイレオさん!」
レイレオさんたち鍛冶人族さんが続く。
「私たちも手伝わせてください!」
「おいらたちも手伝います!」
森梟族さんや、雨蛙族さん。他の少数魔族さんたちまで言ってくれて、
「勝とう。みんなで絶対勝とう」
私は拳を上げた。
残酷な運命なんかに負けてたまるか。
一人のドラゴンさんが駆け込んできたのはそのときだった。
「ナギ様! 国境近くの森に高位森精族たちが! 息はあるのですが、みな重症で」
生きてたんだ!
よかった、と頬がゆるんでしまうけど、まだ気を抜いて良い状況じゃ無い。
「案内して。すぐに行く。みんなは戦いに行く準備を」
森を、そしてみんなを守るための、絶対に負けられない戦いが始まろうとしていた。




