51 神樹様のお願い
原因は八千年前の傷だと神樹様は言った。
消耗した神樹の木は、高位森精族の長の命を持ってなお、完全に治療することはできなかった。
八千年の間、少しずつ少しずつ悪くなり続けた。
そして、もう。いつ倒れてもおかしくない状態なのだと言う。
「なんとかする方法はないんですか?」
「わらわたちも八千年間、いろいろ試したんだけどね。でも、ダメみたい。神樹の木の絶対障壁は治癒魔術や薬も無効化してしまうんだ。だから神樹の木は絶対に治らない。少なくとも、私たちじゃ治せなかった」
「でも、私の料理なら――」
「それに少し期待してたんだけどね。死ぬ死ぬ言っといて意外とあっさり助かるみたいな、そういう人騒がせなハッピーエンドだったらどんなにいいだろうって」
神樹様は困ったみたいに笑う。
「けど、ダメだった。ダメだったんだよ」
そうだ、この人は私の作るごはんを食べている。
絶対障壁は女神様の力さえ無効化するほどに強力で。
だから、私にこの人を助けることはできない。
できないんだ。
「神樹の木が枯れると、この森は今みたいな大森林を維持できない。ここは植物が育つにはエーテルが少なすぎる土地だから。木々は次第に数を減らす。食料は減り、魔族の生活圏は減る。争いも起きる」
神樹様は目を伏せて淡々と言う。
「だから、みんなで協力して、助け合って生きていける状況を作るために同盟を作ったんだ。説得するの大変だったけどね。メーベルなんてエルフ大っ嫌いだから最初口も効いてくれなかったし」
なつかしそうに微笑んで、
「いっぱいがんばってやっとみんなに参加してもらえた。すごく強い新興魔族のナギちゃんにも」
それから私をじっと見つめる。
「みんなで力を合わせて支え合って、神樹が枯れた後の森を守って欲しい。みんなが大きな不幸なく生きられるように。理不尽で否応なく未来を閉ざされることがないように」
最後に、ぎゅっと私の手を握って言った。
「あとのことはお願い。頼んだよ」
言葉には切実な響きがある。この人はずっと森のことを守り続けてきて。何より大切に思っている。
だけど終わりの時が近づいて、私たちにそれを託そうとしているのだ。
無下に扱っては絶対にいけないと思った。綺麗な言葉を返してもいけないと思った。
私は私の言葉と意志で彼女に応えないといけない。
「みんなでがんばっていこうと思います。私は一人じゃ何もできないくらい弱いですけど。でも、支えてくれるみんながいるので。だから安心してください」
「うん。安心した」
神樹様はそう頬をゆるめて笑った。
「なんて、今にも死にそう感めっちゃ出したけど、わらわまだ死んでないからね。死ぬ気ないからね」
聖域へ帰る前、神樹様は大げさな身振りでそう言った。
「みんなに詐欺って思われるくらい長生きするから。粘るから。不死竜ばりの生命力を見せてあげるよ。神樹様はこう見えて生き汚いのです」
「はい。長生きしてください」
「うん、任せたまえ」
そしてにっと目を細める
「それじゃ、ナギちゃんいつでも遊びに来てね。みんなで大歓迎するから、超手厚くもてなすから」
「ありがとうございます」
「ここだけの話、高位森精族に伝わる胸を大きくする秘薬があって――」
「絶対必ずどんなことがあっても伺いますね」
そんな感じで私たちは別れた。「じゃーねー、ナギちゃーん」と手を振る神樹様を尻目に、私は出発の準備を開始していた。
なんとしても秘薬を手にしなければ
できるだけ速やかに聖域へ行く準備を整える必要がある。
「しかし神樹のやつもなかなか大変なのだな。まさかそのような事情があるとは。我輩にできるならなんとかしてやりたいが」
部屋に遊びに来たジルベリアさんは、ソファーに腰掛けて言った。
「あれ? ジルベリアさんって神樹様と仲良かったっけ?」
「いや、仲良くはないぞ。少し話したくらいだ」
「そうだよね」
「うむ。一緒に鬼ごととかくれんぼはしたがな。あと、エルとか言う高位森精族にいたずらして遊んだりな。あれは楽しかった」
「…………」
めっちゃ遊んでるじゃん。
「何より、彼奴ほどの強者は早々おらぬからな。是非一度戦ってみたかったのだが」
「ジルベリアさん戦い好きだもんね」
「どうにか治す方法はないものか。そうだ、この前話してくれた御伽話では王子が誰にも解けない呪いを解いてなかったか?」
「あー、『いばら姫』だ」
『眠れる森の美女』という訳題もあるグリム童話の作品。たしかヨーロッパの古い民話が元で、他にもいくつか類話があるんだっけ。
「同じやり方を試せば、神樹のやつを治すこともできるかもしれぬぞ?」
「いや、それはちょっと……」
『いばら姫』の呪いを解く方法と言えば定番のあれ。
王子様のキス。
「私も嫌だし、神樹様も嫌だと思うし。あと絶対治んないし」
そもそも私王子じゃないしな。どちらかと言うと白馬の王子様に呪いといて欲しいです、はい。
「むー。なかなか難しいな」
「でも、まだまだ元気そうだったから。そんなにすぐお別れってこともないんじゃないかな」
「だと良いな。我輩もっと高位森精族の小娘にいたずらしてやりたいし」
「次は私も誘ってね」
「うむ。今度は皆でいたずらしよう」
それからの数日は穏やかに過ぎていった。
私は聖域へ訪問する準備を整えながら、高位森精族さんたちに持っていくお土産を考えていた。
新鮮なお野菜と、お肉と、あとは紡績機かな。鍛冶人族さんたちが作った半自動式の紡績機。水力を利用して動くそれを高位森精族さんたち、目を丸くして見つめてたから。
同盟の仲間になったわけだし、そういう技術の提供もどんどんしていきたい。みんなでより居心地の良い森を作っていかなくちゃ。
聖域への遠征にはリーシャさんも賛同してくれた。
「良いですね。聖域には他の地域とはまったく違う上質な果実が採れると聞きます。私も一度で良いから食べてみたいと常々――はっ」
それからあわてて言う。
「申し訳ありません。ナギ様の騎士ともあろう者が、職務を忘れ自らの欲望の充足を望むなど決してあってはならないと言うのに」
「いやいや、毎日平和だしそんなに気を張らなくても大丈夫だよ。おいしいものが食べたいのは私も同じだし」
「それなら、良いのですが……」
「で、聖域の果物ってそんなにおいしいの?」
「はい。我も風説として聞いているだけなのですが、まるで砂糖菓子のように甘く、蜂蜜のように濃厚なのだそうです。我の師はそう、自慢げに語っておりました。まったく。口惜しい」
「そっか。そんなにすごいんだね」
食べてみたいなぁ、と思う。
遠征に出発する日がますます楽しみだ。
お土産もこれでもかってくらいたくさん用意したから、きっとすごく喜んでくれるだろうし。
ふふふ、待ってろよ高位森精族さんたち。
期待に胸を弾ませて、私はその日を待つのだった。




