45 訪問者その4
「大胆。あまりにも大胆と言わざるを得ません。まさか、王がたった二人で敵陣に乗り込んでくるとは……」
付き人の高位森精族は困惑した様子で言った。
「それだけ自信があるということじゃろう。儂らを相手にしてもなお、負けるとは思ってない目をしておる」
大樹のような樹人族の王は落ち着いた声で言う。
「興味深い。我は戦いを望む」
蛇王族の王は目を輝かせ、
「まあ、少しはやりそうね。どうでもいいけど」
黒妖精族の女王は退屈そうに脚を組み替えて言う。
「『神樹の森』の覇者になろうと目論むだけのことはあるというわけですか……」
歯噛みして言う付き人の高位森精族さん。
「い、いや、私はそんな」
「……………………」
そして、高位森精族の長――神樹様は何も言わなかった。
ただ、私のことをじっと見つめる。心の中を覗いてるかのような視線。エメラルドグリーンの瞳は、ここにいていいのか不安になるくらい美しかった。
存在としての格が違う、と思う。私は本能的にそう感じている。他の魔族とは違う。王たちよりもさらに高位。まるで神様だと思った。この人はもうほとんど神様の域にいるのだ。
「まさか、ここまでの相手とは。これはなんとしてでもここで潰しておかなければなりません」
神樹様に見とれる私の視線の端で言ったのは付き人の高位森精族さんだった。
「最初からそのつもりじゃろう。儂らはいつでもいけるぞ」
「号令をかけよ。我は闘争を欲す」
「やるの? どうでもいいけど」
黒妖精族の女王以外の魔族さんたちは戦闘態勢を取る。
いやいや!
待って待って!
私は戦いたくないんだってば!
「は、話し合いをしましょう! そのために私を呼んだんですよね」
「そんなもの単なる方便です。王を送ってこいと牽制したまでのこと。魔族を洗脳し、神聖な森を汚した外道と話す事なんてありません」
「誤解ですから! 私はただ仲間になってくれた魔族さんたちと平和に国作りしてるだけで――」
「戯言を。それでどうして鍛冶人族と大鬼族が従えられるのですか。ここまで異常な速さで勢力を拡大できるというのですか」
「そ、そう言われましても成り行きでできちゃったというか」
「くだらない。貴方は狂化の呪いで魔族を洗脳している。それ以外考えられません」
う、うう……。
完全に誤解されてるし。反論の余地ないっぽいし。
「貴様。今、我輩の主人を愚弄したか?」
低い声。
瞬間、周囲を取り囲む軍勢に動揺がはしる。
それは怯え。
圧倒的強者に対する、拭いきれない怯え。
「呪い? 洗脳? そんな戯言で我輩たちの繋がりを愚弄したか?」
ジルベリアさんは感情を押し殺すように淡々と言う。
「我輩たちが過ごした時間を。仲間たちを。そんな風に言ったか? 喜べ。我輩は今最高に機嫌が良い」
そして、緋色の眼が見開かれる。
「一人残らず冥府に送ってやる」
やばい。
ジルベリアさん、完全にぷっつんいっちゃってる。
「どうする? これは相当被害が出るぞ。一歩間違えればこちらがやられかねん」
「構わん。強者との戦いに勝る喜び無し」
「いや、あーしはごめんだから。痛いのやだし」
言い合う三人に、付き人の高位森精族さんが言う。
「敵が自ら虎穴に入って来てくれたのです。今後これ以上の好機はありません。絶対にここで仕留めなければ」
「悪く思わんでくれ。これも森のためじゃ」
周囲の軍勢が戦闘態勢を取る。
低く身構えるジルベリアさん。張り詰めた緊張の糸は、もういつ切れて爆発してもおかしくない。
戦いが始まれば、お互いまず無事では済まないだろう。いくら強いと言っても、この大軍だ。ジルベリアさんだって、やられてしまうかもしれない。
お母さんみたいに、二度と会えなくなってしまうかもしれない。
それは嫌だ。
絶対に嫌だ。
なんとしてでも。
なんとしてでも、止めないと。
私が、私がなんとかしなくちゃ――
「み、みなさん! 私のごはん食べてみませんか!」
声を張り上げる。
「……………………」
瞬間、沈黙が時間の流れを止めた。
誰も動かない。動けない。
やがて、あきれた声で言ったのは付き人の高位森精族さんだった。
「一体何を言っているのですか、貴方は」
「私、料理には自信あるのでみなさんにごちそうしようかなって」
「食べるわけないでしょう。今がどういう状況かわかってないのですか、貴方は」
「で、ですよね……」
さすがに無理があったか。
くそー、どうやって止めれば良いんだ、この戦い。
頭を抱える。不意にすぐ傍から、澄んだ声が鼓膜をふるわせた。
「君、良い匂いがするな」
「へ!?」
顔を近づけ私をすんすんと息を吸い込む。
そこにいたのは、金糸のような髪に月桂樹の冠を載せた神様。
神樹様。
瞬間移動みたいに、一瞬で私のすぐ傍に移動している。
「し、神樹様!? 近づいてはなりません! お戻りを!」
高位森精族さんの困惑した声。神樹様は気にする様子も無く続ける。
「甘いバターの香りだ。かすかに檸檬の香りもするかな」
「え……え?」
混乱の中、私は少し遅れて言葉の意味を理解する。
「これですか? もしかして」
ポケットからマドレーヌを取り出す。
骨折した時用に携帯している手作りお菓子だ。
神樹様は、ぱっと翡翠の瞳を瞬かせた。
「それそれ! すっごく良い匂い! 食べて良いかな?」
「は、はい。いいですけど」
「なりません! 神樹様! 一体何が入っているか!」
必死で言う付き人の高位森精族さん。
「…………ダメ?」
神樹様はしょんぼりした声で言う。
「う……」
「わらわずっとがんばってきたんだけどな。ちょっとくらいわがまま聞いて欲しかったなぁ」
「そんな子犬みたいな目で見ないでください……」
高位森精族さんはしばしの間、こめかみのあたりを抑えてふらふらしてから言った。
「……ひ、一口だけですよ」
いいんだ。
いや、そこはきっぱりダメって言った方が……って、私が言うのもおかしな話なんだけど。
「ありがと! エルちゃん大好き!」
にっと目を細めて、
「いっただっきまーす」
マドレーヌにぱくっとかぶりつく。
瞬間、翡翠色の瞳が見開かれた。
「な、何これ……こんなにおいしいもの、初めて食べたよ……」
「当然だ。ナギの料理は絶品だからな。それを洗脳などとふざけたことを」
ふん、と鼻を鳴らすジルベリアさん。
まだ怒りは収まってない様子。
私のためにそこまで怒ってくれるなんて。
大切にしてくれてるなってうれしく思う。
「治癒と力を向上させる効果があるみたいだね。すごい、こんなに強力な治癒作用、世界樹の実で作った霊薬でも出せないよ」
神樹様は感心したように言う。
「ふむふむ。洗脳や精神を操作する効果は一切無し、と」
「わかるんですか?」
「うん。わらわ、スキルを無効化する絶対障壁持ってるから、食べても治らないし強くもなれないんだけどね。でも、効き目はばっちりわかるよー。こう見えて、結構すごいのです」
「いや、こう見えても何もすごそうな人だって思ってましたけど」
「またまたー。褒めるのうまいね、君」
でれでれと肩を叩く神樹様。
なんか思ってたより五億倍くらいフランクだな、この人。
「にしても、このお菓子ほんとおいしいや。わらわすっごく気に入っちゃった。ねえねえ、うちの専属のシェフにならない? お給料弾むよ? 聖域の付与効果でめちゃ健康になれるよ?」
「いえ、私はこの国の王なので」
「そっか。残念だなぁ」
がっくりと肩を落とす神樹様。
「でも、王様なら仕方ないよね。離れるわけにはいかないし」
うーん、と首をひねってから、そうだ! と瞳を瞬かせて言った。
「じゃあ、わらわしばらく君の国に住むことにするよ」
時間が止まったみたいな沈黙が流れた。
今度はさっきより長かった。
やがて、付き人の高位森精族さんが口をぽかんと開けて言った。
「………………………………………………へ?」




