39 お城の夜
しかし、豪勢なスイートルームみたいな部屋にも、住んでみると意外と不満なところが出てきたりする。
その夜、温泉から帰ってきた私は、しばし迷ってからロッキングチェアに腰掛けた。
座るところだけでこんなに選択肢があるなんて、ワンルーム暮らしだった前世からはとても考えられない。
ああ、椅子やわらかいなぁ、気持ちいいなぁ。
そうしばしうっかりしていた私だけど、不満の種は音も無くそっと忍び寄ってくる。
部屋……広すぎない?
落ち着かない。一人で暮らす部屋じゃないよこれ! バスケットボールコートくらいあるし!
「うう……さみしい……」
おかしいな。一人でも平気なタイプの人だったはずなんだけど。
多分この部屋が広すぎるのが良くないんだと思う。あと、今まではドラゴンさんとか犬人族さんがすぐ近くにいたからなぁ。知らないうちに私は孤独に弱くなっているのかも知れなかった。
誰か来ないかなぁ。
なんて、もう大人なわけだしそんなこと言ってちゃいけないんだけどさ。
そう考えていたら、ノックの音が聞こえて私はびっくりした。
「ど、どうぞ!」
「失礼します。髪をとかしに参りました、とシトラスはナギ様に一礼します」
「おお、よく来てくれたねシトラスさん!」
救世主だ!
ソファーに並んで座って、髪をとかしてもらう。髪に触れるシトラスさんの手はいつも通りすごく気持ちよくて、私は思わずうっとり目を細めた。耳の裏を撫でてもらってるときの猫はこんな気分なのかも。
「終わりました。それでは、私はこの辺りで失礼いたします」
「え? 行っちゃうの?」
「ご用がおありでしょうか。何なりとお申し付けください、とシトラスはナギ様を見つめます」
「いや、用があるってわけじゃないんだけど……」
一人は寂しいからいて欲しいなんて、そんな理由でシトラスさんを引き留めるのも申し訳ない気がした。頼めばシトラスさんは付き合ってくれるだろうけど、夜は一人で過ごしたいって思ってるかもしれないし。
「う、ううん。なんでもないよ。大丈夫」
「本当でしょうか? とシトラスは心配しつつナギ様を覗き込みます」
いけない! 心配をかけてしまっている!
「だ、大丈夫だから! いつもありがとね! おやすみ!」
扉を閉めて、私はほっと息を吐く。
もう大人なのだから、寂しいなんて情けないことを言ってちゃいけない。
私は一人で生きていかないといけないのだ。
お母さんが死んだあの日からずっとそうしていたように。
こういう寂しさをやり過ごす方法を私は知っている。灯りを消して、真っ暗な部屋でうずくまってじっと、じっとする。
考え事をしてはいけない。昔を思いだしてはいけない。寂しさの種は巧妙に忍び寄ってきて私を捕える。だから何も考えずじっとする。眠りに落ちて朝が来たら、元気ないつもの私が帰ってくる。
しかし、この日はうまく眠ることができなかった。窓を打つ風の音がやけに大きく聞こえた。こんこん、こんこん、とまるで誰かがノックしてるみたいに鳴り続ける。
最初は意識するな、意識するな、と自分に言い聞かせていたのだけど、次第にそれがただの物音ではないように思えてきた。
雨粒や雹でもこんな音はしない。そもそも、雨なんて降る天候じゃ無かったし。
しかし、こうしてる今も音は続いているわけで。
まさか……、幽霊じゃ。
こんこん、と音は続いている。
きっと何かが風に揺れて当たってるんだろう。そうに違いない。
私は恐る恐るベッドから抜け出る。
足音をたてないよう、注意深く窓に近づいて。
そっとカーテンの隙間から覗くと、そこにあったのは人の影。
「ひっ」
あわてて一歩引いて、隣の部屋で警護をしてくれているリーシャさんを呼びに行こうとしてふと気づいた。
影の耳の上辺りから覗く髪飾りのような小さな突起。
その形に私は見覚えがある。
私は窓を開けた。
「へ? ジルベリアさん?」
「……よ、よう」
ジルベリアさんは、気恥ずかしげにそっぽを向いて言った。
「一体どうしたの?」
私の問いにジルベリアさんはなかなか答えなかった。
「いや、どうしたというわけではないのだが……」
言いよどんで、視線を彷徨わせる。
何か言いづらい系の悩み事だろうか。人生相談的な。
リーシャさんやシトラスさんを呼んでくるのも考えたけど、それをせずわざわざ私のところに来たのだから、そこにも何か理由がありそうだし。
他のみんなじゃなくて、私を頼ってきてくれたんだよね。
それがまず一つ、私にとってうれしいことだった。よーし、お姉さんがんばって相談乗っちゃうぞーって私の方が全然年下なんだけど。
「何でも言ってくれていいよ。どんな悩みでも一生懸命聞くから。ささ、私を壁だと思って」
「別に悩んでるというわけでもなくてだな……」
どうやら、悩み相談でもないらしい。
だったら、一体どういう用件なんだろう?
「我輩はずっと皆と暮らしてきたのだ。どんなときもいつも一緒だった。食事のときも顔を洗うときも寝るときも」
「緋龍族の王様だもんね、ジルベリアさん。侍女隊のドラゴンさんがいつもお側にいるし」
その延長として、私も同じようにお世話してもらえてるんだけど。
「だから、一人で寝るのは初めてなのだ」
「あ、そうなんだ」
王様らしい言葉だと思う。
昔の貴族さんって服を一人で着られないとか聞いたことあるしね。みんなが周りでいろいろしてくれるものなんだろう。
ジルベリアさんにも私と同じ広さの部屋が用意されたから、それで初めての一人の夜に戸惑ってるんだな。
「仕方ないよ。一人で寝るのって最初は怖い部分あるし」
「バカを言うでない。偉大な緋龍族の王である我輩だぞ。恐怖などという感情、当に克服しておる」
ジルベリアさんは唇をとがらせる。
「ただ、その……」
それから、ジルベリアさんは逃げるように視線を彷徨わせた。形の良い頬を赤く染め、顔を俯けて言った。
「ちょっと寂しかっただけだ。それだけだ」
それは正しく、私が思っていたのと同じ事で。
「わかる。私も寂しかった」
仲間を見つけたのがうれしくて、私は思わず身を乗り出していた。
「なんだ、ナギもか。奇遇だな」
「そうだね。奇遇だね」
「では、仕方ない。今宵は共に過ごすことにしよう」
「うん、仕方ないね。そうしよう」
それからの時間はあっという間に過ぎていった。
「世界が我輩たちの手に落ちる日も近いな」
「近いね」
ふかふかのソファーに腰掛け、魔王ごっこをしたり。
「あ、嘘、そんな手が!? 待って、無し、今の無し」
「残念だったな。手を離したら待ったは無しとルールに書いておる」
「ぐ……よくも私の弓兵を……許さない!」
「なっ!? すまぬ、無し、今の無しで」
「手を離したら待ったは無しって言ったよね?」
「ぐぬぬ……」
鍛冶人族さんが持ち込んできてくれたチェスみたいなゲームで遊んだり。
それから、大きなベッドに並んで横になって、修学旅行の夜みたいにいろんなことを話したり。
「ジルベリアさんは好きな人いる?」
「なんだ、唐突に」
「いや、定番かなって」
軽い冗談のつもりで言ったのだけど、
「わざわざ聞かずともそんなのわかっているであろう?」
「え?」
「我輩ナギが好きだぞ」
どきっとした。
そんなこと今まで言われたことなくて。
――って、え、ちょっと、そういう感じなの!?
いや、私もそりゃジルベリアさんのこと好きだけど、それはあくまで友達としてというか!
超絶美人さんだしそういう相手としては私にはもったいなさすぎるくらいだけど、でも私たちは同性なわけで、そういうの考えたことないというか、心の奥の今まで触れずにいた禁断の扉がちょっとがたがたいっちゃってる気がすると言いますか――
混乱してあわあわする私に、ジルベリアさんはいつも通りのトーンで続ける。
「リーシャロットも好きだし、シトラスも好きだ。他の竜たちも勿論好きだし、犬人族の小娘や老婦人も良いな。鬼や鬼の姫も、鍛冶人族の連中も見所がある」
なんだ。そういうことか。びっくりしちゃったじゃないか。
私はほっと息を吐いてから、ジルベリアさんに言った。
「私もジルベリアさんのこと好きだよ。それから、もちろんみんなのことも」
「我輩たちは良い仲間に恵まれておるな」
「ほんとそうだね」
「明日もきっと良い日になる」
「うん」
目を閉じる。寝ようとしてないのに自然と眠りの中に落ちていく。
寂しいなんて感情は、最初から無かったみたいにどこかにいっていた。




