4 どんな病でも治せるごはんが作れる程度の能力
「やめよ、無謀だ」
ドラゴンさんはそう言ったけど、私の両足はもう地面を蹴っていた。
何か食べられるもの。食べられるものを見つけないと。
教えられたルートを通り出口を目指す。外に出るまでには思っていた以上に時間がかかった。
やばい。心臓痛い。
この身体運動できなすぎ……。
少し走っただけでバテる魔王ってなんなんだよ……。
めちゃくちゃ弱いとは聞いていたけど、身体能力も相当低いみたいだった。
くそ、急がないといけないのに。
悲鳴をあげる身体にむち打って私は先を急ぐ。
洞窟の外は、私が思っていたよりもずっと寒かった。芯から凍っていくような寒さに肌が総毛立つ。風は刃物のように鋭く頬を切る。道の先はすぐ崖になっていて、見下ろすと厚い雲が海みたいに広がっていた。
ここは山の上だったんだ、と私は気づく。森林限界を超えているのだろう。辺りに木々の姿はなく、無骨な岩肌が覗くばかり。一度下に降りるしか無いんだろうか。でも、この身体で無事戻ってこれるのかな。体力無い上、その辺の野生動物にもあっけなく殺されそうだぞ、私。
迷う私の視界に不意に映ったのは、砂利の間から生える小さな草だった。
高山植物!
よし、これを使おう。
早速駆けよって摘む。焦っていたから、根が抜けず茎だけ採れてしまった。失敗した。これ草むしりで怒られるやつだ。
反省する私の目の前に浮かび上がったのは、文字で書かれた情報だった。
名称:薄雪蕙草
希少度:C
安全度:E
食材等級:F
寸評:高山帯に分布。全草に強い毒がある。誤食すると嘔吐や痙攣を起こし、血管拡張から血圧降下を経て死に至る。
おお!
鑑定スキルだこれ!
食材等級なんて書いてるし、多分食材限定の能力なのかな?
最高レベルの料理スキルには、良質な食材を見分ける力も付随してるってことなんだろうか。
ありがとう、女神様。と思いつつ野草をポケットに――ってダメだ。これ食べちゃダメなやつだ。
あぶないあぶない、と思いつつ他の野草を探す。
名称:眼孔蘭
希少度:C
安全度:F
食材等級:F
寸評:高山帯に分布。約1センチ程度の実は初めは黒く、熟すと黒紫色になる。食べると激烈な痙攣を起こし、麻痺による呼吸停止により死に至る。
激烈な痙攣のち呼吸停止……。
怖い。異世界の植物怖い。
名称:千年桔梗
希少度:A
安全度:B
食材等級:C
寸評:蛇紋岩地の礫地に生える。根は薬草として非常に価値が高い。名前の由来は煎じて飲めば千年生きられるという言い伝えから。
あ! これ食べられるっぽい!
おまけに薬草としても優秀みたいだ。
これは何としてでも持って帰らないと。周囲の土を掘りながら、根ごと丁寧に摘んでいく。
最初の二つが特殊だっただけで、異世界の植物にも食べられるものはあるらしい。辺りの食べられる野草をかき集めると、それなりの量を確保することができた。
こうして集めた食材を持ち帰ると、ドラゴンさんは困ったような声で言った。
「薬草は効かぬと言っただろう。気持ちはうれしいが、あきらめて逃げよ。本当に死んでしまうぞ」
「やれるだけのことはやりたいんです。やらせてください」
えっと。さて、どうやって使えば良いんだろう?
魔王の能力って言ってたしやっぱ魔王っぽい感じで発動させるんだよね、多分。
魔王っぽい感じ……魔王っぽい感じか……。
「ふははははははははは! 我が深遠なる力の前に狂乱せよ! 泣け、喚け、味わえ! 食はすべての者に平等である! 魔王厨房起動!」
二十四歳にして、全力で中学生感漂う呪文を詠唱する女がそこにいた。
私だった。
瞬間あたりが、まばゆい光に包まれる。そして現れたのは、金色の空間――
お洒落なデザインの水栓金具と、埃ひとつ無く清潔な作業台。豪勢なアイランドキッチンが、フローリングの床の上に広がっている。キャビネット、シンク、コンロ台、オーブン、冷蔵庫、鍋、コップ、スプーン、そのすべてが金色の輝きを放っていた。
「具現化系の魔術、だと……」
ドラゴンさんは緋色の大きな目を見開く。
「ここまで精密に空間ごと具現化させるとは、主は一体……」
よし! よくわかんないけど、なんかびっくりしてもらえてるぞ。
目の前に現れたキッチンも、すごくお洒落で綺麗な感じだし。
ふふ、ますますやる気が出てきたぜ。
「それじゃ、早速作っていきますね」
採れた野草をしっかり水で洗う。驚かされたのはその手際の良さだった。得意料理はカップ麺って言っちゃう勢の私なのに、野草を洗う所作は自分の手とは思えない。
高級レストランの仕込み風景みたい。
イメージしていたより十倍早く、あっという間に洗い終わってしまった。
「す、すごく手先が器用なのだな、主は」
ドラゴンさんは目を丸くする。
「いや、これは女神様がくれた力と言いますか」
本来の私は料理ほとんどできないんだけど。なんて考えている間に、両手はてきぱきと作業を進めてしまう。
鍋に水を湧かし、調味料を続々と投入。醤油、砂糖、味噌、ブイヨン、おろししょうがやおろしにんにくみたいなものまである。
洗った野草を投入して煮込むことしばし。スプーンで味見をして驚いた。
やばい! 止まんない! これ止まらないよ!!
あっさり目の醤油ラーメンのスープが近いだろうか。透き通った琥珀色のスープは上品さもありながらくせになるおいしさ。
もっとだ……もっとよこせ……!!
そんな私の欲望に反して、右手はラー油と塩みたいな調味料を手際よく追加していた。
ま、まだ上にいこうというのか。
だけどいくらなんでもこれよりおいしくなるはずが――あ、これすごい。
こうして、完全に私自身も置き去りにする形で野草のスープは完成した。
「で、できたみたいです……どうぞ」
金色のスープ皿に盛りつける。その辺の野草で作ったスープは高級店のそれみたいな品と風格をまとっていた。
「これを飲めば良いのか?」
ドラゴンさんは怪訝そうにスープを見つめる。
「作ってくれたところ悪いが食欲はあまりないのだが」
「一口だけでも飲んでみてください。病や怪我を治す力が付与されているはずなので」
「効果があるとはとても思えぬが……わかった。一口だけだぞ」
私はドラゴンさんの口にスープを流し込む。かなり大盛りにしてはいるものの、ドラゴンさんにとってはほんのわずかな量。
これで効果があれば良いんだけど。
不安に思いつつ見つめる私の視線の先で、琥珀色のスープがドラゴンさんの舌に触れる。
瞬間、ドラゴンさんはばっと緋色の目を見開いた。
「うっ、うまいっ! うまいぞ! なんだこれはっ!?」
目の色を変えてあっという間にスープを飲み干してしまう。
「身体に染みこむようだ! あんなに何も食べたくなかったのにどうして」
異変はそれだけに留まらなかった。
身体を淡い緑色の光が包んだかと思うと、体中を覆っていた灰色の石化した組織がぽろぽろと剥がれていく。
大樹のような腕、空をも覆うような翼から次々に剥がれ落ちて、中から健康でみずみずしい赤色の皮膚が姿を現した。
「か、身体が動く! 動くぞ! これではまるで健康な頃に戻ったかのようではないか。まさか、本当に……」
信じられない様子でドラゴンさんは自分の身体を見回す。
「ちゃんと効果があったみたいでよかったです」
ほっと胸をなで下ろす。回復系魔術や薬草が効かないらしいこの病気だけど、女神様がくれた私の能力は無効化できないみたいだった。
さすが女神様! この調子でお仕事がんばってね! きっとできるよ! うまくいくよ!
茫然自失という感じだったドラゴンさんが頭を下げたのはそのときだった。
「頼みがある!」
大きな頭を地面につくんじゃないかというくらい低く下げる。
「これを皆にも飲ませてやってくれぬか! 主なら我が同胞たちを……同胞たちを救うことができるのではないだろうか!」
同胞たち……つまりもう石になってしまったドラゴンさんたちのことだろう。
かつてはこのドラゴンさんと同じように元気に生きていて。
だけど今はもう話すこともできなくなってしまった仲間たち。
「主には縁もゆかりもない者たちかもしれぬが大切な仲間なのだ! どんなことでもする! 主の言うことには何だって従う! だからどうか――」
縋るように言うドラゴンさんの気持ちが私には痛いほどわかった。
『やさしい人になりなさい』
大好きな人を。絶対に失いたくない大切な人を失ったときの気持ちを、私は嫌になるくらい知っているから。
「頭を上げてください。最初からそのつもりです。助けられるかどうかはわかりませんけど、でも私がやれることは全部やりますから」
私はうなずく。
「よ、良いのか? 本当に良いのか?」
「良いんです。全力を尽くします」
「すまぬ! 恩に着る!」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」
採ってきた野草は先ほどのスープでほとんど使い切ってしまった。周囲のドラゴンさん全員を救うには、今の量じゃ全然足りない。
「材料が足りないので、追加の野草を取ってきてもらえますか?」
「心得た」
こうして私とドラゴンさんの、同胞さんたちを救うための戦いが始まったのだった。