36 『神樹の森』と神樹様
数日が過ぎて、拡張した畑と牧場の運営は順調に進んでいた。
「芽が出てすぐはあまり水やりをしないように。お水をあげすぎると、根の生長が弱まるものなんです」
畑はソラちゃんと犬人族さんが日々顔中真っ黒にしながらがんばってくれている。
みんなの努力のおかげで植えた野菜はすくすくと育ち、今では太陽に向けて皆競うように葉を広げていた。
一面緑色の大きな畑は、見ているだけで心が洗われるものがあった。前は荒れ地だったのにな、ここ。こんなに立派な畑になっちゃって。
牧場の担当は大鬼族さんと一緒に仲間になってくれた森梟族さんと雨蛙族さんたちにお願いする。整った生育環境で牧場の魔獣たちはすくすくと成長していた。
街の建設も快調に進んでいる。鍛冶人族さんたちがメープル材を加工し、大鬼族さんがそれを指示通り継ぎ合わせる。
工房では赤土を使ってテラコッタの瓦が次々と素焼きされ、珪砂、ソーダ灰、石灰石を加工してガラス窓も作られていた。
鍛冶人族さんが持ち込んでくれたものは他にもたくさんあった。優れた紡績技術により集落の衣服のレベルは瞬く間に向上。全員が着心地が良く質の良い服を着られるようになった。
凄腕の職人さんたちがハンドメイドで作る家具はその一つ一つが最高品質。ふかふかのベッドのおかげで夜もぐっすり眠ることができる。
他にも魔道具を利用した電灯に、活版印刷技術。油性インキと羽根ペン。植物性油を原料とした石けん、水洗式のトイレ、と鍛冶人族さんが持ち込んでくれたものは数多い。みんな初めて見る道具の数々に、未来に来たみたいに目を白黒させていた。
「照明の技術まであるなんてすごいですね」
私の言葉にレイレオさんは穏やかに微笑む。
「ありがとう。と言っても、これは他の地域でも普及してるよ。魔道具を使った照明や紡績機は、先進諸国には必須の技術だから」
「先進諸国?」
首をかしげる私に、レイレオさんは先生みたいに教えてくれた。
「聖王国に、魔導帝国。竜王国や、吸血種が治める夜の国なんかが代表的かな。あとは、巨人の国や、獣王国、海底王国なんかもあるけど」
「進んでる国もたくさんあるんですね」
ずっと自然豊かな森の中だったから、全然想像もできない。
でもいつかは、そういう国ともお付き合いできるようになったらいいなと思う。なんて、現状ではとてもそんなこと言える状況じゃないんだけど。
「あれ? 竜王国については知ってると思ってたんだけど。知らなかった?」
「あー、話には聞いたことありますかね」
「だよね。緋龍族は辺境の竜の山で暮らす種族だけど、それでも同じ竜種としてまったく付き合いが無いわけじゃないだろうし」
「そうですね。ごくたまにちょっとだけ話に出る程度で――」
そこまで言って、ようやく私ははっとした。
「待ってください。今、緋龍族って言いました?」
「うん。言ったけど。ナギさんが連れてる子たちだよね」
「い、いやいや、そんなわけないじゃないですか。私なんかが伝説の緋龍族を連れてるなんてそんな」
「別に隠さなくてもいいよ? 騒ぎにしたくない意図もわかるし、僕は誰にも言うつもりないから」
天気の話でもしてるみたいに言うレイレオさん。
やわらかい物腰に、尚更すごみを感じる。
「……いつから気づいてたんですか?」
「可能性自体で言えば最初からかな。大鬼族を倒せる種族なんてこの辺りでは緋龍族か高位森精族くらいだから。あとは、行動を共にしてる間に、あ、緋龍族だな、と」
「もしかして、私たちそれ全然隠せてなかったりします?」
「いや、むしろうまく隠してるんじゃないかな。あと、伝説の緋龍族を仲間にしてるなんてまともな常識があればまず考えないだろうし」
よかった。みんなにバレバレだったわけではないらしい。
「実はそうなんです。緋龍族さんにも仲間になってもらってて。他のみんなに隠し事をするのは心苦しくもあるんですけど」
「いや、必要なことだと思うよ。念には念を入れておいて損はないんじゃないかな。それだけ大変な騒ぎになりかねない事柄だから」
レイレオさんは私と概ね同じ考えを持っているみたいだった。
心強いとほっとしつつ、私は気になっていることを相談する。
「これから、私がこの小さな国を平和的に運営していくにあたって、どういうことに気をつければいいと思いますか?」
「気をつけるべきは外部のことかな。大鬼族と鍛冶人族が協力して街を作ってる。しかも、それを率いている魔族がいるとなると、他の魔族は当然警戒する。攻撃しようとしてくる魔族が現れる可能性もあるから」
なるほど、その通りだと思った。
周囲の魔族さんに対して、侵略したりするつもりはないって伝えていくこともしていかないと。
「現状はここが辺境の過疎地であることもあって、騒ぎにはなってないけどね。それから、聖域――高位森精族だね。彼らの機嫌だけは絶対に損ねない方が良い」
「聖域の高位森精族?」
「そうか。それも知らないのか」
レイレオさんはうなずいてから続ける。
「森の魔族の間では常識なんだけどね。決して敵に回してはいけない高位の存在。絶対的な森の支配者。それが高位森精族だ」
この海みたいに茫漠と広がる『神樹の森』の支配者、か。それはたしかに敵に回しちゃうと大変なことになるかも。
「聖域っていうのは何なんですか?」
「『神樹の森』が年輪みたいな構造をしてるのは知ってるよね。加護の少ない外から第一森域、第二森域、と」
「はい、それは」
「第四森域の先にある、第五森域は通称聖域と呼ばれてるんだ。他の魔族では立ち入ることも許されない高位森精族の絶対領域。そしてその長、神樹様と呼ばれる高位森精族は他の魔族とは少し――次元が違う」
「次元が違う?」
「半分神様に近いと言えば良いのかな。どういう理屈かはわからないけど、この森を作った神樹の力を使用することができるらしいんだ。国を三つ消し飛ばした大竜巻を一人で消滅させたり、対国級、伝説級の魔族の群れを撃退したり。その力は彼の六魔皇にも匹敵する。特に、自身の領域である森の中なら」
「そんなにすごい人がいるんですね」
「うん。過去に一度何らかの原因で力が暴走しかけたときは、森の九割が一瞬で消失したって記録も残ってるからね」
「この大きな森の九割が、ですか……」
言葉を失うしか無かった。
果てなく広がるこの大森林の九割を一瞬で消滅させるなんて。
一体どれだけの力があればそんなことができてしまうんだろう。
「とは言え、神樹様の力については、僕より緋龍族さんたちの方が詳しいんじゃないかな」
「そうなんですか?」
そんな話聞いたことなかったけどな。
そう思いつつ聞いた私にレイレオさんは言った。
「うん。緋龍族も一度、神樹様と戦って敗走したって記録が残ってるから」
「………………へ?」
「負けてはおらぬ! 断じて負けてはおらぬ!」
事の次第を聞きに行ったところジルベリアさんは、強い口調でそう言った。
「あ、そうなんだ。よかった」
ほっと息を吐く。
だよね。大鬼族のお姫様をあんなにあっさり倒しちゃったジルベリアさんが負けるなんて想像できないし。
「そうだぞ。我輩は四億戦無敗だからな。我輩の辞書に敗北という文字はない」
「四億回も戦ったの?」
「おそらくそれくらいはいっているだろうな。今日も我輩の血を吸おうとした蚊を二匹倒した」
「…………」
うん、一気に不安になってきたんだけど。
「で、神樹様って高位森精族の長と戦ったときのことを聞きたいんだけど」
「うむ。あれはたしか千年ほど前のことだったか。強い者と戦いたい欲求が頂点に達した我輩は、全軍で『神樹の森』聖域へ侵攻した。とは言え、本当に制圧しようとしたわけではないぞ? ただ、ちょっと腕試しがしたかっただけだ」
「すごいね。めちゃ軽いノリで歴史的大事件だね」
「ところが、神樹とやらは我輩の想像以上に強かった。状況がみるみるうちに不利になってな。仕方ないから撤退したわけだ」
「それっていわゆる敗走というやつでは」
「やれやれ、これだからナギは」
ジルベリアさんあきれた様子で息を吐く。
「傷つき逃げることなど死に比べればかすり傷だぞ。生きているというそれだけで我輩もナギも勝者なのだ」
「前向きでかっこいい考え方だけど、そういう問題じゃ無いような」
「それに、最後に勝った者を歴史は勝者と呼ぶものだからな。もし仮に一京歩譲って我輩が敗北したとしてだ」
「すごい譲り方してるね。世界千周くらいするねそれ」
「それでも、最後に勝てば敗北も勝利に繋がる一過程となる。何より、傷つき歯を食いしばりそれでも立ち上がる。その心は、勝者以上に勝者のそれではないか?」
「たしかに。それはかっこいいかも」
「そうであろう。結論としてこの世に敗北はないのだ。生きてるだけで我輩たちは常に勝者ということだな」
「ありがとう。目が覚めたよジルベリアさん。私、失敗してもくじけずまた立ち上がろうと思う」
「うむ。それで良い」
よし、嫌なことあっても負けずにがんばるぞ!
ってあれ? 何か忘れているような。
「さらに付け加えればその記録はあくまで千年前のものだからな」
「あ、そうだ。神樹様の話だった」
「我輩もあれから厳しい修行の末、幾多の奥義を生み出してきた。加えて、ナギの料理のおかげで我輩の力は以前よりはるかに底上げされておる。たとえ神樹とやらと戦うことになってもあのときのように敗れることはないだろう。むしろ、勝ってしまうかもしれぬな」
「おお、勝っちゃうかも知れないんだ!」
さすがジルベリアさん。絶対的な森の支配者とも渡り合えるなんて。
「よかった。ありがと、大分安心したよ」
「ふむ。しかしそう考えると是非再戦を申し込みたくなってきたな! 高位森精族は森の支配者として威張り散らしているなんて噂も聞くし、ここは我輩が正義の味方として奴らに鉄槌を――」
「めちゃ軽いノリで大事件第二弾だね」
「いや、だがそれはダメだな。主人であるナギの方針と違うし」
「え?」
「ナギは争うことはせず平和的に世界征服するのだろう?」
びっくりした。
戦闘大好きなジルベリアさんが、そこまで私の方針を理解してくれてるなんて。
「我慢してくれてありがとね、ジルベリアさん」
「我輩は主の翼だからな。主人の望みを叶えるのは当然のことだ」
ジルベリアさんも私のことをわかっていってくれてるんだなぁ、と思う。
私がこの世界で過ごしてきた時間は、たしかな意味を持って積み重なっているみたいだった。




