31 ささやかな後日談その1
それから、残りの大鬼族さんにもトマトスープをおみまいして、無事大空洞周辺で起きた事件は収束した。
「本当ニ、申シ訳アリマセンデシタ」
大鬼族さんたちが私たちに頭を下げる。その所作は丁寧で礼儀正しく、とても弱い魔族を奴隷扱いしていた種族とは思えない。
多分こっちが本来の大鬼族さんたちなんだろう。
「大鬼族のような上位魔族が我々に頭を下げるなんて……」
一人の鍛冶人族さんが目を丸くして言う。
奴隷として働かされていた魔族は他にもたくさんいて、雨蛙の姿をした魔族さんや、丸っこいフクロウみたいな魔族さんもいる。だけど、みんな反応は同じ。高位の魔族が下級魔族に頭を下げるというのはそれだけ珍しいことらしい。
「どうする? 許してあげていいかな?」
今回の被害者は私たちじゃない。奴隷として働かされていた魔族さんだ。
そう思って意見を求めると、魔族さんたちの反応は様々だった。
「はい。無事生き延びることはできたので」
と穏やかな魔族さんもいたけれど、
「我々はまだ許すというのは……」
「私も、許せません。娘がどんなに恐ろしかったか考えると」
許せないという魔族さんも多くいた。
無理もないと思う。それだけのことをされているわけだし。
「本当に、本当に申し訳ないことをしてしまいました……」
大鬼族のお姫様の声はふるえている。
責任感が強い人なんだろう。先ほども、かなり自責の念に駆られているみたいだったし。
あんまり大鬼族さんばかり責められるのも違うかな、と思って口を挟む。
「みんなの気持ちもわかるよ。でも、大鬼族さんたちも被害者だってことはわかってほしい。あやしいお酒で洗脳を受けていたわけだからさ」
「いえ、しかしそれも私たちの落ち度で」
「抱え込まなくていいって。失敗は誰にでもあるから」
「しかし……」
お姫様は気が済まない様子だったけど、魔族さんは理解してくれたみたいだった。
「そうですね。たしかに、悪いのは洗脳を仕掛けた連中です」
「私たちもああいうことをしてしまっていたかもしれないんですね。私が自分の手で娘を傷つけてしまっていたかも……」
それから言ったのは、フクロウの魔族さんだった。
「あまり謝らないでください」
丸っこい灰色のフクロウさんは、穏やかな声で大鬼族さんたちに言う。
「私たちが魔獣に困っていたとき、あなたたちは私たちをやさしく迎え入れてくれました。安全な寝床と、たくさんの食事をくれた。私たちは大鬼族さんたちにとても感謝しています。その気持ちは今もまったく変わっていません」
そっか。この人たち、最初に大鬼族さんが助けた小さな魔族さんだ。
忘れず、してくれたことを覚えてた。
どんなに過酷な労働を強いられても、酷い扱いを受けても。
「そうです! 謝らないでください!」
「今の我々があるのは大鬼族さんのおかげです!」
「謝るなら私たちも同じです! それだけのことをしてもらったんです、私たちは!」
そんな声が続く。
私は、アクラさんの言葉を思いだしていた。
『もし周辺の魔族さんたちを救うことができたなら。私たち大鬼族も怖がられず共に暮らせる魔族になれるかもしれませんから』
鬼のお姫様は、こんな風に言ったって語ってくれたあの言葉。
その気持ちはちゃんと届いていたんだ。
怖がられない魔族になれてたんだね。
「みなさん……」
鬼の姫は信じられないという顔で言った。
目の前の出来事が本当のこととは思えないみたいに。
だけど、それはたしかに現実で。
だから瞳を濡らす水の粒の量は、さらに、さらにそのかさを増す。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
鬼のお姫様はほとんど形にならない声で、絞り出すようにそう言った。
「よかったね。本当に、よかったね……」
「……なんでナギが泣いておるのだ?」
「ごめん。私こういうの弱くてさ」
社会人なってから、感動ものの話とかすぐ泣いちゃうんだよね。
よかった。ほんとによかったよ……。
それは、本当に素敵な光景だった。
見てる私まで、なんだか胸一杯になってしまうくらいに。
大鬼族さんたちのことはリーシャさんがなんとかしてくれると言う。
これから、みんなで話し合って今後どうするのか決めていく予定らしい。
「復旧作業大変だろうけど、お願いね」
「はい、ナギ様のためですから」
美しい所作で礼をしてから、独り言みたいに言った。
「しかし、また帰りが少し遅れてしまいますね」
「ごめんね。何か予定あった?」
「いえ、予定があるというわけではないのですが」
リーシャさんは首をかしげつつ困った顔で言う。
「今まで毎日シトラスと言い争いをしていたので、どうにも落ち着かなくて。なんとなく、物足りない感じがあると言いますか。食後の勝負もできませんし」
「食後の勝負?」
「夕食後、一日十戦ボードゲームやカードで勝負してどちらが優秀か決めるのです。憎らしいことに、シトラスはなかなか強者でですね。我もがんばっているのですが、中々対戦戦績が五分から動かなくて」
「仲良いんだね、二人とも」
「仲良くなんてありません! 宿敵ですから」
「でも、ここにいたらいいのにって思ってるんでしょ?」
「まあ、そういう気持ちも無くは無いですが――はっ」
そこまで言ってから、リーシャさんは、口を押さえる。
「……い、今のはシトラスには内緒でお願いします」
気恥ずかしげに頬を赤くして言うリーシャさんはなんともかわいかった。
やっぱり、相手のことが好きな分、負けたくないって気持ちがあるんだろう。
これからは、なるべく一緒に行動できるよう配慮してあげなくちゃ。
だから、悪いけど今回だけは我慢してね。
こうして、リーシャさんに大鬼族さんたちのことを任せた私は、ジルベリアさんと城塞都市に戻ることにした。
ノエルちゃんの元に、『じいじ』を連れて帰らないといけないしね。
大空洞を後にし、鍛冶人族さんたちと一緒に城塞都市を目指す。
「しかし、大鬼族さんたちをあんな風にした犯人って一体何者だったのかな?」
私の言葉に、ジルベリアさんは真剣な声で言った。
「黒い法衣の男と言っておったな。おそらく、並の魔族ではないだろう。使ったのは高位のマジックアイテムか、あるいは自ら構築した呪いか。いずれにせよ、そう簡単に用意できるものではない」
「私たちも気をつけないといけないね」
「うむ。警戒は重要だな。とはいえ、我輩たちの場合集落の警備は相当頑強だがな」
「そうなの?」
「そうだぞ。何せ、我輩直属の騎士たちが守っておるのだ。一人一人が伝説の竜種と考えれば、早々突破できぬのは必然であろう?」
「そう言われるとたしかに」
改めて考えると、伝説のドラゴンさんたちが警備担当してるんだ、うちの集落。
それだけでも相当とんでもないことをしてしまっている気がするけれど、目眩がしてきそうなので深くは考えないことにする。
「だから主はそこまで心配せずとも良い。むしろ、心配せねばならぬのは他の魔族のことだろうな。鬼共のようにまた被害に遭わぬとも限らぬ」
「そうだね。森の中でも相当強い大鬼族さんたちでもああなっちゃったわけだし」
「この森を守るためにも、もっともっと勢力を拡大していかねばな」
「うん、のんびり無理しない程度にがんばっていこう」
とはいえ、世界征服の方も結構順調に進行中だ。
だって、これで鍛冶人族さんたちと良い関係を築くことはできたし。
技術交流で建築技術ゲット! これで弥生時代なうちの集落も、一気に文化レベルが上がるはず。
家を作って、街を作って、お洒落な外灯とかつけちゃったりして。
くー! 夢が広がるぜ!
って、いけない。その辺りの話鍛冶人族さんにしてなかった。
私はあわててレイレオさんにお願いしに行く。
「あの、また落ち着いたらでいいので、うちの集落を発展させるお手伝いをお願いしたいんですけど……」
おずおず切り出すと、
「もちろん。鍛冶人族総出で協力させてもらうよ。皆を助けてくれてありがとう。種族の長として礼を言う」
レイレオさんはそう言って頭を下げる。
「それに、君には個人的にも借りができてしまってるみたいだからね」
「え? 借り?」
「うん。大きな大きな借りがね。君は僕のこの世界で最も大切なものを守ってくれたんだ」
何のことだろう? と首をかしげる私に、レイレオさんは続ける。
「なんと感謝を伝えればいいかわからない。きっと言葉では足りないんだろうね。だから僕の持つ技術と知識で返していきたいと思うよ。何でも言ってくれていい。世界一の腕を持つ職人として、どんなオーダーにも応えて見せよう」
その言葉には自分の技術への誇りと自信があって、かっこいいなぁ、と素直に思った。あんな風に自然に世界一を名乗れるまでに、この人はどれだけ膨大な努力を積み重ねてきたんだろう。
にしても、そこまで言ってくれるような借りって何なのかな。
まったく心当たりはないんだけど。
記憶をたぐっているうちに、城塞都市の外壁が見えてくる。
途方もなく大きなその外壁の下に着いた頃には、足音を聞きつけた鍛冶人族さんたちが総出で集まっていた。
きっと無事帰ってきた大切な人の姿が目に入ったんだろう。
瞳を涙でいっぱいにする鍛冶人族さんの姿に、私の涙腺も緩んでしまう。
ノエルちゃんが駆けてきたのは、そんなときのことだった。
これあれだ! 帰ってきた大切な人を、おかえりって抱きしめるあれだ!
やばい、かわいい。ってか、私の方に向かって来てんだけど。
これ私だよね? うん、絶対私だ!
確信した私は手を広げおかえりハグ体勢のノエルちゃんを抱きしめる準備をした。
「じいじ!」
しかし、ノエルちゃんは私のすぐ脇を通過する。
そして、同じく期待しちゃってたらしいじいじ2号の脇も素通りし、レイレオさんに抱きついた。
「ただいまノエル」
あー、そっか。そっちか……。
がっかりはしたけれど、さっきの疑問への答えは見つけることができた。
個人的な借りってのはノエルちゃんのことだったんだ。
レイレオさんは穏やかに微笑んで、小さな身体を受け止めて。
それから、ポケットの中から何かを取り出す。
丸っこい猫のかわいらしい木彫り細工だった。
「作ってくれたの!?」
「うん。簡単なものでごめんね」
「ううん、すっごくうれしい」
ノエルちゃんは首を振り、それから私に木彫りの猫を掲げる。
「ねえ、ナギ! じいじ作ってくれた!」
そうにっこり笑った。
森の奥で膝を抱えていた女の子。その初めて見せる年相応の無邪気な笑みに、私が幸せな気持ちになったのは言うまでもない。
「よかったね」
この子がこんな風に笑えるのなら、私がしたことにも少しは意味があったはずだ。
それに私の中にいる膝を抱えた『あの日の私』も、きっとその笑みにきっといくらか救われたから。
ほんと、よかったよかった。
そうかわいいノエルちゃんに内心でれでれしていたら、じいじ2号のお腹がくーと平和な音をたてた。
気恥ずかしげに目をそらすじいじ2号に私は微笑む。
「それじゃ、ごはんにしよっか」




