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30 大空洞救出戦その3


「私は、罪を犯しました」


 鬼の姫は振り絞るような声で言った。


「取り返しの付かないことをしてしまった。たくさんの仲間を裏切り、傷つけてしまった。そして、こうしている今も目の前のあなたたちを殺したくて。殺したくて殺したくて殺したくて仕方が無い。今の私は化物です。化物なんです」


 そして細い身体を、その両手で抱きしめる。


「早く、殺してください。私が私を抑えていられるうちに……」

「姫様、マサカ自分デアノ洗脳ヲ……」


 アクラさんがふるえる声で言う。

 驚いているのは他の大鬼族オーガさんたちも一緒だった。

 それだけ、彼女を蝕む衝動は暴力的で、耐えられないものなんだろう。


「本当に、取り返しのつかないことをしてしまいました……。他の魔族を踏みにじり、奴隷のように扱うなんて。決して許されることではありません……」


 意識が戻ったことで今まで洗脳状態でしていた行為を初めて自覚したのだと思う。

 鬼の姫は、泣いていた。

 その瞳はもう涙でぐしゃぐしゃだった。


「でも、それは霊酒で洗脳にされていたからで」

「だとしても、です。それに、この呪いを解く手段は無いと術者は言っていましたから」


 食いしばった唇から赤い血が流れる。 


「お願いします。もうあと少しで、私は完全に失われ、見境無く暴虐の限りを尽くす怪物に成り下がることでしょう。もう誰も傷つけたくないのです。せめて、私が私でいられるうちに……」


 鬼の姫は必死に、ふるえる自分の肩を抱きながら言う。


「終わらせて良いか?」


 ジルベリアさんが私を横目で見た。


「ううん、これは私にやらせて」

「危険だぞ」

「ジルベリアさんなら守ってくれるでしょ?」


 いたずらっぽくそう言うと、


「愚問だ」


 ジルベリアさんはうなずいた。

 私は、彼女に向けて一歩、二歩と歩みを進める。


「いけません! 近づかないでください! いつ私が私を抑えられなくなるか」

「大丈夫、もう大丈夫だから」


 白い牙が覗くその小さな口に、そっとスプーンでトマトスープを流し込もうとして――


 その瞬間は唐突にやってきた。


「ナギ様ッ!」

「へ――」


 慌てたリーシャさんの声が聞こえたと思ったその瞬間には、鬼の姫が私に向け右手を振り抜いていた。

 視界がスローモーションになる。その中でも異常に速い鬼の姫の一撃。

 あ、死んだわこれ。

 岩盤に激しく叩きつけられる。分厚い岩盤を三つぶち抜いたところで静止した私は、小さなその子に抱き留められていた。


「じ、ジルベリアさん……」

「ナギ! 大丈夫か!?」


 不安げに私を覗き込む。

 私が殴られるその瞬間、前に割り込んで代わりに攻撃を受けてくれたのだ。さらに、岩盤への衝突に対しても受け身を取って衝撃の緩和に努めてくれたらしい。

 うん、大丈夫。

 そう返そうとしたのだけど、しかし言葉がうまく口にできない。

 ああ、ダメだ、と思った。

 感覚的にわかる。わかってしまう。

 私の弱すぎる身体はもう、生命機能を維持できない程度のダメージを負ってしまっている。


「ごめん、私ダメみたいだ……」


 覗き込む緋色の目が見開かれた。

 ジルベリアさんは一瞬呼吸の仕方を忘れてから、私の肩を掴む。


「ナギ!? 何を勝手に死のうとしておる! 主は我輩と共に世界征服しないといけないのだぞ! この世界の王になるのだぞ!」

「ごめんね、ジルベリアさん……」

「逝くな! 逝くな莫迦者! 主は我輩の友なのだ! こんなところで死んではならん!」


 ジルベリアさんは激しく私を揺らす。

 瞳はじんわりと潤いを帯びて、やがて大きな水の珠が長いまつげを揺らした。


「そんな……主がいなくなったら我輩はこれからどうすれば……」

「泣かないで。大丈夫だよ。ジルベリアさんには他にもたくさん仲間がいるんだから」

「ナギは初めてできた我輩の友なのだぞ! 我輩はナギがいないと……」

「そんなことないよ。みんなジルベリアさんのことを大切に思ってる。私がいなくても、大丈夫だから」

「ナギ……ナギ……!!」

「それじゃ、元気でね。世界征服してね、ジルベリアさん」

「ナギー!!」


 絶叫が響く。

 短い異世界生活だったな。

 後悔がないと言えば嘘になる。

 折角毎日が楽しくなってきたのに。

 だけど、不思議と悪い気はしなかった。

 きっとジルベリアさんが泣いてくれたから。そして、他のみんなも大切に思って、慕ってくれたから。

 そう考えると、なかなか良い異世界生活だったかな。

 みんな、私がいなくても元気でね。

 また、どこかで会えたらいいな。

 こうして、私の物語は幕を閉じ――


「はっ。このスープを飲ませれば!」

「…………治ったね。一瞬で見事なくらいに完治しちゃったね」

「ナギー!!」


 ジルベリアさんがぎゅっと私に抱きついて頬を寄せてくる。

 ……完全に死ぬ前提で話してたから正直大分恥ずかしいんだけど。

 転校前のラスト登校でお別れ会した翌日、また同じ学校に通うことになったみたいな。


「とにかく、今は鬼のお姫様をなんとかしよう。うん」

「なんで顔を赤くしておるのだ?」

「き、気にしないで」


 照れくさいんだよ。

 ダメだ、顔暑くなってきた。


「ジルベリアさん、とにかく態勢を立て直そう。戦わないと」

「嫌だ」

「へ?」

「だって我輩が目を離した隙にまたナギ死んでるかもしれぬではないか」

「死なないって。さすがに大丈夫だよ」

「あれだけダメージを抑えたのに死んだのだぞ!? 下手するとつまづいて転んだだけで死に至る可能性も――」

「人をちょっとした段差で死ぬアクションゲームの主人公みたいに言わないで。もうちょっと丈夫だから。多分」


 よっぽど私が死ぬのが怖かったらしい。


「ダメだって。離れて、ジルベリアさん」

「いやだ! わがはいはなれぬ!」

大鬼族オーガの姫来てる! 来てるから!」


 ぬらりと近づいてくるひとつの影。

 その目に、既に理性の光はない。

 あるのは獣のような獰猛な本性だけだ。


「ジルベリアさん、うしろ! うしろにもういるんだって!」

「はなれぬ! わがはいははなれぬからな!」

「なんだよかわいいなおい……じゃなくて! ほんとにきてるから! また私死んじゃうから!」

「仕方ないな」


 幼児退行してた声が落ち着きを取り戻す。

 そこにあるのは王の威厳。そして、絶対的強者の余裕。

 跳びかかり、引き絞った拳を振り抜く鬼の姫。ジルベリアさんはそれを避けることさえしなかった。

 音速の拳がジルベリアさんの身体に突き刺さる。可憐な身体にはあまりにも重すぎる一撃。風圧は私の髪をかき上げ、ジルベリアさんの足下で地盤が耐えきれず無数の亀裂がはしる。


 しかしそれだけだった。

 それだけ。

 受け身も取らず、ジルベリアさんはいとも簡単に拳を受け止めた。


「先のは、ナギを庇って態勢が悪かったからな。本調子ならこんなものだ」


 狂気に染まっている鬼の姫の顔が揺らぐ。それはきっと本能的恐怖。

 しかし鬼の姫は止まらない。止まるだけの理性も判断力も失っている。

 必然、盲目的に次の一撃を放とうとすることしかできず、

 だから結末はその時点で決まっていた。

 身体を大きくひねり、自分より高い位置にある鬼の姫の頭に右足を振り抜く。

 金属バットのフルスイングが直撃した白球みたいに、鬼の姫の身体は目にも止まらぬ速さで岩盤に叩きつけられる。

 岩盤に開いた大穴のはるか先で、小さく見える姫の身体はもう戦える状態には無かった。


「なかなかの強者だったな。我輩楽しかったぞ。褒めてやる」

「つ、つっよ……」

「お! そうか? 我輩強いか?」


 にこにこと無邪気に私を見下ろすジルベリアさん。

 こうしてると、ほんとにドラゴンの王様なんだな、と思う。


「うん、強い。すごく強い」

「そうであろうそうであろう。もっと褒めて良いぞ」

「がんばってくれてありがとね。助かった」

「えへへ」


 にへらっと頬をゆるめるジルベリアさん。

 今のこの顔なんて、とてもあんなに強い魔族さんの顔とは思えないんだけどな。


「それじゃ、お姫様のとこいこっか」


 お姫様の身体は、分厚い岩盤を六つ貫通したその先にあった。

 息はあるけれど、さすがにもう起き上がるのは無理らしい。

 終わらせようと近づいた私に、鬼の姫はか細い声で言った。


「……本当に、ありがとうございました」

「意識戻ったんだ」

「はい。生命維持の方が限界になって、洗脳の力が薄れたんだと思います」


 鬼の姫は言う。


「おかげで、私は私のままで死ねそうです。本当にありがとうございました」

「いやいや、私は何もしてないから」


 私は慎重に言葉を選ぶ。


「でも、本当にこのまま死んで良いの? 生きるのはもう嫌?」

「私は取り返しのつかない過ちを犯しましたから。仕方ありません」

「それはあなたにあやしいお酒を飲ませた連中のせいでしょ? あなたは悪くないよ」

「いいえ。判断を誤ったのは私です……」


 か細い声。肋骨が折れているのだろう、呼吸が浅い。


「本当に良いの?」

「そんなこと聞かないでください」

「でも……」

「……生きられたら、よかったんですけどね」


 桃色の唇から、赤い血が滴って落ちる。


「もっとしたいことがたくさんありました。姫として生まれてずっと我慢ばかり。怪我をしてはいけないからと外に出ることも許されず、綺麗な部屋の中でひとりぼっち。本当は外に出てみたかったんです。他の魔族さんと話したり、仲良くなってみたかった。働いて、汗をかいてみたかった。残念ながら、やっぱり私には許されない運命みたいですけどね」

「ううん、そんなことないよ」


 私は手元のスプーンで鍋のトマトスープをすくう。


「したかったこと、きっとできる。安心して」


 白い牙が覗くその小さな口に、そっと一さじ押し込む。

 瞬間、可憐な身体が淡い緑色の光に包まれる。角と牙が小さくなり、血走って赤く染まった目が落ち着いた元の色に戻る。エメラルドグリーンの光はほんの数秒間続き、そして何事も無かったかのように消えた。


「え? 嘘、痛みが……傷がふさがって」


 信じられないみたいに、鬼のお姫様は少し背の高い私を見上げる。

 私はにっと微笑んだ。


「ほら、もう大丈夫だからさ」



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