3 私とドラゴンさん
「………………ん?」
気がつくと私は見知らぬ洞窟の中にいた。
広い洞窟だ。つららのような形の白い岩が、天井と床から無数に伸びている。淡い青の光が辺りをあやしく照らしている。空気は冷たく、たくさんの湿気を含んでいた。
えっと。
多分異世界だよね、ここ。
女神様の言葉から推測するに、私は設定ミスで思っていたのとは違う場所に転送されたのだと思う。
まさか追い打ちでもう一つうっかりがあるとは。なかなかどじっ子な女神様みたいだった。
怒られることもあると思うけど、くじけずがんばってほしい。私は応援している。
周囲を見回す。特に生き物の気配はない。
とりあえずこの洞窟を探索して現状の確認かな。
まず気になったのは洞窟を淡く照らす青い光だった。その光は、ソフトボールくらいの大きさのクリスタルから発せられていた。
幻想的なその結晶に思わず見とれる。うわ、すっごく綺麗。めっちゃお高そう、と見入ってるうちにその奥に人の姿が映っているのに気づく。
富、名声、力。この世の全てを手に入れてそうな豪勢で風格漂う黒のロングドレス――と対照的にでかい隈がある社畜顔。
私だわ。これ私だ。
魔王っぽい服装とのギャップが大分残念な感じだった。
ぐ……相変わらず胸小さいし。
というか、こんなに疲れた顔してたんだ私。全然気づいてなかったよ。
がんばりすぎもよくないんだなぁ、と思う。これからは無理しない程度にがんばっていかないと。
懐中電灯の代わりに使おう、とクリスタルも持っていくことにした。もしかしたら、高く売れるかもしれないしね。先立つものはお金だ。
結晶をかざしながら洞窟の闇の中を進む。
まず見えたのは、巨大な二本のつららだった。私の身体よりも太いんじゃないかってその白いつららはなめらかな曲線を描いて象牙のように湾曲している。
その根元のあたりにはたくさんの鋭いつららが伸びていて、まるで何かの口の中みたいだった。
うん、我ながらこれはなかなか良いたとえだった気がする。
ほら、下の方のつららの間には舌みたいなものも見えるし、天井のフォルムもなんだか口の中っぽい――って、あれ、これあまりにも口の中そのものなような。
冷たい汗が頬を伝う。恐る恐るクリスタルで口の上にある部分を照らして、私は凍りついた。
私の頭より大きな鋭い目。そこにいたのは、巨大なドラゴンだった。
「ひぃっ! ごめんなさい! 何もしてないけどごめんなさい! 命だけは! 命だけはお助けを!」
全力で命乞いしながら土下座を決める。
こういうとき、自分のプライドをためらいなく捨てられるのが私の強みだ。自分の命のためなら、躊躇いなく頭を地面にこすりつける覚悟を持って私は生きている。
洞窟の地面は湿り気を帯びていた。返事はない。ドラゴンさんは黙ったままだ。
額がひんやりしてきたところで、私は恐る恐る顔を上げた。
ドラゴンさんは身じろぎ一つしない。作り物の彫刻みたいに動かない。そう言えば、呼吸の音も聞こえない。
「死ん……でる?」
クリスタルで照らして、その身体を調べる。しかし単純に死んでいるというわけでもないみたいだった。
その身体には腐敗がない。大樹のような腕も、空を覆う翼も、綺麗に欠けることなく残っている。
触れてみる。石のように固く冷たい。
このドラゴンさんは石でできているんだ、と思う。
石で作られたのか、あるいは石に変えられてしまったのか。前者だったらいいなと思った。ドラゴンさんの顔は苦痛で歪み、大きな目の縁では涙が石の玉になっていたから。
じっとしていても仕方ない。私は気持ちを切り替える。ここはどういう場所なんだろう、と思いつつ、先に進む。
石のドラゴンさんは、一体だけではなかった。他にもたくさんいた。
彼らはみんな、苦しげな顔をしていた。それを見るたびに私の気分は沈んだ。
どうしてそんなに苦しい顔をしているんだろう。痛かったのかな。耐えられないくらいだったのかな。
悲しい気持ちになりつつ洞窟を先へ進む。そこにいたのは一段と大きな身体のドラゴンさんだった。四階建ての建物くらいありそうなその身体には、強靱な筋肉がぎっしり詰まっている。
発光するクリスタルで顔のあたりを照らす。目を閉じたその顔には強者の風格と威厳があった。牙も爪も翼も大きいし、やっぱり他のドラゴンさんとは少し違う感じがする――と、不意にその目がばっと見開かれて私を射貫いた。
「おい、貴様。そこで何をしておる」
生きてた!
このドラゴンさん生きてた!
「ごめんなさい! 命だけは! 命だけはお助けを!」
躊躇いなく土下座体勢に移行する。
湿った地面に額をこすりつける私に、頭上から生暖かい息と声が降ってきた。
「問いに答えよ。貴様はそこで何をしているのかと聞いている」
姿と口調に似合わず、女の子らしいかわいらしさの残る声だった。しかし、そこにはたしかな強者の威厳と風格がある。まるでたくさんの民の上に立つ王様のような声だった。
「そ、それがですね。転送魔術の手違いで迷い込んじゃったと言いますか。右も左も上も下もわからない感じで」
「誠であろうな。我輩に嘘は通用せぬぞ」
「本当なんです! 信じてくださるとこちらとしてはとても助かりますと言いますか!!」
全力で頭を下げる。
社畜流奥義、平身低頭。
やがて、大きなため息が辺りに響いた。
「疑って悪かったな。どうやら嘘は無いらしい。行って良いぞ」
よかった。信じてもらえたっぽい。
ほっと胸をなで下ろす。異世界生活初日にして命の危機だった。あぶないあぶない。
ありがとうございます、とお礼を言ってから立ち上がる。
が、どっちに行けば良いのかわからない。
「どうした? 何を困っておる」
「あの、よかったら出口を教えてくれたらありがたいなぁ、なんて」
「貴様。我輩に道案内させるとは良い度胸しておるな」
「ごめんなさい! 失言でした! 忘れてください!」
「良い。構わぬ」
ドラゴンさんは私に出口までの道を丁寧に教えてくれた。
親切なドラゴンさんだった。こんなに怖くて強そうなのに。やっぱり人は見かけによらないものなんだなぁ、と思う。
いや、人じゃなくてドラゴンさんなんだけど。
「ありがとうございました」
「礼は良い。我輩も誰かと会話するのは一月ぶりだったしな。最期に話せて良かった」
「最期?」
「我輩はもうじき死ぬ」
え、と思いつつドラゴンさんの身体をクリスタルで照らす。その身体は既に灰色の石に変わっていた。変わらず赤い皮膚が残っているのは顔の一部だけだ。
「……何なんですか、これ?」
「疫病だ。石死病と言って、身体が石に変わっていく。魔術も薬草もまったく効かない病でな。正確には死ぬわけでは無いのかも知れぬが、永久に石のままなのだから死のようなものだ。むしろそれより酷いかも知れぬ」
息苦しげな声だった。
肺の一部はもう石に変わってしまっているのかも知れない。
「治す方法はないんですか?」
「あれば疾うにやっておる。我輩たちもあらゆる術を尽くしたがすべて徒労に終わった」
ドラゴンさんは深く息を吐いてから言う。
「お主も早く行った方が良い。うつれば希望はないぞ。この病は治らぬ」
「そんな……」
治ることのない病。
永久に石になったまま。
身体を動かすことはできなくて。五感はすべて使えなくなって。
なのに死ぬことも許されない。
そこにあるのはきっと、死よりもつらい苦痛と絶望だ。
石になったドラゴンさんたちの苦しげな姿を思いだす。
きっとみんな無念で、生きたくて。だからあんな顔をしていたんだろう。
『やさしい人になりなさい』
最期にお母さんはそう言った。
困ってる人。苦しんでる人に手を差し伸べられる人になりなさい、と。
なんとかしたいと思う。手を差し伸べられる自分でありたいと思う。
お母さんのためにも、自分自身のためにも。
だけど、ドラゴンさんが絶対に治せないと言う病気なんて、私にはどうすることも――
『その名も、『魔王厨房!』食べた人の病や怪我が瞬く間に治ってしまうおいしくて栄養豊富な料理が作れる能力です』
どくん、と心臓が音を立てる。
もしかしたら。
もしかしたらなんとかできるかもしれない。
「お願いがあります」
私はドラゴンさんを見上げて言った。
「私が作るご飯を食べてみてもらえませんか」