26 大空洞
大鬼族の大空洞は第四森域。つまり、第二森域、第三森域を超えて『神樹の森』を奥に進んだところにある。
上の森域はそれだけ強い魔族が住む場所なわけで、より警戒しつつ先へ進んでいたのだけど。
大空洞に近づけば近づくほど、周囲の魔族の気配は少なくなっていった。第三森域に入ってからは、まったくと言って無くなって。しんと静まりかえった森は、逆に不気味に見えた。
唯一の例外は、姿を変え身を隠していた粘霊族さんだ。大鬼族の略奪によって、この辺りの魔族は大空洞に連れて行かれ、動ける者は遠くへ逃げていったと教えてくれた。
「大鬼族が標的としていたのは鍛冶人族だけではなかったようですね」
「そうみたいだね。何が目的なんだろう?」
「考えられるのはやはり労働力でしょうか」
「労働か……」
連れ去って強制労働させるなんて。
そんなの絶対に許される行いじゃない。
何より、ノエルちゃんみたいに悲しんでる人がいるのだから。
森を奥へ進めば進むほど、木々は大きくなり空気はしんと冷えたものになっていった。
心なしか身体が軽くなった気がするのは、神樹様が持つとされる加護のおかげだと鍛冶人族さんが教えてくれた。
食べ物の栄養も豊富になり、味も良い物になっていくのだとか。
なるほど、それで強い魔族は奥の森域で暮らしてるんだな、と思いつつ歩くことしばらく。遂に大空洞の入り口が見えてきた。
切り立った崖の下に、巨大な裂け目のような入り口が広がっている。
中の様子は、遠くからではうかがうことができない。そしてその周囲に立つのは、巨体の怪物だった。身長は二階建ての家くらいの高さだろうか。腕の筋肉は大木のように発達し、無骨な岩石の大剣を指揮棒みたいに軽々と振る。
あれが大鬼族。あんなのが二千もいるのだと思うと……ダメだ、めまいがしてきた。
「どうする? 守りは堅そうだけど」
「お任せください。我に案があります」
「おお、さすがリーシャさん」
「またシトラスに一歩先んじてしまいましたね」
リーシャさんは満足げにうなずいてから続ける。
「夜更けまではまだ時間があります。みなさんは各自休息を取ってください」
「ああ、了解したぜ騎士の嬢ちゃん」
こと戦仕事におけるリーシャさんの優秀さは、鍛冶人族さんたちにももう伝わっているらしい。
シトラスさんもそうだけど、仕事ができる子って頼れていいなぁ。
改めてそう思っていると、鳴り響いたのはくーと平和な音。
「そ、その、これは、休息を取る際ナギ様のごはんも食べられるのかなって少し想像してしまったのが敗因だったと言いますか」
顔を林檎みたいに赤くして言うリーシャさん。
かわいい。
「うん、任せて。とびっきりおいしいご飯用意しておくから」
「お、お願いします……」
リーシャさんは気恥ずかしげな顔でうなずいた。
夕ご飯を食べて体力を回復してから、私たちは突入作戦を開始する。
時は草木も眠る深夜。薄闇の中で、私たちを見ていたのは白い双子の月だけだ。
「すごいね。こんな侵入経路を短時間で用意できるなんて」
リーシャさんと護衛のドラゴンさんたちが用意してくれたのは、大空洞の中へ直接つながる地下通路だった。
突貫の割に作りはしっかりしていて、少しかがめば楽に通れるくらいの広さもある。
「竜種は地下にダンジョンを作る習性がありますから。元々穴掘りは得意な種族なんです」
そういえば、ジルベリアさんもしてたな穴掘り。
「この地下道は、連れてきた他種族の者達を収容している檻につながったのを確認しています。ここから気づかれないように外へ逃がせば、大きな騒ぎにならずに鍛冶人族を救出することができるかと」
「さすがリーシャさん! わかってる! わかってるよ!」
正に、私がお願いした理想通りの仕事だった。
なるべく大事にはせず、しっかり目的を果たす。
大鬼族との戦闘なんて危険は大いにあるわけで、避けて通れるならそうするに越したことは無いし。
「よし、一番の臣下にまた一歩前進です」
拳を握るリーシャさん横目に地下通路の最深部にたどり着いたときだった。
穴の奥から、何かが崩れ落ちるような音。決して大きな音では無いけれど、しかしそれは穴の中に反響してたしかに私の耳に届く。
そして直後、壁の向こうから聞こえた言葉に、私は心臓が飛び出しそうになった。
「――コノ壁、亀裂ガ入ッテイル」
地獄の底から響いてくるような不気味な声だった。
おおよそ尋常な生き物のそれとは思えない、異常さと狂気をはらんだそれはおそらく大鬼族の声。
「リーシャさん、どうしよう」
「まずいですね。このままでは気づかれます。なんとか口をふさがないと」
「ならば、我輩が催眠魔法でなんとかしよう」
「おお、ジルベリアさんお願い」
そんな魔法使えたんだ、と思いつつお願いする。
「心得た」
そしてジルベリアさんは、猫のように身をかがめた。
全身の筋肉が引き絞られる。跳躍する。
瞬間その姿は残像になっている。ふさいであった擬装用の壁を勢いよく破壊したジルベリアさんは、奥にいた大鬼族の巨体に助走付きのパンチを放った。
顎を打ち抜かれ、大鬼族は三回転して岩肌に衝突する。
二階建ての家くらいの高さがある大鬼族がピンボールのように弾け飛ぶ光景は衝撃的なものがあった。
ジルベリアさんは振り返って、どやっと胸を張る。
「ほれ。眠らせたぞ!」
「うん、ナイスパンチ!」
「ふふっ、それほどでもないがな」
うれしそうに頬をゆるめるジルベリアさん。
催眠魔法じゃ無く、完全なる物理攻撃だったけどそこは気にしないことにする。
「まだ鍛冶人族たちは帰っていないようですね」
リーシャさんの言うとおり、洞窟を利用して作られた地下牢は空のままだ。どの檻の中にも魔族さんの姿は無い。
「他に大鬼族もいないみたいだね」
ほっと胸をなで下ろす。一応当面の危機は回避されたみたいだ。
「とりあえず、地下通路に戻って崩れた穴をふさごう。証拠隠滅のために大鬼族も地下通路の中へ」
「ええ、承知しました」
みんなで気絶した大鬼族を穴の中へ運び入れる。鍛冶人族さんたちが帰ってない以上今は何もできない。
リーシャさんたちがまた擬装用の壁を作ってくれる。ダンジョンを作る習性上、こういう作業も得意なのだろう。あっという間にそれらしい壁で穴はふさがれた。
「ひとまずこれで一安心だね」
「土が乾いているので、時間が経てばまた亀裂が入るかもしれません。あまり時間はかけられないかと」
「うん、了解。想定外の出来事だったけれど、収穫もあったかな」
「収穫ですか?」
「この大鬼族から情報を聞きだそう」
戦いにおいて一番大事なのは情報だ。勝敗を分けるのは戦う前の情報の差だって本で読んだことあるし。
「だが、完全に伸びておるぞこいつ。どうするのだ?」
他人事みたいに言うジルベリアさん。
うん、顔がもうモザイク無しには見せられない感じになっちゃってるね、催眠魔法(物理)で。
「よし、適当になんか食べさせてたたき起こそう」
私は袖をまくった。




