17 私とのんびり内政、温泉編
そんな感じで穏やかな日々は過ぎていたのだけど、不満な点がまったくないかと言うとそういうわけでもない。
悲しいかな、現状うちの集落はさほど文化レベルが高いわけでは無かった。
木で作られた家は、ところどころ寸法が合っていないし、加工の仕方も雑なものが多い。犬人族さんが私たちに用意してくれた家は、かなり出来が良い部類のものだったみたいだ。
雨漏りして天井が腐り始めた家も他に多くある。木材を加工して作った食器や、麻を編んで作った布類なんかもあった。簡単な作りの服の麻で作ったものなのだろう。生地が薄いし、この季節にはまだ寒そうだ。
唇をふるわせる犬人族さんの姿を見るたび、お節介体質の私はなんとかしてあげたいなぁ、という気持ちになるのだけど、しかし残念ながらそれができる力は私には無い。
料理ができて、怪我や病気を治せるだけだからな、私の能力。
できることよりもできないことの方がずっと多いんだ。
何より不満だったのは、身体を洗うためには川で水浴びするしかないということだった。
山近くで涼しい集落の気候は、普通に過ごす上では快適なのだけど、川に入るとなると寒い。大分寒い。
犬人族さんたちも緋龍族さんたちも、身体をふるわせながら我慢して水浴びしてるし。
これは由々しき事態だ。なんとかしなければ。
お風呂自体は古代ギリシャにもあったって漫画で読んだことあるし、現状の文化レベルでも不可能ではないと思うんだけど。
しかし、一体どう作ったものか。
何かないかな、と集落を見て回る。竜の山のふもと、森のはずれの集落はのどかで平和だけど、使えそうなものは見当たらない。
「温泉とかあると、最高なんだけどなぁ」
「おんせん? とは何だ?」
ぴょこんと寄ってきて私を見上げたのはジルベリアさんだった。
鮮やかな赤色の髪には、小さな土の欠片がついている。今日も農作業がんばってくれてるみたいだった。
「お疲れ様。髪に土がついてるよ」
「ああ、すまぬ。ありがとな」
礼を言ってから、
「で、おんせんとは何だ?」
「火山なんかで温められた地下水がわき出て溜まってるもの、かな。温かくてすごく気持ちいいんだ」
「暖かくて気持ちいいものなのか。それは良いな」
ジルベリアさんは期待してる様子で目を輝かせる。
「でも、どこででもできるものじゃないからね。この辺りだと難しいかも」
「そうなのか?」
「うん。火山とか、地熱とかがちょうど良い場所にないといけないから」
「それならむしろ都合は良さそうだがな、この辺りは」
「え?」
「そこに竜の山あるであろう」
「うん」
「あれ火山だぞ」
予想外の言葉に私は言葉を失う。
まさか、竜の山が火山だったなんて。たしかに緋龍族さん赤いし、炎属性っぽかったけど。
「ただ、今はもう活動してないからな。活発な火山が必要なら無理かも知れぬが」
「ううん、十分。地下水が温められるだけの熱を持った場所があればそれでいいはずだから」
これだけ近くに火山があるなら、温泉が湧き出る可能性は十分にあるはず。活動を停止していたとしても、地下深くには必ず熱を持った部分があるはずだし。
「手伝ってほしいんだけど、いいかなジルベリアさん」
「仕方ないな! 我輩が力を貸してやろう! 感謝するのだぞ!」
「うん、ありがとう」
「えへへ……」
こうして、私たちは温泉作りに取りかかったのだった。
温泉を作ると言っても、経験も知識もまったくと言ってない私だ。
「とりあえず、掘ってみよっか」
必然、取れる行動はそういう行き当たりばったりなものになってくる。
犬人族さんの集落から少し離れた山際、草木が無く岩肌が露出している崖の下を掘ってみることにした。
砂利をかきわけると、その下から黒っぽい土の層が現れる。その辺で拾った良い感じの木の棒で掘っていると、ジルベリアさんが言った。
「主、何をしておるのだ?」
「何って、掘ってるんだけど」
「不思議なくらいまったく掘れておらぬが」
「…………」
その通りだった。
がんばって掘ってるのにびっくりするくらい穴は深くならない。
「……非力が過ぎる」
砂利の小石がやたら重く感じた時点で薄々感じてはいたけれど。
料理の時は、もっと重くても大丈夫なんだけどな……。そこだけはそういう補正がかかるんだろうか。
なんなんだよ、小石持ち上げるだけで腕が悲鳴をあげる魔王って……。
「ごめん、私が思ってたより私は使えないみたいだ。でも、強く生きていこうと思う。配られたカードで勝負するしか無いのさ。byチャーリーブラウン」
「よくわからぬが、元気を出せ。主には我輩たちがいる」
ジルベリアさんは、にっと目を細める。
「偉大な緋龍族の王である我輩がナギが持てぬものは持ってやる。だから安心して良いぞ」
「ジルベリアさん……」
なんだこのイケメン。
同性だけどうっかり惚れちゃいそうで困る。
「で、この土を下へ掘っていけば良いのか?」
「うん。お願い」
「ふふん。とうとう我輩の持つ千の奥義の一つを使うときがきたようだな」
「千の奥義?」
「世の英雄と呼ばれる連中は山ごもりして奥義を修得すると言うであろう? 連中は短い期間しか山に籠もらぬが我輩は生まれてからずっと山の上だ。つまり、生きている時間がすべて修行中ということ。修得した奥義の数が千を超えていても不思議ではあるまい?」
ジルベリアさんは不敵に笑みを浮かべる。
「す、すごい。さすがだね」
伝説の緋龍族の王だけはある。
やっぱりすごいドラゴンなんだ、ジルベリアさん。
「見せてやろう。我輩の力を」
ジルベリアさんは、砂利をかき分けた穴の上に立ち、下に手をかざして目を閉じる。
山下の空気が急に冷たく感じた。ナイフの刃のように緊張感を伴うその冷たさは、さながら戦の前みたいだった。
たとえば、伝説の棋士が次の一手を考える姿を間近で見ているときのような。あるいは、熟練の作家が言葉を書く瞬間を見ているときのような。息をしてはいけない気がする緊張感があたりに漂っている。
呼吸の音さえ聞こえそうなくらい静かで、しかし呼吸の音は聞こえない。
私もジルベリアさんも息を止めている。
舌上の唾を飲むことさえ許されない気がして、私は口の中のささやかな不快さをそのままにする。
瞑想するように目を閉じるジルベリアさん。
どれくらいそうしていたかはわからない。
永遠のような、しかし一瞬のことのようにも思える沈黙が過ぎて――
やがて、ジルベリアさんは緋色の目をかっと開いた。
「必殺! ドラゴンハイパー穴掘り!」
うわ、名前すごくダサい。
しかし、にもかかわらずそれは必殺技と呼ぶに足るくらいすさまじい力を持つ技だった。
その威力はもはやボーリング機。あっという間に直径一メートルくらいの深い穴と、巨大な土の山ができる。手作業とは思えないすさまじい破砕音はどんどんと小さくなり、穴が深くなっていることを私に教えてくれた。
もはや、穴の中は深い闇。掘っているはずのジルベリアさんはそのはるか奥にいる。
と、不意に中からジルベリアさんが跳びだしてきた。
「ダメそうだな。水が出てきそうな感じは無い。土自体はかなり熱を持っていたのだが、掘る場所が悪いようだ」
「大丈夫? 大分汚れてるけど」
黒のドレスは掘削作業で汚れ、高貴な幼い女王様みたいな顔は、黒ずんだ土の色で汚れている。
「構わぬ構わぬ。こんなもの洗えば済むことだ。次は別のところを掘ってみよう。今度はうまくいく気がするぞ!」
綺麗で豪奢な服が汚れるのを気にしないジルベリアさんはなんだかかっこよかった。
働く人って感じのかっこよさ。こういう身体が汚れる仕事の上に、便利な世の中は成り立ってるんだろうな。
「むむ……出ないな。よし、次にいくぞ!」
それから、私たちは場所を変え、穴を掘り続けた。
「ここもダメか。では、次だ!」
しかし、ジルベリアさんの努力も空しく、
「く……なかなか手強いな温泉とやらは……」
これと言って成果は上がらなかった。
温泉どころか、地下水にさえ行き当たらない。
「ごめんね、ジルベリアさんはがんばってくれてるのにうまくいかなくて」
「気にする必要は無い。我輩穴を掘るの結構楽しいぞ」
「楽しいの?」
「うむ! 良い感じの運動になる。日課にしようかと思うくらいだ」
穴掘るの楽しいってそれもはやわんこの行動だよ。
ドラゴンの王様なのに、そんなんでいいんだろうか。
ともあれ、このままではどうにもうまくいきそうにない。
どうしたものかなぁ、と頭をひねっていると、ジルベリアさんが言った。
「よし、助っ人を呼ぼう」
「助っ人?」
「メイド長のシトラスは物知りだ。あやつなら、温泉についても何か知っておるかも知れぬ」




