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10 犬耳おばあちゃんとたまごスープ



 ソラちゃんに先導されて山道を麓へと走る。

 しかし、問題はすぐに起きた。

 ……無理! もう無理! お腹痛い!

 私を襲ったのは、敵組織による妨害工作――ではなく、単純に絶望的な運動能力の無さだった。


「ナギどうした! 敵の攻撃か!」


 こひゅーこひゅーと細い息を吐く私に、ジルベリアさんがあわてて駆け寄ってくる。

 やめて。目立たせないで。恥ずかしいから。


「走れない……もう限界……」

「え? まだ二十秒も走ってないぞ?」

「言わないで。泣きたくなるから」


 どうやら、この身体にとって二十秒はもう長距離走らしい。

 目一杯飛ばしてるわけでもないんだけどな。五十メートル十五秒くらいかかりそうなペースだし

 ああ、ソラちゃんの背中がどんどん遠ざかるよ……。


「よし! なら我輩の背中に乗れ!」

「……いや、自分より背が低い女の子におぶられるのはちょっと抵抗あるんだけど」

「我輩主くらいならもうほとんど持ってないのと変わらぬぞ? それとも本来の竜の姿が良いか?」

「……ダメだね。それは絶対ダメだ」


 ソラちゃんは緋龍族レッド・ドラゴンさんだということに気づいてないし。

 それに、いきなり集落に伝説のドラゴンさんたちがやって来たら、犬人族カーネさんたちびっくりしてしまうに違いない。


「じゃあ、そのままの姿でお願い」

「任せよ! ついでに犬人族カーネの小娘も乗せて最高速で飛ばすぞ!」

「へ?」


 ジルベリアさんがぐっと膝を曲げ力を溜める。

 瞬間、すべての景色が線になった。

 あまりの速さに視認した物が像を結ばない。ジルベリアさんは弾丸のような速度で跳び、前を走っていたソラちゃんに一瞬で追いつく。


「わわっ」


 驚くソラちゃんを抱きかかえてさらに加速した。


「速いよ! 速すぎだよちょっと! 怖い! 怖いから!」

「ふふ。はしゃいでおるな。我輩も楽しいぞ」

「ダメ! 風圧で肩はずれる! 骨折れちゃうよ! って、ほらもう折れてるし!」


 しかし、前へ超音速で走っている以上、私の声は物理的に届かないのである。

 暴風のように吹き抜ける風に、私は粉々の身体をゆらゆらさせながらこの時間が早く終わるのを祈った。






「死ぬかと思った……」


 犬人族カーネの集落の前で、スープで身体の補修をしてから私は言った。


「ふう。気持ちよかった」


 ジルベリアさんは汗をぬぐいながら言う。


「ん? どうしたナギよ。疲れた顔をして」

「……なんでもないよ」


 もう絶対ジルベリアさんにはおぶってもらわないことにしよう。

 ソラちゃんもめちゃくちゃびっくりしてたしな。「ほ、本当にお強い魔族さんなんですね」って目を白黒させてたし。

 ともあれ、犬人族カーネの集落は、森の中を流れる小川の側にあった。

 木で作られた簡素な住居が立ち並んでいる。集落の境界は柵で囲まれ、太い木の上には見張り小屋らしきツリーハウスもある。

 思っていたよりも、規模はずっと大きかった。密集した住居の数は数え切れないほど多い。数百人以上が生活してそうだ。

 しかし、その一方で外から見える住人の数は異様なくらい少ない。

 柵の外、流れる小川にかがみこんでシトラスさんは言った。


「おそらくこれが原因です、とシトラスは申し上げます」

「どういうこと?」


 隣からのぞき込む。

 私とシトラスさんの姿が、水面に並んで揺れていた。


「この小川は竜の山の方向から流れています。おそらく、我々が水場として使っていた池の水が流れ込んでいると思われます」

「そういうことか」


 山の上から降ってきた汚染水が、麓の森で二次災害を発生させたのだ。


「準備ができました」


 ソラちゃんは、私たちを集落の中心にある大きめの家へ案内してくれた。


「ここ入っていいの? ちょっと他より豪勢な感じだけど」

「おばあちゃんはこの集落の長なんです。占いが得意で、それで古くから村を導いてくれてるんですよ」

「すごい人なんだね」

「はい、すごい人なんです」


 真面目な顔で言う。

 親愛と尊敬の感情がそこにはあった。


「こちらです」


 木造の家の壁は、不可思議な模様の布で覆われていた。

 占いに使うのだろうか。土製の人形や勾玉、変わった形の鐘などが並んでいる。

 その脇には土で作られた壺のような容器が複数置かれていた。森で採取した食べ物を貯蔵するものなのだろう。栗や胡桃など様々な木の実が種類ごとに分けられて入れられている。果物が入れられた容器や、野草が入れられた容器もあった。

 部屋の奥で、件のおばあちゃんは干し草のベッドに横たわっていた。大粒の汗が額に浮かんでいる。頬は赤く上気し、呼吸は浅い。

 時折、激しく咳をする。その肌はやっぱり灰色に変色していて、しわのよった犬耳まで不気味な灰色の侵食は進んでいた。

 急がないと。咳には背筋が冷たくなる死の気配がある。


「食べ物はここにあるので全部?」

「いえ、外の貯蔵庫にもあります」

「案内して」


 貯蔵庫には、小動物の肉や魚が貯蔵されていた。しかし状態が良くない。村が病に冒される中で管理が行き届かなくなったのだろう。

 これはちょっと食べられないな……。

 他にあるのは、野草や果実。それから、ん? これは――


「これ、何の卵なの?」

「ヒゲホロホロ鳥の卵です。薬になるかと思って採ってきたんですけど、効き目はなくて……」


 鮮やかな赤橙色の卵だった。私が知っているにわとりの卵よりは少し小さめ。

 しかし、私の直感はこの卵に可能性を見出していた。

 いけ! 必殺! 食材鑑定スキル!



 ヒゲホロホロ鳥の卵

 希少度:C

 安全度:A

 食材等級:C

 寸評:草原や開けた森林等に生息するヒゲホロホロ鳥の卵。黄身が多くふわふわで濃厚な風味が特徴。その一方で癖は少なく、生食や茶碗蒸し等に適している。ケーキには向かない。



 うんうん、なかなか良い感じ。

 これでたまごスープを作れば、病気の犬人族カーネさんたちも食べやすいはずだ。

 使えそうな食材を村長さんの家に持って行って調理を開始する。

 紫水菜と野草を一口サイズに切っていく。水と醤油、砂糖、酒。それからみりんとブイヨンを鍋で沸騰させ、切った野草を中へ。

 次に入れるのは水溶き片栗粉。お玉でよくかき混ぜてとろみをつけていく。そして入れるのは、主役の卵だ。混ぜるのは続行しながら、ボールに溶いた卵を、鍋の中に少しずつ入れていく。卵が全部入ったら、十回ほどかき混ぜて素早く火を止める。

 これで完成。

 ふわふわとろとろの卵スープの完成だ。

 黄金色の卵は羽根のように軽く、スプーンで触れるとぷるぷるとふるえる。

 器によそって渡すと、ソラちゃんは「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。


「おばあちゃん、高位魔族様がスープ作ってくれたよ。お願い、がんばって食べて」


 ソラちゃんはスプーンの先で冷ましたそれを、呼吸するのも苦しそうな口元へ運ぶ。

 とろとろのスープはつるんと口の中へ吸い込まれる。

 瞬間、おばあちゃんは激しくむせた。


「お、おばあちゃん!?」


 抱きかかえるソラちゃん。おばあちゃんは身体を折り、咳き込んでいる。

 う、うそ、何か間違えたかな……。

 あるいは、私の能力でも治療ができないところまで、身体の機能が低下していたとしたら――


「いかないで! ダメだよおばあちゃん!」


 ソラちゃんはおばあちゃんの肩をつかむ。


「わたしはまだ! まだ何も恩返しできてないのに!」


 若葉色の瞳は、今にもこぼれ落ちそうなくらい水の粒でいっぱいだった。


「………………ち」


 おばあちゃんはソラちゃんにかき消えそうな声で言う。


「ぐっ……」


 その姿にソラちゃんの顔がゆがむ。

 嫌だ、聞きたくない。

 多分ソラちゃんはそう思ったんだろう。

 この人は今、最期の言葉を自分に伝えようとしている。

 言わないで。もっと側にいて。

 側にいてよ……。

 そんな心の中の叫びを、

 ソラちゃんはぐっと。

 ぐっと飲み込んだ。


「何? おばあちゃん?」


 やさしい声で聞く。

 微笑む。水の線が頬をつたう。

 おばあちゃんは言った。


「……もうひとくち」


 一瞬、時間が止まった。


「へ?」

「もうひとくち、って言ったんだよ」


 その身体は淡い緑色の光を帯びている。

 よかった。間に合ってたんだ。

 ほっと息を吐く私の視線の先でソラちゃんが、「おばあちゃぁぁぁあああああん!!」と抱きついて頬をこすりつける。

 それは見ているだけで心があたたかくなる、素敵な光景だった。



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