1 社畜な私と女神様
「やさしい人になりなさい」
中学二年の夏。
女手一つで私を育ててくれた母は、最期に私にそう言った。
困ってる人。苦しんでる人に手を差し伸べられる人になりなさい、と。
私は母が大好きで、他には何もいらないからお母さんだけは死にませんようにって毎晩布団の中で神様にお祈りするくらい大好きで、だからその言葉を贈り物みたいに大切に受け止めた。
不器用な私は母ほどうまくはできなかったけど、それでもできる限りのことはするよう心がけてきたと思う。
クラスでみんなに無視されてる子がいたら、迷わず声をかけた。結果、私が無視されるようになった。
第一志望の最終面接、張り切って向かっていた私は路上で動けなくなったおばあちゃんに遭遇した。迷わず助けに向かった。結果、面接には間に合わなかった。
自分自身のはずれくじ体質もあって、あんまり良い結果にはならなかったけれど、後悔はまったくしていない。
天国の母に胸を張って会える私であることの方が、私にとってはずっと大事だから。
そうこうしてるうちに私は社会人になった。
就職したのはなんと念願の出版業界!
就活中たくさんの企業にお祈りされて、もはや下手な神様より信仰を集める存在となった私に、唯一手を差し伸べてくれた社員三名の零細出版社だ。
これはなんとしても採用してもらったご恩を返さなければ。
ペットショップで売れ残った最後のわんこ状態だった私は馬車馬のように働いた。
上司の言うことにはすべて「はい!」と答え、自分のすべてを注ぎ込んで仕事に猛進した。
そして――気づいたときには死んでいた。
びっくりした。
人間ってこんなに簡単に死ぬんだ、みたいな。
そりゃ月の残業時間が二百を超えた辺りからいよいよやばいなとは思っていたけれど、仕事好きだったから全然気にしてなかった。
ぐ……今度出る号結構自信作だったのにな……。
せめて部数だけ見て死にたかったぜ。
売上チェックするためだけに地縛霊なってやろうか。
しかし、後悔していても仕方ない。前向きなのは私の数少ない長所の一つだ。
死んだ後に何が起きるのかとか、興味ありまくりだし。体験談をネットに投稿して、口コミいっぱい集めて、目指せ念願の作家デビュー! って死んでるからできないんだけど。
じゃあ、天国で作家デビューしよう、そうしよう。そんなことを思っていたら、見知らぬ場所にいた。
真っ暗な闇の中、そこには何もない。私の他には何もない。
死後の世界だろうか。死んだ後は無かもしれないなんて考えたことはあるけれど、ずっとこのままってのはきついなぁ。
これじゃ体験談書いても全然面白くないし。
なんて思っていたらばん、と音がして光が目の前を射した。
「藤村凪さんですね。お疲れ様でした」
光の根元で銀色のロングドレスがゆれる。
やばい美人がそこにいた。
小さな顔は呼吸を忘れるくらいに美しい。間違いなく私が今まで出会った中でナンバーワン。いや、そもそも同じ生き物のカテゴリに入れること自体間違ってるんじゃないかと思えるくらい、彼女の美しさには圧倒されるものがあった。
「ありがとうございます」
戸惑いつつも頭を下げる。
過不足無く洗練された動きは社畜経験の賜物だ。
無駄に精度の高い動きがおかしかったのかもしれない。女性はくすりと微笑んで小さな口元に手をやる。
おいおいなんだこの子、めちゃめちゃかわいいぞ!
整いすぎて現実感がない顔立ちは、まるで人間より上位の存在を見ているような――
「あ、もしかして女神様ですか?」
「様付けされるような立派なものではありませんけどね」
苦笑してから、
「はい、私は女神です。このたびは頼みたいお仕事がありまして、ナギさんをお呼びしました」
「わ、私にですか!」
恐縮してしまう。
神様からのお願いって一体何なんだろう。
「そんなに身構えなくても大丈夫です。ナギさんならばっちりこなしていただけるはずですから」
「だったらいいんですけど」
「ご安心ください。このお仕事はナギさんの前世のお仕事に比べたらずっと楽なはずです。労働時間も自分で決められますし、休みたいときには休んでいただいて全然構いません」
「休み……でも、休むのは弱虫のすることだって社長が」
「ナギさん……」
女神様は長いまつげについた水の粒をぬぐう。
「大変でしたね……。百二十連勤、残業月三百時間。社会保険、厚生年金もなく、業務委託扱いなので残業代もなし。それが普通だと悪徳社長に洗脳され、さらに持ち前のすさまじく前向きな性格も悪い方向に作用して二十四歳の若さで死んでしまうなんて……」
「え、そんなことになってたんですか私」
全然気づいてなかった。
仕事好きだったし、結構楽しくやってたつもりだったんだけどな。
「その上鈍感で天然な性格も相まって、彼氏いない歴二十四年で死んでしまうなんて……」
「そ、その情報はできれば言わないでもらえた方がありがたかったです」
「ですが、もう心配することはありません。この仕事なら完全週休二日、残業せず定時に仕事を終わり、年間三十日の有給休暇を取得することだってできるはずです」
「え、有休って現実には存在しないUMA的なあれじゃないんですか?」
「存在します。存在しますよ……」
「すげえ、女神様すげえ」
なんというホワイト!
真っ白すぎて目が痛いくらいだ!
就活落ちこぼれ組の私が有休取れる環境で働けるなんて……。
過労死するのも悪くないなぁ、うん!
「やります! やらせてください!」
「良かった! 是非ともナギさんにお願いしたいお仕事だったんです。大変だったんですよ。ハデス先輩に無理言ってナギさんの魂を譲っていただきまして」
ほっとした様子で女神様は言う。
「それで、どんな仕事なんですか?」
「魔王です」
「へ?」
女神様はにっこり微笑んで続けた。
「私が担当してる世界の魔王になってもらいたいんです」