第2話 始まる学校 P.18
麗奈がこの家に来て、1週間を過ぎようとしていた朝のことだった。この日は健斗は自分の部屋で久しぶりに寝ていた
麗奈が、たまには自分が居間で寝ると微笑みながら言ってきたからだった……少し気になっていたが、麗奈がそう望むんだったら……と健斗は何も言わず了解をした
やっぱし自分の部屋は風通りがよくて涼しかった。健斗はほとんど爆睡状態でいた……
と、そんなときだった……
――わんっ!!わんっ!!わんっ!!わんっ!!
ゴンタの吠える声が、健斗の部屋に入ってきた。ゴンタは健斗の部屋の真下にいるから……吠える声がうるさく、健斗はゆっくりと目を覚ました
ゴンタうるさいなぁ……なんて思っているときだった……
「ゴンタっ!静かにしてっ!」
ふと耳に、誰かの話し声がきこえた。けどゴンタは吠えるのを止めず、その話し声は少し大きめな声になる
この声は……麗奈?
健斗はゆっくりと身体を持ち上げて、窓からそっと顔を出した
するとだった。
麗奈がゴンタをたしなめながら、健斗の自転車を持ち出そうとしているのが見えたのだ
健斗はすぐにケータイを手にとって時計を見た
時計はまだ、五時半だった……
こんな朝早く何をしてるんだ?
麗奈に声をかける気はおきなかった。けど麗奈は自転車をゆっくりと押しながら、家の塀の外まで運んだ
「……何だあいつ……」
健斗はふぅっとため息をつくと、またベッドに横になって眠ろうと試みた……
……が、やはり気になってしまいまた起き上がって、頭を掻きながらケータイをポケットにしまい、麗奈のあとを追いかけてみることにした
家を出ると、もう麗奈の姿は見えなかった……
「どこ行ったんだ?あいつ……」
朝早いからか、少し寒さを感じた。草むらには朝露がついていて、小鳥たちのさえずりに、虫の鳴き声を聞いてると少し気持ちよかった
けど、まだ太陽は昇りかけているため、まだ少し薄暗かった……
「……ん?」
ふと下を見ると、自転車の車輪が通ったあとが見えた
右の方向に進んでる……ってことは……
「あいつ、三丁目公園に行ったのか?」
でも何しに?考えるよりも、健斗は少し小走りで麗奈のあとを追いかけた……
それから十分くらい歩くと、公園に着いた
麗奈の姿はまだ見えなかったが、きっとここにいるんだろう。健斗はそう思いながら、坂を少し小走りで上っていった
坂を上ると共に、太陽が眩しく感じられた
橙色の日の光が、目に染みた。また息も上がる……
坂を上り切ると、健斗は息を荒げて麗奈を探した
するとだった……健斗はそこで、ある光景を見てしまった……
「……ハァ……ハァ……大森?」
麗奈はグランドにいた。何をしているのかと思ったら、自転車に股がっている。けど、すぐにフラフラと蛇道を描くと、すぐにバタンと倒れてしまっている。それを、何回も、何回も、何回も繰り返していた
健斗は息を整えながら、あまりの驚きに言葉も出てこなかった……
一体何をしてんだよ……麗奈は何で……自転車を乗る練習をしてるんだ?
それを、いつから続けてたんだろう?自分の知らないところで、あいつは頑張ってたのか?
「……あいつ……」
麗奈は一生懸命、自転車を漕ごうとしていた。どんなに転んでも、少し痛がってからすぐに前を向いた
そしてゆっくりと自転車を持ち直すと、また股がって……蛇行運転を繰り返している
そんな麗奈の姿を見ていると、健斗は可笑しさと共に、麗奈の寛大な姿に心を打たれていた。
どうしてこんなにボロボロになってもやめないのか……
麗奈のイメージとは全然違った……
理由は分かっていた。どうしてこいつがこんなことをしているのか……
しばらくの間、健斗は麗奈を見守っていた。いつか止めるだろうと期待するのは無駄なことだった。
麗奈は止めたりはしなかった。いつまでもおんなじことを繰り返して、けれどいつか乗れるようになると自分を信じていた……
次第に、健斗は身体が疼いていた……今にも麗奈の元に走り出しそうになっていた……
「………あっ!!」
麗奈が約五秒間の間、自転車をフラフラと運転していた。けどそのときの倒れ方が少しひどかった……
健斗は気がつくと麗奈の元に走り寄っていた
麗奈は少し痛そうにしてたが、またすぐに自転車を起こして再びチャレンジしようとしていた
けれど、健斗の駆け寄ってくるのに気がつき、驚いた表情で健斗を見つめた
「ハァ……ハァ……何やってんだよ……バカッ」
健斗は息を切らしながら、麗奈にそう言った。
「……えっと……自転車の……練習?」
と健斗に微笑みかけてきた。
健斗は真剣な表情をして、麗奈の手足を見た
「傷だらけじゃねぇかよ……」
「……まぁね♪別にすぐ治るから」
麗奈はそう言うと、また自転車に股がった。
「あっ!!」
「バカッ!!」
しかし麗奈はすぐに倒れ込んでしまった。健斗はそれを瞬時に対応し、麗奈を庇うようにして、麗奈を自分に引き寄せた
自転車はすごい音を立てて倒れ、前輪がカラカラと回っている
麗奈は健斗にもたれかかるような体制になっていた。頬を赤く染めながら、健斗を見つめていた
「あ……ありがとう……」
「……別に……」
健斗は恥ずかしそうに言い捨てると、麗奈の身体をゆっくりと持ち上げた。そして自分も立ち上がり、自転車を起こした
「……自転車とは無縁じゃなかったのかよ」
健斗がそう笑いながら言うと、麗奈はさっきの微笑みは消え沈んだ表情を浮かべていた
「……だって……」
麗奈は座り込みながら、呟くように言った
「だって……健斗くんの荷物になりたくなかったんだもん……」
ふとこぼれる本音の言葉……健斗は黙ってそれを聞いていた
「健斗くんの邪魔になりたくなかったから……だから……」
やっぱり……あのときの言葉を、ずっと気にしてたんだ……と健斗は自分に後悔するように思っていた
「あんときは……悪かったよ……俺が悪かった……」
健斗は謝ると麗奈は上目使いで健斗を見た。少し涙目で、怒ったように頬を膨らませていた
「謝らないでよ……」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
健斗がそう言うと、麗奈は再びうつ向いた
その表情が、健斗はすごく嫌だった
「……大森……」
健斗は麗奈を見つめて言った
「俺さ、少しお前のこと……誤解してたかも……」
素直な気持ちを麗奈にぶつけたかった。麗奈はうつ向いたままだったけど、健斗はゆっくりと続けた
「俺さ、お前って自分勝手で、能天気で、何も考えてない、性格の悪い女だと思ってて……お前が嫌いだった……けど」
健斗は息を吸いながらまた続けた
「でも、本当は色々考えてるんだなって思ったら……何かスゲー意外で、俺びっくりしてさ……うん……」
伝えたいことが上手く言葉に出来ない……いつもこうなんだ
健斗は一旦、自分の頭の中を整理した
「正直……見直したよ。俺……」
本当だった……麗奈は本当は実際迷惑にならないように色々考えてるんだって、考えるようになってから、麗奈に対する意識が自分の中で少し変わっていた。
「だから……あんとき、お前のこと邪魔だとか、お荷物とか言って悪かったよ……本当にゴメン。ゴメンな」
麗奈はうつ向いたままだった。うつ向いたまま、手をいじくっていた
「……違うよ」
「ん?」
麗奈はうつ向いたまま、呟くように言った
「違うよ……健斗くんが謝ることないよ。私が、この前怒ってたのはね……健斗くんよりも……自分が嫌だったから……」
「え……」
麗奈は静かに健斗を見た。目を涙目で必死に涙を堪えていた
「何か……何も出来ない自分が嫌だったの……健斗くんがいなきゃ、何も出来ないんだもん……私……」
それを聞いて、健斗は少し胸が高鳴った……早川とは違う胸の高鳴りだった
麗奈はそれから黙り込んでしまった。
健斗は麗奈の言いたいことを、言葉じゃなくっても……分かっていたつもりだった
だから……今こいつにしてやれることは何かと考えたんだ……
「大森っ」
健斗は麗奈の頭に手を置いた。麗奈はゆっくりと健斗を上目使いで見てきた
「立てよ。練習するんだろ?自転車乗れるように」
「え……」
健斗は笑いながら麗奈を立たした
「ほら、自転車に股がれよ」
麗奈は健斗に促されるまま、少し戸惑い気味で自転車に股がった。健斗は自転車がフラつかないように、自転車の後ろでしっかりと支えた
そして微笑みながら麗奈に言った
「いいか?両手でハンドルをしっかりと握って、しっかりとバランスをとれ?そんで、ゆっくりと足で漕いでみろ」
「う……うん」
「ちゃんと押さえてるから、ほらっ!!」
健斗の掛け声と共に、麗奈はゆっくりと漕ぎ始めた
フラフラしてるが、健斗はしっかりと後ろで支えてるため、倒れはしなかった
「最初はゆっくりでいいからっ!!ゆっくり、確実に漕いでいけっ!!」
「うんっ」
「前輪は真っ直ぐ!!真っ直ぐ漕げ!?」
健斗はポイントなどを言いながら、大きな声で麗奈に自転車の乗り方を教えて言った
次第に麗奈も元気を取り戻していった
「足は漕ぐだけでいいからっ!!バランスに集中しろっ?」
「わっ!うっ!やっ!」
麗奈は一生懸命バランスをとろうとしている。健斗も一生懸命になって支えようとした
それからどのくらいが経っただろう。健斗と麗奈は朝日が完全に昇るまで、ずっと自転車の練習をしていた
笑いながら、励ましながら、何度転んでも何度でもチャレンジした。
その時間が、とても大切に思えて、まるで永遠のように感じることさえもあった
そして麗奈は徐々にスピードに慣れていった。健斗も少しスピードを上げながら、大声で言った
「離すぞっ!!」
そう言って、健斗は静かに両手を自転車の後ろから離した……
するとだった……麗奈は蛇行運転ではなく、真っ直ぐとスピードをつけて漕いでいた
健斗はそれを見て、はしゃぐように喜んだ
「麗奈っ!!漕げてるぞっ!?ちゃんと漕げてるっ!!」
思わず健斗は名前で呼んでしまうほどの興奮と驚きだった。麗奈も驚きと興奮が隠せないでいて、すごく嬉しそうに笑顔であった
たった10秒くらい。10秒くらいだったが、確かにあのとき麗奈は自転車を真っ直ぐ漕いだのだった
「わっ!!」
不意にバランスを崩してしまって、麗奈は自転車と共に転んでしまった
健斗はすぐに麗奈のもとに駆け寄った
麗奈は頭を押さえながら痛がっていた
「大丈夫か?」
「いったぁ〜いっ!!でも乗れたよ!?ちゃんと見た!?」
健斗はそんな風に子供みたいにはしゃぐ麗奈を見て可笑しさが込み上げてきた
健斗は吹き出しながら笑った
「プッ!!アッハハハハハ!!」
「何で笑うの〜?」
麗奈も笑いながらそう言った。健斗は腹を抱えながら首を横に振った
「分かんねぇっ!!何かっ!!アハハハハハ……お前可笑しいんだもんっ!!アッハハハハハ!!」
「そんなことないよぉ〜♪アハハハハハ♪」
次第に麗奈もつられて笑いだした。
朝日に照らされながら、健斗と麗奈は声を出して笑いあっていた……
その帰り、健斗は麗奈を自転車の後ろに乗せて走って帰っていた
「ねぇ、健斗くん」
麗奈が後ろでご機嫌そうに言ってきた
「何だよ」
健斗が訊くと麗奈はにっこりと微笑んだ
「ありがとう。来てくれて……」
「……お前が外で騒いでるから目が覚めただけだよ」
と健斗は恥ずかしそうに言った
「でもありがとう♪」
麗奈はにっこりと微笑んだ。久しぶりに見た麗奈の本当の笑顔だった
「……お前さ、邪魔になりたくないとか荷物になりたくないとか言ったけどさ……」
健斗は照れながら前を向いて静かに言った
麗奈はゆっくりと頷いた
「うん」
「……荷物なっていいんだよ……つーかなれよ」
「え?」
健斗は大袈裟に声を出して言った
「もう俺はこの生活に適応しはじめてるんだから、今さら無理されたら困るっつてんだよ〜。バカなことしてないで、お前は黙って俺の後ろに乗ってればいいんだよ」
と健斗はそう照れ隠しにそう言った
随分と遠回りな言い方になってしまったが、麗奈はその意味に気づくとクスッと笑った
「素直じゃないなぁ〜?要するに、どんどん俺に頼れってことでしょ?」
「さぁな……」
すると麗奈はまた可笑しそうに笑った
「でもありがとう♪健斗くん」
「……うるせぇな、バァカ」
「もう本当に素直じゃないなぁ〜」
「別にっ!?つまりだな、俺がいないとお前は本当に何も出来ないんだからなっ!!俺という人間に感謝しろよなっ!!」
健斗の言葉を聞いて麗奈はしばらく黙り込んだあと、クスッと笑った
ゆっくりと自転車を漕ぎながら、健斗たちの声は静かな朝に溶け込んでいた……
このとき俺は感じてたんだ……俺はこの日、麗奈の本当の姿を見て、自分が麗奈に心を許し始めていること
俺らの距離は、少しづつだけど縮まってきていると……