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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

全ては銭のために

作者: S.U.Y

 子供の頃から、一貫して夢見ていた。家の手伝いをして、わずかな小遣い銭を貯めた。色々なものを買うと、銭は手許から消えていく。そうして得たものは、自分だけの物だった。

 大金持ちに、なりたいわけではない。自らの才覚で稼いだ銭を、遣いたかった。人には見えない価値を見出して、銭を生み出したい。そして、経済というものを自分の力で回したい。小貴族サザーラント家の一人娘、ベアトリスはそんな思考の持ち主だった。

 十五になり、成人した。親類縁者が持ち込んでくる縁談は、すべて断った。嫁ぎ先が同じようなレベルの貴族だったりしたのも理由の一つだったが、やはり旦那の家の銭を遣うというのは何か違和感があった。

 読み書きは、幼い時分から覚えていた。周りの友人たちは読み書きすらできない者も多いが、ベアトリスはひたすらに打ち込んでいた。

 女の身の限界を知ったのは、十六の歳を迎えてからだった。政治にしろ商売にしろ、大きなものは男が司っている。男でなければ、入り込めない世界だった。

 将来の見通しが立たず、苛立って毎日を過ごしていたベアトリスが出会ったのは、医学である。人が生き続ける限り、需要は無くならない。父親が少ない資産を病気療養で溶かし尽したことも、無関係ではなかった。商人への嫁入り話を持ち込んでくる両親を黙殺し、ベアトリスは神殿へ治療術を学びに行く毎日を過ごし始めた。

 もちろん、医学にも大きな壁はあった。医学書の大半は、神聖語で書かれている。一般社会に出回っていないその文字を覚えるには、神学を修める必要があった。もちろん、それを学べるのは男のみである。

 だが、ベアトリスは諦めなかった。父親の付き添いで神殿に行ったとき、老齢の神父が意味ありげな視線を送っていた。ベアトリスの身体はそれなりに発達していて、女としての魅力は充分に備えていた。

「神父さま……いけませんわ、このような所で……」

「恐れることはありませんよ、ベアトリス。さあ、神の御前にて、生まれたままの姿になるのです」

 胸元を大きく開き大胆に足を見せる服を調達し、見事神父を一本釣りに釣り上げた。ベッドの上でのあれやこれやの代わりに、ベアトリスは神聖語を少しずつ覚えることができた。

「ああ、神父さま、このようなこと、いけませんわ。罪深い……」

「大丈夫。神は、すべての罪をお許しになりますよ、ベアトリス……おお……」

 何が大丈夫だ、とはもちろん言わない。神父の部屋にある医学書を読み漁り、ついにはすべてを暗記するまでに至った。

 ベアトリスが十八歳になったとき、神父は他界した。身寄りの無かった神父は、神殿の医療業務のすべてをベアトリスに託した。歳の離れた愛人を溺愛していたということもあったが、ベアトリス以上に優秀な医学の徒がいなかったということもある。ともかく、ベアトリスは身体ひとつで神殿の施療院を手に入れたのだった。


「先生、腰のあたりが、ひどく痛むのですが……」

 やってきたのは、肥った貴族の男だった。ベアトリスはまず、患者の身なりと立ち居振る舞いを観察する。確認することは、ただひとつ。カネになるかどうか、それだけだ。

「マロニー卿、神はあなたの飽食を、咎めておられるのです」

 もっともらしいことを言ってから、患者の服を脱がせて寝かせる。腰のあたりに血行促進の薬を塗り、念入りにマッサージを施した。

「飽食の罪を償う意思があるのならば、神への喜捨を怠ってはなりませんよ」

 治療が終わるころには、マロニー卿の腰と財布のひもは羽のように軽くなっていた。

「神への感謝と、そして節制の心をお忘れなく」

 大量の治療費にニコニコ笑顔を浮かべ、ベアトリスはマロニー卿を見送った。彼の腰痛は慢性のものであり、これからも頻繁に訪れることになる。

「もちろんです、先生。先代の爺さんの治療よりも、腰が楽になりましたぞ」

 ほっほっほ、と上機嫌でマロニー卿は去っていった。

「先生……馬に轢かれて、重体の患者さんが」

 助手の男、ダグラスが駆け込んできた。施療院で先代の一番弟子だった男だ。

「……施術室へ、連れてきなさい」

 あまりよくない予感を、ベアトリスは抱いた。やがて運び込まれてくる患者をみて、それは確信に変わる。やせ衰えた患者の男は、カネにならない。明らかに、明日食べるパンにも困っている風情だ。

「……ダグラス」

「はい」

「この患者は、私が施術します。あなたは外へ出て、この患者を轢いた者を連れて来るのです」

「は、はぁ……しかし、先生。野生の暴れ馬という可能性も」

「こんな町中に野生の馬がいますか。必要とあらば、神殿の兵を連れて行っても構いません」

 釈然としない様子のダグラスを追い出して、ベアトリスは患者に向き直る。あばら骨と手足に、打撲の跡がある。もしかすると、骨折しているかもしれない。

「まったく、冗談じゃないわね……」

 添え木と包帯で、患部を固定する。熱さましと痛み止めには、一番安いものを使用した。素早く治療を終えると、ベアトリスは患者の男の全身を調べた。

「せ、先生……俺は、死ぬのですか……?」

 掠れた声で、男が言った。

「これくらいじゃ、死なないようにできてるのよ、人間の身体は。あなた、職業は?」

「へえ、橋の下でその日暮らしをしております」

 患者の男を見下ろして、ベアトリスは思い切り顔をしかめた。

「そう。家族はいるの?」

「物心ついたときには、一人でした」

 ベアトリスは、爪を噛んだ。どうあがいても、すぐにカネにすることはできそうにもない。しばらく考え、男にもう一度話しかけた。

「……あなた、ここで働く気はある?」

「へえ。身体が、動くようになりましたら。俺には、高い治療費なんぞ払えませんから、身体で返させてもらえれば」

「読み書きも覚えてもらうわよ」

「へえ、先生のおっしゃるとおりに、いたします」

「商談成立ね。あなたの身柄は、私が買い取ります」

 ベアトリスがうなずいたとき、ドタドタと施術室にダグラスが駆け込んできた。

「先生! 轢いた相手を、連れてきました!」

「そう。ちょうど良かった。ここへ連れてきなさい」

 ほどなく、派手に着飾った青年貴族がやってきた。

「これはこれは、サザーラント家のお嬢さん、このような場所で会うとは奇遇ですね」

 芝居っ気たっぷりに、青年貴族は一礼する。だが、その口調には嘲りのいろがあった。

「誰かと思えば、ロンダー家の若君でしたか。まずいことをしでかしてくれたものですね」

 青年貴族の挑発的な態度には応じず、ベアトリスは深刻な顔で言う。

「まずいこと? 道端にいた邪魔な乞食を、馬で跳ね飛ばしたくらいのことでしょう」

 青年貴族は笑みを浮かべ、余裕の態度である。せいぜい中流貴族でしかないロンダー家だったが、それでも貴族の力は絶大なものがある。青年貴族の余裕も、当然といえた。

「この者が乞食であれば、です、若君」

 ベアトリスは顔を崩さず、言った。ほう、と患者の男を一見して、青年貴族は鼻で笑う。

「どこからどうみても、乞食ではないですか」

「そう見えなければ、いけないのです。彼の仕事柄からいえば」

「と、申しますと?」

 食いついた。内心に笑みを浮かべながら、ベアトリスは深刻な顔のまま続ける。

「彼は神殿の関係者です。これ以上知れば、あまり良くないことが若君の御家に降りかかりますが、知りたいですか?」

 びくり、と青年貴族の身体が震えた。

「う、ウソだ! こいつは、いつも橋の下で暮らしている、単なる物乞いだ!」

「本当にそうであれば、私は彼に治療を施したりしません。私のことは、ご存じでしょう?」

 う、と青年貴族は咽喉につまった声をあげた。

「た、確かに……お前は近所でも評判の銭ゲバ……ゴホン、こいつが、いや彼が、神殿の機密に属するという話は、確かなんだろうな?」

 問いかける青年貴族に、ベアトリスはにっこりと微笑んでみせた。

「知りたいですか?」

「い、いや結構! 彼の治療費は、我が家門で用立てよう! だから、この一件は内密に……」

 首を横へ勢いよく振り、青年貴族は引きつった笑みで言った。

「お高くつきますよ? なにしろ、肋骨と手足、折れてましたもの」

「……ええい、構わぬ! そのかわり、秘密が漏れた際には覚悟をしておけ、この売女めが!」

 捨て台詞を残し、青年貴族は部屋を出て行った。

「くくく、あの高慢ちきなご近所さんから、尻の毛までむしり取ってやるわよ……」

 不敵な表情で、ベアトリスは呟いた。

「先生……俺は、なんだか怖くなってきました」

 施療寝台の上で、患者の男が声を震わせる。

「安心なさい。本気で脅しておいたから、そうそう下手な探りは入れてこないわ。あなたは身体を治して、この施療院のために骨の髄まで尽くせばいいのよ」

「……俺が怖いのは、先生です」

 震える患者の男の肩を、ダグラスが慰めるように叩いた。

「先生の味方でいるうちは、恐れることはなにもないぞ」

「……あんたも、先生に、何か弱みを?」

「……聞かないでくれると、ありがたい」

 ダグラスと男は見つめあい、うなずきを交わした。

「ダグラス、何を油売っているの? さっさと仕事に戻りなさい」

 ベアトリスの、鋭い声が飛んだ。

「し、しかし先生、これから私は、神への祈りを捧げねば……」

 出て行こうとするダグラスの肩を、ベアトリスががしりと掴む。

「それって、お金になるのかしら?」

 にっこりと笑うベアトリスに、ダグラスは深々と息を吐いた。

「毎日欠かさず、礼拝していたのです。先生が施療院を継ぐまでは」

「ならそれまで、あなたは損益を出していたのね、ダグラス。でも大丈夫。これからは、お金儲けができるわよ。あなたの大好きな、酒場の踊り子の……」

「せ、先生! わたくしダグラスは、いま、勤労意欲に燃えています! 次の患者を、お連れしてよろしいでしょうか!」

 もちろん、と答えてベアトリスはダグラスを解放した。

「さあ、まだ日は高いわ。どんどん稼ぐわよ!」

 ベアトリスの気合の声が、施療院にこだましていった。

ここまで読んでくださり、感謝いたします。明るく楽しい、銭ゲバのお話でした。

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