王子との再会
予定通り、一週間後に私は光ノ宮高校に入学した。新しい制服も校舎も淡々と受け入れ、何も期待せずに粛々と毎日を過ごそうと思っていた私だったけれど。意外にも、初日から気の合う友達が出来ていた。彼女の名は、花房美和。わりと席が近くて、お互いに必要以上に群れたりしない方だったから何となく仲良くなった。
お昼休みになると、席から立ち上がる気の無い私のところへお弁当を持った美和がやって来る。
「今の先生、眠かった……」
「声が柔らかすぎて、起きられないよねー」
たははは、と笑う美和はしかし、さらに残念なことを口にする。
「次、体育だよー」
「うわあ、ダルッ」
私が率直な感想を述べると、美和は笑いながら同意した。
「何やるんだっけ?」
「今日は、バスケのはず……」
「……それはそれは」
授業に入っているならば、さすがに避けようがない。私はどんよりしながら、卵焼きをつついた。
「でももしかしたら、王子が見に来てるかもよ?」
「……王子?」
思わず聞き返した私に、美和は逆に知らないのと驚きつつ解説してくれた。
王子と言うのは、三年生の森山大地のあだ名らしい。実家がリアル金持ちで、しかも少女漫画に出て来そうなイケメンだという学校きってのモテ男。ついでに、バスケ部のキャプテンを務めるぐらい運動神経も良いらしい。
「……何でそのキャプテンがわざわざ体育の授業に?」
私は春大会で見た、4番を思い出しながら聞いた。
「ほら。 うちのバスケ部って、新歓あんまりやってないし、王子の気に入った人しか入れないじゃん。 毎年志望者は多いけど、皆入部を断られるから結局入る人少なくて……」
「……王子自ら、一年生をスカウトに来るってこと?」
その通り、と機嫌良く言う美和に私は頭を抱えた。美和はさらっと流したが、キャプテンの気に入った人しか入れないバスケ部なんて考えられない。もしかして、性格も王子並みに我が儘なんだろうか。
――まあどっちみち、私には関係無い話だけどね……。
溜め息を吐く私を他所に、美和は相変わらずの笑顔で言った。
「バスケやってみたいし、楽しみ!」
「あー……そう?」
千夏全く興味無さそうだねーと言って、美和はそういえばと話を変えた。
「クラブ、どっか考えてるの?」
「別に……」
気の無い返事に、美和はふーんと言った。ここで一緒に見学行こうよ、と言って来ない辺りが気楽だった。
「……ていうか、そろそろ行かなきゃ」
「――え、もう!?」
いつもの様に下らないことを喋っていれば、時間はあっという間に過ぎていく。ジャージに着替え、体育館に行ったのは集合時間ギリギリ。私たちは体育座りで、草刈先生という女の先生の話を聞いていた。そしてその横には、当然の様にイケメンが立っているではないか。
「……あれが王子?」
「そうそう!」
「てか、この時間授業は……?」
「王子三年生だから、選択で空き時間あるんだって!」
姉が王子と同じ三年生にいるという美和に聞けば、大体のことは分かる。私は勉強しろよーと思いながら、こっそり王子を見た。それはやはり、春大会で会ったあの4番だった。
――楽しそう。
ふいに思い出した言葉を首を振って打ち消し、私は皆の動きに合わせて立ち上がった。広めの体育館には、二つ分のコートを取るスペースが十分ある。幸運にも美和と同じチームになれた私は、形だけの円陣を組んだ。
「頑張るぞ!」
「おー!」
「……おー」
仕方なしに回りと一緒に声を上げた後、私たちは各々が思うが儘に散らばった。
――半年以上ぶり……か。
頭を一つ下げてからコートの中に踏み入れた私に、早速後ろから声が掛かる。
「浪速さん、ジャンプボールやってよ」
「えー」
「背、一番高いじゃん」
クラスで中心的ポジションにいる子に言われ、端っこに避難しようとしていた私は渋々コートの中央に移動する。トスを上げてくれるのは、草刈先生だ。ちなみに向こうのコートでは、王子がトスを上げていた。
「じゃあ行くよ!」
「はーい」
「はーい」
……久しぶりに叩いたボールは、固かった。落ちたボールに皆が群がる中、私だけは隣のコートの様子を確認していた。
――王子は、まだあっちか。
……とそこへ、ボールを持った美和からパスが来た。
「千夏、パス!」
「うん!?」
力任せのパスを反射的にキャッチし、私はすぐ味方にパスを送る。怒涛の様に過ぎ去って行く集団を一歩下がって見送りながら、私はふっと肩の力を抜いた。
――……初心者って感じだなあ。
当たり前といえば当たり前だけど、皆が一つのボールに向かって行っている。ポジションも作戦も無い、子供みたいなバスケ。しかしどの人もこの人も、よくもあそこまでボールを追いかけられるものだと逆に感心する。
――特に美和、凄いな……。
元陸上部だという彼女は、ボールに真っ直ぐにぶつかりに行っている様だ。足が速いし運動神経も良さそうだから、練習さえすればすぐ上手くなりそうなのだが。
「それにしても気合い入り過ぎの様な……」
「そりゃあ、今日は森山が来てるもの」
「え?」
つい口に出てしまった心の声に思いがけず返事が来て、私はぎょっとして後ろを見た。そこにいたのは誰であろう、コートぎりぎりに立っていた草刈先生だった。
「森山が来ると、皆普段の倍ぐらいは良い動きをするもの。 そうでなきゃ、見学なんて許可する訳無いでしょ」
先生はそう言って笑うと、ほら、サボってないであなたも参加しなさいと注意した。
「は、はい……」
先生の近所のおばさんみたいな雰囲気に呑まれながら、私は仕方なくその場から移動した。そこへたまたま、反則ぎりぎりのドリブルをしながら相手チームの子が近づいてくる。
「浪速さん、止めてー!」
――……止めてって、それ、バスケじゃないじゃん。
心の中で突っ込みを入れつつ、私は姿勢を低くして相手を待ち構えた。
――えっと……。
隙だらけで、どっからでも奪って下さいどうぞというドリブルに私は逆に迷った。
――一応経験者の私が、手出しして良いのかな……。
しかし仲間からの悲鳴に近い声援で、私は動かないわけにはいかなくなった。心なし私を避けた様にも見えるボールは、一歩詰めれば簡単に私の手の中に入った。手の平に吸い付いてくる様な感覚を楽しみながら、私は二、三回ドリブルしてゴール下に侵入し――。
適当に、仲間にパスを出した。
「勿体無い! 今の、シュートしてたら絶対入ってただろ!」
――!
私の耳は、聞こえるはずの無い低い声を捕えた。
――後ろに、いる……!
カッと頭に血が上り、私はびくっと肩を震わせる。その声の主は、どこか怒ったかの様に言った。
「初心者ばかりだからって、手抜くなよ」
「……」
恐る恐る振り返った先には、すでに誰もいなかった。私は慌てて回りをきょろきょろ見渡したが、王子の姿はすでにどこにも無く。狐につままれた気分になりながらも、私は大して活躍もしないまま授業を終えた。
×××
「結局、王子は誰か誘ったのかなー」
「さー」
無事に放課後を迎え、私と美和は連れだって帰る途中だった。今日はこれから、駅前のクレープでも食べに行こうかという所。家が近い私に取っては遠回りになるが、今回ばかりは糖分を取りたい欲が勝っていた。
「でもさ、王子イケメンだったでしょ!?」
「……まあ、万人受けしそうな顔だね」
「えっ、酷―!」
軽口を叩いていた美和だったが、先に廊下の曲がり角に踏み入れた途端、何故か硬直してその場に立ち止まった。
「きゃっ」
「えっ何……?」
そんな美和の反応が面白くて、笑いながら彼女に続いた私は、同じ様に固まってしまった。
全身から放たれる、眩いまでのオーラ。少女漫画の様に、エフェクト付きの爽やかな笑顔。何をしても嫌味にならなさそうなその人が、そこに立っていた。
「おー……森山先輩?」
思わず半信半疑で聞く、美和。彼は満面の笑顔のまま、私たちに言った。
「丁度、教室に行こうと思ってたんだ。 良かったよ、帰る前で」
先程背中で聞いた声が、目の前から降ってくる。
――やっぱり、王子だったんだ……!
今さら茫然とする私に、その整った唇はさらりと言葉を紡いだ。
「君、バスケ部入らない?」
×××
「へー、花房さんって言うんだ。 もしかして、花房美里の……?」
「そうです! 妹です!」
――どうして、こうなったんだろ……。
私は、にこやかに話す美和と王子を横目で見ながらまだ現実を受け入れられずにいた。廊下でばったり出会った王子にバスケ部に勧誘され、すぐに断ろうと思ったのに何故か一緒にクレープを食べに行くことになって。
楽しみにしていたはずの苺のそれをもそもそと咀嚼しながら、私は深い深い溜息を吐いた。
「花房さんって呼ぶと、花房姉と被るな……」
「じゃあ、あの、美和の方でお願いします!」
――積極的だな、美和……。
そんなことを思いながら彼女を見ると、何故か王子と目が合った。
「あの、何か……?」
「君、浪速千夏だよね?」
「は、はあ……」
何故か私の名前を知っていた王子は、うんうんと勝手に納得すると言った。
「バスケ、やらない?」
「お断りします」
被せる様に言った私に、形の良い眉毛を器用に片方だけあげる王子。失礼かとは思ったが、急に冷静さを失った私は矢継ぎ早に質問した。
「何で、私のこと知ってるんですか……? 何で、私のこと誘うんですか? 何で、私なんですか……!?」
混乱している私をじっと見つめた後、王子はゆっくり口を開いた。
「今日の授業の時、コート入る前にお辞儀してただろ? だからバスケ経験者だと思って注意して見てた。 名前は、ジャージ見たから知ってるだけ。 ……プレー自体は特に何も思わなかったけど、ボール持った瞬間楽しそうに見えたから誘った」
淡々と述べていく王子に、私は今度こそ固まった。
――楽しそう? 私が……?
「えっ! 千夏、バスケ経験者なの!?」
美和がはしゃいだ声をあげたが、血が上った私はそれに応える余裕など無かった。ガタン、と音を立てて立ちあがると私は震える声で言った。
「……楽しくなんて、無いです」
「ん?」
クレープを頬張っている王子に、私は半ばやけくその様に怒鳴った。
「バスケなんて、楽しくないんです!」
しーんとなる、店内。いたたまれなくなって、私は失礼しますと叫んで回れ右をした。驚いている美和も王子も全部無視して、私は外に出る。
――こんなのばっか、私。
わざと自嘲気味に笑うものの、涙腺は結界寸前だった。誰にも顔を見られない様に俯きながら、私は慣れた街を逃げる様に走って帰ったのだった。