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泡になる  作者: ren
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運命の出会い

 まだ少し肌寒い三月の風が、蕾を付けた桜の枝を揺らしながら街中を通り過ぎて行く。部活も宿題も無い貴重な春休みは、思いの外ゆったりと流れていく様で。私は今日も今日とて、昼まで布団と仲良くしているはずだった。


 しかしながら今現在、私は蒸し暑い体育館の片隅でへたり込んでいる。床すれすれに設けられた、格子付きの窓が何とも恨めしい。


千夏(ちなつ)! ほら、スポドリ買って来たよ」


「……ありがとう」


 嫌な汗をびっしょりかいている私に声を掛けて来たのは、先日まで同級生だった朱里(あかり)だ。目の前に差し出された半透明の液体を受け取り、私はようやくふらふらと立ち上がる。久しぶりに飲んだそれは、記憶していたよりも美味しかった。


「――こふっ」


 一気に口に流し込んだため、少しむせてしまった私の横で。朱里は腕時計をちらちら見ながら、苛ついた様に言った。


「……そろそろ戻ろうよ」


「あ、うん。 始まっちゃうしね」


 私の返事を聞くや否や、こちらを見ることも無く速足で歩き始める朱里。


 ――そんなに観たいなら、一人で来れば良いのに……。


 朱里の背中を見てそんな思いが込み上げるが、そもそも誘いを断り切れなかったのが問題なわけで。結局何も言えないまま、私は彼女に付いて行く。


 幸い、スポドリのお蔭で先程までのダルさは急速に退いていた。白い階段を上り、私たちが二階の観客席に着いた直後に試合は再開された。


 見下ろしているコートの中心に現れた、長身の男達。審判の合図で、たちまち始まる激しい戦い。ボールが跳ねる低い音と、シューズが軋む高い音が織りなす不協和音が私の耳に響いた。


「シュート決めろぉ!!」


「リバウンド、リバウンド! 空いてるとこ回れ!!」


 まだ半分試合時間が残っているというのに、張り上げすぎた声は早くも枯れ始めていた。私たちが観に来ているのは、高校男子バスケットボール春大会決勝。夏の本大会に比べれば小規模とはいえ、観に来ている人も多く熱気が満ち溢れている。その中には、自分が入学する高校のバスケ部を観に来ている中学生も多数交っていることだろう。


 ――……まあ、男子の試合なんて見ても意味ないけど。


 私はボールの行方を目で追って一喜一憂している朱里を眺めながら、心の中でぼそっと呟いた。一応私たちが応援に来ているのは、朱里が一週間後に入学する磯ヶ岡高校のチームだった。女子の試合ならまだしも、彼女がわざわざ私を引っ張り出してまでここに来た理由――。それはきっと、磯ヶ岡の男子キャプテンが朱里のタイプだからだろう。


 私はどうにもチャラそうなその人をちらっと見て、こっそり溜め息を吐いた。


 ――どっちが勝っても良いから、早く終わってくれないかな……。


 残念ながらこの試合にも、その先輩にも全く興味が無い私は欠伸を噛み殺しながらそう思った。無駄であると知りつつも手で扇いだ風は、やはり生暖かくて。汗でじっとり湿ったマキシ丈のスカートが太ももに貼りつき、不快感を増長していた。


「――ああっ!」


 突然声を上げた朱里にびくっとしながら視線をコートに戻すと、今まさに一本のシュートが放たれたところだった。


 ――あー……入るわ。


 綺麗な放物線を描くそのボールは、急に静まり返ったコートの中で小さな音を立ててゴールに吸い込まれた。


 ――……。


 しかしその結果に大袈裟に反応しているのは、観客だけ。こちらの反応など気にも留めず、男達はすぐさま騒々しく走り始めるのだ。


「あーあ、また差が開いちゃった」


 朱里は心底残念という表情を浮かべながら、私に呻いた。


「ねえ、千夏。 どうにかならないのかなこの試合!?」


「……まだ2クォーター残ってるし、こっからだよ」


 私は心の声をごくりと飲みこんで、当たり障りのない返答をした。3年も一緒にいれば、朱里の対処方法ぐらい身についている。


 ――……帰りたい。


 今度は深い溜息を吐きつつ、私はコートに視線を泳がせた。嫌でも目に入ってくる、肩幅の広い背中や、ふくらはぎの分厚い筋肉。


 ――要らなくなった、物……。


 そっと掴んだ自分の腕は、比べようも無いぐらい細くなっていた。


 再びコートから外れた視線は、観客席の最前列に陣取っているジャージ姿の集団で止まる。彼女達はきっと、磯ヶ岡の女子バスケ部の人達だ。


 ――つまりは元、先輩候補……ってことかな。


「――ちょっと、人の話聞いてる!?」


「な、何が?」


 気を抜いていた私は、突然朱里の腕を掴まれ我に返った。


「だ、か、ら! 光ノ宮高校って、こんなに強かったっけ!?」


「さ、さあ……」


「さあって何よ! 千夏の高校でしょ!?」


 前を向いたまま咬みついてくる朱里に、私は薄くなり始めた記憶を辿りつつ答えた。


「初戦か二回戦負けのイメージしか無いかな……」


「だよね、だよね。 だって公立だし……。 で、何なのよあの4番!?」


 朱里が喚きながら指差すのは、先程から立て続けに華麗なシュートを決めている相手チームの選手だ。すらりとした長身と、ユニフォームからはみ出すがっしりした筋肉。道ですれ違えば、十中八九バスケしていると分かる理想的な体型だ。……ついでに、誰がどう見ても頷く程にイケメンだ。


「何よあの、ナルシストな感じ……。 本当最悪! 絶対嫌な奴!」


「……」


 それを朱里が無理やりからに貶そうとするから、つられて私もその選手を目で追ってしまった。


 ――楽しそう……。


 ――って……!?


 無意識にこぼれ出た心の声はしかし、私を激しく動揺させていた。幸い朱里は試合に夢中で、狼狽えていることには気づかれていない様だ。


 ――バスケが楽しいなんて、そんなこと……ありえない。


 光ノ宮にとって、これは決して楽な試合運びでは無いはずだ。いくら4番がシュートを連続で決めているとはいえ、磯ヶ岡もやられっぱなしではない。むしろ点と点を稼ぎ合う、デッドヒートだった。……それなのにあの4番は、今この瞬間が楽しくて仕方ないといった無邪気な笑みを絶やさずにプレーしているのだ。


 ――あれは、きっと……そういう顔。 笑って見える顔。 


 私がそうだそうだと自分で頷いている中、その4番がまたシュートの構えに入った。


「お願い、外して!」


 朱里は祈る様に目を閉じていたが、私にはボールが放たれた瞬間に結果が見えていた。


 ――ナイシュー……!


 4番のガッツポーズと、試合終了のホイッスルが重なった。光ノ宮高校の、勝利だ。


 ――……。


 何となく目が離せなくなって、私は味方選手にもみくちゃにされている4番の背中を見ていた。すると急に振り返った際、私と目が合った気がした。


 ――!


 零れんばかりの笑顔が、私の網膜を一瞬で貫く。


 ――落ち着いて。 大丈夫、大丈夫。


 太陽を直接見てしまった時の様に、私はぎゅっと目を瞑った。こめかみでうるさい程に音を立てる脈を感じつつ、ゆっくりと息を吐く。暗闇の中で、ちかちか光る何かがゆっくりと治まって行く……。


――大丈夫――。


「ねえ。 あれって、浪速(なみはや)千夏じゃない?」


「嘘―! 結局磯ヶ岡に入るの!?」


 誰かが自分を噂しているのを聞いて、私はうっすらと目を開けた。


「怪我したって聞いたけど、やっぱ復帰してたんだね」


「わーお。 流石って感じー!」


 ――違う、そんなんじゃない。 私は――。


 噂話は、他人事であるだけに残酷だ。誰だか知らないその声は、正確に私の心臓を抉って行った。


 ――やっぱり、来るんじゃなかった。


 一刻も早くここを離れたくて、私はまだ呆然としている朱里をつついた。


「帰ろ、朱里」


「えー! せっかくだから、先輩に挨拶しよっかなーと……」


 ――出た、優柔不断モード……。


「じゃあ私、先に帰るね」


 今回ばかりは、私も譲る訳にはいかなかった。さっさと帰る準備をする私に、慌てた様に朱里が言った。


「待って千夏! やっぱり私も帰る!」


 思った通り……。どうせ朱里には、一人で知らない人達の間に入って行く度胸なんて無い。それどころか誰か一緒に行く人がいなければ、こうして試合を観ることさえ出来ないのだ。


 ――だからって、何で私なのよ……。


 鞄をぎゅっと握りしめ、逃げる様にして体育館を後にする。嫌な汗は外に出てもなお、後から後から流れ出てきた。


 ――もう二度と、関わらないって決めてたのに。


 まだぶつぶつ言っている朱里の横を歩きながら、私はぎゅっと拳を握った。


 ――バスケも、朱里も、私も、全部……嫌い!!


 八つ当たりの様に睨んだアスファルトからは、何の返事も無かった。


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