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コミケと文化について考える

作者: 日比野庵

漫画やアニメが日本に広まってから随分になる。いまやドラえもんやポケモンは世界中で受け入れられ、日本のポップカルチャーの代表作にまでなった。


 商業誌だけでなく、アマチュア誌の祭典であるコミケも盛ん。


 プロとアマの差とは何に現れるのだろうか。


 一義的にはその作品が商売になること。そのための必要条件として、作品のレベルが一定水準以上あること。


 商売になるということは、有る程度売れることが条件になるから、市場に受け入れられるものでなくちゃならない。そのためには一定数以上の人に買ってもらえるものでないといけないし、読むに耐える最低限のレベルは必要になる。


 だからプロの作品には一定以上の水準があるものの、内容も当たり障りのないものになりがち。ぶっとんだものはなかなか世に出せない。たとえ作者が出したいと思っていても。


 これがアマチュアの世界になると結構自由。オタク的になるに従って、興味範囲の指向性がどんどん高くなって、専門性も高くなる。だんだん周りは付いていけなくなるけれど、商売関係なしだから、ネタの豊富さや深さ、発想のバラエティさなどは制約されない。その代わり広く世には普及しにくい。


 だけど、読むに耐える最低限のレベルっていうのも結構重要な要素。これがどこまであるかで市場にだせるかどうかの指標になる。


 島本和彦の漫画で、世の映画がつまらなかったから、アマチュア映画祭の応援団長を引き受けて、延々とアマ映画を見た挙句、プロの良さを再認識するという話があった。


 作中の漫画家、炎尾燃の台詞が印象深い。


「ああ・・・いいなあ・・・内容なんて・・・なくても、全然OKだ。きちんとした構図で・・・きちんとしたタイミングで・・・きちんと声が聞こえて・・・きちんとピントがあってるだけでこんなに癒やされるなんて、びっくりだ!!」


 島本和彦の言葉を借りれば、ちゃんとしてるということは、それだけでありがとうということなのだ。


 ◇◇◇


 世にだせる為の壁というか最低水準というものは確かにあるのだけれど、この水準は、市場動向や対象市場でいくらでも変動するもの。


 もし、プロ作家にパトロンがいて、何でも好きなものを描いても世に広く送り出せるとしたら、どんな作品をだすのだろうかと考えると、倫理上の問題を別とすれば、多分描きたいものを描くだろう。


 制約がないから、好きなことができる、発想の次元ではプロとアマの垣根がなくなる。


 アマの最大の利点は、自由なこと。いくらでも基本パタンを外してしまえる。プロは最低限の基本は外さないし、外せない。読者を意識しないといけないから。


 昔、料理の鉄人という番組があったけれど、鉄人道場六三郎が素人と対決した後、いつもこんなコメントを残していたことを覚えている。


「プロなら相手が何をやってくるか大体判りますが、素人さんは何をやってくるか判らないですからね。。」


 基本は守るプロと、簡単に基本を外せる自由を持つアマの違いをこのコメントは端的に示してる。


 だけど、いくら基本でも延々と繰り返したり、知れ渡ったりすれば、やがて飽きられるもの。


 準主役とか脇役キャラが唐突に主役に絡んで、昔話をしたりするシーンとか。死亡フラグキター(゜∀゜)!!、なんて掲示板に書き込まれたり。


 新しいパタンはアマチュアから起こる可能性が高いし、起こっているから、まったくないと後々困ることになる。


 イメージとしては、アマチュアの土壌にプロの作物が育つ感じ。アマチュア同人誌からスタートして、プロデビューを果たした作家は沢山いる。アマの土壌がプロの作物を育てている面があることは否定できない。



 ◇◇◇



 コミックマーケット、通称コミケは、夏と冬の年2回行われる日本最大規模の同人誌即売会。昔は晴海でやっていたんだけど、規模が大きくなりすぎて人員収容の問題が出てきて、今は有明の東京ビックサイトで行われている。


 コミケの参加者は自分で作った作品を売ったりもするけれど、お目当てのブースでお気に入りの作品を手にいれる楽しみもある。互いに売ったり、買ったり。交流の場。


 開催期間は全国から物凄く人があつまる。のべにして、40万人から多い時では50万人を超えるという。


 ここまで集まると当然経済効果が生まれてくる、下手な花火大会なんかより全然凄い。


 1994年におきた幕張コミケ追放事件では、大量のキャンセルを出した影響で、周辺の宿泊施設や飲食店に甚大な被害がでたという。


 同人誌市場であっても規模が拡大すると、描きたいものを描いてもそれを喜んでくれる人が出てくる。商売を抜きにした、一種の特殊市場が成立してくる。


 プロもそこに顔をだし、自分が本当に書きたいものを描いてくるようになる。昔はコミケで名を売って、出版社の目にとまりプロデビューという流れがあったけれど、今は逆にプロが同人誌を出す逆の流れもあるという。「プロ同人作家」という言葉もあるくらいだ。


 こういう市場では、金とか利益とかなんて、もはや二義的なもの。自分が描きたいものを描いて、それを喜ぶ人がいて。喜ぶ側の人もその作品に触発されて自分で同人誌を出すようになったりする。創作活動と購買活動が連鎖的かつ双方向的になっている。能動的購買活動になってゆく。


 能動的購買活動は自分が購買者であると同時に、発信者として相手に何らかの影響をあたえる。ファンから次回作を期待される、頑張る、また喜ばれる、そんな循環。布施の商品の市場。


 コミケはそんなニーズから発生した必然の場なのかもしれない。


 だけど、作品が世の中に受け入れられるに従って、作品は個人のものから、社会のものへ、ひいては国や世界全体の共有財産になってゆくもの。


 一定以上のレベルの作品になると当然市場が発生するわけだから、商売が絡んでくる。どんなに素晴らしい作品でも個人だけでは世の中に普及させるのはとても時間がかかる。


 今のように時代の流れが早い社会だと、すぐに埋もれてしまって流されてしまう。やがて再評価される場合だってあるけれど、忘れられてしまう可能性のほうがうんとある。その意味で、商業主義はまったくの悪だというわけじゃない。


 儲かりそうだから、広く売って利益をあげるものと、世の中の共有財産だから広く世の中にいきわたってゆくものとは、分けて考えるべき。


 つきつめていくと、芸術や文化って誰のものか、という問い。


 他国にも影響を与えるほどの文化や芸術作品は、国家戦略兵器として使える、と考える人はソフトパワー論に従って戦略的に使おうとする。作家本人の意図に関わらず。


 つまり、昔から言われていることだけど、とどのつまり、芸術は何に奉仕するのかという命題に突き当たる。



 ◇◇◇



 作家本人は、自分が表現したいものを描きたい。だけど作品を売って、食べていかなくちゃならないから、出版社の意向に沿うようになるのは仕方がないこと。出版方針には逆らえないし、編集者のいうことも聞かなくちゃいけない時もある。それが嫌ならパトロンを見つけるか、別のバイトをして食いつなぐしかない。


 だけど、本人の意図を超えて、作品が世界に広がるときがある。そこまでいくと作品は本人の手を離れ、世界に奉仕する芸術になる。


 多分それは、芸術を知らない人にも芸術と判るほどの芸術。天才はその分野に精通するしないに関わらず、それと分かるもの。


 サッカーで、元日本代表の名波氏とコンサドーレ札幌の小野伸二選手を比較して述べた有名な言葉がある。


「名波のプレーを見ると、少しでもサッカーを知っている人間なら彼が天才だと分かるんだよ。でもな、伸二のプレーを見るとサッカーを知らない人間でも彼が天才だと分かるんだよ。」


 普通、芸術作品を世にだすとき、その作品の対象とする市場は芸術の分野。でも天才はその領域を超えて芸術以外にも影響を与えていく。


 文化芸術そのものには意図はなく、理解され、受け入れられるときには自然に受けいれられる。


 スタートには、プロもアマもない。それにただ、商売が絡んだときからプロとアマの区別が始まる。


 プロは有る程度市場に受け入れられなくてはならないから、あんまりマニアックなのは作れない。アマはそんな制約はないから、自由な表現が可能。その表現の土壌がプロを支え、新しい発想を生む。


 プロにしろアマにしろ、本人の手を離れてしまう程の作品をどれだけ生み出せるか、そしてその総体が国の文化力なのだと思う。


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