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悪夢のチョコレート

作者: じゅぴた

今年の春に書いた小説です。季節外れのバレンタインのお話ですが、楽しんで頂けたら、幸いです。

「山葵高校から転校して来ました、岡崎美月です。どうぞ宜しくお願いします」

 まるでモデルの様に整った顔立ち、大福の様な白い肌、腰まであろうかという長い髪は毛先でカールしていて可愛い。紅潮した頬でにっこりと笑う彼女は何とも魅力的だ。加えて季節外れの転校生。話題性は十二分にあると思う。そして何と言ってもその顔は俺たち手品部なら誰もが見知った顔だった。


 時は二月も半ばに差し掛かろうとしている頃、後数日でバレンタインデーだ。我がクラスは他のクラスよりも団結力があって、男女仲も良い。女子はどの男の子にチョコをあげるか相談し合い、男子は今からお金を貯めてクラスの女子にホワイトデーのお返しをしようと計画していた。間近に迫るバレンタインに皆浮き足立っていのだ。俺もその一人だった。そこに隣の県からの転校生がやって来たのだ。当然皆、騒ぐ。それは廃部寸前の手品部の部員も例外ではなかった。むしろ希望の光に見えていた。

「どうする?弘樹。あいつ、絶対あの天才マジシャン岡崎壮一郎(イケメン)の血縁者だと思うんだ」

 休み時間に隣のクラスの久保田晴之(手品部員)が話しかけて来る。流石に転校生の噂は広まるのが速い。今も、岡崎さんの周りには後ろ姿すら見えない程のクラスメイトが集まっている。

「確かにな。顔も良く似ていたぞ。あれは、凄かった。双子を疑ったよ」

 実は、俺はさっきの自己紹介の時に、鞄の中に隠してあった雑誌「月刊マジック」の表紙と彼女を見比べていたのだ。

「俺らの心の師である岡崎壮一郎の娘なら、きっと手品も上手いはずだろ。なあ、手品部に誘ってみないか?」

久保田は俺の顔を見つめて首を傾げた。

「でもなぁ……お前は他のクラスだから良いけど、俺は失敗出来ないんだぞ。もう少し考えさせてくれよ」

俺は腰を曲げて考える人のポーズを取る。

「とにかく誘ってみようぜ! 本当に岡崎先生の娘だったら大収穫だ。カイロスの前髪を掴むなら今しかないぞ」

中庭に面した窓枠からひょいと顔を出して部長は言った。先輩方は今、模試の最中のはずですが?

「俺も協力するからさ」

窓枠からもう一人が顔を出す。慣れてはいたはずだが、その余りにもそっくりな顔に寸の間驚く。「双子的視点からすると岡崎壮一郎と転校生は確実に親子だぞ。しかも驚く程そっくりなね」

そう言うと先輩達は顔を見合わせて頷く。

「今日の部活は作戦会議だ」

同時に先輩達は、通りすがりの先生に連行されて行った。


 その後、先輩達の共犯者を疑われたり、生徒会に活動実績の調査に入られたり(実績の無い部活は廃部にさせられる)、会計委員会に部費を掠め取られたり、散々な目に遭うのだが、その話は今度じっくり話したい。取りあえず、放課後に俺たちが話したことを纏めるとこうなる。

「人が少ない時を見計らって」

「ゆっくりと距離を縮めて」

「あわよくばチョコを貰う位の精神で」

「気さくな雰囲気で話し掛ける」

「「「「決戦はバレンタインデー!!」」」」


「よし、じゃあ行こう!」

俺は駆け出す部長の背中を押さえる。

「待って下さい。急過ぎますって! まずは、クラスメイトの俺が行きますから」

 そう、今日は決戦のバレンタインデーの日(猛烈に被ってる)なのだ。

「いや、それは困る。何故なら俺は岡崎さんのチョコが欲しい。お前に先を越されては不味いんだ」

再び駆け出そうとする部長の首根っこを掴み、俺は言った。

「目標が変わっていますよ。チョコはあくまで、あわよくばです。しかも、ほぼ初対面の手品部の面々にチョコを用意しているかも疑問ですし」

「そんなこと言ったって、俺たちはまだ誰からもチョコレートを貰ってないだろう」

俺は空っぽな自分のポケットに目線を落とす。確かにこれは少し寂しいかも知れない。

「あ、それなら俺にいい方法がありますよ」

如何にも悪そうな顔をする久保田。信用出来ない。

「手品部に代々伝わる究極のマジック『カカオを呼び寄せる魔法』です」

「俺も噂で聞いたことがある。全くモテなかった先々代の部長が三日三晩と青春をかけて考案した、世にも恐ろしいマジックで、何でもそれには紙コップが必要なんだとか」

示し合わせたかの様にポケットから紙コップを出す現在の部長。しっかりと4個用意されている。

「と言うことで、俺たちはこれからありったけのチョコを集めて来る」

手近な二人に紙コップを渡す部長。

「あれ?俺の分は?」

「君の分は俺たちが集めて来てやるから、君は彼女を攻略したまえ!」

彼女の部分で岡崎さんを指差す。つられて俺も彼女の方を見る。

「確かに今なら人も少ないですし、勧誘には持って来いですよね」

「じゃあ、任せたよ、クラスメイト君!」

グーサインを出しながら部長は言った。


「何が『カカオを呼び寄せる魔法』だよ、ただのインチキじゃないか」

 要は女の子達に「マジックを見せてあげるよ」と言って、紙コップを差し出す。「君たち、チョコを持っていないかい?」と訪ねて紙コップの中にチョコを入れてもらい、「ではこれから消失マジックを披露する」と勿体振って、その中のチョコを素早く自分のポケットか何かに隠し、チョコが消えて無くなったかの様に見せかける。空の紙コップを確認させてそのまま去ると言う、フーディーニも真っ青なトリックなのだ。これが我が部の究極のマジックとは嘆かわしい。実に嘆かわしい。

 しかし、そうも言っていられない。任命されたからには全うしなくてはならない任務が俺にはあるのだ。教室でチョコを配り歩く女子の軍団から少し離れた席で一人、本を読んでいる美少女—岡崎美月さんをチョコと欲望にまみれた手品部に勧誘することだ(チョコにはまみれていなかったか)。それは決して簡単なことではない。もし勧誘に失敗したら、誘った方にも誘われた方にも微妙なしこりが残るだろうし、クラスに広まって笑いのネタにされるのも困る。更に、仮に岡崎さんが岡崎壮一郎の血縁者でなければ、俺たちは岡崎壮一郎のドッペルゲンガーに会ったことになり、恐怖と畏敬で彼女と一生目が合わせられなくなるだろう。何とも気まずい。この勧誘は様々な危険をはらんでいるのだ。だから先輩方は俺に押し付けたのだと思う(いや、俺が行くって言ったんだっけ?)。

「正直適任じゃないよな、俺って」

 けれども、やらなければならない。このまま行けば、先輩が卒業して手品部は二人。部としての存続は限りなく不可能に近い。ここは何としてでも彼女を手品部員にし、手品部再興の起爆剤になってもらわなくては!

 俺は思い切って彼女に話し掛けることにした。


「あ、あの…お取り込み中すいません。少し良いですか?」

「はい。何でしょうか?」

本から顔を上げて上目遣いで彼女は答えた。か、可愛い。

「転校生の岡崎さんだよね?」

彼女はコクンと頷く。

「学校にはもう慣れたかなって思って。時期も時期だし馴染めてる?」

「皆さん良くしてくれますし、上手くとけ込めそうですよ」

にっこりと笑う岡崎さん。か、可愛い。

「それは良かった。ところで岡崎さんってお父さん似?お母さん似?」

「えっと……」

返答に困る彼女。俺は三秒前の自分を思いっきり殴った。

「いや、俺は結構お母さん似なんだよな。妹なんかは父さんにそっくりなんだけどさ。どうなんだろうね。やっぱり男は母親に似るものなのかな?だったら、岡崎さんもお父さんにそっくりなのかな〜なんちゃって」

「はあ。確かに父に良く似ているとは言われますが。ど、どうなんでしょうね」

俺は十秒前の自分をもう何発か殴る。後先考えて発言しようぜ!

「お爺ちゃん似の子も居る訳だから必ず親に似るって訳でもなさそうだよな。あ、そう言えばこの人って知ってる?」

 胸ポケットから生徒手帳を取り出し、その表紙に挟んである人物を指し示す。岡崎さんはハッと目を見開き驚いていたが、次第に笑いに変わって行った。

「貴方ってもしかして、手品部の人?お父さんを生徒手帳に挟む何てよっぽどのファンなのね。伝えて置きます。名前は何て言うんですか?」

「か、葛西弘樹です」

「葛西君ね。お父さん、喜びそう。あれ、用事ってこれだけですか?」

「あ、これだけです。お父さんに宜しくお伝え下さい」

「分かったわ」

終始笑顔の岡崎さん。笑うと右頬に出来るえくぼも愛らしい。俺はそんな笑顔に見送られながら教室を出て行った。

 まさか本当に親子だった何て。このまま弟子入り出来たら良いな。そうしたら俺も、天才マジシャン葛西弘樹とか呼ばれて、単独公演を世界中でやって、テレビ番組にも出演して、手品部のメンバーもワールドツアーに連れて行ってやれるのにな。

 そこまで考えて俺は立ち止まる。体の向きを変え、岡崎さんの席に引き返す。興奮気味に教室を出て行った俺がものの数秒で戻って来たことに驚いたのか、岡崎さんもこちらを見つめている。

 そうだ、勧誘しなきゃいけなかった。正直もう、勧誘なんてどうでも良い。手品部が廃部になっても俺には岡崎先生がいる。何とかなる気がしていた。しかし、現実問題そう言う訳にも行かない。

「岡崎さん、言い忘れていたんだけど」

「美月で良いですよ」

「美月さん。お二人って本当の親子ですよね?」

「そうだと思うけど」

「と言うことは、間近でお父さんのマジックを見て育ったんだよね」

「そうだね」

「良かった! 一つお願いがあるんだけどさ、良いかな?」

俺は、美月さんの手を握って言った。

「もしかして、自分の手品を私に品定めして欲しいって言うこと?」

「そう言うことじゃないんだ。実は俺の部活は今、廃部の危機に瀕している。と言うか、先々代から慢性的な部員不足と実績の無さが問題になっていて、このまま行くと来年には消滅するかも知れないんだ。その、平たく言うとだな、良ければ俺らの部活に入って一緒に手品しないか?」

固まる彼女。俺は慌てて手を離した。どうやら熱が入り過ぎていたようだ。

「葛西君」

俺の目を真っ直ぐ見つめて彼女は言った。

「気持ちは嬉しいんだけど、ごめんね。私には出来ないの。訳があって手品は中学二年生の時に辞めちゃった。サッカー部でも野球部でも華道部でも飼育栽培委員会でも入るんだけどね、手品部だけはどうしても駄目なの。本当にごめんなさい」

 彼女の目が一瞬潤んだ様に感じたが、潤んでいたのは俺の目の方だった。

「急にごめんね。ありがとう。後、ハッピーバレンタインデー! じゃあ、俺はここで失礼するね。じゃあね!!」

 最後の方は自分でも良く覚えていない。ただ、恥ずかしかったことだけは鮮明に記憶している。気付いた時には部室の黒板に人参を描いている所だった。


「おい、あいつ大丈夫かよ。さっきから人参ばっかり描いているぞ」

「後、変な歌も聞こえるし」

「一本でも人参。二本でも人参。三本でも人参。四本でも人参。五本でも人参。六本……」

 久保田が俺の歌っている歌を真似して来る。これは俺のオリジナル曲だぞ! 真似すんな!

俺は抗議する為に立ち上がる。あれ、そもそも何で部室に居るんだ?

「おお、やっと気付いたか。心配したぞ」

「熱は無いみたいだな」

先輩がおでこを触って計ってくれる。

「当たり前ですよ。熱なんて無いです」

俺は先輩の手を払いのけながら言った。

 目の前には溢れんばかりのチョコレートの数々。手作り、既製品、高そうな奴と種類ごとに分けられて、山積みにされている。

「良くこんなに集められましたね」

「そうだろう。これが手品部の、いや、先々代の部長の意地ってものですよ」

「きっと女子達、怒っていますよ。そのうちインチキがバレますって」

「バレる前に食べ切れば良かろう。では、今からチョコレートの消化作戦に移る。まずは、その高そうな奴の山を崩して行こう」

 言うなり部長は山に突っ込んで行って、ゴディバやらピエール・マルコリーニやらを平らげて行く。同時に俺は今回の作戦の結果を説明し始めた。


「と言うことで、岡崎さんのチョコレートも、勧誘も失敗に終わりました」

「何だよ。使えない奴だな」

「お前に任せて損した」

「弘樹はこれだから弘樹って呼ばれるんだよ」

 三人から冷ややかな批判を受ける。久保田、お前だけは許さない。

「それにしても、何で手品辞めちゃったんでしょうね。才能が無い訳は無いのに」

「確かに。あれ程才能に乏しかった先々代の部長だって、今も大学のマジックサークルに所属しているんだぞ」

 それは果たして手品をやる人の集まりなのだろうか。チョコとか召喚して無いと良いんだけど。

「まあ、天才の苦悩っていうのがあるんだろう。俺たちには分かりそうも無いや」

「そうだな。難しいお年頃なんだよ、きっと」

手をヒラヒラさせて部長は言った。

「天才マジシャンの娘って肩書きは想像以上に重いですからね。下手に突かない方が良いですかね」

「女の子に嫌われたくないもんな」

 部室に深い沈黙が流れる。未だかつて無い程、部員は部の将来について考え倦ねていた(今まで考えて来なかったのも問題だけど)。ここで美月さんの勧誘を諦めると言うことは部の存続を諦めることに等しいのだ。

「誘っても駄目、誘わなくても駄目か。八方ふさがりだな」

「今更他の人を勧誘するってのもどうかと思いますしね」

「俺達だけじゃ、華やかさにも欠けるだろうし」

その雰囲気を打破するかの様に明るく口を開いたのは、やはり部長だった。

「ここは無難に手を引くのが良いのかも知れないな」

「そうかも知れませんね。転校早々こんなのに絡まれたら可哀想ですよ」

久保田が曖昧に微笑んで頷く。先輩の顔も心なしか元気が無い様に思われた。

「ちょっと待って下さいよ。何で諦めてるんですか」

俺は、強めに机を叩いて立ち上がる。

「俺は先輩達より何よりマジックが好きなんです。手品部を廃部にしたくはありません。このまま諦めても良いんですか?」

「それは俺たちもだよ。後輩より何よりマジックが好きだ。廃部にもしたくない。でも、勧誘に失敗したのはお前だしな」

 胸に刺さる物がある。なんだろう。

「他に方法は幾らでもあるはずです。例えば……」

持っているだけの脳みそをフル回転させて考える。

「そう、美月さんの前でマジックショーをやって手品の楽しさをもう一度思い出して貰うとか。朝礼前の時間に皆で押し掛けたりしてさ。まあ、壮一郎さんの娘に俺たちのマジックが通用するかは別問題ですけど」

嫌でも視線が集まっているのを感じる。俺は静かに席に着いた。

「追いつめられると人間色々思いつく物だな」

部長は俺の肩を思いっきり叩く。

「お前のその意見、採用だよ。そもそもマジックは腕じゃなくて、いかに観客を喜ばせたいかと思う気持ちだって岡崎先生も雑誌のインタビューで答えてたし。絶望は愚者の結論なりとも言ってたしね」

言いながらうんうんと頷く。

「その台詞は流石にイギリスの政治家が言った物だと思いますが、俺の意見で大丈夫ですかね。きっとこれが最後のチャンスですよ。先輩達ももうすぐ引退ですし」

「そうだな。これ以上の以上は嫌われたくないもんな。でも、俺らなら絶対に大丈夫だよ!」

「その底なしの自信は何処から湧いて来るんですか」

「だって、お前ら手品好きだろ。だったら良いマジック出来るって! 岡崎先生だって一生懸命に作ったものは一生懸命見てもらえるって名言を遺していたし」

「その台詞も日本の映画監督が言った物に感じられますが、そうですね! 何事も始めるから始まるんです!」

「おい、それはニーチェの名言だろ」

 部室内で笑いが起こる。その声は体育の先生に懇願して許可を得たプール脇の部室とは思えない程響き、俺の心を癒していった。空には虹が掛かり、部屋では蛍光灯が灯り、漂うカカオの香りはこれからの悲劇を象徴的に表しているのだった。


「日程はこうだ」

得意げにA4用紙を見せびらかす部長。

「小講堂と体育館での練習が三回、教室での練習が二回、部室での練習が十四回入っている。先生に掛け合うの大変だったんだからな。感謝しろよ!」

「ありがとう。運動部を体育館から追い出すのに骨を折ったのは俺だけどな」

「クラスの奴らに協力をお願いしたのは俺です」

「大道芸愛好会に話を持ちかけ、合同での公演会開催の決定。及び生徒会への連絡、チラシ刷り、プログラムのデザイン、原稿、その他雑務をこなしたのは俺ですが、この前のことがあったので黙っておきますね。先輩本当にありがとうございます」

 心なしか部長が小さく見える。きっと気のせいだ。

「しかも、放課後の練習が殆ど取れてないじゃないか。昼休みにばっかり体育館が使えても練習にならないだろ」

「仕様がなかったんだよ。バレー部は県大会で優勝しちゃったし、卓球部は試合を目前に控えているし、放課後は譲れないってうるさくって」

「何処の部活も、高ニが引退間近だからな。色々な意味で大詰め何だろう」

「大道芸も愛好会止まりだから、余り強くも言えないですしね」

「いっそ、あいつらの頭の上で火の輪くぐりしてやろうか」

人差し指と親指で輪っかを作り、その輪に向けて息を吹きかける部長。止めて下さい。燃え広がりますから。

「そんないかした、マジックジョークを言っている場合じゃないです。一体どんなマジックをやることになったんですか?」

 練習日程と披露するマジックが決まったから開門と同時に部室に集合しろと言われて、俺たちは少々不機嫌だった。

「それはだね……」

笑いながらゆっくりと部室を徘徊する部長。

「勿体振らないで早く教えて下さいよ」

「そうですよ、部室での練習が十三回になっちゃいます」

「俺何て、お前に起こされて朝三時から用具集めに勤しんだんだからな。今朝から練習出来る様にって」

「はいはい。じゃあ、行きますよ!」

すると部長は部室の奥の方に如何にも怪しげに掛けられていた黒い布を取り払った。

「おお、これですか」

「意外ですね。何に使うんですか?」

そこに現れたのは一鉢の観葉植物と沢山のスコップだった。

「これは俺が開門の一時間前に部室へ運んだ、ベンジャミンだ。ジャンミンって呼んでくれ」

開門の一時間前に運んだのですね。また怒られますよ。

「何でよりによって植物なんですか?」

「植物じゃない、ジャンミンだ」

「……何でジャンミンを使うことにしたんですか?」

「俺は、気付いた。緑化運動に余念の無い生徒会の奴らに恩を売るならこれしか無いってね」

「随分短絡的だろ」

先輩は呆れた顔をする。

「これでもしっかり考えてあるんだよ!」

ムッとした顔で呆れ顔の先輩を睨む部長。

「同じ顔で言い争い何て止めて下さいよ」

堪らずに俺たちは笑い出す。話し合いが進まない……。

「とにかく、テーマは愛と友情は手品部を救うだ。各自、地球に優しそうな衣装を用意して来たまえ。具体的なマジックの内容は二時間目までにプリントで回す。昼休みまでには目を通しておく様に。後、この観葉植物と、スコップ、俺が貰い受けた種は飼育栽培委員会からの借り物だから大切に扱うんだぞ。くれぐれも火の輪くぐりなどしない様に心がけること。以上! 解散!」

言うなり部長は部室を出て、プールサイドを走り抜けて行く。俺の横で同じ顔の先輩が観葉植物に布を掛け直す。

「ここだと、水泳部から丸見えなんだよね。マジックは漏れたら面白く無くなっちゃうし。当分は開門前練習になりそうだよ。君たちも頑張ってね」

困り顔の先輩。だから、開門前練習って何なのさ。

「出来る限り沢山練習出来る様に頑張ります。マジックが成功する様に皆で協力しましょう」

俺たちは右手を並べてエイエイオーとかけ声を掛けた。


 二時間目開始直後に空から降って来た手紙によると、大道芸愛好会との合同公演会では成長のマジックをやるらしい。まず、鉢植えに種をまく。その鉢植えを少し育った別の鉢植えとすり替えて瞬間的に種が育った様に見せる。パラパラ漫画の要領でジャンミンが一人前になるまでそれを繰り返して、最後に大道芸愛好会の奴らに頼んで天井から葉っぱを蒔いてもらう。簡単に言うとこうだ。

 だけど、公演会まで十日しか無いのにそんなに沢山の鉢植えを用意出来るのだろうか。手紙には飼育栽培委員会が何やら良い土を持っているって書いてあるけど、本当かな?胡散臭い。しかも、そこそこの重量はあるであろう鉢植えを高速で入れ替え続けること何て可能なのだろうか。

「はあ、安心出来ないな」

 斜め前の席の岡崎さんとは未だ一言も口をきいていないし、色々不安だ。でも、ここで諦めたら手品部は終わる。潰れても誰も気にならない部活なんだろうけど、やっぱり俺たちは気になる。卒業生達にも申し訳がつかなくなる。今から紅茶部にでも入部して優雅な午後を過ごすのも悪くない。もう少し気楽に考えることも必要かも知れない。だけど……

「葛西。この問題は少し難しいが、解けるだろう。黒板の前に来て説明してくれ」

急に先生に当てられて俺は身悶えする。何でよりによって俺を当てるんだよ。

 机と机の隙間を縫って静かに前に出る。勿論、問題を理解している訳ではない。重い足取りで黒板の前に辿り着いた俺は、大きく息を吸い込みこう答えた。

「分かりません」


「葛西、お前は最高だな。分からないのに前まで来たのか。前まで来て分からないって言って席に戻ったのか」

俺の授業での失敗に笑い転げる部長。

「止めて下さいよ。恥ずかしいです」

俺は手で顔を覆って下を向く。

「俯くなよ。胸を張っても良いと思うぜ、俺は。立派なことじゃないか、クラスの皆を前にして分からないって言い切ったんだぞ。俺には絶対出来ない」

ポンポンと優しく肩を叩いてくれる。

「ぼーっとしてたんですよ。そもそも部長が授業中に手紙なんか渡すからいけないんです」

「俺のせいか!?責任転嫁は止めてくれよ」

 あの忌まわしき二時間目から二時間後、四時間目のチャイムが鳴ると同時に俺は部室に駆け出していた。久保田は直前まで体育だったし、部長の片割れは生物の実験中なんだそうだ。部室には早くも噂を聞きつけた部長がジャンミンの隣の席を陣取っていた。

「そんなことはどうでも良いんです。問題は公演会ですよ」

俺はかねてから疑問に思っていたことを部長に聞く。

「なるほどね、君の不安ももっともだ。だけど心配には及ばないよ」

驚くことにもう用具の準備は万全だと言う。部室の様子はいつも通りだから、何処に用意したと言うのだろうか。

「本当ですか?植物だって生きてるんですよ。そんな二、三日で育つ訳ないじゃないですか。」

「それも含めてマジックなんだよ」

部長はペテン師の様な顔をして言った。


 本当に植物は生きていた。勿論二、三日で育つ訳は無く、部長のマジックの効果が現れたのは公演会前日の夜だったそうだ。お陰で本物の観葉植物を使ったマジック練習は一回も出来ず、体育館での練習もバレー部の全国大会出場により延期された。さて、どうするか。

「何でこう、全てが上手く行かないんだろうな。あの土の効力は確かって聞いたのによ」

 俺たちは体育館の隅で膝を抱えて座っていた。

「後、30分でリハーサルだぞ。その30分後にはここに客が入り始める」

「更に30分後に開演です」

「その30分後には出番で、その次の30分に片付けが始まります」

「つまり俺たちに残された時間は…2時間弱か」

ため息が漏れる。厳しいな。

「もう、殆どノー勉の期末テスト初日状態ですよ。実際明日からテストですしね」

「結構クラスの奴らも見に来るって言ってたぞ。息抜きに丁度良いんだって」

「それじゃあ失敗出来ませんね」

ぐっと肩が重く感じる。こんな調子で大丈夫なんだろうか。

「でも練習は沢山やったよな、土の入った鉢植えで」

「確かに土の入った鉢植えの取り扱いは完璧になりましたが、肝心のベンジャミンの苗が無いんじゃ意味がないですよ」

「これから一時間強、みっちりマジックの練習をして間に合うかどうか」

「ここは潔く心意気で勝負だ。誰にも負けない熱意で体育館を火の海にしてやろうぜ」

「ついでに感動の嵐も吹き荒れさせましょう!」

「良いな、お前ら能天気で。これから手品部の一世一代の演目が始まるのにな。まあ、愚痴っていても仕方ないか」

「ところで、弘樹。ちゃんとこの舞台に岡崎さんのことを誘ったんだろうな」

久保田が疑いの目を向けて来る。

「ちゃんと誘ったよ。それはそれはちゃんとね。でも、来るかは本人次第だからな。一応手品部に入りたくなった時用に部室の場所も教えておいたし、出来ることはやったつもりだ」

「じゃあ、後は天命を待つだけか」

天よ地よ、火よ水よ、我らに力を与えたまえ。


 その後、俺たちは計16個にもなった鉢植えをステージまで移動させ、大筋を掴んで、リハーサルは何とかクリアすることが出来た。目立ったミスもなく(今日初めてやったにしては)殆ど完璧と言って良い演目になったと思う。そして本番。手品部はトリを飾ることになっていた。前座として落語部が一つ小話を披露する。掴みは良かったらしい。その後、一輪車に乗った大道芸愛好会の奴らが、ジャグリング、パントマイム、皿回し、ディアボロを披露した所で俺たちの出番になった。出だしはリハーサルよりも大分上手く行っていた様に思える。サクラでも仕込んでいたのか、逐一拍手喝采が起きた。これで少しハイになっていたのかも知れない。舞台とはやはり恐ろしい所だ。俺たちは最後の最後でジャンミンの入っていた鉢植えを割って、成長のマジックは成長し切らずに幕を閉じた。


 公演会終了後、俺たちは荒みに荒んでいた。マジックの失敗もそうだが、それを美月さんに見られたことが主な原因だった。彼女はちゃんと来ていた。俺何て失敗した直後に美月さんと目が合ったんだぞ。

「もう終わりだ。他の観客はともかく、岡崎さんは絶対に脈なしだよ」

「本当にな。これで俺たちのマジック人生も終わりだよ」

 この世の終わりの様な顔をして先輩は言った。

「先輩、俺たち思ったんですよ」

 久保田が真剣な顔をする。俺らは粉々になった植木鉢の側に来て、久保田が口を開いた。

「これで終わりじゃないと思うんです。来年、二人で一緒に大道芸愛好会に入部します。そうしたら、大道芸愛好会は部員10人以上の規定を満たして部として認められるじゃないですか。俺たちはそこでマジックを続けます。部活は潰れちゃうかも知れないけど、マジックが好きな若者が居る限り手品部は不滅ですよ!」

 先輩から歓声が上がる。中々やるじゃないか久保田君。俺に相談もなしで。

「良い後輩を持って俺は……」

泣き真似をしている部長の台詞の途中で邪魔が入る。

「あの、失礼します」

声の主はどうやらドアの向こうに居る様だった。全員の視線がドアに集まる。

「どうぞ」

 手品部の薄い扉をゆっくり開いて入って来たのは美月さんだった。

俺たちは一瞬固まる。言葉が出て来ない。

「公演会、見させて頂きました。成長のマジックだったそうですね。最後の最後の鉢を割ってしまった所もばっちり見てましたよ」

 ここで美月さんは大きく息を吸い込む。

「正直、マジックとしては全然駄目です。お金を払って見る価値なんて微塵も感じられませんでした。父の学生時代の方がよっぽど手品が上手でしたよ。いや、見せ方が上手だったんです。左手と右手に注目させておいて口から鳩を出す様な人だった。独創性も意外性も兼ね備えていたから今の地位に在り付けたのかも知れませんね」

 一旦言葉を切って、言いにくそうに美月さんは口を開いた。

「私はマジックが好きです。三度のご飯よりもずっとずっと好きです。父のアシスタントとしてステージに立ったこともありました。あの雰囲気が良い。観客は目の前で起こる不思議にタネがあると分かっていながら見るんです。中には見破ろうとする人も居ますがマジシャンはそれをものともせずにマジックを続けます。ステージに居る限り主役はいつもマジシャンです。皆さんのマジックにはそれが感じられました。マジック自体はそれ程良いものでは無いとしても、スポットライトを浴びるに値する雰囲気を持っているんだと思います。私は手品を辞めてしまったけれど、皆さんはこれからもマジックを続けて下さいね。応援しています」

 俺たちは美月さんが喋っている間、物音一つ立てずに黙っていた。その静寂を切り裂くかの様に俺は一つの疑問を口にした。

「お前、何で手品辞めたんだ?これだけマジックに熱意持ってんのにさ」

美月さんの目を真っ直ぐに見つめる。

彼女は俯き加減に頷き、ゆっくりと口を開いて、昔話を始めた。

「それは、私が中学二年生の時だったわ。特に団結力のあるクラスで、文化祭と合唱コンクールを乗り越えて我がクラスの絆はとても深まっていたの。間近に迫るバレンタインに皆浮き足立っていたわ。私もその一人だった。女子はどの男の子にチョコをあげるか相談し合い、男子は今からお金を貯めてクラスの女子にホワイトデーのお返しをしようと計画していた。そして、当日。私はいつも以上に張り切っていたの。普通にあげるだけではつまらないから、ネタを用意していたわ。私の十八番。瞬間移動のマジック。朝から沢山のチョコを用意して、こっそりポケットに忍ばせておいたの。サプライズをする為に。でも、ココで一つ誤算があった」

彼女は床の一点を見つめたまま、暫く顔を上げずに黙っていた。しかし、再び口を開くとこう言った。

「私の体温で温められてドロドロになったチョコレートが友達の手の中に瞬間移動したの!」


そして、俺たちはきっぱりと手品をやめた。


ここまで読んでくださってありがとうございました。

最後の一言から話を作り始めたのですが、オチまでの部分が長くなり過ぎて、オチが少し物足りなくなってしまった印象を受けます。配分は大事ですね。

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