斬鉄の技術
3時間ほど経った。レオナルドは目を覚ました。まだ、酔いは覚めていないが一眠りしたせいで少し意識が戻ってきたようだ。トンっと水が入ったコップが置かれる。
ぐいっと空けるレオナルド。二日酔いになりそうで頭がガンガンしているが、冷たい水のせいで記憶がはっきりしてきた。どうやらテーブルにうつぶせて眠ってしまったようだ。
「大丈夫か? レオナルド」
水をくれたのは一緒に飲んでいた右京。どうやら酔いつぶれたレオナルドを介抱するために残ってくれたらしい。辺りは真っ暗で夜も更けている。
「な、なんだ……。帰ってなかったのか」
「酔っ払ったおっさんを置いていくわけにはいかんだろ」
「失礼な。僕は31だ」
「冗談だよ。レオナルド。実はこのロングソードのことで任せろとか言っていたので、ちょっと気になってね」
レオナルドは急に黙り込んだ。どうやら、酔った勢いであまり他人には知られたくないことを教えようとしたようだ。
「ああ、そんなこと言ったかな。酔っていたからな」
明らかにごまかそうとしている。ゲロ子が眉毛を動かしてレオナルドに耳打ちをする。まるで弱みを握った悪者が弱い相手を脅す構図だ。
「よう兄さんでゲロ。素直に吐かないとこの写真バラまくでゲロ」
ゲロ子が示した写真は、レオナルドがゲロ子の着ぐるみを脱がそうとしている写真。何だか構図が恣意的で小さいゲロ子が等身大の美少女になっていて、それを無理やり襲っているような絵になっている。
(というか、この世界に写真なんてあるのか? いつ撮った? そしてこのヤラセ+特撮の絵はどうやって撮った)
さすが、右京が日本製ファンタジーRPGのような世界と称した世界観である。右京の心のツッコミは無視してゲロ子の脅しに観念したのか、それとも神官にあるまじき行為に反省したのか、レオナルドが話し始めた。
「別に隠そうと思ったわけじゃないんだ。それにゲロ子ちゃんのデタラメ写真に揺すられたわけでもない。ただ、この情報が役に立つかは疑問なんだ。9割方、意味なしかもしれない」
町にボスワースという老人がいる。過去に宮廷魔術師をやっていたなんて噂もあるが、今は偏屈なじいさんだ。そのじいさんが持っている小型ナイフが鉄も斬れるという噂であった。
何やら、特別な加工を施したらしい。どんな加工方法なのかは全く分からないが、そのナイフは金属製の板をまるでバターを切るように簡単に切ったということだ。これはガセネタではなくて、レオナルドの信頼する人物が直接見た話だから信ぴょう性がある。
「そのボスワースというじいさん。金属細工師をしているのだけど、極端な人嫌いでね。簡単には会ってくれないそうだ。でも、鉄を切る加工法を知っているなら、君のロングソードに役に立たないかなと思ったわけさ」
「なるほど、それは面白い」
「鉄を斬れるなら驚きの性能アップでゲロ」
右京はレオナルドに紹介状を書いてもらった。金属細工師ボスワースが店を出している場所は、賑やかな市場から離れた場所にある。というか、カイルの工房からは100m程しか離れていなかった。
小さな店であったが外から見えたショーケースに入っている金細工のアクセサリーを見るに、店主の腕はかなりのものだと推測できた。右京は分厚い木の扉に付けられた金属のドアノッカーをコンコンと2回叩く。
「ごめんください」
ギギギ……っとドアを開けて中に入る。70は過ぎている白髪に白ひげの小柄なじいさんが座っている。読んでいた新聞からちょっとだけ目を話し、眼鏡の上から視線を右京に移す。
「帰れ」
いきなりである。そして再び、新聞に視線を移す。
「あの、金属細工師のボスワースさんですか?」
「聞こえなかったのか? 帰れ」
相変わらず視線を変えない。このままでは埒があかない。右京はレオナルドの紹介状をポケットから取り出した。それを差し出す。ボスワースはそれに目を移す。そっと受け取り、しばらく読むとすぐに破り捨てた。
「レオナルドのバカがまた厄介な人間をよこしやがった!」
(レオナルドの奴、全然、効果がないじゃないか)
あまりの待遇の悪さに右京は唖然とした。ゲロ子はと言うと、いつの間にかボスワースが座っているところの壁に取り付けられた棚にいくつか置いてある短剣のところにいる。
「大体、わしは扉を2回叩く奴は嫌いなんじゃ。1回で十分じゃろが。年寄りは耳が聞こえないと馬鹿にしよって!」
とんでもないところに、こだわりがあるじいさんである。また、コンコンコンとドアを叩いて客らしき男が入ってきたが、じいさんは怒鳴って追い返した。2回叩いて右京が今の状態だ。3回叩けば当然だろう。それにしても、こんな接客で商売が成立するのであろうか。
「あの……」
「なんだ、まだいたのか。さっさと帰れ」
「レオナルド神官から聞いたのですが」
「それは知っとる。奴の紹介だからと言って、扉を2回叩いた奴の話はきかん」
(はあ……)
これはかなりの頑固者だ。でも、右京は粘り強い。この程度でおめおめと帰っては自分の人生は切り開けない。
「ボスワースさんは、鉄を斬れる短剣をお持ちだそうで」
ボスワースが一瞬黙った。新聞から視線を離して、初めて右京のつま先から頭のてっぺんまでを見た。
「レオナルドの奴め、余計なことをしゃべりおって。」
「その鉄を斬れる短剣について教えて欲しいのですが」
「……ふん。そんなものに興味をもつとは変わった奴じゃ」
どうやら、頑固じいさんが興味をもったようだ。その時、小さな音がした。ゲロ子の奴、棚の短剣を抜こうと動かしやがったのだ。目線を壁の棚にやったボスワースじいさん。。そこに不思議なカエル娘が物色しているのが目に入った。
「な、何をしている! コイツは何だ」
物色中のゲロ子が振り返る。そしてセクシーなグラビアアイドルがよくやるポーズ。両手を膝において、胸を寄せて上目遣いでじいさんを見る。
(注意 水着ではなくカエルの着ぐるみを着た女です)
「超カワイイ、スーパー妖精のゲロ子でゲロ」
「ぬおおおおおっ……。なんて可愛い……じゃなくて、くそ生意気な奴じゃ」
「ゲロゲロ……。じいさんは加齢臭クサイでゲロ」
ゲロ子の奴、気難しいじいさんにとんでもない暴言を吐く。これじゃ、ますます機嫌が悪くなるではないか。だが、ボスワースは気難しくなるどころか、急にガチャガチャとクッキーを箱から取り出し、皿に出す。さらにヤカンからカップにお茶を注いで出す。ゲロ子の奴、遠慮なしにクッキーにかぶりつく。その様子を目を細めて見ているボスワース。自分の顎ひげを満足そうに撫でている。ゲロ子に一目ぼれしたのか?
「それで何のようじゃ」
(おいおい、ボケてるのか!)
じいさんが入れたお茶が品のよい香りを漂わせて、右京の鼻腔をくすぐる。なかなかの高級品のようだ。右京はやっと交渉ができる展開になってホッとした。ハラハラさせられたがゲロ子の奴、なかなか役に立つ。
「ボスワースさんが鉄も斬れる短剣をお持ちと聞いたので、そのお話を聞きに」
「おお。そうじゃったな」
(完全にボケとる)
「これでゲロな」
ゲロ子が棚を指差す。いくつか並んでいる短剣の中でも一番小さい奴だ。ゲロ子の奴、既に目星をつけていたようだ。
「よくわかったな、カエル娘」
ボスワースは棚からその短剣を取り出した。それは30センチ程の長さで鋭い刃先をもった片刃の戦闘用ナイフであった。右京は武器の専門家ではないので、ゲロ子が特殊能力『一般辞書』で検索して、武器の種類を調べた。
「これは『サクス』でゲロ。騎士が主武器の剣や槍の補助として持つものでゲロ。冒険者はハンティング用としてよく使うでゲロ」
『サクス』は青銅器時代に原型が現れる古い武器である。鉄器時代になると定番の形となり、サクソン民族固有の武器として重宝された。さらにそれはゲルマン民族にも受け継がれ、ゲルマンの戦士の墓から副葬品としてよく見つかっている。
『サクス』は家庭の道具としても発達していくが、小型のサクスは長剣、投げ槍に加えて補助武器として騎士が装備したレギュラーウェポンなのだ。ちなみに30センチぐらいのものを『サクス』というが、もっと長い剣は『スクラマサクス』と言って西ゴート族の歩兵の主力武器とされる。
「よく知ってるな、カエル娘」
「ゲロ子でゲロ。妖精界のスーパーモデル、ゲロ子でゲロ」
ボスワースは目を細めてゲロ子を見ている。まるで孫を見るような表情だ。ゲロ子のどこにツボったのであろうか。正直、分からないが右京には都合がよかった。これで追い返されないで済む。
「まあ、見ておれ」
ボスワースはそう言うと『サクス』を握って金属でできた置物を切りつけた。それは鉄でできた置物であったが、驚いたことにまるでバターを切っているようにスッと刃が入るのだ。
「すごい斬れ味ですね」
「これはただのサクスじゃない。刃に特殊な加工をした斬鉄剣じゃ」
「特殊な加工ですか?」
「わしが発明した方法じゃ」
「くそじじいにしては、すごい発明でゲロ」
ゲロ子の奴、調子に乗ってボスワース老のことを糞ジジイ呼ばわりしている。いつ老人の逆鱗に触れるか右京は気が気でない。これは早いうちに商談に移った方がいいだろう。
「ボスワースさん。ロングソードにこの加工はできますか? できるならお願いしたいのですが」
ボスワースは右京に目をやる。そして小さく首を振った。
「無理じゃ」
「費用はいくらですか? 高くても何とかしますから」
「金を積まれても無理じゃ」
ボスワースが発明したこの斬鉄の技術はかなり特殊なものであった。元々、剣は斬る刃の部分は硬い鉄(鋼)でできており、鋼は鉄に炭素を混じらせた合金。炭素を混じらせると固くなるがもろくもなる。逆に少ないと柔らかいが粘りが出る。この絶妙なバランスを元に武器は作られるのだ。
ボスワースの発明した技術は、こうした刃に特殊なコーティングをするものであった。特別に調合した『スタープラチナ』と呼ばれる硬い宝石のクズが溶け込んだ特殊な溶液を塗り、高温に熱して焼き付けるという技法だ。
(なるほど、ダイヤモンドコーティングとか、タングステンコーティングと同じようなものか)
右京はそう考えた。右京のいた世界でも鉄を斬る道具はあったが、人間の力だけでサクサク斬れるのは反則技である。
「この技術には2つ難点があるのじゃ」
「難点?」
「60点でゲロ」
あえてゲロ子にはツッコミはしないでおこうと右京もボスワースも心の中で思った。コホンと一つ咳払いをしてボスワースはこう説明した。
「一つはかなりの高温が必要である。鉄が溶けるか溶けないかの高温で3分間焼き付ける。これは一定の温度でないとコーティングにムラができて失敗する」
これはこの世界では難しい技術だ。そもそも鉄を溶かすほどの技術はあるにはあるが、全て人間の手作業だから温度を一定に保つことは至難の技だ。それに溶かすためには炉などの大掛かりな設備が必要だ。個人のレベルの問題ではない。
鉄の溶ける温度は1500度を超える温度だ。カイルの鍛冶屋では鉄を赤くする程度の温度は750~900度くらい。このくらいに熱すると柔らかくなって加工ができるが、一瞬で1500度近くの熱を加えて急に冷やすなんてことは無理な話だ。
ボスワースは攻撃魔法「ファイヤーエクスプロージョン」を用いて加工したが1000回以上試みて成功したのは、この『サクス』1本のみだったらしい。それでは実用化には程遠い。
「さらに鉄を斬る効果は100回程度じゃ。それを過ぎるとコーティングが剥がれて効果がなくなる」
(使えねえ……)
武器としては致命的だ。これじゃ、例えできても意味がない。製品としては欠陥である。
右京は振り出しに戻ったと小さくため息をついたが、ゲロ子がそんな様子を見てこう茶化した。
「ゲロゲロ……。主様は無駄な時間使っちゃったじゃないか、この糞ジジイと思っているでゲロが」
ボスワーズが右京をにらむ。右京は慌てて否定する。
「おいおい、そんなこと思ってないぞ。」
「このジジイの技術の価値は希少価値でゲロ。そう考えると儲けるヒントが出てくるでゲロ」
ゲロ子に言われて、右京は思い直すことにした。確かに大量に生産できない=希少価値である。それだけ価値が上がるということは、あの普通のロングソードが唯一無二のアイテムに化けるということだ。
100回しか使用できないというのも考えようによっては、1回1回の攻撃がそれだけ価値があるということである。何しろ、鉄をバターのように斬る剣だ。それを使用した戦闘では、間違いなくこの世界最強になるはずだ。
「ボスワースさん。もし、その3分間に1500度近くの熱を加える続ける方法を見つけたら、この加工技術を俺のロングソードに施してくれませんか」
「ふん。そんな方法などあるものか。だが、見つけたなら加工してやってもよい。見つけることができたならな」
ボスワースはそう右京とゲロ子に約束した。




