始まりの指輪
この日は午後も忙しかった。右京は次から次へとやってくる客から、よい品を買い取っていった。そして、気がつくと夜になっていた。本日もかなりの品を仕入れることができた。これで夏のバーゲンセールに向けて、販売部門もひと安心するだろうと右京は思った。そろそろ、店じまいの時間だなというギリギリの時間にその客はやってきた。
白髪でなぜか黒いサングラスをかけたおばあさんである。見た目は80歳ほどだろうか。杖をついて席に座る。持ってきたものは「宝石」であった。
宝石の鑑定は難しい。まず、右京自身が慣れていないこと。宝石の鑑定は長年の経験がないと見抜けないことがある。それは宝石のもつ独特の輝き。その石がもっている反射具合である。ダイヤモンドなら金剛光沢があり虹色に輝く独特な輝きがある。これが人工のものやイミテーションでは不自然な輝き方をする。天然の輝きか人工の輝きかというのは、ダイヤモンドを見慣れた目ならすぐ分かるという。
おばあさんがもってきた宝石は『ブルーサファイヤ』。リング部分はおそらくプラチナだろうと思われる。ちなみにリングのデザイン自体は査定ではプラスにならない。つまりプラチナの価値分しかないのだ。例え、有名なデザイナーがデザインしたリングでも古くなれば無価値ということになる。
そして、鑑定するにあたって、サファイヤの場合は、よく似た宝石があるので注意が必要だ。例えばタングサイトという宝石は肉眼だけではサファイヤと区別が付きにくい。そういう場合は、上から見たり、横から見たりと角度を変えて見る。タングサイトは角度を変えると多色に光って見えるのだ。サファイヤは多色に光らないので区別がつくのだ。
(これはサファイヤに間違いないだろう……)
右京は慎重に角度を変えて宝石を見たが、多色な光は確認できない。 だが、まだ査定は続く。右京は10倍のルーペを取り出した。それにペンライト。光を当てながら石の内部のキズを見るのだ。
宝石の場合、内部の傷が多いと価値は落ちるのは当然であるが、逆に1つもないというのは問題となる。人造石である可能性があるからだ。天然で傷が一つもないなんてことは滅多にないからだ。さらに気泡なんかが見えたら、それはガラスである証拠。真っ赤な偽物となる。
(う~ん。問題はなさそうだ。正真正銘のサファイヤの指輪。だが、この宝石、いくらにするか)
最近は新興国が豊かになり、人々が買い求めるようになったので貴金属の価値も上がっている。宝石もそうだ。このサファイヤ。大きさから言っても60万円以上で買っても損はしない。
ただ、デザインが古いので買い取ったらリフォームしないと売れないだろう。右京の店では宝石はあまり取り扱っていないので、できれば専門の業者に売った方がおばあさんはより多くのお金を得ることができると思われた。
「あの、お客様」
「はい、はい」
「この宝石、かなり良い品です。ですが、うちは宝石専門ではないので査定が辛いです。一応、65万円としますが、専門の買い取り店だともう少し高く売れるのではないかと思います」
「ほうほう……。あなたは親切な店員さんだね」
おばあさんは目を細めて右京を見る。確かにカネ儲けがしたいのなら、これを65万円で買って専門業者に売れば場合によっては20万円程度は儲けられるかもしれない。
だが、それは右京のポリシー、強いては会社のポリシーに反する。一時的に利益を得ても、客に不快な思いをさせたら意味がない。買取り商売において、信頼はお金に変えられない大事なものなのだ。
「この宝石は曰く付きでね」
急におばあさんは声を小声で右京に囁いた。外も暗くなってきて店内の客もいないので、思わず右京の背中に冷たいものが走った。
「曰くとは?」
こういう代物。特に年代物と思われるものには色々と話がつきものだ。有名なところでは(ホープダイヤモンド)というのがある。現在はアメリカの博物館に所蔵されているが、持ち主に次々と不幸が訪れたという伝説が残っている。
あのフランス革命で処刑されたルイ16世とその妻マリー・アントワネットも所有者だったそうで、噂が噂を呼んで世界的に有名になってしまった宝石だ。右京は現実主義である。そう言った話は尾ひれがつくもので、正確なものではないことが多い。
もし、仮に不幸が起きたとしてもそれは偶然の産物であり、宝石には関係がない。そもそも、そんな高価なものは人が争う種になるものだから、いろいろ不幸なエピソードが集まるのだ。高価過ぎるものは人を不幸にすることがあるのだ。
そんな右京の思いを無視して、おばあさんは続ける。
「この石を持つ者は異世界に飛ばされると言う」
「は~ん?」
右京は急に現実に引き戻された。ちょっと怖くなってしまった自分が恥ずかしい。異世界にとばされる? そんな変な話があるものか。まだ、宝石をもっていると不幸が訪れるといったオカルト話の方がリアリティがある。
(これはとんだ電波ばあさんじゃないか。ボケが始まっている?)
そう思わざるを得ない。異世界なんかに飛ばされるなんてありえない話だ。だが、ばあさんの目は真剣だ。背筋をピンと伸ばし、宝石を指差して右京に試すようにはっきりと言う。
「店員さん、宝石の中心を見るといい。そこに入口がある。もし、あんたが異世界で何か役割をもつ人間なら、この瞬間に移動できる」
「はいはい……。おばあさん、夜も遅いですからもう帰りましょう。おうちの方も心配していますよ」
「見てくれたら帰る」
(やれやれ……)
一日の最後に厄介な客に当たったもんだ。やっぱり、このばあさんは認知症だと右京は思った。認知症になると子供に返るというが、今のばあさんは聞き分けのない幼稚園児と変わらない。
「それじゃ、見ますから。帰ってくださいね」
右京はルーペを出して石の内部を見るふりをした。いつまでも付き合ってはいられない。だが、石の内部に異変を見た。さっきまではなかった黒いシミがある。それがどんどん広がっていくではないか。右京は目をそらそうとしたが、目が離せない。それどころか、体ごと黒いシミに吸い込まれていく感覚を覚えた。
「うああああああっ……」
右京は思わず叫んだ。
「おやおや、あんたはやっぱり何かをする男だったね」
ばあさんの声が遠くで聞こえる。右京の意識がぷつりと切れた。




