金属細工師ボスワーズ
金属細工師のボスワーズじいさんの店はカイルの工房から、100m移動した更に裏路地にある。12畳ほどの小さな店である。金属細工師とは、金属素材で装飾品を作ったり、既製の金属製品を加工したりする仕事だ。店の小さなガラス窓には、そうやって作った首飾りや金属製のグラスが飾られている。なかなか粋な加工がされており、この店の主の腕がただもんではないことを物語っている。
噂では王宮お抱えの金属細工師らしいということだったが、じいさんは身の上話を一切しないので本当のところは分からない。分かるのはこのじいさんが偏屈で人を選ぶ頑固なところで、客商売には向いていないということである。腕はいいのに気に入った人間の仕事しか引き受けないので、店は閑古鳥が鳴いていた。それでもボスワーズは一向に気にした風でもなく、自分のスタイルを貫いていた。どうやって生活しているかは疑問だが。
で、この見た目70は超えているだろうというじいさんは、なぜか右京のことは気に入っている。手に入れた武具に洒落た加工を施してくれるので、右京としては助かっていた。
「よっ! ボスワーズさん」
ノックもしないで右京はドアを開けた。カウンターでうたた寝をしていた老人は、心臓が止まるのではないかというくらい小柄な体をビクッと震わせて、目をカッと見開いた。
「う、う、右京」
「昼寝中、失礼します」
「お、お前という奴は、全く礼儀がなっておらん。店に入るときはノックをしてから入るのがマナーというものじゃ」
「いや、ボスワーズさん。扉の叩き方が気に食わないと言って客を追い返したことあるでしょ。なら、いっそのこといきなり入った方がいいと思ったわけで」
「ば、ばかもん。それは、間違っとる!」
口から泡を飛ばして怒鳴るボスワースであったが、本気で怒ってないことは右京には分かっていた。その証拠に伸びた白髪の眉毛をピクピクさせ、よく手入れした白いあごひげを撫でている。機嫌の良い時に出る仕草だ。偏屈で孤独好きな老人だが、気に入った人間と話すことを楽しみにしているのだ。
「おい、糞ジジイ。まだ生きていたでゲロか?」
ゲロ子が右京の胸ポケットから飛び出して、これまた失礼なことを言う。ボスワーズはカウンターテーブルに飛び降りて、テーブルの上の物を物色しているゲロ子をちらりと見た。
「ふん。主人も無礼なら使い魔も礼儀がなっとらんわい。大体、フェアリーやピクシーなどのかわいい系の使い魔が主流なのに、この訳わからんカエルが使い魔とは」
そう言いながらもボスワーズはいそいそと棚からお洒落なカップを3つ取り出し、香り高い紅茶を手際よく入れた。2つは紅茶。1つにはお湯を入れる。指でちょっと温度を確かめたボスワーズは、ゲロ子の襟首を掴むとひょいとカップに入れた。
「ゲロゲロ……。偏屈ジジイの割には気が利くでゲロ」
(うい~っと)と言いながらゲロ子の奴、気持ちよさそうにカップ風呂に浸かる。ボスワーズお手製の小さなタオルを頭に乗せている。
「ふん。お前はそこで静かにしてろ。商談の邪魔だ」
「とかなんとか言ってゲロ」
「なんじゃ!」
ゲロ子が着ているカエルスーツを脱いで肩を露出する。目でウインクしてわざと色っぽい表情をボスワースに投げかけた。
「ゲロ子の入浴シーンを見たいとは、いつ来てもエロエロジジイでゲロ。エロエロ」
「ぶ、ぶあ~かもん!」
「はいはい。ボスワーズさん。この紅茶美味しいですね。これはライティング・ヒル原産のルビーグレイですか」
ボスワースとゲロ子の会話を続けさせるといつまでも終わらないので、そう右京は紅茶の話をした。ボスワースは口の悪いゲロ子がお気に入りのようで、ブツブツ文句を言ったり、怒鳴ったりする割には悪戯な孫を見ているような表情をしている。
「うむ。それは市場でごく少量入荷があったのでな。一流なものを愛するわしが買ったのじゃ。何もお前たちに飲ませるために手に入れたのではないからな」
「そうですか」
明らかに自分たちに飲ませるために買ったようだ。ゲロ子もカップ風呂に浸かりながら、出された小さなカップの紅茶を飲み、ゲロ子用に焼かれた小さなクッキーをほおばっている。前から思っていたが、ゲロ子の奴、いつもスーツ着たまま風呂に入る。気持ち悪くないのかと思うのであるが、そこは使い魔。人間とは違う感覚のようだ。ちなみに体を洗うときは脱ぐそうだ。
「見るなでゲロ。見たら、夜寝れなくなるでゲロ……」
なんてゲロ子が言うが、いかにも見せたいような素振りなので、見る気にもなれず、ゲロ子の自称「脱いだらすごい」という裸体は拝めていない。というか拝む気になれない。
「で、お主、商談に来たのであろう?」
なぜか仲良くお茶を飲んでいるシーンになってしまったが、ボスワースがそう本題を促す発言をした。右京は黙って先程、カイルに取り外してもらった剣の柄を見せた。それを鋭い眼光で見るボスワース。老体ながらも職人のオーラが満ち溢れていて若々しく見える。
「これをこんなデザインにしてもらいたいんです」
右京はテーブルに置かれた紙に木炭で簡単にデザインを描いた。蔓性植物を象ったデザインである。大まかであったが十分であった。ボスワーズは無骨な職人ながら、デザイン面は奇抜でセンスの良いものに仕上げることができるのだ。窓に飾られた、売るつもりのない首飾りを見ても分かるが、細かい細工と金銀、宝石をあしらった優雅な細工を柄に施してくれるはずだ。
「ふん。お前のことだ。ただ優雅な模様を施すだけじゃないようじゃの」
「分かってるね。ボスワースさん」
「ふん。全くメンドくさいことを頼みに来る。で、細かい要件は?」
「今回は見た目も優雅でコケティッシュな感じにしつつ、重量は今より3割少なくして欲しいんだ」
「コケティッシュってなんじゃ?」
「ゲロゲロ……。ゲロ子みたいな色っぽいとか、艶かしいという意味でゲロ」
カップ風呂でうたた寝をしていたゲロ子がけだるい声でそう答える。声だけ聞けばちょっとエロい感じはするが、見ればティーカップに入っているカエル娘である。コケテッシュな感じが一気に消し飛ぶ。
「それじゃ、削って模様を細工するが金銀は使えんな。削った分が相殺されてしまう。それにこれはバスタードソードの柄だろう。3割は強度が失われないギリギリじゃ」
「それでも豪華にというか、高価な感じにして欲しいのですよ」
「表面をメッキで仕上げればいいのじゃな」
「ええ」
右京がボスワースに仕事を依頼するのも、このメッキの加工技術が素晴らしいのだ。この世界のメッキ技術は右京が元いた21世紀からすると2500年は遅れている。いわゆる水銀を利用した溶解めっきである。金を水銀に溶かすとアマルガムという物質になる。アマルガムとはギリシャ語で「やわらかい物質」というのだが、この世界では「金液」と呼んでいる。水銀は熱すると気化するので金だけが残るのだ。簡単な原理ではあるが、水銀は有害であるし、複雑なものに加工するにはそれなりの技術がいる。
「金と白金を使って仕上げよう。中央に青水晶をあしらうと良いかもしれん」
「重量を超えなければいいですよ」
「ふむ。デザインからすると女向けの剣にするようだな」
「分かります?」
「誰でも分かるわい。こんな軟弱なデザイン、無骨な男には似合わん」
ボスワースが右京のことを気に入っているのは、この発想のよさだ。大抵の武器職人や商人は保守的で何の進歩もない。新しいことを試そうともしないのだ。だが、この青年は違う。誰もが考えつきそうで考えつかない発想をするのだ。今回の女性向けの剣という発想も素晴らしい。誰もが考えつくことのようだが、冒険者は危険な商売でそもそも女性は少ない。いてもシーフ(盗賊)やウイザード(魔術師)のような前線に立たない役割が多いのだ。剣を持つ戦士や騎士になると女性の数はグッと減る。経済の原理からいえば、需要が少なければ値段は上がる。女戦士専用の剣となるとオーダーメイドになってとても高価になってしまうのだ。
それは単に右京が現代日本人で、このゲームみたいなファンタジー世界とは無縁な場所で生きてきたからこそ発想できることであったが。
「で、女の武器ならグリップはもう少し小さめにした方がいいじゃろう」
「そうなんです。ちょっと思いついたことがあるので、グリップの作業についてはちょっと待ってください」
右京の思案顔にボスワースは満足気に頷いた。気難しい老人が珍しく気に入った若者の頭の中を見てみたいものだと思った。グリップには使い古された牛革が巻かれている。ところどころ破れて見てくれも悪いし、補修したところで華やかな印象にはならない。
「では、ワシはパメル(柄頭)とガード(鍔)を装飾するとしよう。お主のアイデアは材料をもってきてから聞こうじゃないか」
「了解。お願いします。あと、費用ですが……」
「加工賃は100Gでいい。金と白金は時価でどうじゃ」
「あまり使わないでくださいよ。高くなると売れないですから。あくまでも商売ですからね」
ここは釘を刺しておかないといけない。職人気質のボスワースじいさんが材料に凝ってとんでもないことになってしまう。右京としてはいいものを売りたいが、それはあくまでも売れる金額であり、あまり高くては儲けがでないどころか、赤字になってしまう。
「ああ……。分かってるとも」
「それじゃ、ちょっと材料調達に行ってきます。ゲロ子、お暇するぞ」
右京はゲロ子に声をかける。カップ風呂で気持ちよくなってしまったゲロ子。こいつに茶々入れられなかったので、ボスワースじいさんとの話はスムーズにできた。最初にカップ風呂に沈めた老人の手柄だ。
「ふにゃ~でゲロ。主様~。ゲロ子は眠いでゲロ」
「じゃあ、お前はここで寝とけ」
「おい、右京。カエル娘を置いていくな。作業ができなくなる」
慌ててボスワースは、右京に苦情を言う。
(やれやれだ)
やむ無く右京はゲロ子をつまむとタオルでくるんでポケットに突っ込む。当分、昼寝で起きてこないであろう。右京はポケットにゲロ子を入れたまま、街の繁華街へと足を向けた。行った先は革を扱う店である。