鑑定士クローディア
「これね」
右京がクリスナイフの入っている箱をクロアに見せる。クロアはそれを右手で撫でた。訳のわからない文字を一瞬で解読する。
「最後の勝者は我にあり……と書いてあるよ。呪いのアイテムが入っている箱の割には変な言葉だね。どんな意味があるのか意味深だわ」
「最後の勝者? なんだそりゃ」
この世界は何故か話し言葉は日本語が使われている。右京がゲームの世界ではと疑っている理由の一つになるのだが。文字も日本語や英語表記でおおよそ理解できるのだが、この箱に書いてある文字は訳の分からない記号の組み合わせで何語なのか想像ができないのだ。書いてある言葉が分かっても意味が分からない。
「最後の勝者という言葉から、何か勝負事が関係するみたいね。我とは誰かしら? 呪われてしまったダーリンたちはとても勝者になれそうもないけど」
「勝者どころか、蛇が心臓まで来たらジ・エンド。人生の敗北者になってしまうんだけど」
蛇が心臓まで達した人間のうち、少なくとも2人は大怪我をしている。このままいけば、右京たちにも命にかかわる出来事が発生するのは間違いない。クロアは魔法鑑定士らしく、箱のすみずみまで観察する。
「で、他に分かることは? そもそも、どんな呪い何だ?」
「う~ん。それは開けてみないと分からないんだよね」
そう言いながら、クロアは箱の留め金に手をかけた。その動きにためらう気はさらさらない。右京は驚いた。クロアの奴、全く話を聞いていなかったのか?
「ちょ、ちょっと待て! クロア、開けたらお前も呪われるぞ」
右京が止めたが全く躊躇なく、クロアは開けてしまう。だが、クロアには何の影響もなかった。
「この程度の呪いでクロアが何とかなるわけないでしょう。そもそもクロアは強大な呪いの力でこのバンパイアの体になったのですよ。それよりも弱い呪いが上書きされるはずがないじゃない。ホーッツホホ……」
クロアはそう笑いながらクリスナイフを取り出した。それをゆっくりと観察する。箱の中も観察するがちょっと見ただけでは手がかりはないようだ。
「クロア、解呪はできるか?」
魔法使いが使う魔法に呪いを解除するものがある。これは神官が使う聖魔法とは違う方法で呪いを無効化するというものだ。だが、クロアは両手を広げて『やれやれ』という表情をした。
「ざ~んねん。ダーリン。ダーリンは解呪の意味が分かってないなあ……」
「聖なる力で呪いを消すとか、魔力で呪いエネルギーを打ち消すとか……」
「そんなんじゃないよ」
そう言うとクロアは呪いの解き方を説明しだした。呪いというのは、かけたものがいて初めて存在するものだ。それは複雑な呪術とかけた者の思いが複雑に絡み合って存在する。
神殿で行う解呪は聖なるパワーでそれを包み込んで力を発揮できないようにしてしまうこと。封印と同じだ。封印すれば、もう呪いを受ける者はいなくなる。だが、それ以前に呪いを受けた者はそのままということになる。
呪いの中でも低級霊がくっついて悪さをする類なら神官のお払いでなくすこともできるが、人間を死に追いやるような強力な呪いを浄化するのは無理ということらしい。だから封印するのだ。
ちなみに呪いのアイテムを作り出すのは難しくて簡単にできるものではないが、黒魔術を志す者のうち、能力が高い者にとってはできないものではない。但し、呪いのアイテムを作り出すことは法によって固く禁止されていた。それは当然ながら、重犯罪にあたるのだ。
「ゲゲッ! もし神殿に持っていったら……」
「そうだね~。間違いなく、この箱は封印されてしまうだけ。解呪への手がかりを失うから、危なくダーリンは呪いが成立してしまうという結末だったと思うよ。神殿に行く前にクロアのところに来たのは不幸中の幸いだったね」
クロアは幸いと言ったが、右京としては複雑な心境であった。クロアのところに来たからすぐ解決するか言ったら、そうでもなさそうだったからだ。なぜなら、クロアが使う黒魔法でも解呪は簡単ではない。
黒魔法の解呪の原理は、呪いを移すことである。右京が受けた呪いを誰かに移すのだが、その際に人間ではなく人形に移すというやり方で呪いを断ち切るという方法はあるが、そのためにはかけられた呪いの詳細を知らないとできないという制約があるのだ。
「まずは情報を集めることだね。呪いをかけた者の思い。それにたどり着かないと、絡み合った呪いの糸を解きほぐすことはできないよ。」
クロアに言われて右京はもう一度、手がかりはないか箱の中を探す。ホーリーの時にも箱の内側にノートが隠されていた。何かメモがないか探ったがさすがに同じことは起きない。
だが、気になることもあった。箱の中は赤いビロードの布で覆われていたが、剣先の部分10センチ×15センチの長方形の形がうっすらと見えるのだ。そこのところだけ、わずかに日焼けしてないのだ。
「これはここに何かがあったということになるかのう……」
そうネイがつぶやいた。確かに場所的に金属製のプレートがあってもおかしくない。よく見ると布のところに小さな穴が2つ見える。指で布をこすると確かに穴が見える。ちょうどプレートがあれば両端にあたる。小さな釘で打ち込まれていたかもしれない。
「布の色の差を比べると最近、プレートが取り外された可能性があるなあ。ハーフエルフの娘、仲間から何か聞いていないの?」
ネイの話だとこの短剣を開けて中身を見たのは3人。2人は入院中である。入院中の2人からは情報が得られないとネイは言っていた。とっくの昔に聞けるだけの情報は聞き出したが、めぼしいものはなかった。
それより、同じ時に呪いを受けた神官は現在、失踪中で生死不明である。彼は短剣を見てかなり怯えていたというから、何か知っているのかもしれない。
「失踪中の仲間の居場所は分からないのか? あと逃げ出したという新入りの魔法使いは他に何か言っていなかったか?」
右京はネイに尋ねる。そう言われればネイにも心当たりはなくはない。よく考えれば神官の行き先は考えられる。
「いなくなったのは神官。クルス・ギムレットという名の男じゃ」
「神官ならば、出身の神殿に助けを求めた可能性はないか?」
右京は呪いを解呪する方法を聞きに出身の神殿を訪れる可能性を考えたのだ。ネイもその考えに賛同した。その可能性は高い。
「奴は知の神ノレッジの信仰があったから、その関連した教会か神殿にいるかもしれないのう」
「それだ」
右京はイズモの町の地図を広げた。町にはノレッジ神を祀る神殿が4箇所ある。ギムレットという男が姿を隠すなら、ちょっと目立たない小さな神殿であることが考えられた。そこから推測すると町外れの1件の教会と繁華街の中にある小さな伝道所が候補に上がった。町の中心エリアと市庁舎近くにある大きな神殿は後回しでもいいだろう。
「では、明日になったらギムレットという男を探す。手がかりをそこから見つけるしかない」
「もう死んでいるかもねえ」
「クロア、縁起でもないこと言うなよ」
「でも、みんな同じ時間に見たんだよね、箱の中身。3人中2人が死ぬような目にあっているのなら、神官の男も何か起きている可能性が高いんじゃない?」
クロアのいうことはもっともだったが、今はその神官の行方を探す方がよいだろう。
「あす一番に行こう。それじゃ、夜も更けていることだし、じゃあ、今日はこれで……」
右京は方向性が見えてきたので、話はここまでと判断した。至極、自然に手を上げて出口へ2、3歩歩き出した。だが、ひどく冷静なバンパイア女の声。
「ダーリン、クロアのところに来て、タダで帰れると思う?」
(ぎくっ!)
流れに任せて右京は、退散しようと思ったがクロアはそんなに甘い女ではない。彼女はバンパイアなのだ。そして、商売ごとにはシビアに利潤を追求してくる経営者なのだ。
クロアの目が赤く光ると右京は体の力が抜けてしまった。壁に背中を預けてそのまま滑り落ちて床に座ってしまった。パラライズの魔法だ。一定期間、体の自由が効かなくなる。
「ダーリンのお膝の上に乗ってもいいですか?」
めちゃくちゃ可愛いことを言いながら、クロアは右京の投げ出された足を跨いで腰にまたがってくる。お尻をちょこんと右京の太ももに置いた。右京は観念した。クローディアには問題解決のためにヒントをもらった。それなりの報酬が必要だろう。クロアの場合、右京に対しての報酬とは金ではない。
「ク、クロア、そっちのハーフエルフの方が若いぞ」
「右京さん、それはないのじゃ~」
右京は報酬をネイの血でとクロアに目で勧めたが、クロアはネイを見もしない。
「却下。エルフの血はまずいのよ。それにパートナー以外の血は原則、吸っちゃいけないこと忘れた?」
もう観念するしかない。後は少しでも交渉で押し戻すしかない。
「クロア、頼むから200ccだけにしてくれよな」
「ウフフ……どうしようかなあ」
クロアは右京のシャツのボタンをゆっくり外す。そしてゆっくり体を寄せた。これがナイスバディの美女なら右京も嬉しいのだが、クロアはスレンダー。エロくもなんともない。
「ああ……ホントにダーリンはいい匂い。久しぶりでクロア、キュンキュンしちゃいます。それでは遠慮なく、クロア、イキます! かぷっ~」
「うあああああっ」
右京は気が遠くなるのを耐えた。ハーフエルフのネイはあまりの恐ろしさに腰を抜かしている。
(誰のせいでこんな目にあっていると思っているのだ)
「ぷは~」
右京の首から血を吸ったクロアは、まるで暑い日にビールを一気飲みしたオヤジみたいに口を拭って天井を仰いだ。あまりの美味しさに痺れて恍惚な表情である。目のクマがとれて健康的な美形になっている。
「ク、クロア……めまいがするぞ。どんなけ、吸ったんだ」
「う~ん。久しぶりだったから、クロア、我慢ができなくてちょっと多く吸っちゃった。思わず、気持ちよくて、クロア、いっちゃいそうだったよ」
そう言って(てへ!)と自分の頭を拳でトンっと叩いた。
「て、てへじゃない! 倍は吸っただろうが!」
「いや、4倍の800ccだよ」
「し、死ぬだろが!」
正確に言うと人間の体重の8%が血液という。その20%を失うと生命の危機にさらされる。大人の男性が2000ccの血を失えば死に至るのだ。800cc致死量ではないとは言え、意識が朦朧としてもおかしくはない量だ。ちなみにパンパイアが血を吸うと吸われた人間もバンパイアになるというのは俗説で、この世界ではそんな伝染はしない。
「あわわわ……。次はうちの血を吸うのかや」
腰を抜かしたネイは上半身をロープで縛られたまま、ずりずりと出口に向かって這いずっている。恐怖で思い通りに体が動かないようだ。
「あんたの血なんか吸わないよ。クロアが吸うのはいい男の血だけだよ」
「いい男?」
「そうだよ。あんたはまだ子どもだから、まだ分からないけど。いい女にはいい男が必要なんだよ。クロアにダーリンがぴったりなように」
「右京さんとクロアさんは結婚しているのかや?」
「あら、やだ~。そんな風に見える?」
「おいおい、勝手に盛り上げるな、話を捏造するな」
貧血なのか頭がクラクラする右京。それでもやっと体を起こして、右京たちは夜のうさぎ亭を後にした。クロアは報酬として4倍血を吸った分、明日からの搜索に加わるという。この案件に関しては、クロアは専門家だ。彼女の専門は魔法アイテムの鑑定。鑑定料はそれなりに取るが、右京の場合は血で支払うのだから安いといえば安い。
(右京に言わせれば、お金の方がマシだ。血を吸われるのは健康に悪いし、それに何だか屈辱的なのだ)




