ヌルップのダンジョン 後編
キル子が「やばい」と言ったのは、リザードマン戦士の戦闘力だけではない。開けたこの場所では数がものを言う。回り込まれたり、後方の魔法使いを狙ってきたりする可能性もある。さらに、プラズマボールは厄介だ。稀に自爆すると視力が一時的に奪われるのだ。
リザードマン戦士は熱源を感知して敵を補足することもでき、プラズマボールの自爆攻撃の影響は受けないのだ。もし、自爆されたら一方的に攻撃されてしまうだろう。
「ルナ、いつでもエスケープの石を使えるようにしておけ!」
「は、はい……」
エイブラムスが大声で叫ぶ。雄叫びを上げて走ってくるリザードマン戦士。それをウォーハンマーでなぎ払う。2体のリザードマン戦士が吹き飛ぶ。さらにキル子が跳ぶ。一体のリザードマン戦士を足で蹴り上げると、ガーディアンレディで一閃する。
鎖帷子ごと斬られて倒れるリザードマン戦士。プラズマボールがフラフラと近づき、キル子に電撃を浴びせようとするが、それを返す剣で一刀両断にする。
グエエエッ……。
だが、その攻撃をかいくぐって後方のルナめがけて襲いかかるリザードマン戦士。カットラスと呼ばれる断ち切り用の剣。切っ先が特徴で両刃になっていた。これは刀身の3分の1ほどで、これを専門用語で擬似刃と呼ぶそうだ。
主に船乗りが使う武器で、狭い場所での攻撃に適するよう、長さは60センチ程度である。しかし、身幅が広く、激しい戦闘にも耐えうる優れた武器であった。
それをルナめがけて振り下ろすリザードマン。だが、それは鋼鉄の盾によって阻まれた。
グアアアン……。
金属音がダンジョンの壁に響き渡る。
「くっ……。ルナさんは僕が守る……」
ニールが盾を掲げて、リザードマンとルナの間に入ったのである。リザードマンは狂ったように盾めがけてカットラスの攻撃を繰り出す。
「ちくしょう、負けてたまるか!」
ニールはショートソードを突き出すが、リザードマンはひらりとかわす。赤い舌をちょろちょろ出して、ニールの盾の真ん中に強烈な体当たりをかました。
「うあああっ……」
「きゃあああっ……」
意表を突かれて後ろへひっくり返るニール。手にしたショートソードを落としてしまった。後ろのルナも巻き込まれた。
うきゃあああっ……。
奇声を上げてニールめがけてカットラスを振り上げるリザードマン。これまでかとニールは目をつむった。
「ぐぎゃああああっ……」
ボタボタと赤い血の雨が降る。地面に流れる透明の水にもやっと赤い血が広がる。
「この霧子様が見逃すかよ!」
キル子である。既に前方のリザードマンを片付けたキル子が後方のリザードマンを背後から一撃で真っ二つにしたのだ。返り血を浴びた壮絶なキル子の姿。ニールはその姿に腰を抜かしそうになる。
「ぐぎゃああっ……」
エイブラムスも残りのリザードマンを葬った。あとはプラズマボール1体が天井付近を漂っているだけだ。
「はあ、はあ……。何とか倒したな……」
「プラズマボールが自爆しなくてよかったけど……」
残り1体のプラズマボールは周りを浮遊しているが、危険な様子はない。元々、意思なくダンジョンを徘徊しているモンスターなのだ。
かすかに音がした。ピクピクっとキル子の耳にかかった髪が揺れた。振動を感じたのだ。そして、バシャバシャと激しい水の音がはっきりと聞こえてくる。
「まずい! 沼巨人が引き返してきた」
シーフのハンスがそう叫んだ。エイブラムスはルナに命じる。
「ルナ、脱出だ!」
「は、はい……。えっ、な、ない……」
ルナがポケットを探る。エスケープの魔法が込められた魔法石がない。先程まで間違いなくローブのポケットに入っていた。リザードマンの体当たりで転倒した時に落としてしまったようだ。
ニールはやっと立ち上がった。ふと見ると、エイブラムスがぶっ飛ばしたリザードマンが傍らに倒れている。手に剣がないことに気がついたニールは、そのリザードマンの剣を拝借した。そして何気なく前方を見る。
「あ、あそこです。流れていくのが見えます!」
そう叫んでニールが飛び出した。水の流れによって石がコロコロと転がっていくのが目撃された。何も考えずに取りに行くニール。
「ば、馬鹿! 行くな!」
キル子が叫ぶがニールの耳には入らない。水が流れる方向は先ほど、キル子たちがこのエリアに侵入してきたエリア。やり過ごした沼巨人たちが騒ぎを聞きつけて、こちらに向かってきているのだ。
「はい、霧子さん!」
ニールが転がる魔法石を拾い上げ、キル子へ投げる。
「あぶない!」
1体の沼巨人が跳び上がったのが見えた。ニールが振り返ると空中で棍棒を振り上げ、叩きつけようとする沼巨人が目に入る。
「うあっ!」
グアーン……。
ボキッ……。
鈍い音が壁や天井に響き渡る。ニールが突き出したホプロンに棍棒が当たる。それは先端からポッキリと折れた。木製では金属製の盾を壊せなかったようだ。だが、ニールの盾は棍棒が当たったところで凹み、さらに左腕は衝撃に耐えられずに腕が折れてしまったようだ。
「うああああっ……。痛い」
転げまわるニール。キル子がガーディアンレディを構えて突入する。そして沼巨人に向かって斬りつける。足を斬られて転倒する沼巨人。しかし、この程度で怯むモンスターではない。さらに仲間の3体が襲いかかってくる。エイブラムスもウォーハンマーを振り回し、戦闘に加わる。
「霧子、ヤバイぞ! エスケープは5メートル範囲内じゃないと!」
「分かっている!」
沼巨人を威嚇しながら、キル子は脱出の機会を伺う。5メートルの魔法効果エリア内に仲間を全員集めるには、沼巨人の動きを止めないといけない。
ブンブン……と棍棒を振り回す沼巨人たち。キル子とエイブラムスは、それをかわしながら攻撃を繰り出すが、耐久力のある沼巨人をひるますことができない。
「痛い、痛い……」
「我慢するのだ」
シーフのハンスはニールを引きずって戦闘エリア内から逃れた。魔法使いのルナが魔法を唱える。
「眠りの世界に誘え! スリープクラウド」
『眠りの雲』の魔法を沼巨人にぶつける。だが、それは無効化された。巨人族は強大な魔法耐久力があるのだ。
「ならば、これよ!」
ルナの頭上に火の玉が出現する。レベルが低いルナの最大の攻撃。ファイアボールだ。それが沼巨人に向かっていく。
ボムボムボム……。火の粉が飛び散る。それはニールやキル子、エイブラムスにも降りかかる。
「アチチチ……。ルナの奴、無理しやがる!」
キル子は肌にかかる火の粉を足元の水で濡らす。燃え上がる沼巨人。だが、この攻撃も一時的にひるませただけであった。
「そんな……ファイアボールも効かないなんて……」
ルナの魔力も底をついた。今のが残る魔力を振り絞った攻撃であったのだ。
「ちっ……」
キル子は周りを見る。エイブラムスが沼巨人と奮闘している。ルナとハンス、ニールは戦闘不能。後方で固まっている。2体の沼巨人がそこへ向かって移動中。
(絶対絶命だ……。くそっ!)
ほわ~んと明るく飛んでいる物体が目に入った。最初の戦闘で撃ち漏らしたプラズマボールである。
(こ、これだ!)
「みんな目をつむれ!」
キル子は叫んだ。そして跳躍する。ガーディアンレディを水平にしてプラズマボールを叩いた。これは一撃で倒さないためである。それでもキル子のバカ力で叩かれたプラズマボールは軽く振動し始めた。自爆である。
パアーンと割れて凄まじい光がダンジョンを照らす。目を閉じたキル子たちはともかく、沼巨人はまともに見てしまった。視力を一時的に奪われる。
「今だ!」
キル子は後方へと走る。エイブラムスも走る。5メートル範囲内に入った。
「脱出する!」
右の手のひらを握り締める。エスケープの魔法石が握りつぶされて、魔法が発動した。ダンジョンの外まで一挙に脱出する魔法の開放である。