ヌルップゴケ
「そうなの……。それはよかったわ」
ニールはベルにラドクリフから衛兵にならないかと誘われ事を話した。冒険者を辞めて安定職に就くことを話せば、彼女が安心すると思ったのだ。ベルは美しい青い目を向けてニールを見る。そこにははっきりとした映像はないが、それでも愛情溢れる瞳であった。
「衛兵なら給料もそこそこあるし、君も花屋さんを続ければ豊かな暮らしもできる」
「ふふふ……。それって、私に結婚を申し込んでいるってこと?」
「あ! え、えっと……。それは、そのうち……」
ニールはベルに結婚の申し込みをしていなかったことに気がついた。つい彼女の父親に言われて失念していた。肝心なことが抜けていたのだ。
「ふふふ……。楽しみに待っているわ。でも、そのラドクリフさんの話だと、プレートメイルが必要なんでしょ。大丈夫なの?」
「少し、蓄えはあるけど、すごく高いんだ。でも、何とかするしかないよ」
「……。危険なことはしないでね。あなたの無事が私の願いでもあるのよ」
「あ、ありがとう……」
ニールはベルの表情に陰りがあるのを察知した。ニールの話を真剣に聞いてくれて、時折、微笑んでくれるが、会話の合間に思いつめた表情をする。
「ベル、何か悩みでもあるの?」
「別に……ないわ……」
そう言ってベルは明るく振舞った。
ニールはベルの表情が忘れられない、だから、悪いとは思ったがベルの後を付けた。1週間に1度、彼女は目の病院へ行く。病院へ行くベルの表情が冴えないのを見て、きっとベルの悩みは目の病気のことだろうとニールは思ったのだ。そして、その予想は当たってしまった。婚約者だと告げて、半ば強引に医者に聞き出したこと。
「ベルさんの病気は進行している。このままだとあと半月で完全に見えなくなるじゃろう」
聞いた瞬間、ニールの頭の中は真っ白になった。
「そ、そんな。なんとかならないのですか?」
「貴族様や大金持ちなら何とかなるじゃろうが……」
「薬があるんですね? 治療薬が……」
「あるにはある。しかし……」
煮え切らない医者の返答にニールはある程度の予想はしていた。
「先天性プラズマボール症候群を治す薬……いくらなんですか?」
「最低2400G」
「に、2400? ぼ、暴利を貪らないでくださいよ。たかが薬でしょう!?」
「わしが儲けているんじゃない! この薬は材料からして希少で手に入らないんじゃ。よって高くなるのは必然」
「そ、そんな……」
「見なくなっても死ぬわけじゃない。今はおぼろげに見ていたのが完全に真っ暗になってしまうのは気の毒だが」
「その薬を飲めば、病気の進行を止められるのですか?」
「止められるだけじゃない。目も見るようになるじゃろ」
その薬は特効薬でプラズマボールによってダメージを受けた網膜に活力を与える。薬を使いながら1ヶ月ほど安静にすれば、目に光が戻るという。成功率は進行状態によるが、薬さえ手に入れれば、失明から逃れられる。
だが、薬の値段が高すぎて庶民ではなかなか手に入るものではない。地道に貯金をすれば買えない薬ではないが、花屋を営むベルでは2,3年はかかるだろう。ニールは何とかならないかと考えた。
「材料を手に入れれば、その薬、安くなったりしないのですか?」
「ああ。それは可能性はあるぞ。特に希少価値の高い、ヌルップ産のヒカリゴケを手に入れれば半額でできるかもしれない」
「ヌルップ? イヅモの近くのダンジョンじゃないですか」
「ああ。だが、あそこは上級ダンジョン。行けば死ぬぞ……」
「例え、死ぬとしても愛した女性のために僕は行きます」
「だが、お前が死んでしまったら意味がないぞ!」
病院から出て行くニールに医者は声をかける。だが、それは彼の固い決意の前には意味のないものであった。老医者は話してはいけなかったと後悔したが、若者が自ら選んだ道を尊重したいとも思った。
ニールが向かった先はイヅモの国の冒険者ギルド。ここでヌルップのダンジョンに挑むパーティを探し、一緒に行ってもらおうと考えたのだ。ギルドの受付に声をかけ、ダンジョンに向かうパーティがいたら教えてもらうことにした。
半日ほど待つと、おあつらえ向きの冒険者が現れた。褐色の肌をもつ女戦士と大男である。あと、罠を外したり、宝箱を見つけたりする役割のシーフと魔法使いがメンバーらしい。もう分かるだろう。キル子のパーティである。
「おいおい、ヌルップのダンジョンにお前が行くのかよ?」
冒険者ギルドで同行を申し込まれたキル子は、その戦士の姿を頭のてっぺんから足先まで見た。戦士にしてはヒョロヒョロで弱々しい。立派な盾をもっているのだが、鎧はへんてこ。よく見るとカラカラと音を立てている。どう見ても経験の浅い冒険者。装備が貧弱の初期装備レベルである。
(おいおい、その鎧、木かよ)
金属と見せかけて実は木でできている鎧。キル子は戦士の青年が気の毒になった。こんな装備で上級レベルのダンジョンに同行したいというのだ。ギルドの紹介なので話だけは聞いたが、とても連れて行けるレベルではない。キル子の冒険者仲間であるリーダーのエイブラムスも渋い顔をしている。
「どうしても、ヌルップゴケが必要なんです」
「ヌルップゴケ? あの地下7層にある水エリアの?」
キル子のパーティはこのダンジョンの地下7層に行くミッションだ。奇しくもこの青年と同じ場所である。キル子は今まで何回かこのダンジョンに行ったことがある。確かに地下7層にはそんな名前のコケが生息していたと記憶している。
「ご迷惑はおかけしません。どうか同行をお願いします」
「どうしてそこに行きたいんだ? 冒険者というのはレベルがあってだな。経験を積んだ上で実力の合う仕事を請け負うものだ。君……名前は……」
「ニールです」
「ニール。君のレベルじゃ近づくことも敵わない場所だ。そんな危険を冒すのは何か理由があるのか?」
エイブラムスはそうニールに尋ねる。キル子も興味津々で聞く。
「実は……」
ニールは包み隠さずに話した。彼女の目の病気を治すために危険なダンジョンに挑戦すること。病気の進行が早く、一刻も猶予がないこと。ヌルップゴケがあれば薬が安く手に入ることなどである。強気だが涙もろいキル子は聞いただけで涙があふれている。
「うっううう……。彼女の病気を治すために……いい話じゃないか!」
キル子はハンカチを取り出して涙を拭う。手にしているハンカチは猫のハンカチ。意外と可愛い趣味である。
「う~む。それを聞くと断れないな!」
エイブラムスも性格はキル子と似たり寄ったり。デカい体でも感動屋である。危険は承知でも協力してやろうという気持ちが沸き起こってくる。
「うっうう……。ま、任せておけ! この霧子様がお前を7層まで無事に送り届けてやる!」
ニールの健気な理由に感動したキル子たち。感動の涙を拭って胸を叩いた。自分たちの任務のついでにニールを連れて行くことを了承したのであった。
「だが、あのダンジョンはあたしらでも気を抜くと危険なんだ。ニールは守備に徹すること。攻撃は身の安全を確保した後に行うこと。あたしらが耐えられても、ニールなら死んでしまうことだってあるからな」
キル子はそうアドバイスした。婚約者のために命をかけることは賞賛することであるが、実際に死んでしまっては悲劇となる。何が何でもこのミッションは成功させないといけない。




