伊勢崎水(伊勢崎ウォーター)
音子たちが去って、右京は出発前にキル子たちのためにスペシャルドリンクを作ることにした。砂漠では水分補給が欠かせないが、照りつける陽の光は、キル子たちから水分だけでなく、ミネラルまで奪う。それを補給するためのスポーツドリンクを用意するのだ。
「スポーツドリンクって何でゲロ?」
「水にミネラルや酸味、糖分を加えた、まあ、いわゆるジュースだな」
「そんなの砂漠で必要なのでゲロか? 水があればいいでゲロ」
「ところが違うんだよな。これが……」
どうやら物知りゲロ子でもスポーツドリンクは知らないらしい。少し前にニケを説得する時にゲロ子にしてやられたので、右京はちょっと得意げになった。(ニケの話はおいおい語られるであろうが)
そもそも、砂漠の移動で怖いのが熱中症である。最初はめまいや顔のほてりから始まり、次に筋肉痛や筋肉の痙攣が起きる。さらに体がぐったりして、吐き気に嘔吐、頭痛が発生。異様な汗の量や体温の上昇が見られ、ついには意識不明になる。
人間の体は子供で体重の80%、成人で60%は水分と言われている。その水分には塩分が含まれ、血液を通じて体内の水分量を調整しているのだ。熱中症はこの水分と塩分が汗で失われて起こる病気なのだ。
「キル子はおっぱいの大きさだけで、通常の大人よりも50%増しの水分でゲロ」
「そんなわけないだろ!」
キル子は確かに巨乳である。だが、あの大きな膨らみすべてに水が入っているわけではない。話は元に戻すが、失われた水分と塩分を補給するのが、熱中症の予防方法ということになる。
「ゲロゲロ。やっぱり水をたくさん飲めばいいでゲロ」
「それがそうじゃないんだよな」
水分ならなんでもいいわけではない。水はシンプルでよいが、熱中症は水分だけでなく塩分の不足も原因となる。水を飲んでも体に吸収されなくなってしまうのだ。ましてや、コーヒーや紅茶はカフェインが含まれ、利尿作用を起こすし、牛乳は体温を上昇させて発汗をうながしてしまう。ましてや、アルコールなんかは最悪だ。アルコールの分解に同量の水が体内から奪われてしまう。
右京は昔、炎天下でゴルフに付き合わされ、その後、レストランでビールを飲んだら体が痙攣を起こした経験がある。あれは軽い熱中症にかかっていたところへ、冷たいビールを飲んだから体内から水分が失われてしまったことが原因と思われた。
「そのスポーツドリンクとやらは、どうやって作るでゲロ?」
「教えてやろう」
右京はサポートチームの食料が積んである馬車へと足を進めた。馬車には様々な食材が並んでいる。この材料を使って調理し、選手を支えるのだ。
「ハンナ、ハチミツとレモン、塩はあるか?」
右京は調理の手伝いをしているハンナに声をかけた。彼女は右京の店に勤める店員であったが、今は何人かの社員と共に、このアイアンデュエルのサポートスタッフをしてもらっている。茶色の短い髪に白いプリムが似合う地味な感じの女の子だが、そんな純朴なところにハマってしまった男が傍にいる。自分の仕事じゃないのに、食事の準備の手伝いをしているアマデオである。
「はい、右京さん。今、ご用意します。アマデオさん、そこの壺を取ってください」
ハンナに頼まれてちょっと嬉しそうなアマデオ。右京に頼み込んでハンナをサポートチームにしてもらったのは、彼女と一緒に過ごしたいからだが、肝心のハンナは、そんなアマデオの気持ちに気付いていない。それでもアマデオは満足のようで、ハチミツの入った壺を抱えて持ってきた。
「アマデオ、お前、こんなところで油売っていていいのか?」
「今はやることがないからいいのさ。上司たるもの、部下の手伝いをするのもまた勤め」
何やらかっこいいセリフを吐いている。正確にはハンナの上司は右京なのであるが。そこは突っ込まないことにしてやった。右京はアマデオがハンナに首ったけなことを知っている。
「右京さんは何を作るのですか?」
レモンを抱えたハンナが興味津々で右京のすることを見ている。これは良い機会なので教えてやることにする。ハンナが作り方を覚えれば、キル子と瑠子用に作ってくれるだろう。
「まずは1リットルの水」
じゃぼじゃぼとデキャンタに水を注ぐ。冷却魔法を施したタンクから持ってきたので、結構冷たい。そこへ塩を8g入れる。ほんのわずかである。
「あ!」
大事なことを忘れた。体への吸収を早めるために入れるものがあった。
「ハンナ、重曹はあるか?」
「ありますよ。食器を洗う用のが……。それを入れるんですか?」
不思議そうに右京に問いかけるハンナ。袋から右京がほんのちょこっと取り出した。量にして6gである。それを入れることで体内への吸収がよくなるのだ。
「砂糖でもいいが、より体内への吸収を高めるためには果糖を含むハチミツがベストだ」
ゲロ子がハチミツの入った壺の蓋を取る。紙の蓋を麻紐でぐるぐると縛ってあるので、引っ張って解くと中には黄金色の液体が詰まっている。それを小さな柄杓ですくい取るゲロ子。実に甘そうな粘着力。不純物が一切ない高級な品である。右京も指でちょっとすくい取って味見をする。ねっとりとした甘さが感じると同時に舌の上で雪が溶けるかのように味が消えていく。実にさらっと消えていく。
「美味い。これを入れたらスペシャルなドリンクになる」
「そうでゲロか? でも、ハチミツは水に溶け難いでゲロ」
「お、いいことに気づいたなゲロ子よ。このカップにお湯を入れてもらえ」
右京がゲロ子にカップいっぱいのお湯をもってこさせると、そこへハチミツを100g投入した。お湯でハチミツを溶かして水に入れたのだ。
「何事も工夫があるでゲロな」
「最後はレモンの汁を加える。本当はクエン酸を入れるんだが、どうせないだろうから、レモンで代用だ」
「ゲロ?」
「最後にもう1リットルの水を加えて完成だ!」
右京特性のスポーツドリンクの完成だ。名付けて『伊勢崎水』とでも言っておこう。これをボトルに小分けして、キル子と瑠子に持って行かせる。これで砂漠での熱中症対策は万全である。
3時間が経った。仮眠を取ったキル子と瑠子が出発の準備をしている。時間は午後の4時。これから日が傾き、夜になる。砂漠の移動は涼しい時に距離を稼ぐことが一番だ。夕方と夜。睡眠を取って朝に集中して移動する。目標は砂漠のど真ん中である。
「わお~ん」
眠っていたクロも起きだした。足には葵さんからもらった耐熱用の靴下を履かせている。黄泉の国の番犬に必要ないかもしれないが、用心のためだ。何事も地元の人間のアドバイスは聞いておいた方がよい。
「キル子、これを持っていけ」
右京は金属製のボトルに入った『伊勢崎水』を手渡した。数本のボトルに小分けしてすでにバックに入れてクロの背中に取り付けている。
「なんだ? 水か?」
「水は別のバックに入れてある。これは日中の最も暑い時に飲め。俺の特製ジュースみたいなものだ」
「う、右京の特製ジュース!?」
キル子の顔が急に真っ赤になる。
「そ、そんな……。こんな明るいうちに、特製ジュースなんて……」
「キル子、勘違いするなでゲロ。なんかエロい勘違いしているでゲロ」
「ば、馬鹿やろう! そんなこと考えてないわ!」
(右京が私のために作ってくれたジュース……やっぱり、あたしのことを一番に考えてくれんだ。ああ……幸せだ~)
プシューっと蒸気を出して瑠子の機械馬が現れる。砂漠用にタイヤがごつい溝があるものになっている。それじゃないと砂で滑って前へ進めなくなる。
「瑠子、これを持っていけ。脱水症状を予防する伊勢崎水だ」
「まあ、ありがとう。瑠子にもくれるの?」
「同じチームだからな。基本、水はこまめに取るけど、途中から体調に異変を感じたら、これを飲むんだ」
「了解。あれ? 霧子ちゃん、どうして落ち込んでいるの?」
ずどーんと暗くなっているキル子。先程まで嬉しそうだったのに、この落差はどうしたのかと右京は思った。
「キル子、元気がなくなってでゲロ。生理がきたでゲロ?」
「ば、ばっかやろー」
「キル子、忘れていた。これを持っていけ!」
右京はバサッと大きな布をキル子に被せた。軽くて丈夫なモイラ布で作らせた特注のマントだ。フードが付いていて頭から被ることができ、足まであるから全身を覆うことができる。
「日中の砂漠では肌を日に晒さないのが鉄則だ。キル子の格好だと日焼けしてしまうし、汗で水分を失う。それに砂漠の夜は零下まで下がる寒さだ。このマントがあれば凌げる」
「う、右京……」
パッと太陽のように輝く笑顔を取り戻すキル子。先程までの暗雲立ち込める表情と打って変わる。
「あ、あたし、2回戦も頑張るからな」
「おう、よろしくな」
キル子は右手を上げる。パチンと右京とハイタッチした。クロが(わお~ん)と吠え声を響かせた。今から夜中まで砂漠を走り、休憩して朝に移動を始めれば、昼にはドラゴンと遭遇するはずだ。
「行くぞ!」
キル子と瑠子が出撃する。キル子のマント。背中に大きな文字が踊っている。
『あなたの武器、高価買取。伊勢崎ウェポンディーラーズ』
小さい文字も見える。
『ゲロ子アイス』
このアイアンデュエル。出場選手は動く広告塔なのだ。




