好敵手
クーンクーン。
ケルベロスのクロに餌をやる右京。餌はよく焼かれた豚肉である。焼きが足らないと自分で火を吹いて炙るのがクロの習性である。大きな骨を与えると喜んでかじっていることもある。これだけ見ると異様に大きい犬である。
それでも黄泉の国の番犬ケルベロス。キル子を乗せて100キロの道のりを駆け抜け、先程までドラゴンとの戦いでも大活躍であった。馬ではなく、犬だから観客の注目の的である。今回の参加者の移動手段は様々で、多くは馬であるが音子たちはトナカイによく似た動物に乗っている。山岳地帯に生息するヤクと呼ばれる生物で、荒地の走行を得意とするらしい。スピードは馬には劣るので1回戦は遅れを取ったようだ。
鬼族のロック鳥も珍しいが、ペルガモン王国の山の民の巨人ペアはヒポポタマスと呼ばれるカバに乗っている。これは戦闘用に訓練されたカバであるが機動力は劣る。ドラゴンの攻撃を避けることが難しいと判断して、1回戦は使わなかったようだ。力強く、意外に長距離移動に強いので使っているのであろう。普通の馬ではあの巨体は乗れないということもあるが。
葵公主の馬は1回戦でも話題になった。おそらく今まで見た馬の中では最強であろうとみんな噂していた。右京も葵が乗る馬を遠くで見て、あの龍の馬であることを確信していた。右京の前に買った人物とは葵公主であったのだ。
そしてあの葵公主が右京たちのテントにやって来た。龍の馬を連れてである。久しぶりに見る龍の馬は、あの激しい戦闘でも疲れた様子もなく堂々とした佇まいである。
「右京、久しぶりだな。あの娘は元気にしておろうか?」
あの娘とはホーリーのことだ。一応、葵公主にはホーリーを助けてもらった恩がある。
「はい。ホーリーは元気にしています」
「うむ。そうか。それはよかった……。それと……」
葵公主は美しい眉毛をちょっとだけ動かし、視線を下に下げた。ちょっと言い出しにくいことを話そうとしていると右京は思った。
「越四郎さんのことですね」
「それしかないでゲロ」
驚いて葵公主の目が右京へと注がれる。この三十路の美しい人妻は、色恋沙汰には天然であったが、越四郎と再会してやっと気がついたようであった。越四郎は右京が雇った刀職人で、今は伊勢崎ウェポンディーラーズの修理工房をカイルとともに取り仕切る人材である。
葵公主とは幼馴染で、駆け落ち未遂をした仲でもあった。まあ、超天然で色恋沙汰には疎い公主が、越四郎を振り回した挙句、無理やりされそうになった政略結婚から逃亡したことは計算ではなかったであろう。結果的に冒険者になった葵公主は、それが縁でペルガモン王国の第3王子の妻になるという波乱万丈な人生を送っているのである。
「越四郎は元気か……? 私がこんなことを言うのはいけないと思うが……」
越四郎が葵を探して20年も放浪したとは当初は知らなかった葵であったが、ここへ来て、やっとその事実を知って苦しんだようであった。越四郎は葵を苦しめないように黙っていたが、ついに葵の知るところとなったようだ。
葵は腰に差していた愛刀を抜いた。かつて右京が買取り、越四郎が修理して生まれ変わらせた『獅子王』である。葵はこの獅子王のメンテナンスを越四郎に頼んでいたのだ。越四郎に刀を預ける時に、20年間も自分を探していたことを他の従業員の口から耳にしてしまったのだ。
「越四郎さんなら、この大会が終わったら結婚しますよ」
「け、結婚! そ、そうか……。それはよかった」
本当によかったという表情で葵は答えた。肩の荷が少し降りたような感じを右京は受けた。自分を待っていて20年間も独身だったと聞いたら、大抵の女性は責任の重さを痛感してしまう。でも、越四郎には一途に愛してくれる女性が現れて、過去の苦悩を洗い流してくれそうだ。それは葵にとっても救われる出来事である。
「それにしても葵さん。その馬は俺が買おうとしていたんですよ」
「そうでゲロ。主様はそれで破産の危機に陥ったでゲロ」
「そうなのか?」
「いえ。まあ、結果的にキル子は馬に乗れなかったので買わなくて正解だったのですが」
「うむ。売主がこの馬は予約済みだから売れないと言っていたのを私が無理やり買ったからな。これはすまなかった」
葵としては越四郎の件もあり、右京に迷惑をかけまくったという気持ちがある。だが、葵の立場になれば、どうしても欲しい馬だったのだろう。
「あの馬は一度、ペルガモンの馬市場で見てのう。そのときはさすがに高くて買えなかった。しかし、このアイアンデュエルに出るからにはどうしても手に入れたい馬。私は夫にねだってやっとお金を工面したのだ」
さすがに龍の馬。王家の人間でもすぐには用意できない値段である。葵公主は夫の許可を得て、何とかお金を工面し、越四郎に愛刀のメンテナンスをするついでにイヅモに来ていた馬商人から買うことに成功したのだ。
馬商人もペルガモンで断念した買い主が、ここまで追いかけてきて現金を提示しての交渉。右京がお金を用意するのは難しいということもあって葵に売ったというわけだ。
「まあ、あのおじさんも葵さんが自ら乗るということだったら、心は揺れ動くでしょうね。俺の場合は買い取るだけだから、熱意が葵さんほどじゃないと感じたんでしょう」
あの馬商人のじいさんもこんな美人に頼まれたら、断りきれないだろう。それに結果的に龍の馬に乗ってもらいたかったキル子は馬に乗れないことが判明したから、買わないことが正解であった、今更、葵を憎むはずがない。
それでも葵は責任を感じたのか、右京の足元で眠っているクロを見て、侍女のコゼットに何か持ってくるものを告げた。コゼットが頷いて自分たちのテントへと戻る。
「これが先ほど大活躍していた犬くんだね。普通の犬くんじゃないね」
眠っているクロの頭をそっと撫でる葵。気配で目をそっと開けるクロ。もちろん、触ろうとしているのが女性だから、抵抗はしない。
「普通じゃありません。それに人間を乗せて走れる犬は、そうそういないでしょう」
「そうね。これが魔界の番犬だとしても私は驚かない」
(ギクッ!)
(するどいでゲロ)
「だが、犬の柔らかい足では次の砂漠地帯は厳しい。熱で足の裏が焼けてしまうだろう」
ここまで話すと先ほど離れたコゼットが戻ってきた。手には何やら布袋のようなものをぶら下げている。
「これは耐熱性の布でできた袋だ」
「はあ?」
「これをこの犬くんに履かせてあげてくれ」
葵公主が持ってきたのは靴下。砂漠の熱に耐えられるように特別に作らせたものであった。砂漠地帯では馬の足に履かせる。これは砂漠のことをよく知ったペルガモンの人間ならではの準備であった。
「あ、ありがとうございます」
「あと、ペルガモンの人間からの忠告だ」
「何ですか?」
「次の砂漠エリア。水は十分に持っていくのは当然だが、それだけでは他国の人間は、脱水症状になりかねない。何か対策を取った方がいい」
「対策ですか……。考えておきます」
「うむ。これで私の罪が消えたわけではない。だが、この大会は勝負。いい戦いをしようぞ」
「はい」
葵公主がそう手を差し出した。右京はがっちりと握手をする。葵は結婚してから、このアイアンデュエルへの参加を何度も考えたが、その度に妊娠していたので20代では挑戦することができなかった。30代の今がラストチャンスである。そのために高い龍の馬を手に入れ、準備も万全にしていた。
ペルガモン王国の下馬評では、葵は4番手であった。元女勇者とはいえ、今は第3王子の后であり、3人の子供の母親である。戦士としてのピークは過ぎたものと考えられていた。だが、侍女のコゼットを伴った葵の攻撃力は見ている者の度肝を抜いた。1回戦終わった段階で2位である。しかも一人での成果。一人あたりのポイントでいけば、葵が圧倒的であった。
葵が去ると今度は中村音子が相棒のハーパー・ムーアを連れてやって来た。ハーパーは金髪のショートカットでボーイッシュな感じの女性である。年齢は20代前半といったところか。音子は相変わらず、高校の制服にマフラーで口元を隠している。
「裏切り者が来たでゲロ」
ゲロ子が冷たくそう音子に聞こえる声で独り言を言ったが、音子は眉一つ動かさない。相変わらずのクールぶりだ。それに裏切り者とゲロ子はいったが、音子は右京の店には関係ない。あくまでも右京と同じ、異世界からやって来た人間というだけである。
「アルフォンソに加担したのは、この大会中に聖なる武器が発現するという情報を得たから……」
「聖なる武器か? 誰情報だ?」
「言い伝えにあるとアルフォンソが教えてくれた。聖なる武器は世に出る機会を自ら窺っている。こういう大会でその存在が明らかになるはず」
「なるほど。確かに世界で注目された大会だ。最強の武器が集まってくるのは間違いない。となると、出場者のもっている武器の中にあるのかもな」
音子は元の世界に帰るために聖なる武器を探している。ここまで3つ見つけている。残りはあと2つだ。
「音子ちゃん。この人が伊勢崎右京さん?」
音子の後ろに立っている長身の女性。金髪が眩しい女騎士である。こくんと頷く音子を見るやいなや、右京の手を取った。
「初めまして。ハーパーといいます。ハーパー・ムーア」
「ムーア?」
「どこかで聞いた名前でゲロ」
「兄はマイケル・ムーアといいます。聖騎士の一人なので有名かと思いますが」
「あー!」
マイケル・ムーア。かつてウェポンデュエルの大会で決勝まで残ったデモンストレーターである。魔法付与をするエンチャンターのアルフォンソの友人でオーフェリア王国の聖騎士である。優秀な男で決勝まで右京たちを苦しめた男である。
「その節は兄がお世話になりました。でも、この大会は負けませんよ。妹として兄の敵をうつつもりです。兄に勝った霧子さんは見当たらないですけど。よろしく言っておいてください。次の戦場でお会いするでしょうから」
そう言ってハーパーは茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。音子とハーパーが移動に使う動物はここまでは、ヤクという鹿に似た動物。しかし、砂漠地帯はもう一頭の動物にチェンジするという。それは砂漠トカゲ。暑さに強く、水分も最低限でよいという。但し、スピードは馬に劣るので、今から出発するという。1回戦は遅れたので同じ過ちをするわけにはいかない。
「それじゃあ。右京さん、いい戦いをしましょう。兄が魔法付与してくれた武器は強いですよ。ドラゴン相手にその力は発揮されるでしょう」
そう言ってハーパーは微笑んだ。背中に背負った剣から異様な力を感じる。エンチャンターのアルフォンソが丹精込めて魔法を練りこんだ魔法剣だろう。これは強敵だと右京は思った。