ピッツファリーナの悲劇
キル子は男子騎士候補生2名と共に村に近づいた。街道を進んで途中から林の中に入った。馬を引いて林の木陰から村の様子を伺ったのだ。
「こ、これは……」
「うげええっ……」
キル子についてきた男子学生が吐いた。村は燃え盛り、村人や駐屯兵、そして第3小隊の学生たちが倒れている。まだ、抵抗している兵や村人もいるが形勢は決まっている。阿鼻叫喚の光景とはこのことだ。
「うっ……」
キル子も吐きそうになった。オオトカゲに乗ったリザードマン兵士が暴れている。さらにオーク兵の姿もある。どうやら、リザードマンたちはオークの兵士を雇ってこの村を襲撃したようだ。どうやって、この前線から離れた補給地にやってきたかは分からない。
だが、駐屯していたのは1個歩兵中隊であったし、学生ながら50名もの騎兵もいたのだ。それを壊滅させるとは、油断があったにしてもおかしすぎる。この林から観察していても、リザードマンたちは10名程度だし、オーク兵もそれほど多くはない。オオトカゲに乗ったリザードマン騎兵は驚異だが、ここまで人間がやられるのも変だ。
しかし、その理由はまもなく判明した
「グゲエエエッツ……」
凄まじい咆哮が村中に響き渡る。ドシンドシンと地響きを立てて、歩き回る生物が現れた。オオトカゲよりも大きいそれは『デザートビースト』。砂漠に住む凶悪なモンスターだ。
全長は15m。オオトカゲよりも硬いウロコをもち、鋭い牙と爪、尻尾をもつ肉食獣である。さらに炎のブレスまで吐くという強敵である。
「ディートリッヒ隊長、どうします?」
「あ、あんな化物、俺たちだけじゃ倒せないですよ」
「あたしたちだけじゃ無理だ。正規軍が来なくてはどうにもならない。小隊に戻って待機だ」
「だけど、まだ生きている人間がいるんじゃ……」
ギャーという断末魔の叫びや、オークに襲われている女性の声も鳴り響いている。何とかしなくてはとキル子も思ったが、自分たちが突入しても死体が増えるだけであることも確かである。
そこへ地響きと嘶き。不意に騎兵が突入して行く。
「隊長、味方が!」
男子が指を指す方向をキル子が見る。サーベルを抜刀し、叫びながら突撃をしていく級友の姿が目に入った。
「ば、馬鹿な! ボードアンの奴、動くなと言ったのに!」
ボードアンが小隊の40名程を率いて突入したのだ。不意を襲われたオーク兵が馬に蹴散らされる。学生たちは興奮状態で、サーベルを振り回す。その攻撃力に恐れおののく敵軍。学生たちは、次々と斬りつけてオークどもを追い払う。
「ボードアン! 逃げろ! デザートビーストがいるんだ!」
キル子は叫んだ。このままでは何も知らず、突入した小隊が全滅してしまう。だが、キル子の叫びは、興奮した学生たちには聞こえない。やむなく、キル子はサーベルを抜刀し、セフィーロにまたがって村に突入する。
「それ、オークどもを蹴散らせ。ここで手柄を立てたら勲章がもらえるぞ。もしかしたら、卒業と同時に士官に任命、エリート街道まっしぐらだ!」
ボードアンは自分の幸運に感謝していた。戦闘に参加できるのと相手が少数のオーク兵であったのだ。ここにいた正規兵や先に到着していた騎兵小隊がやられてしまった理由は分からないが、自分たちの突入で形勢が逆転できれば大手柄である。
「ム? リザードマン騎兵か!」
オオトカゲに乗ったリザードマンが現れた。これは強敵だが数が少ない。学生たちは勇気を振り絞って取り囲み、倒していく。訓練通りにやれば怖くない。
「よし、取り囲んで倒せばいい。オオトカゲには構うな! 狙うはリザードマ……」
グオオオオオッ……。
凄まじい咆哮と地響きが迫る。
「な、何だ!」
「副隊長、何か来る!」
「あれは!」
「デ……デザート……ビースト!」
ボードアンはその巨大なモンスターが口を大きく開けた瞬間が、目に焼き付いた。そして、この地上から姿を消した。デザートビーストが炎のブレスを吐いたのだ。一瞬で焼き尽くされる学生たち。
「ボードアン!」
キル子の目の前でボードアンと2人の学生が燃え尽きた。後の学生たちも恐怖で立ちすくみ、その隙を突かれてオーク兵やリザードマンに倒されていく。
「退却だ! みんな村から逃げろ!」
そうキル子は叫びながら、学生たちやまだ生き残っている村人や駐屯兵を励ます。白馬セフィーロは、混乱する人々に勇気を与えた。
「きゃあああっ~。誰か、助けて!」
「グフフフフ……」
女性の叫び声と複数のオークの下品な鳴き声が聞こえる。キル子はセフィーロの馬首を翻し、声のする方へ向かう。村の教会の裏で若い女性がオーク兵に囲まれて、今にも襲われる場面であった。
「ムギュッ!」
キル子は一頭のオークの頭をセフィーロの前足で踏みつけた。驚いた他のオークもキル子のサーベルでなぎ払う。
「大丈夫ですか!」
「は、はい……ありがとうございました……。おかげで……うっ、うっ……」
若い女性は助けられてホッとしたせいで、恐怖から泣き出した。キル子はセフィーロから降りて、女性
を抱き抱える。そして頭を撫でて落ち着かせる。
「ここは危険だ。分かるよね。あそこの森の中へ逃げ込んで。隠れていれば、必ず救援が来るはず!」
「は、はい……」
キル子は女性を森の中へ逃がす。だが、それを逃がすオーク兵やリザードマンたちではない。
「グフグフ……女だ、女……」
「仲間の敵だ。簡単に死ねると思うなよ!」
オークどもが集まってきた。キル子はサーベルを振り回し、セフィーロに乗ると女性が森に逃げるのを援護する。セフィーロで踏みつけ、なぎ倒し、そしてサーベルで止めをさす。大暴れするキル子。
だが、一本の矢がキル子の右足を貫いた、セフィーロにも矢が刺さる。どっと倒れたセフィーロから投げ出されるキル子。そこへオーク兵が取り囲む。
「この女は許さねえ……ぶう」
「誰から行きますかでブウブウ」
「そりゃ、隊長でブ」
ガチャガチャと防具を脱ぐオーク兵。キル子を捕らえたので、ここでお楽しみというわけだ。
「リザードマンの旦那どもは、人間の女に興味はないのが幸いだったでブウウ……」
「やりたい放題でブウ」
セクシーなキル子を見て喜々とするオークども。キル子は右足に刺さった矢を抜くが、その激痛で気を失いそうだ。とても立つことはできない。このまま、オークどもの慰みものになってしまうのかと覚悟を決めた時、オークどもの断末魔の声が聞こえた。
「セフィーロ!」
キル子の愛馬のセフィーロがオークどもを踏みつけているのだ。主人のピンチに怪我をものともせずに、力を振り絞る愛馬。オークたちも武器でセフィーロに斬りかかる。それでも恐れず、オークどもを次々と倒していく。
「ヒヒーン!」
最後のオークを後ろ足で蹴り上げ、倒したセフィーロ。キル子は薄れる意識の中、愛馬セフィーロに右手を差し出した。
「よくやった、セフィーロ。お前はあたしの大切な友だ……」
グザッ!
肉が潰れる鈍い音がした。キル子の思考が止まる。スローモーションのように景色がゆっくりと流れる。そして、目の前が真っ赤になった。白い馬体が血で染まる。
大きなトカゲがセフィーロを頭ごと噛み付いたのだ。ぐちゃぐちゃと咀嚼する音。
デザートビーストがセフィーロに噛み付いたのだ。そのまま、上を向くとセフィーロをまるごと口に入れて食べていく。
「セ、セフィーロ! そ、そんな……」
その光景がキル子の脳の奥底に焼き付く。目から涙が溢れていく。幾筋も流れていく。それは血のように真っ赤に染まっている。目の前で食われていく愛馬の血だ。
「ママ……ママ……助けて……ママ。セフィーロが、セフィーロが……」
膝を折って呆然とするキル子。そこへ、ドーン、ドドーンと凄まじい爆破音が鳴り響いた。規則正しいラッパの音と兵士の声が聞こえる。
「瑠子が正規軍と一緒に到着した時には、霧子ちゃんが倒れていてね。それを瑠子が救ったといいうわけ。前線で異変に気がついた部隊が駆けつけたのと、後方の連隊も昨晩のうちに情報を知って移動していたのよ。それでリザードマンの奇襲部隊は全滅。オーク兵も1頭たりとも逃がさなかったわ。デザートビーストは相当の犠牲を払いながらも討伐したし」
後で調べたらリザードマンたちは、山の洞窟にある秘密の抜け道を使って、補給物資があるピッツファリーナ村を襲ったそうだ。村の駐屯部隊は油断していたところを襲われて、全滅。たまたま、実習に来ていた第3小隊の学生もほぼ全滅。その後、状況もわからず突入したキル子の第1小隊も半数以上が戦死した。
生き残ったのはキル子が逃げろと言って逃げ出した学生と村人たちだけであった。この事件はピッツファリーナの悲劇として今も伝えられている。
「それであたしは騎兵学校を退学したんだ。自分の小隊を守れなかった責任を取って……」
「でも、それはボードなんとかという副隊長のせいだろ?」
「そうでゲロ。そいつが悪いでゲロ」
「あいつに任せたのはあたしの責任だ。それにセフィーロの最後が焼きついて、馬に乗れなくなってしまったんだ。それじゃ、騎士にはなれない」
キル子はこの事件後、馬に乗るとパニック障害が起きるのだ。さすがにそれじゃ、馬に乗る騎士になるのは無理だろう。馬を見たり、触ったりすることはできても乗るとあの残酷な光景が思い出されてしまうのだ。
「なるほどね」
長い話だったが、キル子が馬に乗れない原因が分かった。これを聞いた以上、右京としては、キル子に馬に乗れとは言えない。
「クーン。クーン」
「よく寝たのじゃ。お腹がすいたのじゃ」
番犬のクロとソファで寝ていたニケが起きてきた。そう言えば、ニケを起こしてホーリーのところへ連れて行くのを忘れていた。
(ちょっと待てよ……)
くいくいと右京のシャツの袖を引くゲロ子。ゲロ子も同じことを考えたようだ。
「キル子って、乗れないのは馬だけだよな?」
「ああ。あたしのパニック障害は馬に乗ることで発症する。それ以外は起きない。馬車に乗っても起きないし、馬に触っても大丈夫だ」
「よし!」
「イエスでゲロ!」
右京とゲロ子がガッツポーズをする。
「馬に乗れないなら、犬と狐に乗ってくれ!」
「乗るでゲロ!」
「は?」
キル子の目が点になった。
クロとニケもきょとんとしている。




