ちびっちゃうでゲロ
夕方の5時になった。店じまいの時間である。現代日本ならこんなに早く店は閉めないだろうが、この異世界はこれが普通だ。クロアの魔法ショップみたいにこの時間から開店という所もあるが、それは特殊な例である。
仮に夜遅くまで開けていたところで、お客も来ないだろう。この時間は家に帰って家族団らんで過ごすか、美味しい料理に美味しいお酒で気分良くなる時間帯である。店先では黄泉の国から連れてきたケルベロスのクロがあくびをしてつまらなさそうに寝ている。
ケルベロスなら首は3つあるが、魔力を削られて今は普通の小さな子犬に化けている。女客が来ると妙にはしゃいで絡みつき、舐めまわすが、男客だと無視して眠る変態犬である。
ちなみに性別は牡だ。やっぱりであるが。そして店のソファでも白い髪で着物姿の幼女が寝ている。寝ているせいで変身魔法が解けて、キツネ耳が出てしまっているから正体はバレバレである。
クラマ村の九尾の狐、ベレニケ・アントワープ・デ・クアトロポルテ。通称『ニケ』である。和風ぽい服装なら『おコン』とか、『お玉』とかいう名前にすればよいのに、ヨーロッパ人のような名前で違和感がある。
ニケは右京が世界を救うキーマンだと断言して、右京を監視すると言い出してクラマ村からついてきたのだ。人間には世話にならないと言って右京の店を手伝っているのだが、基本は店のマスコット的な存在であまり役に立つとは当初思えなかった。普段は耳を隠しているからお客としては、異民族の可愛い幼女ということになっているのだが、正体は邪悪な妖狐である。
ところがある時、右京の元へ大量の武器を持ち込んだ男がやってきた。持ってきた武器はどれも程度がよく、また手入れも行き届いたものであった。これはいい品物を持ってきてくれた上客だと右京は思った。
「で、兄ちゃん、全部でいくらで買い取ってくれんだ?」
男はそう右京に尋ねた。ロングソードが3本。宝石と金で装飾された立派な短剣。槍が2本。立派な盾にブレストプレートもある。ちょっと、急いでいる風の男に少々、違和感を覚えたが物はどれも極上品である。
「そうですね……」
右京が査定金額を言おうとしたとき、下から右京のシャツを引っ張る者がいる。下を見るとニケであった。こっちへ来いと目で合図している。そこで、右京は客に少し待つように告げて、ニケと一緒に査定カウンターから離れた。
「お主よ。あの人間は邪悪であるぞよ……」
「邪悪?」
「我には人間の心が見えるのじゃ」
「ということは?」
「あの品は全て盗品ぞよ」
九尾の狐は人間の善悪を全て把握できる力がある。これは買取り業を営む上で、大変役立つ能力であった。男は一見、普通の感じでそんな犯罪をするような感じには見えない。だが、ニケの指摘は当たった。右京が買取りを拒否すると男は残念そうな表情をして立ち去ったが、その後、すぐに警備兵に捕らえられた。どこぞの貴族の屋敷に侵入して盗み出したらしい。
この世界では盗品であることが分かれば、元の持ち主に返さなくてはいけないことになっている。これは武器の買取りをする際の大きなリスクになっている。盗品を持ち込まれて買うと損失となるのだ。それに盗品を転売したら大切な信用まで失う。
盗品かどうかは客の観察の目利きがものを言うが、ニケのように人間の善悪を判断できる能力があれば大変役立つのは間違いない。
まあ、右京の店に盗品を持ち込む者は滅多にないし、大抵、常連客なのでニケの出番はあまりないが、いざという時には心強い。そんなニケも店のソファで疲れてうたた寝をしている。そろそろ、ホーリーの教会へ連れて行って子供達と食事をさせる時間だ。小さい子の面倒は大変なので、ニケは夕方からはホーリーのところで預かってもらっているのだ。ニケも純真無垢の子供たちと過ごすことは嫌がらないので、今のところはおとなしくしている。
そんな時間に瑠子・クラリーネがキル子を連れてやって来た。キル子は瑠子の後ろで視線を合わせず、ちょっと鼻を赤らめている。瑠子に嫌々連れてこられたことは明白だ。
「お、キル子、会いたかったぞ」
「お、おう……」
「霧子ちゃん、右京にちゃんと言いなよ。お馬に乗れないって」
「バ、バカ言うなよ! 運動神経抜群のあたしが馬ごときに乗れないはずはないだろう!」
キル子はそう顔を赤らめてそう瑠子に抗議する。確かに戦闘では、かなり素早い動きとパワー、トリッキーな動きができるのだ。キル子が運動音痴というわけではないことは右京も認めるところだ。泳げないのはあくまでも大きなお胸が邪魔であったからで、運動については、キル子はほぼパーフェクトと言っていい。
馬に乗るというのは確かに技術がいるが、キル子ほどの運動神経の持ち主なら、ちょっと訓練すれば十分に乗れるはずだ。
「え~っ。だって、霧子ちゃん、瑠子と騎士養成学校に通っていた時に乗れなくなったじゃない。あの事件を境に……」
「事件?」
「事件でゲロか?」
「そ、そんなのいつの話だよ。あれからあたしは克服したんだよ」
「あら、そうなの。じゃあ、どうして、出場を断りにここへ来る気になったのよ」
「そりゃ、あたしは忙しいんだ。そんな1ヶ月もかかる大会になんか出ている暇なんかないんだよ。自分で言わなきゃ、瑠子がデタラメなことを右京に言うからな!」
どうやら、キル子は自分の口で正式に断りを入れようと来たらしい。そうはさせじと、右京は頼み込む。
「キル子、馬に乗れるんだったら、俺からも正式に頼む。今回、かなり投資しているんだ。お前が出てくれないと大損してしまう。頼む、出場してくれ!」
「キル子は主様のデモンストレーターでゲロ。出場しなかったら意味ないでゲロ」
右京はキル子に頭を下げる。正直、キル子に匹敵する女戦士を見つけることは容易ではない。ここはどうしてもキル子に出てもらわねばならない。
「ううう……困る……お前にそこまで頼まれたら……」
キル子はギュッと目をつむっている。何だか、心の中で葛藤しているように見える。キル子が右京の頼みを受けるかどうかを、ここまで悩むのはあまりない。基本、キル子は右京の為なら、例え、火の中、水の中という態度なのだ。
「やっぱり、怪しいでゲロ。やっぱり、馬に乗れないからでゲロ」
「ううう……。そ、それはないと言っているだろう」
「じゃあ、これに乗ってみるでゲロ」
ゲロ子が指さしたのは木馬。等身大に作った木馬である。(くれぐれも三角木馬ではないw)先ほど、布がかけられていたので何だろうと右京も疑問に思っていたが、ゲロ子の奴、こっそりカイルの工房の職人に作らせていたようだ。
「ふ、ふざけるなよ。こんな子供だましのおもちゃ」
「じゃあ、乗ってみるでゲロ」
「おい、ゲロ子。いつの間にこんなものを……」
「馬の訓練用に作らせたでゲロ。キル子が単に練習不足で乗れないというのなら、これで練習させようと思ったでゲロ」
「うむ。お前にしてはかなり先を読んだ準備だが……」
キル子はちょっとためらったような仕草をしたが、顔を引き締めるとひらりと木馬に乗った。木馬は大きなバネが中央下に取り付けらており、キル子が乗ると左右にグラグラと揺れる。乗馬練習用などとゲロ子は説明したが、これはどう見てもロデオ用である。バランスを取らないといろんな方向に揺れるのだ。しっかり、お尻を安定させて体のバランスを保たないと振り落とされる。
「ふん。こんなもの簡単だ」
キル子は激しく揺れる木馬を見事に乗りこなしていた。この木馬に乗れたから馬にも乗れるという理屈にはならないと右京は思ったが、これだけ激しく揺れる木馬の動きについていっているキル子はさすがだなと右京は思った。
だが、木馬に乗っているキル子を鋭い目で見ている人物がいる。瑠子である。
(あらあ……。やっぱりね。霧子ちゃんの強がり……。ちょっと足先が震えてるじゃない。生きた馬じゃないから乗れるでしょうけど)
「どうだ、これであたしが馬に乗れないなんてデタラメって分かるだろう」
「うむ。馬よりも激しい動きの木馬にそれだけ乗れるんだ。馬に乗れないというのは勘違いのようだ」
「それが分かればいい。とにかく、あたしが参加しないのは馬のせいじゃないからな。いろいろと忙しくて……」
「じゃあ、頼む。本当に頼む。キル子しかいなんだ。お前しかいない!」
「右京……」
*
「キル子、お前しかいない。お前しか目に映らないんだ」
右京がひざまづいて、小さな指輪ケースを開く、中にはキラキラ光る婚約指輪が光っている。それは幸せを約束する輝きであった。
「ほ、本当か?」
「ああ……。本当だとも」
「いいのか? あたしなんかで? あたしはホーリーみたいに家庭的でないし、クロアみたいなお金持ちで家柄もない。戦うことしか能のない女なんだ!」
「ふふふ……。キル子、それがいいんだよ。女の子はなんといっても元気で健康が一番。結婚したら子供がボロボロ産める体がいい」
「右京、それならあたしは自信がある! 3人でも4人でも右京の子供を産んであげるよ!」
「ああ、キル子、愛している!」
「あたしもだ!」
ガバッと抱き合うキル子と右京。
*
「キル子、どうした? 急に意識が飛んだみたいになってるぞ」
「主様、キル子の妄想でゲロ。何かエロイ妄想をしているでゲロ」
(ハッ!)
キル子は我に帰って頭2回振った。ようやくこちらの世界に戻ってきたようだ。
「霧子ちゃん。右京には本当のこと言いなよ」
瑠子が確信したようにキル子にそう促した。木馬に乗ったキル子の様子から、そう結論づけたようだ。
「本当のことって……」
「瑠子の馬を貸してあげる。もし、嘘をついていないなら、瑠子の馬に乗れるでしょ。右京の前で乗りなさいよ」
瑠子はそう親指でクイクイと外を指差した。店の外には瑠子の愛馬が繋がれているのがガラス越しに見えた。瑠子は職業騎士であるから、キル子の木馬に乗る姿から何かを感じ取ったようである。
「の、乗ればいいんだろう……」
そうキル子は言ったものの、明らかにおかしい。声が上ずり、腰がブルブルと震えている。どう考えても普通ではない。
それでもキル子は外に出ると、右京や瑠子の前で馬に触った。少し撫でて馬を落ち着かせると、鐙に足をかけてひらりとまたがった。
(はううううっ……。意識が飛んじゃう!)
(なんだ……もったいぶって……普通に乗れるじゃ……)
右京がそう思って口に出そうとしたが思わず引っ込めた。代わりの言葉が発せられる。
「どうしたんだ? キル子、泣いてるぞ?」
「体もブルブルと震えているでゲロ」
馬に乗ったキル子は放心状態でポロポロと涙が次から次へとあふれて頬を伝っている。本人は放心状態で目がうつろで完全に意識が飛んでいる。馬に乗った途端の変容だ。
「はううううっ……。だめえええっ……。死んじゃだめええっ……。ママ、助けて……、ママ……セフィーロが死んじゃうよ!」
急に放心状態から興奮状態に泣き叫ぶキル子。慌てて右京はキル子を馬から引きずり落とす。体が痙攣を起こしてヒクヒクしている。何か強いストレスが体を麻痺させて、精神錯乱状態に陥らせたようだ。
「ああ! 霧子ちゃんたら、おもらししている!」
「いい年してションベンちびったでゲロ」
ゲロ子と瑠子が大騒ぎしているが、右京は錯乱状態から気絶したキル子を引きずって、店のソファに寝かせる。ちびったとゲロ子が騒いでいるが、安静して意識と体が戻るまで動かすべきじゃないだろう。
やがて落ち着きを取り戻したキル子に温かいミルクを出してやり、そっとバスタオルを差し出した。チビって濡れてしまったホットパンツとパンツの代わりだ。生憎、店には女物の服が置いていない。
「グスグスッ……」
キル子の奴、意識が正常に戻って恥ずかしくて泣いているようだ。どうやら、馬に乗ってパニックを起こしたことは覚えているようだ。
「右京、幻滅しただろう……。馬に乗るの怖くてチビっちゃう女なんて、引いて当然だ」
「いや。まあ、なんというか……。女の子は絶叫マシンに乗るとチビってしまうというからな。降りた先にパンツが売ってるくらいだから」
とある遊園地のことを思い出してそう慰めるが、この世界には絶叫マシンなんてないから、キル子はきょとんとしている。慌てて例えを変える右京。
「キル子、おもらしなんか恥ずかしくないぞ。俺の元いた世界じゃ、戦いの最中にあまりの恐ろしさに脱糞した武将がいたが、後に天下を取って幕府を開いたくらいだ」
武田信玄と三方ヶ原で戦った徳川家康の例を出して慰めたが、この例も分かりにくい。それでも脱糞はキル子にはウケたようだ。クスクスと笑いだした。
「戦いの最中で大をもらすなんて、さすがにないと思う」
「馬に乗っただけで、ションベン漏らす女戦士もさすがにいないと思うでゲロが、目の前にいて驚いたでゲロ」
「うるさい!」
キル子の鋭い平手がゲロ子を捉える。壁まで吹き飛んでピシャと潰れて、下にひらひらと落ちるゲロ子。口は悪いが、おかげでキル子が立ち直れた。
「キル子、正直に言えよ。馬に乗れないなら乗れないって」
「す、すまん。恥ずかしくって……その……お前の役に立てなくてごめん」
「しょうがないけど。さっきの姿は普通じゃなかった。どうして馬に乗れないのだ? よかったら、俺に話してくれよ」
「でも……あの……」
「霧子ちゃん、話した方がいいんじゃない? じゃないと右京も納得がいかないと思うよ。瑠子的には霧子ちゃんに何とかして出てもらいたいけどね。まだ、治ってなかったんだ」
キル子に粗相をされて馬の鞍を綺麗にしていた瑠子が店に入ってきた。キル子が話し始めたのは騎士養成学校時代の話。瑠子とキル子がクラスメイトで切磋琢磨していた時代である。




