ホーリーの危機
今週は忙しくて投稿できなかったでゲロ。
勇者オーリスが村人を引きつけてくれたおかげで、ロンとホーリーは無事に泉にたどり着くことができた。村の中でとんでもない出来事が起こっているにもかかわらず、泉には綺麗な水がこんこんと湧き出ている。
「ロンくん。ここに何かがあるのですか?」
「はい。水を採取します」
そう言うとロンは腰に付けたポーチから小さな容器を取り出した。そして、そのいくつかに水を入れる。
「ロンくんはこの泉が原因だと考えているの?」
ホーリーはそう尋ねた。しかし、それはちょっと考えにくい。泉の水は村の生活用水であるし、飲み水でもある。水が原因ならホーリーやロンも感染しているはずだ。村ではフィルターを通すとはいえ、各家庭には直接パイプで泉の水が引き込まれているのだ。
「いいえ。そんな単純なものではないと僕は考えています。ただ、仮説を立てるにはまだ証拠が集まっていないのです」
「その証拠の一つがこの水なの?」
「ええ。そして、この泉がある森。ここには様々な動物がいます。夜に泉に水を飲みに来る動物もいるかと思います」
ロンが辺りを見回すと確かに動物の足跡らしきものが散見できる。ウサギに鹿、サルに狐の足跡もある。森に住む動物たちにとっても重要な水場でもあるのだ。
「あああ……うううう……」
「あうあう……ああああ……」
クラマ病患者が数人、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。オーリスが鐘を鳴らさなくなったので、集まってきたクラマ病患者もまた徘徊を始めたようだ。
「ホーリーさん、ここを離れましょう」
「次はどこへ行くのですか?」
「田んぼです」
「田んぼ?」
「このクラマの村の特産品は米。泉の豊かな水を利用した田がたくさんあります。そこで泥を採取するのです」
「泥ですか?」
「ホーリーさん。クラマ病の最初の患者、レイフさんたちは田んぼで作業をしていたのですよ。それを採取してイヅモの町の研究室にもっていくのです」
ロンはそう言ったが、現状では村の中を自由に歩くのは難しい。クラマ病患者に見つかれば追いかけられてしまう。相手は動きが鈍いが数が多い。路地に追い詰められれば、逃げることもできない。
ホーリーとロンは見つからないように慎重に歩く。建物の陰に隠れながらの移動だ。できれば村の外に出たいが、まだ病にかかっていない人は相当数いるし、オーリスは助けた7人の女子供と物見台に立てこもっている。見捨てるわけにはいかないだろう。
「まずはオーリスさんを助けましょう。あそこでは2日間いるのは難しい」
ヒルダが瞬間移動でイヅモの町へこの状態を知らせているはずだ。となると2日後には右京たちが救援に駆けつけるはずである。
「きゃー、助けて!」
「扉が壊されてしまう……」
健常者の声が響いている。ロンとホーリーがそっと様子を伺うと、村にある教会に健常者が立てこもっている。そこにクラマ病患者が大量に押しかけていた。扉はバリケードで守られていたが、あまりの数に押し切られそうである。
「わたしがあそこに登って鐘を鳴らします」
ホーリーが指差したのは村の学校。ちょっとした高台にある小さな学校だ。その屋根には始業の時を告げる小さな鐘があった。
「しかし、ホーリーさん。あれを鳴らせば、村中のクラマ病患者が押しかけますよ。危険です」
「わたしは大丈夫です。鐘を鳴らしたら、何とかして逃げます。それより、ロンさんはオーリスさんたちにも声をかけて、その教会に立てこもってください。あと二日頑張れば、必ず右京様が助けてくれます」
ホーリーはそう言って胸のところに両手を握った。この心優しい女神官は、ロンの無事を祈ったのだ。
「分かりました。ホーリーさん。無理はしないでください」
ホーリーは頷いた。そして学校へ向かって走り出す。距離にして100mほど。途中、教会へ移動中のクラマ病患者に追いかけられたが、何とか振り切って学校へたどり着いた。
まずは玄関から校舎内へ入る。学校の建物は木造2階建て。1階の中央に児童が使う昇降口。1階には職員室と校長室がある。
「だれもいないですよね?」
ホーリーがそっと昇降口を除く。そこには子供のクラマ病患者がたたずんでいる。壁に掲げられた絵を見ているようであった。ホーリーはそっと靴箱の陰に隠れて移動する。どうやら、気づかれなかったようだ。
そこから2階への階段を昇る。木造なのでホーリーが歩くとギーギーと音を立てた。その音に反応する。校舎内にはまだ何人かのクラマ病患者が残っていたのだ。
ホーリーが階段を昇ったところで、左右の廊下に教室から出た子供のクラマ病患者が歩いてくる。ホーリーのことを認識したようだ。
ギーギー……。
音を立てて昇ってくる音。先ほど、昇降口にいた子供が昇ってきているのが見えた。
(に、逃げ場所がありません……)
ホーリーの絶体絶命。このままでは取り囲まれて噛まれてしまうだろう。噛まれれば、ほぼ100%の確率で感染してしまう。
「あああああ……ううううう……」
「うえ……うええええっ……」
緑色の液体を吐きながらやって来る。ミシリミシリと近づく音が聞こえて来る。もはや、ダメだとホーリーは目を閉じた。すると何やら音が聞こえて来る。楽器を鳴らす音だ。変な歌声も聞こえてくる。
「ゲロゲーロ、ゲロゲーロ。どこかに金儲けの話が転がってないかでゲロ。世の中、金でゲロ。ゲロゲロゲロ……」
タンタカタン、ブービーブー……ピーヒョロロー……。
(ゲロちゃん……)
明らかにゲロ子の声だ。どうやら、運動場で楽器を鳴らして大声で歌っているようだ。階段を上りつつあった音が遠ざかっていく。階段を登るのを止めて、運動場へ向かったらしい。廊下から近づいてくるクラマ病患者は近くの教室に入る。窓から聞こえてくるので、そちらへ向かったのだ。
この隙をホーリーは見逃さなかった。素早く廊下に出ると、屋上の鐘のところに出る小さな階段のところに進む。だが、外の鐘があるところへは扉があり、鍵がかかっている。
(開かないわ……鍵は職員室かしら……)
職員室は1階である。1階にはゲロ子の歌を聞いてクラマ病患者が集まっている。降りることは危険だろう。
ギーギーとまた廊下を歩く音がする。ゲロ子の歌がやんだので、また徘徊を再開したようだ。ホーリーがいる3階への小階段はわずか10段程で、しかも扉には鍵がかかっていて行き止まり。もし、見つかってこの階段へ上ってきたら逃げ場はない。
ギーギーという音が近いので、ホーリーは扉のドアノブから手を離した。物音がしたら気がつかれてしまう。
(お願い……気づかないで……愛の女神イルラーシャ、わたしを守って……)
ホーリーはしゃがみ込んで目を閉じた。
「うううう……」
ホーリーの方を見ることなく、一人の子供が通過していく。
「何しているでゲロ?」
「きゃっ!」
不意に声をかけられてホーリーは叫びそうになった。しかし、一瞬で口を塞がれる。ゲロ子がホーリーの口に張り付いたのだ。
「けけ……けろちゃ……」
「黙るでゲロ。気づかれるでゲロ」
ゲロ子である。校庭で歌を歌ってクラマ病患者を引きつけ、その後、高速移動でここまでやってきたようだ。小さなゲロ子なら気づかれなかったのであろう。
「鍵がかかって入れないのです」
「ゲロ子に任せるでゲロ」
どこからか取り出したヘアピンをゲロ子が鍵穴に突っ込んだ。
ガチャガチャ……。
鍵穴の中を動かす音。
「うううう……」
小さな音だが、廊下を歩くクラマ病患者の耳に届いた。
ズッズズ……。ギーギーという音が近づく。
「ゲロちゃん、まだ開かないの?」
「もう少し待つでゲロ」
「でも、一人の子が階段を上ってくるよ」
「もう少しでゲロ」
「2段目、3段目……その後ろにも来ています」
「あと少しでゲロ」
「5段目です」
「うううう……ウグウグ……」
先頭で上ってくる子供が吐くような仕草をした。ホーリーたちに浴びせかけようとしているのだ。嘔吐物に触れても感染の危険性がある。
カチャ……。
「開いたでゲロ!」
ホーリーがドアを開き、外に飛び出すと同時に嘔吐物が吹き出した。間一髪で助かるホーリーとゲロ子。慌てて扉に鍵をかける。外からなら簡単に鍵がかかるのだ。
「危なかったでゲロ」
「ゲロちゃん、助かりました」
「この扉ならしばらくは大丈夫でゲロ」
鐘を鳴らす場所は3畳ほどの大きさで小さな屋根に鐘が吊るされている。紐を引っ張って左右に振れば鐘がなる。
「これを鳴らせば、村中の患者さんがこの学校に集まります。そうすれば、教会の人たちは村の外へ逃げ出せるかもしれません」
「それはそうでゲロが、ゲロ子たちは逃げだせなくなるでゲロ」
「ここに立てこもれば大丈夫でしょう」
扉は一つで鍵がかかっている。狭い場所なので扉が開けられる恐れは低いと思われた。
ガラン……ガラン……。
鐘が鳴り響く。村中のクラマ病を発症した患者が学校を見た。教会を取り囲んでいた患者たちは一斉に学校へと移動を始める。
「助かった……」
ロンは教会に立てこもった人々と顔を見合わせ、安堵の色を浮かべた。教会の扉が壊れ、板やテーブルで応急措置をして塞いだものの、押しかけるクラマ病患者の圧力に今にも扉が突破されそうだったのだ。
もし、ホーリーが鐘を鳴らさなかったら危なかった。教会の中に逃げ込んだ人々は老人や女子供が多く、とても逃げられなかったからだ。
「今のうちに村の外へ逃げましょう。どういうわけか、患者たちは村の外には出ませんから」
これは不思議なのであるが、どの患者も夢遊病者のように徘徊するが村の外には行こうとしないのだ。何かに操られているかのようである。
この教会の破損具合では押しかけられたら、とても籠城はできないと判断したロンは、村の外へ行くことを提案した。外を伺うと徘徊している病人は次々と学校へと向かっている。逃げるなら今がチャンスだ。
「マズイでゲロ……」
鐘を鳴らして患者を集めたまではよかったが、村中の患者が押しかけてきたのだ。子供の患者なら壊せない扉も、大人の患者だと壊されてしまう。鐘を鳴らすのを止めてもホーリーをガラス越しに認識した患者は退散しない。
何とかこの日は耐えたが、一晩中、ガタガタと扉に圧力を加えた続けた結果、朝になって、蝶番が壊れてグラグラと扉が外れ始めた。一晩中眠れなかったホーリーとゲロ子は後退りをする。
「もう逃げ場所はありません」
「屋根に登るでゲロ!」
ガシャン……。音を立てて倒れる扉。折り重なって転倒する患者たち。しかし、ゆっくりと立ち上がってホーリーに向かってくる。慌てて屋根に登るホーリー。ゲロ子はホーリーの肩の上だ。
「もう無理です」
屋根の端に追い詰められた。このままでは下へ転落する。下には村中のクラマ病患者が押しかけているので、落ちれば死ななかったとしても感染は免れない。
「うああああっ……」
「うげっ……うげっ……」
屋根まで伝って来るクラマ病患者。ホーリーは屋根のギリギリのところに立つ。風で着ているローブの裾がはためく。ホーリーは両手を合わせた。
「ゲロちゃんだけでも逃げて」
「ホーリーを見捨てて逃げたら、主様に折檻されるでゲロ~」
もうダメだとホーリーもゲロ子も思ったとき、不意に叫び声がした。
「ホーリー! 手を伸ばせ!」
右京の声だ。
ホーリーは振り返って上を見た。
「右京様!」
「主様!」