クラマ病レポート
右京さんたちが村を病魔から守る斧と共に離れて3日後。
異変が起こった。事の発端は発熱と頭痛を訴えた村人が3人。
村にある診療所のダン医師が診察。僕とホーリーさんも念のため、診察に立ち会う。
朝の9時 診察開始
ルッソさん 46歳 男性 職業 農夫
今朝、激しい頭痛と発熱があり。
ハックさん 38歳 男性 職業 農夫
ルッソさんと同じく、今朝になって頭痛と発熱
レイフさん 33歳 男性 職業 農夫 ダリア村長の夫
症状は同じ。
3人は昨日、仕事の後に一緒に村の酒場で飲んでいたことが判明。
食中毒を疑う。
ダン医師は食中毒を疑うが、昨日、その酒場で飲食した人間はいるが、同様の症状を訴えるものはおらず。
対症療法として解熱剤、鎮痛効果のある薬を投与。様子を見る。
体力が相当失われているのでホーリーさんが回復魔法を施す。
診療所のベッドで寝かせる
12時 お粥を食べさせる。薬の効果で病状は安定しているようだ。
13時 患者の右足に異変 青く変色している。患者は意識が混濁。
14時 変色が両足に広がる。
15時 解熱剤、鎮痛剤の2回目の投与
体の変化から毒ではないかと疑う。
血を採取して調査するが、該当する毒はない。
また、病原菌がないか顕微鏡で調べるが血液には特に気になることはない。
ただ、白血球が多い。これは3人の血液に共通する。
とりあえず、 患者の容体は小康状態。様子を見る。
17時 体の変色が下半身全体に広がる。呼吸が早くなっている。脱水症症状が見られるので生理食塩水を補給する。
20時 体の変色が上半身に至る。ルッソさんが嘔吐。診察中のダン医師と看護師が嘔吐物に触れる。念のため、消毒、嘔吐物は焼却処分とする。
22時 3人の患者の体がすべて青く変色する。意識の混濁。
23時 ダン医師と看護師が体の不調を訴える。嘔吐物から感染した可能性がある。
24時 ルッソさん、ハックさん、レイフさんともに意識が回復。唸り声を上げて僕やホーリーさんに噛み付こうとする。呼びかけても反応せず、取り押さえようとすると暴れる。村の男の人たちに手伝ってもらってベッドに拘束する。
その際、2人が噛み付かれ、3人が嘔吐物を浴びる。
どうやら、これがクラマ病だと思われる。
「ホーリーさん、こっちです。静かに移動してください」
「ロンさん、患者のみなさんはどうしてしまったのでしょう。病気で寝ていないといけないのに、みんなフラフラと歩き回っています」
「彼らは病気の影響で意識を失っています。どういうわけか、人を見ると襲いかかってくるのです」
「ホーリー様、彼らは音に敏感ですわ。気を付けてください」
村の診療所の建物の中に取り残されたロンとホーリー。ホーリーはベッドの下に隠れている。向かい側の部屋にはロンとヒルダが立てこもっており、ドアを少しだけ開けてホーリーに部屋まで来るように合図を送っている。
部屋にはクラマ病の患者が一人、窓の方を見て立っている。ホーリーには気がついていないようだ。
野外では感染者が健常者に襲いかかっている。クラマ病の患者は人を見ると狂ったように噛み付くか、嘔吐を浴びせるかの行動をする。噛みつきは襲った相手を殺すようなことはしない。数度噛み付くとクラマ病患者は離れていくのだ。
しかし、噛まれた方は1時間程で意識を失いクラマ病に感染する。感染速度が異様に早いのだ。同じく、嘔吐物に触れた者も感染する。
これは十分な装備をしていれば感染する確率は低くなるが、クラマ病患者に浴びせかけられた者はほぼ感染する。発症までのスピードは噛まれた時と同じであ
る。
感染者が外を見ているので、ホーリーはそっとベッドの下から抜け出した。そっとほふく前進をする。部屋を出て廊下を横切り、ロンとヒルダがいる部屋へ移動する。
「ホーリー様、ゆっくりですよ。音を立てないように……」
ヒルダが小さな声でそうホーリーを励ます。だが、運の悪いことにベッドの上に置かれた食器からスプーンが落ちかかっていた。それはかろうじて毛布の端に引っかかっていたが、ホーリーがベッドの下からはいでた僅かな振動で床に落ちたのだ。
カラーン。
乾いた金属音が鳴る。部屋にいたクラマ病患者が振り返る。青く変色した皮膚に赤い目。
それがじっとホーリーを見る。そしてノロノロとホーリーめがけて動き出した。
「あうううう……ああうう……」
「だ、大丈夫です……おとなしくベッドで寝てください」
うめき声を上げて近づく病人にそう呼びかけたホーリー。だが、病人はそれに答えずホーリーに向かってくる。
「危ないですううう……」
ヒルダが大きな枕を抱えて飛んできた。病人とホーリーの間に飛び込む。
「うっ……うげえええっ……」
病人がホーリーめがけて吐いたのだ。緑色の不思議な嘔吐物を吐き散らそうとするが、ヒルダの掲げた枕でそれを防ぐ。
「早く!」
ドアを開けたロンがホーリーを部屋へ招き入れる。ガチャっと音がして数人の病人が診療所へ入ってきた。音に誘われてのことだろう。村中の人間が襲われて病気を発症していた。
無事な者はどこかに隠れているはずだが、多くの人間が感染して村中をさまよっているのだ。
「あうあう……」
「あーっ……」
苦しそうな声を出す病人。救い出されたホーリーは悲しみで胸が張り裂けそうになっている。人に感染させようと徘徊している恐ろしい病人ではあるが、元は人のいい村人たちであったからだ。
「ドアが破られないようにベッドと家具で固定しますよ!」
ロンがそう叫ぶ。ドアの外には数人の病人が押しかけている。意識朦朧としているが知性はあるのでドアノブを回して入ろうとしている。鍵がないから押せばドアが開いてしまう。急いでベッドとテーブル、椅子を動かす。しかし、この程度ではドアが破られるのは時間の問題である。
「ホーリー様。いっそのこと、攻撃魔法で倒しましょう」
ヒルダは爆裂の呪文を詠唱に入る。高熱の魔法で焼き払うことで病気の元から絶とうというのだ。
「ヒルダさん、ダメです。あの方々は村人さんたちなのです。危害を加えてはいけません」
「しかし、ホーリー様。このままではわたくしたちも感染させられてしまいます」
「僕もホーリーさんに賛成です。彼らは患者さんであって、ゾンビではありません」
「それはそうですが……」
ドンドン……。
ドアを押す力が増している。クラマ病の患者は動きがゆっくりだが、力は強い。これは脳の機能が冒されていることで、筋肉の限界まで能力を引き出しているせいだとロンは推測していた。普通は筋肉や骨を傷つけないように脳が加減をするのだ。
「う……うううう」
「ああああ~あ……」
部屋の外にいるのはこの診療所の医師ダンと看護師のスー。後は感染させられた村人たちである。
「オーリスさんは大丈夫でしょうか?」
ホーリーはそう一緒に行動をしていたオーリスのことを心配した。オーリスは村の異変を感じて、診療所の外に出ていった。まだ、無事な村人を助けてどこかへ立てこもっているはずだ。
患者に噛まれないことと、嘔吐物に触れないことを告げたとは言え、ひと噛みで感染。嘔吐されても感染である。いくら勇者でも危険は危険だ。
「この病気について、僕はある推測を立てています。それを実証するために泉まで行きたいのです」
「ロンさん、この状況でそれは無理ですよ~」
ヒルダはやめてくれという表情でそう言った。この病人であふれかえる村の外を泉まで移動するのは自殺行為だ。
ドンドン……。窓のガラスを叩く音がする。振り返るとたくさんの感染した村人が外に群がっている。部屋はこの窓とドアしか出入り口がないのだ。今にも窓ガラスを割って、患者が入ってきそうだし、ドアも突破されそうである。
「ホーリー様、強力なスリープの魔法を使います。その方法しか、このピンチを逃れる方法はありませんわ……」
村人を傷つけるわけにはいかないので、ヒルダはスリープの魔法やパラライズの魔法を使ってみたのだがほとんど効果がなかった。脳に作用する魔法は何故か効果がないのだ。
そこで通常のスリープではなく、もっと上位の『ヒュプノスの眠り』という魔法を使う。これは体全体、特に脳を冷やすことで機能を停止させるものだ。いわゆるコールドスリープ状態にする魔法である。眠気を誘発する物質を分泌させて眠らせるスリープよりもより強力であった。
バリバリ……。
「きゃあああっ……」
「や、やばい! ヒルダさん、魔法を唱えて!」
ついに窓ガラスが割られた。外にいたクラマ病患者が侵入してくる。ヒルダは『ヒュプノスの眠り』を発動する。バタバタとその場で崩れ落ちる病人たち。この魔法は効果があったようである。但し、この上級魔法は相当量の魔力を消耗する。ヒルダはぐったりとする。魔力が底を尽きかけているのだ。
ガンガン……。
今度はドアが破られた。グググッ……。ベッドがズリズリと床を滑り、ドアが開け放たれる。もはや、一刻の猶予もない。ロンとホーリーはヒルダが魔法で眠らせた病人のいる窓へと進む。そこには5人の病人が倒れていた。
「ご、ごめんなさい……」
そう言いながら、ホーリーたちは窓を乗り越えて外に出る。部屋に侵入してきた病人たちから逃れることができた。だが、音を聞きつけてさらに徘徊している村人がのそりのそりと近づいてくる。その数10人。大多数の村人が感染させられたようである。
「ああああ……」
「うううう……」
ゆっくりであるが、数が多い。しかもホーリーたちが出た窓側は診療所の裏で建物で込いていた。広い通りに出る両側から病人が近づいてくるのだ。
「一難去ってまた一難です」
「どうしましょう……?」
「わたくしがもう一度、ヒュプノスの眠りを使います……」
ヒルダがそうヨロヨロとホーリーの肩に立ち上がった。しかし、強力な魔法を使うだけの魔力がなかった。
「あああああ……」
「うううう……」
両側から近づくクラマ病患者。完全にはさまれた形のホーリーとロン。
「もうダメみたいです」
ロンは状況を見て諦めた。どちらか片方へ突進しても噛まれずに済むことは考えられない。さらに嘔吐されて緑色の吐瀉物が体にかかればアウトなのである。
「神様に祈りましょう」
ホーリーは両手を合わせて目を閉じた。村人を傷つけたくないホーリーは、ここで襲われ、感染させられても仕方ないと思ったのだ。しかし、彼女の真摯な祈りが天に通じた。
カーン、カーン……。
村中に響き渡る鐘の音。誰かが村の中心にある広場の物見台の鐘を叩いているのだ。その音につられて、近づいてきた病人たちが踵を返したのだ。ヨロヨロと鐘の鳴る方へ動き出す。
「ホーリーさん! ロンくん! 無事か~っ……」
物見台で鐘を鳴らしているのは勇者オーリス。物見台は高さが10m程。はしごで登っていくと8畳程のスペースがある。オーリスはここに女性や子供7名を救出して立てこもっていたのだ。
病人たちははしごを登ることはできないようで、物見台の下で恨めしそうに見上げているだけだ。
「オーリスさん、ありがとうございます」
「ここに7人いる。まだ、建物内に避難している村人も数人いると思う。助けを呼んできてくれ。ここには水も食料もないんだ」
オーリスがそう叫ぶ。病人が登ることができないとはいえ、女性や子供の体力を考えるとここには長くいられない。隙を見てオーリスが水や食料を調達したいのだが、患者の数が増えてそれどころではない。
強力な魔法で一掃すればよいが、やはり、モンスターでない村人を傷つけるわけにはいかないとこの勇者も考えていた。勇者といえども、噛まれたり、嘔吐物に触れたりすれば感染する。恐ろしい病気なのだ。
「分かりました。すぐに助けを呼んできます」
ロンはそう言ったが、この村は辺鄙な場所にあり、隣村までは歩いて半日はかかる。これは、病人が歩いていけないので隣村まで感染させることがないのは幸いであったが、助けを呼びに行くのが容易ではないということになる。
「わたくしがご主人様のところへ移動します。それくらいの魔力はありますから……」
ヒルダは妖精の能力で行ったところへ瞬間移動できる。ヒルダだけなら、イヅモの町に戻れるのだ。
「ヒルダさんは戻って、右京さんたちに助けを求めてください。わたしとロン君で残った人たちを救出します」
ホーリーは村の惨状を眺めている。最初の患者が出てわずか1日でこの状態である。クラマ病の原因がなんであるか分からないが、非常に恐ろしい病気であることは間違いない。それはロンの薬でも自分の神聖魔法でも治せないのだ。
「それでは行ってきます。ホーリーさん、ロンさん、無理はしないでください。2日後にはご主人様たちと助けに来ます」
そう言うとヒルダは残った魔力を使ってイヅモの町へ飛んだ。ここまでは2日はかかる。それまでにできるだけ村人を救わねばならない。
「ホーリーさん、僕は行きたいところがあるのです」
「泉ですか?」
「はい。この病気の謎はあそこにあると思うのです。今なら、クラマ病患者は物見台に集まって移動しやすいです。一挙に駆け抜けていけば泉にたどり着くことができると思います」
「分かりました。わたしも行きます」
ロンとホーリーは村にある泉を目指す。毎朝、病魔のバトルアックスを使って儀式を行う泉だ。