暗殺者の企み
短剣であるバゼラードの特徴は、柄が「I」型をしていること。真っ直ぐなガードとパメルが美しい形状を作り出していた。バーゼル家のダンジョンに安置されている4本のバゼラードは、ガラスのケースに入れられてくりぬいた壁に固定されていた。
それは綺麗に並べられ、数字である「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」「Ⅳ」の文字と「d」「e」「a」「t」の文字が目に入る。今回持ってきたものが空いたスペースに並べられると、さぞかし壮観であろう。
「クロアさん、俺が並べてもいいですか?」
そうマックスが両手を差し出した。クロアはポンと5本目のバゼラードを手渡した。それをうやうやしく受け取るマックス。そして、その短剣を鞘から外した。並べるのに鞘から抜く必要があるのかと右京が思った瞬間だった。
グサッ!
真っ赤な鮮血が飛び散った。5番目のバゼラードを握りしめたマックスが、それをクロアの心臓に突き立てたのだ。クロアが人形のようにぐったりと力が抜けたように体を弛緩させた。目は信じられないといいたげに、カッと見開いたままである。
「うおおおおおっ……」
マックスは雄叫びを上げてクロアを刺したまま、前進する。洞窟の壁にクロアを叩きつけた。バゼラードはクロアの胸を突き破り、背中まで到達した。壁が真っ赤に染まる。
「な、何をするんだ! マックス」
「惨劇でゲロ」
右京が大声を上げる。ゲロ子も目をマン丸くして立ちすくんでいる。突然の出来事に混乱するが、これではっきりしたことがある。今目の前にいるのは敵である。ずっとクロアの命を狙っていた敵である。
「師匠……と言いたいところだけど、右京さん、騙してごめんなさい。俺はこの極悪バンパイアを退治するために、右京さんの弟子になると言ったんですよ。正直、戦闘では学ぶことは一つもなかったですけどね」
「な、なんだと!」
「主様、ガキになめられているでゲロ」
マックスは右京とゲロ子の言葉を無視する。そっと右手で口元を隠した布を振りほどいた。口に八重歯が生えているのが見えた。バンパイアの特徴である。意図的に隠すこともできるのだが、魔力を高めると伸びてしまうので隠していたのだろう。
「おう、マックス。首尾よくやったじゃないか!」
右京の後ろで声がする。振り返るとあの酒場でマックスと喧嘩をしていた大男である。戦士の男と魔法使いの男までいる。右京たちの後を付けて来たのであろう。これで分かった。あの喧嘩自体が演技であったのだ。
「まだ男と妖精が無傷ではないか」
「任せておけ!」
戦士が右京を見てそう言い、すぐに魔法使いの男が呪文を唱えた。ゲロ子が白目を向いて倒れる。体をピクピクと動かして痙攣している。
「麻痺の呪文でゲロ。体がしびれるでゲロ~」
「麻痺だと……」
右京は何ともない。だが、瞬時に何かせねばと直感した。(うっ……)っとわざとらしく声を出して床に倒れる真似をしたのだった。自分が腰に装備しているショートソード。
合体魔法の研究者、ハビエル教授とナナが作った『プラス1』だったのだ。麻痺から守る魔法力を秘めた剣だ。使い魔のゲロ子が貰い受け、右京が装備していたのだ。これを整備するとその所有者は、あらゆる麻痺攻撃からは身を守ることができるのだ。
「何だか、男の方には効きが悪かったようだが、問題なく効果が発揮された。あとは、そのバンパイアの娘を殺すのみ。マックス、バゼラードでとどめをさせ」
リーダー格の大男がそう命じる。魔法使いの男と戦士の男がぐったりしているクロアの腕を広げて壁に押し付けた。マックスはガラスケースを叩き壊すと、まずは1番目のバゼラードをクロアの右手に突き刺した。
「きゃああああああっ……」
クロアの苦痛の叫び声が響く。だが、容赦なく左手にも突き刺す。右足、左足も順番に突き刺された。美しい蝶の標本のように白い壁にとめられたクロアという名の蝶。
「あなたには直接の恨みはないけれど、これも宿命。母さんのためにもクロアさんには死んでもらいます」
そうマックスはすまなさそうに言った。虚ろな目でマックスを見るクロア。ダメージでエネルギーを失い、目を開けていることすらも辛い。それでも、クロアは重い口を開いた。
「どういう事情があるか知らないけど……。ダーリンには手を出さないで……」
「ターゲットはクロアさんだけです。右京さんの命は大丈夫です」
「そ……そう。それはよかった」
クロアの言葉を聞いたマックスは、この最強のバンパイアが生きることを諦めたと感じたようだ。少し、余裕をもってゆっくりと手を伸ばし、最初に心臓に突き刺した5番目のバゼラードを抜いた。
その時にクロアの首の下げられたアクセサリーに気がついたようだ。不死身のバンパイアを死に追いやる死神の剣に、そのアクセサリーが絡みついたのだ。構わず引き抜いたマックス。アクセサリーがちぎれて剣に絡まったのが見えた。それに視線を移したマックス。
わずかな隙ができた。
「クロアっ!」
右京はとっさに起き上がり、その低い姿勢のまま、マックスに突進する。高校の時にラグビー部の顧問をしていた担任の教師が言っていたことを思い出していた。
(タックルは耳でするんだ)
「うおおおおおっ!」
「わっ!」
両腕で両足を締め上げ、頭を付けて渾身の力で引き倒す。その時に耳が体に押し付けられる。ここの密着が甘いとタックルは決まらないが、この時の右京のタックル、高校の担任に教えられたとおり完璧であった。
不意を突かれたマックスは、床に叩きつけられる。衝撃で手に持っていた5番目のバゼラードが床に落ちる。それは平らな石畳を滑って壁に当たった。アクセサリーは床に落ちた問に、タックルに巻き込まれてマックスの右手に引っかかった。
「この男、パラライズの魔法が効かなかったのか!」
大男が慌てて駆け寄り、右京の襟首を掴んだ。マックスから引き剥がされる。
「お前ら、なんだよ。クロアに恨みがあるのか!」
ダンジョンに響く右京の問い。3人の冒険者はにやりと笑う。
「そのバンパイアの嬢ちゃんには個人的なうらみはないさ。ただの任務さ。とあるお方からバンパイア退治を頼まれただけさ」
「心配するな。俺たちのミッションは、そのバンパイア娘の退治。お前の命を取ることは契約に入っていない。このまま、大人しくしていろ」
右京を取り押さえる戦士の男と魔法使いの男。床に押し付けられて身動きができない右京。だが、それでも激しく暴れる。
「クロアを殺すなら、その前に俺を殺せ! 」
「勇ましい男だ。だが、少々うるさい。マックス、早く立ち上がって、バンパイアの嬢ちゃんにとどめをさせ!」
大男の命令にヨロヨロと立ち上がるマックス。右手に絡んだクロアのペンダントに目が行った。それはカバー付きのペンダントで倒れた衝撃で蓋が吹き飛んでいた。中には写真がある。黒い髪の女性の写真だ。マックスの動きが止まった。
「ど、どうして、クロアさんが母様の写真を……」
「どうした? マックス。早くトドメをさせ!」
大男が叫ぶがマックスは頭を抱えている。そしてある種の結論に達したようだ。
「うあああああっ……。俺は取り返しのつかないことを……」
大声で叫ぶマックス。その豹変に驚いた戦士と魔法使いの力が緩んだ。このチャンスを右京は見逃さなかった。
「うおおおおおっ……」
2人の男を全力で振り落とし、右京はクロアに突進した。そして、クロアを抱きしめる。自分の首筋をクロアの顔に当てた。狙いは一つである。
「クロア、俺の血を吸え!」
「ナイスだよ! ダーリン」
「まずい、俺に貸せ! 」
大男が右京の企みに気がついた。床に転がっているバゼラードを拾って、握り締め、自らがクロアにトドメをさそうと試みた。
「かぷ~っつ」
「うああああああっ……」
大男の試みは僅かに遅かった。クロアの隠された牙が右京の首筋を噛む。生命エネルギーの塊である血がクロアに注入される。
「どけっ!」
大男は右京を引き剥がした。そして、5本目のバゼラードをクロアの心臓に突き立てた。汗がポタリと地面に落ちる。かろじて間に合ったと大男は思って、閉じた目をゆっくりと開けた。
「残念でした」
あろうことか、笑顔のクロア。大男は目を疑い、もう一度、クロアの心臓に突き刺さったバゼラードを見る。確かにトドメを差したはずだ。これで伝承では灰になるはずなのだが、一向に灰にならない。
「こ、これはどういうことだ!」
「それは偽物でゲロ。カイルが作ったレプリカでゲロ」
やっと麻痺から治ったゲロ子がそうゆっくりと立ち上がって答えた。足についた埃をポンポンとはらっている。
カチャン……カチャン……。
クロアの両手足に刺さっていた短剣が抜けて床に落ちる。付いた傷が瞬く間に消えていく。圧倒的な回復力。
「クロア!」
血を吸われて目が回り、床に倒れた右京が上体を起こした。手首を振り、首を回してウォーミングアップするクロア。ここからが反撃だ。
「畜生、失敗した。逃げろ!」
大男はそう叫びながら、逃走を開始する。これは今できる最上の行動であろう。戦士も魔法使いも逃げ出す。だが、魔力が戻ったクロアが逃すはずがない。
「異次元へ飛べ! ジェットストリーム」
「わあああっ……」
「た、助けて~っ」
空間にぽっかりと小さな穴が空いた。そこから、らせん状に空気を吸い込まれる。強烈な風に大男たちは、足をバタバタさせながら吸い込まれていく。小さな穴なのになんなく大きな男たちを吸い込んでしまった。
そして周りは何事もなかったかのように静かになった。
コツンコツンと足音を立てて、マックスに近づくクロア。そして放心状態のマックスの首を片手で掴んだ。そしてなんなんく持ち上げるクロア。バンパイア無敵である。
マックスもバンパイアであるから、全力を出せば振り切れるかもしれないのに抵抗をしない。クロアの手を両手で抑えているだけである。
「あなたも覚悟はできているんでしょうね」
「うぐぐぐ……」
目から涙があふれて、頬を伝うマックス。後悔しているように見える。だが、クロアはそんなことでは許さないだろう。ギュッと力を入れる。このまま首をへし折るつもりだろう。
まあ、マックスもバンパイアなら、それくらいじゃ死なないだろうが。それでも、苦しいに違いない。そんな苦しい中から振り絞った声にクロアがひるんだ。
「ご、ごめんなさい……。ね、姉さま……」
クロアが思わず手を離した。床に落ちるマックス。気道が確保されて、空気が喉を通っていく。ヒューヒューと音が鳴る。
「姉さま? わたしがあなたのお姉さんだって?」
クロアが視線を下にゆっくりと移し、息を整えているマックスに尋ねた。




