甘露牛をゲットするでゲロ
イヅモ近郊のダレイラ山は、標高2000mの険しい山である。その麓で細々と牛の放牧をしていたのがカルロの一族であった。一族がこの地で酪農を始めて3代になる。
普通、酪農は広い牧場で行うのが普通だ。しかし、カルロの一族のように山で牛を飼う人間もこの世界にはいる。山には牛の好物である草がたくさんある場合もあったからだ。
カルロの父親の代に牛の改良とダレイラ山にしか生息しないシータ草という草の開発に成功した。この草を食べさせた牛は甘く、香り高い乳を出すようになったのだ。
父から事業を引き継いだカルロは20年かけてシータ草が生える環境をこのダレイラ山に作り、甘露牛と名付けられた牛の頭数を増やすことに成功した。苦労を重なて、最近になって、やっと商業ベースに乗せて販売ができるような体制が整ったところであった。
「その矢先に、これかよ!」
顎ひげをさすりながら、山の状況を聞いた従業員の報告を聞いてカルロは、日に焼けた黒い顔を天井に向けた。なんと運がないのであろうかと自分の運の悪さを呪った。
偵察に出た従業員の報告では、相変わらず、オークどもは居座っていて牛を移動することができないというものであった。
中腹の洞窟に住み着いたオークの群れは危険だ。イヅモの町の近郊だけに治安部隊に訴えれば、討伐隊が派遣されるかもしれないのだが、ダレイラ山は主要道路から離れており、オークどもが人間を襲ったという事実がないとすぐに動いてくれない。
こういう場合は冒険者ギルドに依頼することになるが、カルロにはそれを依頼するお金がなかった。それにオークの一団も危険だが、もっと危険な生物が山頂付近に住みついていることも分かっている。
今年、48歳になるカルロは、妻と子供5人、年老いた母親と弟夫婦にその子供と従業員3人を抱える酪農家である。山への放牧ができなければ、甘露牛の乳の出荷ができずに家族、従業員とも路頭に迷ってしまうのだ。これは困った事態である。
「社長、変な女の子の二人組が社長に会いたいと来ています」
別の従業員の男がそうカルロに告げた。カルロが許可すると、なるほど、変な格好の女が二人、部屋に入ってきた。
一人は神々しい光を放つ金髪美人。純白のローブを身につけている。もう一人は緑髪の目の大きな女の子である。こちらも可愛いのだが、それよりも変な格好が気になる。緑の丈の短いワンピースで全身を覆い、長靴のようなブーツまで緑色の染めた革製である。なにより、変なのはまぬけな顔したカエルのフードをかぶっているのだ。
等身大に変身したゲロ子とヒルダである。
「初めましてでゲロ。甘露牛を生産しているカルロさんでゲロ?」
「ゲロ? 変な喋り方をするネーチャンだな」
カルロは緑髪の変な美少女から差し出された名刺を見る。
ゲロゲロアイス代表 伊勢崎ゲロ子
(ああ……)
カルロは聞いたことがある。最近、イヅモの町で評判のアイスクリーム屋である。カルロはまだ食べてなかったが、妻と子供たちがイヅモの町へ買い物に行ったついでに食べて美味しかったと話しているのを聞いたことがあった。
「アイスクリーム屋の社長ですか。わざわざ、ここへ来たということは取引の話でしょうか?」
「そうでゲロ」
「すみませんが、今は事情があって出荷ができないのです」
カルロはそう言って断った。詳しい話をしても小娘2人では、解決できるはずがないと見くびっていた。
「モンスターが住み着いて困っていると聞きましたわ。もし、わたくしと先輩がそのモンスターを退治することができたのなら、取引に応じていただけます?」
金髪美女がそう申し出た。その自信たっぷり言い方から、この美女は魔法使いか神官なのかもしれないとカルロは思い直した。となると、目の前のカエルのフードをかぶった女の子も冒険者の経験があるのかと改めて見た。
冒険者が引退して商売を始める話は珍しいことではない。だが、どう見てもそんな感じはしない。それでも、今の閉塞状態を打開してくれる流れであることは間違いない。
「もし、お嬢さん方が退治してくださるのなら、取引に応じましょう。私共も顧客が増えることは悪い話ではありません。それに正直、モンスターには困っていまして」
「任せるでゲロ。それで、退治したあかつきには、こういう契約にして欲しいでゲロ」
そうゲロ子と名乗る女の子が契約書を差し出した。それに目を通すカルロ。契約書には、甘露牛の独占買取りの条項が入っていた。生産される乳は全て買い取る代わりに、他者に売ってはいけないというのだ。
「ゲロ子さん、これはちょっと……。今まで買ってくれた問屋さんに悪いし……」
「その問屋は今の状況で何かしてくれたでゲロか? どうせ、出荷できないなら取引停止だと言われたのではないでゲロか?」
ズバリと切り込むゲロ子。確かにオークのおかげで放牧ができなくなり、思うような量が出荷できなくなったら、問屋から取引の一時停止を告げられた。モンスター退治の費用を折半する話や、役所に提出する嘆願書への署名も拒否されたのだ。
カルロは自分の牛乳の価値が、その程度の評価であったのかと落胆したことは事実だ。それに比べて目の前の美少女は、最高の評価をしてくれている。
「どうでゲロ。ゲロ子とヒルダでモンスターを退治するでゲロ。そうしたら、ゲロ子と専属契約を結ぶでゲロ。これは悪い話ではないでゲロ。毎日、定期的に確実に収入が得られるでゲロ。おじさんには悪い話ではないでゲロ」
「ううむ……」
確かに生産したものを全部買い取ってくれるのは悪い話ではない。問屋は注文に応じた量しか買い取ってくれないのだ。リスクもないわけではない。いくら都で評判のアイス屋でも商売がうまくいくとは限らない。専属契約を結ぶということは、ゲロゲロアイスが潰れると自分も連鎖倒産する危険があるということもあるのだ。
(それに……。この2人でオークの群れを退治できるのか? それにモンスターはオークだけではない)
「失礼だが、お嬢さん方だけでこの問題を解決できるとは思えない。オークは単体では雑魚モンスター扱いだろうが、群れとなると侮れない。それにオークは人間の女が大好きだ。お嬢さん方が捕まったら、それこそ悲惨な目に……」
カルロの心配は最もな話だ。オークは豚の頭をした亜人種で、オークと共にこの世界に生息する人間に敵対する生物である。体格は人間よりも少し小さいが、がっしりとした体格で運動能力は高く、知性は低いが闘争本能は高く、好戦的な性格なのである。
簡単な武器を身に付け、時々、人間を襲うのだ。特にオスのオークは人間族の女には目がなく、捕まえればそれこそ陵辱の限りを尽くすと言われている。目の前の美少女二人がそんな目に合うのは避けさせたい。
「大丈夫でゲロ。ヒルダは上級魔法使いでゲロ。強力な魔法でオークはみんな丸焼きにするでゲロ」
「そちらの方は上級魔法使いさんでしたか……」
カルロは天使のような風貌のヒルダに視線を移した。神々しいその姿は説得力がある。ヒルダは今は等身大の体に変身しているだけであるが、今は隠している背中の翼を広げれば正真正銘のバルキリーなのだ。
上級魔法使いなら、オークの群れなど一撃であろう。だが、山頂のモンスターはもっと強大だ。いくら上級でも一人では無理だろう。
「あの……。こういっちゃなんですが、オークよりももっと強いモンスターが山頂付近にいまして。それはさすがにお二人では退治できないでしょう」
「任せるでゲロ。勇者ゲロ子が全て、成敗するでゲロ」
「あ、あなた様は勇者様でしたか」
もちろん、ゲロ子のでまかせであるが、勇者なら退治できるかもしれないとカルロは思った。それにこの危機的な状況なのだ。助けてくれるのなら、その慈悲にすがるしかない。
「それでは、よろしくお願いします」
「それじゃ、ここにサインするでゲロ」
「はい……」
カルロはサラサラと契約書にサインする。これで正式にゲロゲロアイスの専属農家になる。同時にゲロ子たちには、モンスター退治の義務が発生する。
「あの、ゲロ子さん」
「なんでゲロ?」
「中腹のオークは30頭の群れです」
「承知したでゲロ」
「で、もう一つの強敵ですが……」
「なんでゲロか? オーガでゲロか? ファイアリザードでゲロか? ミノタウルスでゲロか?」
ゲロ子は一般的な冒険者が強敵と称するモンスター名を挙げる。山とはいえ、町の近郊に住み着くモンスターはせいぜい、その程度であろう。
「それが……。ドラゴンなんです。それもクラウドドラゴンと言われるレジェンド級のモンスターで」
ゲロ子の全身から汗がダラダラと流れる。予想外のモンスターである。オーガ程度と思っていたから、自分が勇者だとでまかせを言ったが、本当はヒルダに戦わせて自分は高みの見物をしようと思っていたのだ。
「どうしました? ゲロ子さん」
「なんでもないでゲロ。これは戦う前の高揚感から体が熱くなったせいでゲロ」
「それを聞いて安心しました。勇者様なら、例え、神の領域に近い力をもつと言われるクラウドドラゴンでもなんとか追い払えるでしょうから」
(無理でゲロ~)
心の中でゲロ子は思ったが、ここまで格好つけてしまったのだから後には引けない。
ゲロ子はゲロ子。
行き当たりばったりのゲロ子道を突き進むしかない。




