全力で救急救命します!
命の危険を感じる時というのがある。それは瞬間である場合と現在進行形で続く場合がある。当然、人間はそれに応じた回避をする。
今、右京の目の前に展開されるのは後者。50mの深さの海中で浸水が続く潜水艇。水の重さで浮力を失い、再び沈みつつある。母船につながれたケーブルも切れ、海流に流されつつある。さらに空気の取り入れするパイプが破壊され、それを塞いだために酸欠の危機が迫っている。
「まず、亀裂を防がないとこのまま海の藻屑になってしまう」
ゲロ子が必死に壁に張り付いて防いでいるが、体の隙間から水がピューピューと吹き出している。
「ど、道具箱に緊急修理キットがあったはずだ」
キル子が座席の下にある箱に手を伸ばす。それは侵入した海水に沈んでおり、取り出すのに苦労したが中を開けると当面のピンチを防げるアイテムが入っていた。それは瞬時に壁の亀裂を防ぐ粘土。キル子はそれを厚めに亀裂に塗りこむ。
「と、止まったでゲロ」
「だが、水を排出しないと沈んでいくのは止められないぞ」
溜まった水は膝まで達している。その重みで潜水艇『海モグラ』はゆっくりと沈んでいる。この状態で深く沈んでいけば、圧力でまた亀裂が広がり、破壊されてしまうに違いない。
「それも大丈夫さ。この『海モグラ』には緊急排出装置があるんだ」
キル子が操縦席のボタンを押すと床に排出用の穴の蓋が開く。水が一気に流れて排出されていく。
「ゲロゲロゲー。主様、流されるでゲロ~」
ゲロ子が水と一緒に穴に吸い込まれそうになる。右京は慌てて手を伸ばしてゲロ子を救出する。
「これはどういう仕組みだ?」
「潜水艇の底に浮力用の空タンクが装備されているだ。そこへ水を流し込んだんだ。今からタンクを切り離す」
キル子がもう一つのボタンを押すとゴトンっと音がして床が浮き上がる感覚を感じる。潜水艇が浮力を取り戻して、ゆっくりと浮上していく。
「助かった」
「いや、まだ安心はできない。海流に流されているからな。それでも海面まで戻れれば危険は減る」
潜水艇は海面に向かってゆっくりと進んでいる。次のピンチが右京たちに襲いかかる。酸素不足である。小さな潜水艇の空間にある酸素が2人と1匹によって瞬く間に消費されていく。
「はあはあ……息苦しいぞ。このままじゃ、死ぬ」
「ゲロゲロ……ゲロ子は目が回るでゲロ」
「海面まであと30m。時間にして3分だ」
「3分もあるのかよ!」
「息を停めて酸素の消費を抑えるんだ」
「そんなの無理だ!」
「死ぬでゲロ」
キル子は訓練された女戦士だ。3分くらい息を停めるくらいできる。キル子は右京の後頭部を右手で支えると、グイっと自分の胸に右京の顔を押し付けた。軟らかいモチの中に顔がうずまり、息ができない。両手で押さえつけるキル子の腕力に抵抗できない右京。
「う……い……息が……」
「もう少しの我慢」
苦しさと快感が交互に来る不思議な感覚。やがて頭がボーっとなり、天からまばゆい光が幾筋も差しこんでくる。翼をつけた天使。よく見るとゲロ子がハープをもったり、フルートを吹いたりしながら降りてくる。いつぞや見た光景が。
ザバーッっと大きな振動と共に、『海モグラ』は海面に浮上した。ゲロ子がハッチを開ける。新鮮な空気がどっと中に入ってくる。
「右京、右京……」
「うっ……」
キル子に体をゆすられて意識が戻る右京。目に前に現れた天使ゲロ子が消えてなくなる。ゆっくりと目を開けると心配そうに右京を見つめる大きな瞳。
「目覚めた……。よ、よかった~っ」
喜びでまた右京抱きしめようとするキル子。だが、またあの豊満なお胸に埋められて幸福死するわけにはいかない。慌てて右京は体を離した。
「だ、大丈夫だ。俺は大丈夫だが」
「浮上したから、もう安心だ。信号弾を上げればオヤジが見つけてくれる」
「そうでもないみたいでゲロ」
ハッチを開けたゲロ子がそう言った。キル子が顔を出すと潜水艇は海流に流されて、岩場に向かっている。激しい荒波なのでぶつかれば、粉々になってしまうだろう。
「そ、外に出よう。右の方には砂浜の海岸がある。潜水艇は捨てて、泳いでいけばたどり着ける」
「そ、そうだな……」
キル子が急に心配そうな顔になる。それが何だか分からない右京はゲロ子に飛び込むように命じ、自分も飛び込んだ。界面に浮かんで顔を出し、『海モグラ』のハッチに腰掛けたキル子にも促す。右京の合図に思い切ったようにキル子も飛び込んだ。
右京は海岸目指して泳ぐ。距離的には100mくらいだ。早く気がついてよかった。荒波の岩場まで達していたらとても泳げなかったであろう。前方にはスイスイと泳いでいくゲロ子がいる。
(キル子は……)
右京は後ろを振り返った。キル子がいない。
「そ、そういえば!」
キル子が泳ぎが苦手なのを忘れていた。ホテルのプールで特訓してなんとか、25mは泳げるようになったが、その程度の泳力であったのを忘れていたのだ。あの飛び込む時の不安そうな顔を右京は思い出した。
「なんて、うかつだったんだ! キル子~」
右京はUターンをする。そして海中に潜る。透明な水の中にキル子が沈んでいくのが見えた。透明度が高い海でよかった。右京は両手をフル回転して沈みゆくキル子に向かう。そして、その腕をがっしりと掴むことに成功する。体を引き寄せると海面めがけて浮上する。
「キル子、キル子……やばい」
溺れて完全に意識がない。右京はキル子を抱えて岸に向かって泳ぎ始めた。大学生の頃に海水浴場の監視員のバイトをしていたので、溺れた人の救出法を学んでいてよかった。通常、溺れている人に近づくと抱きつかれて自分も溺れてしまう危険があるが、意識を失った人間を運ぶのはそれほどの危険はない。
やがて、足がつくところまで泳ぎきるとキル子を抱きかかえて砂浜に倒れ込んだ。だが、ここからが勝負だ。右京はキル子の頬を軽く叩いて呼びかける。
「キル子、キル子……。意識がない」
口元に耳を近づける。呼吸音がしない。同時に目で胸の上がり下がりを見るが動いてない。呼吸がないのだ。これは一刻の猶予もない。キル子が沈んで5分は経過している。すぐに心肺蘇生法をしなければならない。
「心臓マッサージだ」
右京は仰向けになったキル子のビスチェを外す。たわわな胸がポロリと出るが、照れている場合じゃない。心臓を圧迫して血の流れを再開しないといけないのだ。心臓の位置は乳首と乳首を結んだ線の中央。そこに右の手のひらを置く。そして左手を添えて押す。
「1、2、3、4、5……」
10回の心臓マッサージ。次は人工呼吸だ。キル子の形の良い鼻をつまみ、額に手を当ててぐいと顎を突き上げた。気道の確保である。そしてマウスツーマウスで2回空気を送り込む。キル子の胸が上下に動く。うまく空気が肺に入ったようだ。
さらに心臓マッサージを再開。右京が日本にいた時には、店で客が倒れるという緊急事態を想定して、職場でも救急救命法の講習を毎年やっていた。その経験が生きた。2回目のマウスツーマウスの人口呼吸中にキル子の意識が回復する。
「ウゲッ……ゲホゲホ……」
飲んでいた海水を吐き出すキル子。その背中を優しくさする右京。まだぐったりしているキル子を抱き抱えると海岸の木陰まで運ぶ。ゲロ子に命じて草を敷いた上にキル子を寝かせる。意識は戻ったが体が冷えている。
「ゲロ子、火を起こせ。乾いた流木を持ってくるんだ」
「アイアイサー。でも、主様、火が起きるまでキル子の体が冷え切ってしまうでゲロ」
「くっ……どうすればいいんだ」
「そういう場合は、人肌で温めればいいでゲロ」
「マジかよ……」
それは聞いたことがある。濡れた服を着たままでは、気化熱で体温が奪われてしまう。服を脱いでお互いの体をくっつけて体温で温めるのがよいという。右京は自分の服を全て脱ぐ。キル子の服も脱がした。
そして背後から抱きかかえるようにして座った。ギュッと抱きしめる。右京もここまでの疲労で意識が失われる。そのまま、目を閉じると夢の世界へ旅立った。
パチパチパチ……。
右京がゆっくりと目を開ける。寝てしまったようだ。どのくらい時間が経ったのであろうか。目の前には焚き火。木の枝に右京とキル子の服が干してある。自分はキル子を抱きかかえたまま、木陰で眠ってしまったようだ。キル子も寝ているようで顔色がピンクに染まっている。どうやら、危険は脱したようだ。
「ゲロ子、俺が寝てどれくらい経った」
「ゲロ子の腹時計で1時間弱でゲロ」
ゲロ子の奴、その間に焚き火を起こし、木陰の周りを木の枝で囲い、ちょっとしたテントのようにしていた。珍しく役に立つ使い魔である。
「主様、川もあったので水を汲んでおいたでゲロ」
海岸で拾った桶みたいな器に真水が入れてあった。それを片手ですくって飲む。塩水でやられた喉に心地よく染み渡る。
「うっ……」
キル子が目を覚ました。右京は水を右手ですくうとキル子の口元へ持っていく。真水の感触が唇に伝わると無意識にキル子は飲んだ。夢中で飲み干すと右京の手のひらも舐める。すぐおかわりの水をすくって差し出す。3回ほど続けるとキル子の意識がはっきりとしてきた。
「意識が戻ったようだな」
「う、右京……。そうか……あたしは……溺れて……って!」
今の状況が分かった。自分も右京も生まれたままの姿で抱き合っている。というか、キル子がお姫様抱っこのまま、右京に抱きかかえられているという格好だ。
「な……なんで……はだか……右京に密着……」
かあ~っと顔が真っ赤になるキル子。まるでゆでダコ。体まで赤く染まっていく。右京もここまでは必死であったので、エロい気持ちなんかこれっぽっちもなかったが、(いや、本当になかった。本当です!)
キル子のそんな態度を見て急に恥ずかしくなる。恥ずかしいどころか、軟らかい感触が急に体全体に伝わり、年相応の反応が出てしまう。隠すにも素っ裸だから隠せない。
「な、なんか……固い……ぞ」
慌てて体を離すキル子と右京。お互いに後ろ向きに座って冷静さを取り戻そうと必死になる。
「す、すまん。体を温めるために服を脱がしたんだ。その、セクハラじゃないからな」
「ふ、服を脱がした……じゃあ、あたしの体、全部見たのか……」
「み、見たけど……そうしないとキル子が死んでしまうかもと思ったわけで」
「そ、そうだよな……。緊急事態なんだ。そのこれは感謝すべきことで……。あの、ありがとう右京」
「あ、ああ……キル子が無事でよかった」
急に黙りこくるキル子。パチパチと木が燃える音だけが聞こえる。
「あ、あのな……右京」
キル子が声を発したのは数分後。何だかものすごく長い時間が経過したように感じた。
「な、なんだ、キル子」
「あたしのを見て……その……どう思った……」
そんなことをつい口に出してしまい、キル子は頭が真っ白になってしまった。なんてことを言ってしまったんだと後悔するがもう遅い。言われた右京もなんていってよいか分からないだろう。
「……き、綺麗だった」
「え?」
「こっちを向くなキル子。これ以上、お前を見ていたら正気が保てなくなる」
これは正直な気持ちだ。右京の心の片隅に住んでいるオオカミが表舞台に出てきて、キル子という美味しそうなウサギを食べてしまうそうになる。
綺麗と言われてキル子の心は幸せな空気に包まれる。もうどうにでもなれという気持ち。
「右京、あたし……お前のことが……す……す……」
「ステーキは帰ってから食べるでゲロ。今はこれしかないでゲロ」
にゅっと突き出されたのは枝に串刺しされた魚。ゲロ子が海で獲ってきた魚だ。焚き火でこんがりと焼けている。
「おーい、霧子~っ。どこにいるんだ~」
「お嬢さ~ん」
遠くでフリードたちの声が聞こえてきた。どうやら、キル子たちを探してこの場所へ来たらしい。ゲロ子が照明弾を上げて知らせたのと焚き火の煙のおかげである。