卑怯者には泥を食わせるべし
モンデール伯爵はレイピアを突き出し、右足をスッと前へ出し、体がまるで蛇のようにニュルっと動く。そして急にスピードを上げて飛びかかった。だが、右京は慌てない。瑠子との特訓で相手の体の動きを見るのではなく、剣先を常に注意することを徹底して教えられていたのだ。これならどんなトリッキーな動きにも惑わされず、右京が唯一叩き込まれた技『カウンター』を発動できる。
「そりゃ!」
モンデール伯爵の鋭い突きがくるが右京は落ち着いて、それを小さく右回転させたエスパダ・ロペラの動きで弾き、軌道を変えた。そして、すぐさま攻撃に移る。だが、モンデール伯爵は実戦ではありえない動きをした。弾かれたレイピアを元に戻すことなく突っ込んできたのだ。これは死ぬことのない剣術の試合を見越しての行動である。
(痛っ)
右京の右足に痛みが走った。モンデール伯爵が踏んだのだ。しかも履いている靴底にはスパイクが付いており、それが右京の革靴を突き破って突き刺さった。観客はモンデール伯爵の捨て身の攻撃に目が行っていて気がつかない。
さらに右京の懐に飛び込んだモンデール伯爵は肩で右京に軽くぶつかると、左手に握ったものを右京の顔めがけて投げつけた。それは透明の粉であった。左手でバランスを取るように巧みに動かしたので、ほとんどの観客には、モンデール伯爵が何かを投げつけたようには見えなかった。
その粉は『目潰しの粉』であった。『目潰しの粉』は道具屋で売られている一般的なアイテムで、敵の顔に向かって投げると、敵の目に入り、目を開いていても一時的に視力を奪うことができるものであった。3分ほどの短時間であるが、目の前が真っ黒になるのだ。
モンスターの中には視力がなくなっても鼻や耳で補うことができるものを多い。よほど近づいてぶつけないと効果がないのであまり役に立たないアイテムではあるが、不意をついて人間に使えば、これほど戦いを有利にできるものはない。そして、モンデール伯爵はその不意をつくことに成功した。
(な、なんだ? 目の前が真っ暗で何も見えない!)
右京は焦った。目が痛いとか、開けられないとかではないのに何も見えないのだ。そこへモンデール伯爵の突きが右京の体を捉える。衝撃が走って体がふらつく。しかし、鍛えられた体幹によって転落はまぬがれた。右京はめちゃくちゃにエスパダ・ロペラを振り、慎重に後退する。
「ふふふ……。これまでだな、右京。今から僕のターンだ。痛めつけて、王族に対する無礼の報いを受けてもらう」
「汚い真似しやがって。剣以外のアイテムを使うのは反則だろうが!」
「ふん。目潰しの粉なんか証拠に残らないね。今のお前はビビって、呆然とし、剣をやたら振り回している素人同然の姿にしか見えない」
確かに目が見えないとはいえ、周りの観客には右京の姿は普通に見える。目潰しの粉を使われたと後で訴えても、聞いてはもらえないだろう。相手は王族のモンデール伯爵である。運営に圧力をかけることも出来るに違いない。
「あれは『目潰しの粉』を使ったね。しかも、スパイク付きの靴でダーリンの足を踏むなんて、最低」
「モンデールの奴、どこまで卑怯な!」
クロアと瑠子にはモンデール伯爵のやったことは見えていた。近づいた瞬間に右京の動きが変になったし、右京の視線が定まらないことに気づいた。目は開けているが見えていないのであろう。これでは動けない。下手に動くと足を踏み外して、落下してしまう恐れもあった。
「しかも、まずいでゲロ。太陽が雲に隠れてしまったでゲロ」
ゲロ子は空を見上げた。今日は雲が多く、運の悪いことに大きな雲が太陽を包み隠してしまった。南に立つモンデール伯爵の影が消えていく。これでは切り札の『影縫い』も使えない。
「主様のピンチでゲロ」
右京はかろうじて、剣を振り回しモンデール伯爵の攻撃を受けないようにしているが、モンデール伯爵は左肩、胸とヒットを連発する。剣先が当たる度に右京の体はふらつく。服の下に防具を付け、剣先にはガードがついているので大怪我はないとはいえ、服は破れてボロボロになっていく。モンデール伯爵は、勝利を確信して『目潰しの粉』の効果が切れるギリギリまで右京を痛めつけ、その上で泥の中へ叩き落とすつもりらしい。
「右京が優勝したら王女様と結婚……あたしのそばからいなくなる……そんなの嫌だ……」
右京に試合を虚ろに見ながら、ブツブツ独り言を言っているキル子。その背中には大剣アシュケロンがくくりつけられている。急にキル子はよいことを思いついた。パチンと両手を合わせる。
「そ、そうだ! 右京が負ければいいんだ!」
「何、馬鹿なこと言ってるでゲロか。キル子、モンデール伯爵が側の席へ移動するでゲロ。急ぐでゲロ!」
ゲロ子がキル子の左肩に飛び乗った。太陽は完全に雲によって隠され、右京の状況に沿うように暗雲立ち込める嫌な展開を思わせる。ここは右京の忠実で有能な使い魔であるゲロ子の出番だ。
「それそれそれ……」
調子に乗って剣の技を繰り出す、モンデール伯爵。その圧倒的な攻撃に観客も興奮し、右京の体にヒットする度に大きな歓声が沸き起こる。攻撃がヒットする度に衝撃で体がふらつく右京。もはや、橋から落下するのは時間の問題だ。
(落ち着け、見えなくてもこういう場合、よくあるじゃないか! そう『心の眼』って奴が)
右京はそう考え、精神を集中させる。聴覚、嗅覚、感覚を総動員してモンデール伯爵の居場所を探る。モンデール伯爵はフットワークを前後に使い、攻撃してくる時に鋭く一歩を踏み出して来る。その瞬間に彼の付けている甘ったるい香水の匂いと右足を踏み出した音がする。そして肌に感じる空気の流れ。
(タン)
「そこだ!」
右京は近づいてくる気配に合わせて、自分も前へ動いた。右手に握ったエスパダ・ロペラに軽い回転運動を加えてのカウンター。それは奇跡的にもモンデール伯爵のレイピアを弾いた。そのまま、右京は剣を突き出す。
「うっ……」
モンデール伯爵は戦慄した。右京の剣が右頬をかすめたのだ。姿が見えていれば、この攻撃はモンデール伯爵の体の中心を捉え、その衝撃で橋から落ちていたかもしれない。いたぶるのもここまでだと思った。
「そろそろ、時間も切れる頃だ。お遊びはここまでだ、右京」
「畜生、外したか!」
右京の起死回生の一撃が外れた。こういう時にヒーローは大抵、当てて一発逆転、めでたしめでたしとなるはずだ。外すところが商人たる右京の役どころである。
「これで終わりだ」
モンデール伯爵は勢いをつけるために5歩ほど後退した。勢いを付けたフィニッシュでトドメを刺すのだ。レイピアを高々と上げて観客にアピールする。その姿に観客は興奮を隠しきれない。第一試合がこれで終わると誰もが思った。モンデール伯爵が前進する。
「主様、今でゲロ! 地面に突き刺すでゲロ!」
興奮に包まれる会場の中で、右京の耳にゲロ子の声が届いた。右京は迷わず、地面めがけてエスパダ・ロペラ突き刺す。地面に当たった衝撃でガードが砕けてそれは突き刺さった。黒い影を縫っていたのだ。
キル子が所有する元魔剣の『アシュケロン』には特殊な能力が備わっている。一瞬だけだが凄まじい光を放って敵の目をくらます『ドラゴンスパーク』はその能力の一つだ。
ゲロ子はキル子と一緒にモンデール伯爵の背後に回って、その技を使ったのだ。目的はその光でモンデール伯爵の影を作ること。光を受けて伯爵の影は長く延び、右京のところまで到達したのだ。
『影縫い』成立である。
光はすごいので通常、それに相対する右京まで眩しくて見えなくなってしまうのであるが、幸いなことに『目潰しの粉』効果で右京には一切の影響がない。観客の多くは何が起こったのかわからない状態で視力が戻るのを待つ。2、3秒で見えてきた光景。
モンデール伯爵が突きの姿勢のまま、身動きできない状態である。右京が突き立てた剣の圧力にビビって動けないのだと誰もが思った。本当は影を縫われて行動の自由が奪われただけであるが。先ほどの光も右京の技か何かだとみんな思った。
「おっと、視力が戻ってきたようだ」
右京の目に光が宿る。目の前には身動きできないモンデール伯爵が剣を突き出したままの状態で固まっている。見るからに滑稽である。
「か、体が動かない……。き、貴様、一体、何をしたんだ」
「俺は商人だからな。武器の目利きは得意中の得意さ。このエスパダ・ロペラの力は悪を滅ぼす、正義の力をもった剣だ。これを買い取った俺の目がこの勝利を呼び込んだのさ。ここからは俺のターンだな」
まあ、厳密に言えば、合体魔法で作ってくれたハビエルとナナのおかげでもあるが。まあ、それは置いといて右京は腰に差した鞘を外す。そして、モンデール伯爵の体を人形のように動かす。クイクイと可動式フュギュアのように動かして、右手に向かってお尻を突き出し、飛び込みをするかのようなポーズだ。右京は鞘を両手で握るとバットのように振って、モンデール伯爵のケツめがけて打ち付けた。
「痛い!」
「まずは、1発目は卑怯な手を使った分」
バシっと2発目がモンデール伯爵のケツをひっぱたく。
「これはクロアを侮辱した分」
「痛い、痛い、もう勘弁してくれ!」
滑稽なショーに観客はゲラゲラと笑い始めた。何しろ、急にモンデール伯爵が尻を突き出し、右京にひっぱたかれてるのだ。
「これはマズイ、プロテインを飲まされた俺の分」
「そ、それは関係ないだろ!」
バシッと激しい音がする。ズボン越しにモンデール伯爵の尻の状態が想像できる。もうサルのように真っ赤だろう。鞘が少し曲がってしまった。
右京はエスパダ・ロペラを抜いた。モンデール伯爵の体に自由が戻る。だが、その瞬間に彼の体は宙に舞った。右京がエスパダ・ロペラの刃のない部分でとどめの一発を尻に当てたのだ。
「これは平民を馬鹿にした分だ!」
モンデール伯爵は尻を突き出したまま、落下する。そして顔から泥に突っ込んだ。お尻は突き出したまま、固まったままだ。観客がドッと笑う。真剣勝負が途中から、喜劇に変わったことも忘れて目の前の滑稽な結末に腹を抱えるしかなかった。
「ゲロゲロ……面白いでゲロ。最高でゲロ」
キル子の左肩で笑い転げるゲロ子。キル子は勝って観客に向かって剣を突き出し、アピールしている右京のかっこよさに見とれてしまっている。まあ、右京をかっこいいと思ったのはこの会場では、3人(キル子、ティファ、クロア)しか
いないだろうが。
(や、やっぱり、右京はカッコイイよ……。さすが、あたしが惚れた男)
「文字通り、ダーリンは伯爵に泥を食わせたってわけね」
「う~ん。瑠子としては華麗な技で勝って欲しかったけど、まあ、カウンターしか教えてないから、それは無理だったかな。まあ、1回戦突破したからよしとします」
クロアと瑠子はそう勝ち宣言を受けて退場する右京を評した。モンデール伯爵には勝ったけど、次の相手は剣の達人が続く。『影縫い』が次も通用するとは思えないが、とりあえず、勝てたことはよかった。
瑠子にとっては、胸のモヤモヤが解消する結果であったし、モンデール伯爵に苦い思いをしていた者には痛快な出来事であったろう。試合を見ていた多くの平民も商人の右京が勝った番狂わせに喝采を送った。
そんな騒ぎの中、クロアはそっと席を離れた。向かったのはモンデール伯爵のところである。




