やればできる子なんです!
ステファニーは王位継承権3位の王女である。今は政治の修行として、王族が慣行としている地方行政府の執政官をやっている。赴任先はイヅモ町。これはステファニーが幼馴染のクロアをいじりたいのと、偶然の事故でキスしてしまった右京のことが気になって、自分で赴任地を指名してやって来たのだ。
ステファニーの朝は遅い。小さい頃から身の回りの世話をしてくれる同年の侍女、アリッサが起こしに来る。本当は朝の6時に起床させねばならないのだが、ステファニーは昨日も夜ふかしをしていたようで、声をかけたがやっぱり起きなかった。それでちょっと仏心を出してしまい、しばらく寝かせていたが一向に起きないので、ついに強行手段に出ることにしたのだ。
ベッドの布団をガバっとめくるアリッサ。ネグリジェ姿のステファニーが抱き枕に抱きついている。ちょっと目を覚ましたが意地でも起きないという寝顔であったが、その表情もみるみるうちに渋い顔になっていく。
「さ、寒いわ……。アリッサ」
「ステファニー様。起きてください。何時だと思っていますか?」
「うう……。7時かしら?」
「8時30分です」
「ふええええっ!」
さすがのステファニーも目が覚めた。執政官として役所の朝礼で挨拶をしなくてはいけないのだ。その時間は9時である。
「アリッサ、ちゃんと6時に起こしてと言ってませんでしたか」
「起こしました。6時から10分起きに起こしました。ステファニー様ったら、すぐ起きるとか、もう少しとか、言い訳をたくさんなさっておいででした。最後には王女の眠りを妨げるものは、軍隊1個師団で殲滅するとまで言っておられました」
「そうでしたか?」
アリッサとそんな会話をして、やっと低血圧が改善したようだ。頭がはっきりしてくる。
「そうです。すぐお顔を洗ってくださいまし。その間にお着替えの準備をさせていただきます」
「ま、まずいわね。急がないと……」
さすがに意識がはっきりしてきたステファニー。慌ててベッドから降りようとするが、足がシーツに絡まって頭から落ちる。アリッサが慌ててクッションを投げたので、それに助けられて怪我はしなかったが、3日前も同じシチュエーションで鼻血を出した。鼻にティッシュを詰めて、町の要人と会談したのでさぞかし、要人も驚いたことだろう。
「さあ、早くです。ステファニー様。御髪も解かないとそんなモジャモジャでは、みんながびっくりします」
「そうでしょうか?」
「そうです。ステファニー様は王女殿下であらせられます。寝癖がついた髪で人前に出たら、王家の恥でございます」
「分かりました」
ジャバジャバと顔を洗うステファニー。絶妙のタイミングでアリッサがタオルを差し出す。それを手に取り顔をふく王女。タオルをパサっと地面に向かって落とすと待ち構えていたようにアリッサがカゴで受け止める。そして素早くステファニーのネグリジェを脱がすと本日のドレスを着させる。ステファニーはされるがままだ。
「アリッサ、お腹がすいたわ。朝食はまだなの?」
「ステファニー様。昨日のことを覚えていらっしゃらないのですか?」
アリッサはステファニーの美しい金髪を櫛でときながら、そう問い返しをした。ステファニーは忘れているようだ。毎度のことながら。
「王女殿下は昨晩、クロア様のところへお忍びで行かれて、ガールズトークだとかいって、クロア様のお仕事の邪魔をした挙句に、持ち込んだお菓子を全部食べてしまわれました。そして、帰ってきてお風呂の後に体重計に乗ってびっくりされたのではありませんか?」
「あーっ!」
思い出したステファニー。嫌な記憶はすぐ忘れる能天気な女の子だが、アリッサの詳細な過去映像描写の語りに記憶が復活してしまった。
『明日からダイエットをします! 体重を5キロ落とさなければ、右京に笑われてしまいます。クロアにもバカにされます。明日からは朝食を抜きにします。いいですね、アリッサ。これは命令です』
朝食抜くのはかえって体に悪いと忠告するアリッサに朝食を用意したら、一個大隊で攻撃しますとまで言って承知させたことまで思い出した。
(グウウウウウッ……)
お腹が空腹を告げる。やっぱり、あんなことを言わなければよかった。
「たぶん、ステファニー様はそう後悔すると思いまして、簡単なものを用意しております」
そうアリッサはワゴンを指差した。銀のフードがかぶせられた皿には、ヨーグルトとフレッシュベジタブルと生ハムをパンで挟んだものがあった。無我夢中で口に運ぶステファニー。アリッサはタイミングよくカップに紅茶を注ぐ。
「あと5分でこの部屋を出ませんと、役所の朝礼に間に合いません。お茶は3口だけにしてください」
「はい」
クピクピと紅茶を飲むステファニー。懐中時計で時間を計っていたアリッサは、ドアを開ける。そこにはステファニーの右腕として都からやってきたカンサク秘書官が立っている。メガネをかけた灰色の長髪をしたイケメンの青年である。その後ろにはステファニーの公式護衛官サンケス大尉の顔も見える。彼もくすんだ金髪の刈り上げに筋肉で覆われた強靭な肉体をもつ青年だ。カンサク秘書官もサンケス大尉も役人と軍人のエリートで、共に選ばれてステファニー王女の補佐をしているのだ。
「殿下、お急ぎになりませぬと」
有能な秘書官は本日のスケジュール帳を片手にそうステファニーを急かす。
「わ、わかっています」
「いってらっしゃいませ、ステファニー様」
アリッサはそう言って頭を下げた。ステファニー王女の私生活を助けるのがアリッサの役目。このイヅモの町の行政府の建物内にある公邸となる部屋から出ると、別の者が補佐をするのだ。
「殿下、本日は月1回の朝礼で職員や兵士にスピーチをする日でございます。昨日、スピーチはわたくしが考えるから、カンサクは考えなくてよい。ステファニーはできる子だと分からせてあげますとおっしゃっていましたが、スピーチの準備はできていますでしょうか?」
「あ、あああああ~っ……。スピーチ文作るの忘れていましたわ!」
(はあ……)
心の中でため息をつくカンサク秘書官。
「たぶん、そうだろうと思いまして、スピーチ原稿を用意しておきました」
カンサク秘書官はそう言って歩きながら、小さなメモを渡す。ステファニーはそれを受け取るとドレスの胸元に挟み込んだ。午前中のスケジュールを読み上げる秘書官の声をBGM代わりにして、鼻歌を歌うステファニー。全く聞いちゃいない。
そうこうするうちに、職員が集まっている部屋のドアの前に来た。護衛の兵士が大きなドアを開ける。800人もの職員が集められて並んで立っている。今日は月に一度のイヅモの役所に務める職員が、執政官のありがたい話を聞く日なのだ。
静かに待っているところへ、ステファニーが現れた。
「みなさん、おはようございます。ステファニーです」
ニッコリと笑ってステファニーが挨拶をする。そして、先ほどもらったメモを胸元から取り出そうとするが、挟んであっただけなのでするりと中に落ちてしまった。胸の谷間に引っかかっている。まずい、これがないとスピーチができない。かと言って、衆人が見ている前で手を突っ込むわけにはいかない。
(王女さん、メモ落としたのか? やべえぞ……)
後ろで控える護衛のサンケス大尉は、ステファニー王女が今にも胸元から手を突っ込んでメモを探しそうなのでそれだけはやめてくれと心の中で念じていた。
メモを作ったカンサク秘書官に至っては、なぜ、早め渡してしまったのか絶賛後悔中であった。
(困りましたわ……。こういう時はどうしたらよいのでしょう……)
賢いステファニーは実によいことを思いついた。ぴょんとその場でジャンプしたのだ。降りた振動でメモが胸からお腹へ落ちる。だが、ウェストはすぼまっているから、メモはそこで止まる。ぴょんぴょんジャンプして、服のお腹部分を引っ張るステファニー。執政官の奇行に集まっている職員や兵士はキョトンとしている。慌ててカンサク秘書官が口を開く。
「王女殿下は、皆の者に朝のトレーニングをとおっしゃっている。一緒にジャンプしようではありませんか!」
そう言ってカンサクも跳んだ。サンケス大尉も跳ぶ。護衛の兵士も跳ぶ。それに合わせて、800人の職員も跳ぶ。執政官である王女がぴょんぴょんとんでいるのである。合わせて跳ぶしかない。
カサッとメモがお腹を通過。スカートを持ち上げて跳ぶとメモは地面に落ちた。今日はドレスでよかったとステファニーは思ったが、訳も分からず跳ぶことになった多くの職員には同情する。結局、10回連続ジャンプしてみんな、はあはあと息を切らしている。メモを拾ったステファニーは、それをチラ見しながら話し始める。
「みなひゃ……ん」
(噛んだ、噛んじゃったよ……)
心の中でツッコミするサンケス大尉。カンサク秘書官はプルプルと震えている。
「先月までのはんざいけ……けんすうは、げんしょうしているそうで、これは兵士のみなさまの……ううううっ……」
(あああ……。読めないのか? 読めないんだよね。カンサクの馬鹿野郎め。どうしてフリガナ付けておかない)
サンケス大尉はカンサク秘書官のミスだと目で攻める。秘書官はステファニーに念を送る。思い出せ、思い出せという念だ。
(献身的な働きのおかげだよ、この言葉、昨日の会議でしゃべったよね。もう忘れてしまったのかよ~)
「というわけで、イヅモヘやって来る旅人の数が増えたそうです。みなさん、今月もがんばてくだひゃい」
(端折ったか。しかし、大幅に端折ったおかげで、つながりに疑問符が付く内容になってしまった。そして噛んだ。お約束のように噛んだ)
カンサク秘書官は頭を抱え、サンケス大尉は笑いを必死にこらえる。800人の職員は、こんなことは慣れているのか顔色ひとつ変えていない。演説を終えて得意満面な顔になるステファニー。ひと仕事終えるとやりきった感で失敗したことはすぐ忘れるのだ。
部屋を出ると執務室に向かう。机には決済済みの書類が山と積まれている。これからその書類に目を通して、執政官のサインをするのである。書類は全て側近のカンサクとサンケス大尉が見てるから、とりあえずサインするだけでいいのだが、それすらも面倒がる王女ステファニー。
「ああ……。めんどくさいよ~。誰か代わりにやってよ」
「ダメです。最終決済は執政官であるステファニー様の直筆サインが必要です」
そうたしなめるカンサク。仕方がないので5枚ばかり中身を見ずにサインをしまくる。だけど、集中力はそこまで。すぐに飽きてしまった。
「もう疲れたよ~」
「ステファニー様。まだ、席について5分しか過ぎておりません。午前中に110の決済をしないと午後に同程度の書類が来ます。決済が遅れれば、それだけ困る民がいるのです」
「じゃあ、ゲロ子アイス買ってきて。ヒル団子もお願い」
「おやつに時間はまだ早いかと……」
「食べないと頭から煙が出てしまうの。甘いものを食べれば、きっとわたくしはやる気になると思いますの。ステファニーはやれば出来る子だって、おじい様もお父様もお兄様も言っていらしたわ」
「分かりました。サンケス大尉、至急出かけて買ってこい」
「ええ! 俺が?」
サンケス大尉は、渋々、出かけていきやがてアイスと団子を買ってきた。それを食べることで、文句を言いながら何とかサインを続けるステファニー。書類の中に『イヅモ神殿魔法研究所。合体魔法研究室の廃止事案』という書類があったが、速効でサインして書類の中に埋もれていった。
お昼を食べて、お昼寝すると言い出した2時過ぎのこと。血相を変えた兵士が執務室を訪れた。都から伝令で来たという兵士だ。
「ステファニー王女殿下、一大事です。国王陛下が危篤。また、皇太子である父君も様態が急変とのことです」
「おじいさまとお父様が?」
現国王である祖父は高齢であり、父は不治の病に冒されて余命いくばくもないのだ。もし、祖父が死んだら大変なことになる。第2継承権を持つステファニーの兄は放浪の旅に出ていて、行方不明なのだ。
「ステファニー様、急ぎ、王都アマガハラヘ帰らないといけません。すぐに馬車の用意をさせます。サンケス、護衛の兵士の指揮をしろ」
「任せておけ」
有能な側近はすぐに行動を起こす。オロオロしかできないステファニーは、私室へ戻された。アリッサが旅の準備をしている間、ベッドに潜って今後、どうなるか考えているうちに眠くなって寝てしまった。昨日、クロアのところで夜更かししたのが効いたようだ。




