勇気とご褒美と……
冒険から無事に帰還したホーリーは、冒険者特例措置によって、神官試験を受験できることになった。一週間前に試験が行われる都へ旅立っている。もう試験は終了し、結果待ちという頃合である。右京の方はメイスの売却の商談に忙しい。
ホーリーが地下迷宮の鎧戦士を神がかり的な攻撃で倒したエピソードが広まり、メイスへの注目度が上がったことは売値に多大な影響を与えていた。右京はこのメイスを「ホーリーメイス」と命名したところ、大神殿や貴族、冒険者から是非、売ってくれという要望が殺到した。嬉しい悲鳴という状態である。
「ジザール神殿が2万8千G、アッサラーム伯爵が3万5百G、最高値は王室美術館の4万3千G。ウハウハでゲロな」
「ああ。買いたいという客が全部で26人。こんな売り手有利の状況はないな」
ホーリーメイスにこれまでかかった費用は、手付金の1200Gに修理代、材料代におよそ600G。鑑定代が110G。売り値の半分をホーリーに渡すとしても、実に2万Gは超える儲けである。このまま商談を進めれば、右京の目利きの勝利である。
「だがな、ゲロ子。俺は気になることが1つあるんだ」
「ゲロゲロ……。嫌な予感がするでゲロ。悪いことは言わないでゲロ。サクッと最高値のところに売却するでゲロ」
「売るにしても、あのホーリーが使った時に発動した力を解明したいと思わないか?」
「思わないでゲロ。解明すると主様がせっかくの大儲けのチャンスを逃す気がするでゲロ」
「お前なあ……」
全く、使い魔のくせに主人へのアドバイスの基準が全て(カネ儲け)となっている。もう少し、大局的な視点でアドバイスをしてくれないものかと思ったが、このカエル娘にそこまで要求するのは酷であろう。反面教師として、右京自身が気を付けようと思うだけでも、この使い魔の存在意義はある。
「ゲロ子、久しぶりに伊勢崎ウェポンディーラーズの社訓を言ってみろ!」
「ゲロ! 売る客、買う客、みんな満足、得をする。冒険者の強い味方。伊勢崎ウェポンディーラズでゲロ」
ゲロ子はそう言って直立不動で社訓を唱える。
「いいか、ゲロ子。得をするという部分はお金に限定したものではない」
「そうでゲロか?」
「そうだ。お金以外にもお客様に得をさせることも大切なことだ」
そう言って、右京はもう一度、ホーリーメイスを鑑定する。メイス本体には特に変わったところはない。誰が持っても常時(祝福)の魔法が発動し、半径5mの味方パーティへの高揚感と勇気を高め、それにより防御力が10%アップする。本体自身は魔属性の防御力を無効にし、2倍ダメージを与える優れものである。魔界から召喚された強いモンスターに倒しては有効であるし、国宝級ではないにしても歴史的にも価値がある一品だ。
「ゲロゲロ……。主様。この箱、変でゲロ」
ゲロ子がホーリーメイスが入った箱を不思議そうに見ている。ちょんちょんと内底を足でつついている。今まで気がつかなかったが箱は2重底になっているようだ。オーク材で作られたその箱は頑丈ではあったが、古ぼけていて今ひとつだったので、これを修理することは諦めていた。買った客がこれにふさわしい貴金属できた箱を用意するだろうから、あえてそのままにしていたのだ。それで、これまで箱についてはあまり関心をもっていなかったのだ。
「ゲロ子、内底をめくってみろ」
「アイアイサー」
ゲロ子がめくるとそこには古びた1冊のノートと出生証明書が入っていた。出生証明書にはホーリーの名前が書かれており、愛の女神イルラーシャ神殿のサインと印章がある正式なものだ。ホーリーの両親の名前が刻まれている。父親の名前はベルダン・マニシッサ。母親の名前はシンシア・アプリコットとある。ゲロ子の検索システムが二人の素性を明かす。検索できたということは、一般市民ではなく、ある程度の著名人であると分かる。
「ベルダン・マニシッサはパトリオール・マニシッサの子孫でゲロ。直系ではないけれど、マニシッサ家出身の3等神官でゲロ。でも、17年前に亡くなっているでゲロ」
「17年前って、ホーリーが生まれた歳じゃないか」
「母親はアプリコット伯爵家の長女でゲロ。現在は33歳でセガール侯爵夫人になっているでゲロ」
「何だか、複雑な関係だな。父親はホーリーが生まれた直後に死んで、母親は再婚して現在も生きているとか」
「くんくん……。金の匂いがするでゲロ。うまく行けば金ががっぽり」
ゲロ子の思考はすぐ読める。ホーリーの母親の弱みを握って金をせびるとかだろう。立派な犯罪である。右京は無言でゲロ子を手のひらでぴしゃんと平面カエルにする。ピラピラになったゲロ子が机に張り付く。
「い、痛いでゲロ。何するでゲロか!」
「俺は商売以外では金儲けしようとは思わない。それにホーリーが傷つくだろう」
ぺしゃんこの状態から、元に戻るゲロ子の不思議な体に感心しつつ、右京はきっぱりとそう言った。それにこれでホーリーのあのチートアビリティの説明がつく。彼女はあのメイスの持ち主、パトリオールの子孫なのだ。魔法の武器が血族のつながりによって覚醒することがあることは話に聞いたことがある。
さらに右京はさらに手がかりはないかと古ぼけたノートをめくった。しかし、これはホーリーとは関係がないことがすぐ分かった。それはホーリーの師匠であったラターシャ司祭が本当に彼女らに残したかったものであった。
「ゲロゲロ……。見たところ、薬酒のレシピでゲロ」
「ああ。88種類のレシピだ」
この世界にも病気の時に飲む薬がある。それは薬草から作られ、丸薬や粉薬であることが多い。薬酒は薬効成分がある果実の実、木の実などを酒に漬け込んだものだ。ただ、闇雲にやっても効果はなく、その製法は秘伝中の秘伝であるのだ。このノートだけでも相当な価値がある。これを使って薬酒を作れば、ホーリーたちも生活が成り立つ。
「しめしめ……。このノートは相当な価値があるでゲロ」
「またそれかよ。これはホーリーのものだ。俺はこれを買い取ったわけじゃない」
「ちっ……。主様は本当にバカ正直なお方でゲロ」
「俺は武器の買取屋だ。薬酒屋をやるつもりはない」
ラターシャがどういう経緯で赤ん坊のホーリーを引き取ったのか、ホーリーの母親と当時は新米の神官だったろう父親との間に何があったのかは分からない。部外者である右京にはそれを調べる権利もないだろう。一応、判明した事実だけはホーリーに伝えようと思った。薬酒の件は朗報で、出生の秘密はちょっと複雑な話だが、いずれにしても決断はホーリーがするしかない。
トントントン……。
店の扉をノックする音がする。開けて入ってきたのはホーリーである。都から今、帰ってきたらしい。旅装も解かないで右京の店にやってきたのだ。
「右京様」
ホーリーは右京を見ると駆け寄ってきて、躊躇なくその懐に飛び込んできた。現代なら、21歳の男の胸に女子高生が抱きついてくる映像だ。彼氏ならともかく、客と店主という立場ではありえないのだが、ホーリーは天然なのか、わざとやっているのか、全く気にしていない。無防備というかなんというか……。右京はそっとホーリーの両肩を掴んで体を離した。右京も男だ。このまま、時間が経過したらムラムラと邪な感情がもたげても仕方がない。体を離してホーリーに尋ねた。
「ホーリー。都はどうだった? 試験は?」
「はい。都はすごく人がいてびっくりしました。試験は私なりに精一杯やりました」
「そうか……」
右京は今、言うべきだと思い、知ったことをホーリーに話した。じっと聞いていたホーリーは目に涙を浮かべ、それが一筋だけ頬を伝った。けれども、話を聞き終わると袖で涙を拭うと笑顔を浮かべた。
「右京様。ありがとうございます。お母さんやお父さんのことは分かりました。でも、私はラターシャ師匠の弟子です。子供たちのお姉さんです。私は私。イルラーシャ神殿の神官ホーリーとして生きていきたいです」
「そうだね」
「今更、母親のところへ行っても隠し子登場ですごい騒ぎになるでゲロ。それも面白いでゲロ」
突然の夫人の隠し子が現れたら、セガール侯爵家もアプリコット伯爵家も大変な騒ぎになるだろう。心優しいホーリーは、母親への気遣いまで考えたのだろう。右京も状況を考えれば、今は会いに行かない方がよいだろうと思った。ホーリーも母親も幸せになるとは思えない。それにまだ謎が多すぎた。
薬酒のレシピについての話は、ホーリーは素直に喜んだ。ホーリーメイスを売ったお金で材料や道具を買い揃えれば、薬酒を生産することができる。薬酒を販売するには、ギルドの免許が必要だが、教会や神殿が売るのであれば免許はいらない。特権として保証されているのだ。さらに基本的な薬酒はレシピに従って仕込みさえできれば、あとは熟成するだけなのでホーリーや子供たちにも作れるだろう。軌道に乗れば人を雇うこともできる。
「ほ、本当に何から何まで、右京様には感謝しても感謝しきれません。本当に右京様は私の神様です」
「いやあ。神様というのは言いすぎだよ。俺はただの買取り屋さ」
「いいえ。右京様は私たちに幸福を運んでくださったのです。か、感謝の印に……。あの、その……。私のでよければ……」
「え、え~っ!」
驚く右京。清楚なホーリーが神官服のボタンを上から外していく。
「ゲロゲロ……。この娘、完全に主様を崇拝しているでゲロな。ここは美味しくいただくでゲロ。高速上下運動で体を鍛えるでゲロ。主様、ゲロ子は気を利かせて消えるでゲロ」
(高速上下運動ってあれか? あれなのかゲロ子?)
(腕立て伏せでゲロ)
「いやいや、ちょっと待て。ホ、ホーリー、一体何を……」
「右京様、何って、これです」
ホーリーが胸から取り出したのは革紐で首に下げていたアミュレット。銀でできたものだ。これは買ったのではなくて、ホーリーが手作りで作ったという。革紐も丁寧に縫われており、商品としても売れそうな品である。
「右京様は信じている神様はないとおっしゃていましたが、身を守るためにこんなアクセサリーがあってもよいかと思いまして……」
確かにこの世界は安全ではない。町の外に出れば人間を襲ってくるモンスターもわんさか出てくる。中には銀製のお守りがあることで、恐れて出てこないモンスターもいる。ホーリーお手製のアミュレットは、デザインセンスもよく、また品質もよいので右京は気に入った。首から下げてありがたく使わせてもらうことにする。
(残念だったでゲロな。清楚な娘に乗っかるチャンスだったでゲロ)
バシっと指で弾いてお仕置きをする右京。ゲロ子が変なことを言うから、変な勘違いをしたではないか。まあ、あの状況で誤解するなというのが無理な話であるが。
「それから……」
ホーリーは右京に手作りのお守りを渡すとつま先立ちして、そっと右京の頬に口づけをした。不意をつかれて固まる右京。
「これは私の気持ちです。女の子のキスは男の人に喜ばれるって、霧子さんが言っていたので、初めてだけどしてみました。右京様、うれしいですか?」
「嬉しいと言われれば嬉しいけど……」
ホーリーのような清楚な美少女にキスしてもらって嬉しくない男はいないだろう。男冥利に尽きるとはこのことだ。
(しかし、キル子の奴、ホーリーになんてこと教えたんだ)
(天然で重いこと言う女でゲロな)
「じ、実は、あの、その……。私も勇気が欲しかったのです」
「勇気?」
「はい。今日の午後に試験結果の発表があるのです」
試験は都で一斉に受けるが、発表は各都市の中央神殿で発表されるのだ。ホーリーは1週間かけて都で試験を受け、ここへ1週間かけて帰ってきたのであるが、試験の結果発表は1週間後だったから、ちょうど町に帰ってきた頃に結果が分かるのだ。
ホーリーが試験に受かって見習い神官から3等神官になることは、夢であり、生きていく術を得ることでもある。ホーリーメイスがいくら高値で売れてもお金はいつかなくなるし、薬酒を作って販売するにもギルドの販売免許を取得するには多額のお金がいる。神殿が売るなら、この免許はいらないから、ホーリーが神官になることはやはり重要なのだ。
その任官試験は狭き門である。全国から試験を受けに都に集まった数は2000人以上。合格者は人数が制限されていて、いくら成績が良くても上位50人しか合格できないのだ。
合格者はスーパーエリートなのだ。




