暗闇のダンジョンへ
「海堂? 誰、その人」
音子に話しかけられたオーリスは、戸惑いながらそう応えた。見知らぬ女の子から間違えられて複雑な心境だ。海堂隼人とは、中村音子が通っていた晴嵐学園生徒会長である。高校3年で音子の先輩。ボッチだった音子を生徒会にスカウトした男子生徒だ。
「か、海堂先輩~っ。わ~ん……」
オーリスの反応を無視して音子はその胸に飛び込んだ。そして大声で泣く。これには、百戦錬磨の勇者もどうしていいか分からない。キョロキョロと見回して助けを求めるが、右京は彼に対して(泣きやむまで待て)というサインを目で送る。
それを見てオーリスは仕方なく音子の背中に手を回した。何だかよくわからないが、今はこの泣いている小さな女の子に安心感を与えるときだろうとこのイケメン勇者は思ったのだ。
(それにしても……)
音子が泣いている姿を見つつ、右京はますます分からなくなってきた。オーリスはどう見ても20歳後半の青年。体操選手のような均整取れた体つきで、いかにも強い勇者という風体だ。髪も金髪で刈り上げ。これで熱血感だから少々あつくるしいのだ。音子が以前話していた先輩という雰囲気ではない。
「ぐすっ……ぐす」
「落ち着きましたか?」
音子の泣き声がか細くなったので、そうオーリスは声をかけた。音子はそっと顔を上げた。オーリスはその顔を見つめてニッコリと笑う。白い歯がキーンと光った。
「海堂先輩もここへ飛ばされたの?」
音子はオーリスのそう尋ねた。オーリスは困惑する。そもそも、海堂先輩というのが分からないし、音子のことも知らない。彼女は勇者オーリスにとっては初対面なのだ。
「済まないがお嬢さん。僕は海堂という名前ではないよ。オーリス・カーペンター。勇者を職業とする冒険者」
きょとんとする音子。それでも次の可能性について考えたようだ。音子はオーリスからちょっとだけ体を離すと両手を頬に当てて、天井向かって呼びかけた。
「先輩、中村音子です。ゲームをやっているなら答えて。私、この世界に飛ばされてしまったの……。助けて、先輩」
端から見ると非常に痛い光景だ。オーリスは右京に3つの『?』が頭の上に浮かんだ状態で両手を広げて首をかしげている。
「彼女は誰? なんで僕は人違いされている? そして、なんで彼女は天井に向かって語りかけている?」
現代日本からこの世界に飛ばされてきた音子は、この世界をファンタジーRPGの世界だと思い込んでいる。これは右京もこの世界のやってきた当初に強く感じたことだ。今はその気持ちは薄れているが、完全に否定する気持ちにもなっていない。
彼女が言うにはゲームの世界なら、このゲームをやっている主人公=プレーヤーがいるはずで、自分が元の世界に戻るためにはプレーヤーが鍵を握っているというのだ。
ゲームにおける主人公は、それなりの力を付与されており、物語を進めていくために活躍をすることが決まっている。音子に右京の周りでそれらしき人物がいないかと尋ねられた時に、武器を2度も売ったこの勇者オーリスをその候補と思ったこともある。
だから、音子がオーリスを見て(主人公だ。この人が帰るためのキーマン)と思う理由は分かるが、オーリスが音子の先輩というのは飛躍しすぎである。
「彼女は中村音子と言って、俺と同じくこの世界に飛ばされてきた女の子だよ。彼女は元の世界に戻ろうとしているんだ」
「ふ~ん。そうなんだ」
オーリスはそう言って天井に話かけている痛々しい少女を見た。
「先輩、聞いてます? 聞いているなら、このキャラに返事させてください。自由入力で返事できるでしょ? 」
音子は、天井に向かってまだ痛いことを続けている。だが、返事はない。すなわち、オーリスは何の反応もしない。仕方ないので右京が介入する。
「音子、どうしてオーリスさんが生徒会の先輩だと思うのだ?」
「海堂先輩も兄と一緒で、グレイト・ブラッドソード・コレクションをやっていた。先輩が使っていた主人公はこの人と全く同じ。それに顔が先輩と似ている……」
ゲームの主人公なんかは、最初から決められているというのが普通であろうが、グレイト・ブラッドソードコレクション(通称GBC)は、主人公のビジュアルを数あるパーツデーターから作成できる。それこそ組み合わせは無限。音子が言うには生徒会長、海堂隼人が使っていた主人公は、オーリスそっくりらしい。ちなみに顔立ちは自分に似せて作っていたという。その生徒会長も、ちょっと痛いのではないかと思うが。
この世界がゲームでオーリスがプレーヤーキャラなら、自分がよく知っている仲間の女の子がそのままのビジュアルで、話しかけてくるなら何らかの反応があろう。オーリスがその海堂先輩でなくとも、何か反応はあろうかと思うのだがオーリスは戸惑うばかりだ。
これはオーリスがプレーヤーでないか、この世界がゲーム説というファンタジーではないということも考えられる。
「音子、どうやらオーリスさんは違うらしい」
「そんな……」
音子はまだ納得できない様子である。ジロジロと勇者オーリスを見ている。音子は元の世界に帰りたい理由を『生徒会に戻りたい』としていたが、オーリスを海堂と思い込み、躊躇なくその胸に飛び込んでいったところを見ると、どうもそれだけではない感じである。
そんな風に微笑ましく思える右京は、学校の先生にでもなった気分であった。ただ、今、目の前のオーリスは28歳の青年だ。16歳の女子高生が惚れるのは色々と問題あるだろう。当のオーリスは音子にそう思われるのはきっと迷惑だろう。彼の好みはキル子みたいな、色気のあるナイスバディな女の子であるからだ。
音子では残念ながら、色気も素っ気もない。
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「暗闇のダンジョン。ギルドのランク設定はSデス。Aランク冒険者以外は立ち入り不可デス。現在、地下1階までのマップが公開されていますデス」
月海亭に設置したコンシェルジェデスクの魔夜がそう説明した。魔夜は閻魔大王の娘で右京が社会勉強のための留学と称して、雇った鬼の女の子だ。コンシェルジェデスクは月海亭に宿泊する冒険者に、冒険者ギルドの窓口と同じサービスが受けられるようにと設置したものだ。ギルドの情報にアクセスして、申し込みもできるのだ。
魔夜は黄泉の国で亡者を裁いていたくらいなので、情報処理と判断が的確で冒険者からの評判はよかった。彼女が鬼の女の子と知ったら驚くだろう。まあ、赤い髪を巻いて角を隠しているから、簡単には気づかれないだろうが。
明日の出発に備えて最終確認をしているのだ。今回、暗闇ダンジョンに挑むのは右京に音子、オーリス、キル子、ヒルダにホーリー、そしてクロアである。ネイは買取り店が忙しいので連れて行かないことにした。そして右京と同じく戦闘では役に立たないと思われるゲロ子である。右京とゲロ子はともかく、バランスが取れたかなり強い冒険者パーティである。オーリスとクロアだけで大抵の敵は撃破できるだろう。
「地下1階の中央に2階へ続く扉の存在が確認されていますが、強力なモンスターが守っているようデス。これまでに連絡が取れなくなった冒険者パーティは3つ。逃げ帰ったパーティは5つと報告がありますデス」
「なかなか、ハードじゃないか」
魔夜の報告を聞いたオーリスはそうコメントした。彼は勇者で数々の強敵と戦った経験がある。Aランクパーティが撃破されている案件というのは、かなり厳しいと予想できる。音子の情報ではこのダンジョンに『ウルドの石』があるという。それはGBCによる情報ではあるが。
「扉を守る敵の詳細は分かっているのか?」
そう尋ねたのはキル子。彼女も冒険者で経験は多い。彼女のパーティは最近、Aランクに登録されているし、彼女自身もAランクだ。気になるのはモンスターの種類だろう。
「敵は大きな目玉のモンスターデス。それにスペクターが5体。大きな目玉のモンスターは高度な魔法を使うという報告がありますデス」
「魔法を使う目玉かよ……」
「キル子、ビビっているでゲロか?」
「うるさい。ゲロ子、お前も行くんだろが。ビビるなよ」
「ゲロ子は正直、行きたくないでゲロ」
戦闘力皆無のゲロ子が行くのは気の毒であるが、ゲロ子は右京の使い魔。右京が行くなら付いていくしかないだろう。目玉のモンスターはギルドによって『悪魔の目玉』と名付けられている。大きさは直径3m。空中に浮かんだ丸い目玉である。高度な魔法を使う上に一緒に現れるスペクターも厄介である。スペクターはアンデッドに属するモンスターで、通常の物理攻撃は効かない。魔法を付与した武器か魔法による攻撃、神聖魔法の聖なる力で消し去るしかない。
さらにこのモンスターが強力なのは、戦闘が始まって15分後に自爆するというのだ。爆発は戦闘エリア全体に広がり、参加した人間は全て焼き殺されるというのだ。自爆しても扉は開かれず、次の冒険者がやってくれば、再び『悪魔の目玉』は現れるというのだ。扉を開くには倒すしかないのだ。
戦闘開始から15分以内に倒さなければならないなんて、冒険者として経験豊富なものなら、避けたいシチュエーションである。だが、こちらは勇者オーリスがいる。それに超強力な魔力の持ち主であるクロアもいる。かなり危険だが、勝負する価値はあるだろう。
(それに何だか、胸騒ぎがする。このダンジョンに重大な秘密が隠されているという……)
それは右京の心の中にムクムクと湧き上がってきた予感である。同じく、この世界に飛ばされてきた音子にも同じ感情が湧き上がってきた。こちらは若干の嫌な感じが混じっていたが。




