エスタブリッシュ・オークション
エスタブリッシュオークションが始まる1時間前。右京と音子は、作戦を打ち合わせていた。オークションで出品されるブルーサファイヤ、。音子が『ベルダンディの石』と呼んでいる宝石が付いたペンダントを競り落とすのだ。
ベルダンディの石は右京が偶然に手に入れた魔法の杖にパーツとして付ける重要アイテムだ。残りのウルド、スクルドの石を取り付ければ、なんと1年前に時を戻すという魔法が使えるらしい。これを使えば異世界に飛ばされたと思われる音子と右京は元の世界に帰れるというのが音子の情報だ。
右京はこの世界から元の世界へ帰る気持ちにはなっていない。商売は上手くいっているし、親しい友人も多くいる。だから帰るという選択肢はない。それなのに音子に付き合ってここまで来ているのは、なぜ、この世界に自分がやってきたのか、この世界は何なのかを知りたいと思ってのことだ。
音子はこの世界がゲームの世界ではないかと言う。そんなバカなと信じてはいないが、何か隠された秘密があるのではないかと考えている。それを突き止めることは右京にとっては大事なことだ。商売が成功したところで、(はい、戻ってください)と理不尽にも元の世界に戻される危険だってある。
今のところ、自分たちがこの世界に来たきっかけは、不思議なお婆さんと宝石ということが分かっている。鍵となった宝石を集めることで謎に迫れるのではないかと考えているのだ。
あと、生意気な女子高生の中村音子が帰りたいと切望しているのだ。彼女だけでも帰してやろうという気持ちもある。魔法アイテムを持っているとはいえ、女子高生がこの世界で生きていくのは厳しいだろう。それに音子の話を聞くと学校に戻りたいという気持ちがとても強いのだと感じている。きっと、彼女にとって学校、特に生徒会での活動は大切なものであったのだろう。
「ライバルはヒース子爵、大学教授のカシム教授、宝石収集家のバルフリー侯爵。この中で、ヒース子爵は予算上限が7000Gということが分かっている」
「こちらは音子の5000G。主様が有り金出せば+3000Gで8000Gまで行けるでゲロ。子爵には勝てるでゲロ」
「いい勝負だがこちらの方が有利だ。問題は大学の先生と宝石収集家だな」
右京は特にバルフリー侯爵を警戒している。コレクターというものは、採算度外視で値を指す。商売人の右京としてはコレクター価格というのは理解できないものなのだ。
「カシム教授は大丈夫と思う。私の調べではカシム教授の研究室の予算では5000G出すのが精一杯だと聞いた」
これは音子が昼間のうちに調査した結果だ。大学でカシム研究室に入っている学生に聞いたらしい。大学の研究室というところは、どこの世界でも研究費が少なくてきゅうきゅう言ってるらしい。
「教授に買われたら宝石は粉々にされるでゲロ。なんか究極の魔法を創りだす材料にするらしいでゲロ」
「それだけは勘弁して欲しい……。でないと私は永久に帰れなくなる」
音子がそう悲しそうにつぶやいた。音子にとって学校に帰って生徒会活動をするということは、自分の居場所に戻るということなのだと右京は思った。この世界には3人の人間が飛ばされてきた。オーガ加藤は周りに恵まれず、この世界の敵対者として消えるしかなかった。
音子はここまで無事に生きてこれたところを見ると、周りに恵まれたのであろう。だが、本人の性格もあってこの世界に打ち解けていない。この世界に居場所をつくることができないのだ。唯一、自分を受け入れてくれた生徒会へ戻りたいという欲求は分かる。
「教授は大丈夫。音子の話が本当なら、5000Gで終わる。それよりも怖いのはバルフリー侯爵だろう。コレクターというのは金に糸目をつけない」
「それは大丈夫と思う」
音子はバルフリー侯爵についても調べたという。宝石収集家として有名な貴族だが、最近は事業が上手くいっておらず、収集する資金は十分でないという。出入りの女中が買い物に行く肉屋の主人から、昔は高級ステーキ肉を買っていたが、今は細切れ肉しか買わなくなってしまったという話を聞いたのだ。
(おいおい、こんなところへ来るよりも家族にうまいもの食べさせてやろうよ)
そう右京は思ったが、お金はなくても収集家としての血が騒ぐのだろう。それにしても、音子の話なら、このオークションは楽勝なはずである。右京たちの持っている最高資金は8000Gである。宝石の市場価値の2倍の金額。他の人間が価値を無視して、そこまで値をつりあげるとは思えない。右京たちにとっては貴重な宝石であるが、ほかの人にとっては珍しくもなんともないものだからだ。
オークションの時間が近づき、右京と音子は連れ立って、会場である大広間へ移動する。既に立食式の華やかなパーティーが開催されており、たくさんの参加者が飲み物や食べ物を片手に談笑している。
そして時間が来ると、トントンと木槌が叩かれ、エスタブリッシュオークションの開催が厳かに宣言される。オークションの方式は値段を言い合うオーソドックスなものだ。
こういう場合は、参加のタイミング、勢い、値段の引き上げ方などの心理戦が大事だ。資金がないことを相手に悟られず、どんな高額でも買うぞという強い意識を出すことで、相手に勝負を諦めさせるのだ。資金豊富ならこんな手は使わず、徐々に上げていって相手が断念するまで待つということもできるが、その品物の価値を上回る金額になったら、いくら資金をもっていても買うのをためらうということもある。
右京と音子は飲み物を飲みながら、景気の良いオークションの様子を見ていた。そして、いよいよ、お目当てのブルーサファイヤのペンダントが出品された。
「それでは絵画『ヌブラの貴婦人』は1万2千Gで売却。次はブルーサファイヤのペンダントです。最初は4000Gからです」
会場が急にしーんと静まり返る。絵画や美術品を買いに来た人が多く、宝石を買おうという人間は少ないと雰囲気で分かる。
「4100G」
最初に仕掛けたのはヒース子爵。隣の婚約者の腰に手を回し、ワインを片手に口火を切った。どうやら、婚約者の気まぐれを説得できなかったようだ。
「4150Gじゃ」
カシム教授が叫んだ。教授は研究一筋40年でやってきた老練な学者だ。こういう華やかな雰囲気には合わないヨレヨレのスーツ姿である。50Gしか上げなかったということは、やはり、教授の研究資金は乏しいらしい。
「4300G」
それを見越してヒース子爵が150G上げてきた。まずは教授を追い落とそうという作戦らしい。もしかしたら、これで決まるかもしれない。
「4350Gじゃ」
熟考してカシム教授が食い下がる。考える時間は一応30秒間与えられている。司会者が「ありませんか?」と確認していなければ決定だ。
「4500G」
間髪いれずにヒース子爵が答える。彼の資金は7000Gまであることは昨日の前夜祭で分かっている。そこまで出すことはないだろうが、4000台なら強気だろう。
「むむむ……」
教授は頭を抱えた。可愛そうだが彼はここで脱落だ。宝石は粉々になることを免れたようだ。
「5000G」
ビシッと会場に響く声。音子である。会場は一気に500Gも上げる太っ腹に感嘆の声が漏れた。若い女性が声を張り上げたのも大きい。4500Gまでは沈黙して、それを超えたら一気に5000Gの値を指して決めに行くというのが、右京と音子が考えた作戦である。
「うっ……」
調子よく進めていたヒース子爵は言葉を飲み込んだ。彼は7000Gまで資金はあるが、宝石の価値からして上限は5000Gと決めていたのだ。わがままな婚約者を説得したのであろう。5000Gもあれば、町の宝石店で色々と選べるはずだ。
「他にありませんか?」
司会者がそう会場に尋ねる。一瞬だけシーンとする。これで決まったと右京と音子が思ったとき、もうひとりの競合者が声を上げた。あの宝石収集家である。
「5500Gだ」
おおおおっ……。
会場が盛り上がってきた。一挙に500G上げてきたのはバルフリー侯爵だ。ここまで、黙っていたのはこのタイミングを待っていたのであろう。これは右京たちの戦意を挫こうとする攻撃であった。
音子は右京の顔をそっと上目使いでそっと見る。5000Gは音子が持っている全財産である。これ以上は右京に頼るしかない。
(どうする……)
宝石の価値は4000Gくらいだ。コレクターでない限り、5500Gなんかで買うのは狂気の沙汰だと商売人として思う。だが、このブルーサファイヤがなければ音子は元に戻れないし、右京はこの世界に来た理由の手がかりを失う。
「6000G!」
右京は張りのある声でそう叫んだ。会場がどよめく。そんな値段が付くとはだれも予想しなかったのだ。音子は右京に小さな声でお礼を言った。ポロっと涙が一粒こぼれて慌てて、ハンカチでそっと拭った。もしかしたら、右京に見捨てられるかもしれないと心の中で思っていたのかもしれない。
「ありがとう……ございます。右京さん」
(なんだ、素直になれるじゃないか……)
音子の女子高生らしい姿を見てちょっとだけ感動する右京。だが、バルフリー侯爵はあきらめない。ちょっと間を空けてから叫ぶ。
「6100Gだ」
奇襲作戦が失敗したバルフリー侯爵は100Gだけ上げた。それが彼の限界なのであろう。よって右京は容赦なくぶった切る。
「6500G」
おおおおおっ……。
これは決まったと誰もが思った。バルフリー侯爵は顔が真っ赤になり、押し黙っている。どうして欲しいがもうお金はないという悔しさを抑えるに精一杯な感じだ。
音子がギュッと右京の腕に絡みつく。狙っていた宝石を手に入れたという喜びが右京に伝わってくる。
しかし、勝利したと思った瞬間に悪夢は起きるのもである。
「7000G!」
新たな参入者の声がした。右京は思わず、声の主を見る。そして驚いた。声の主は老婆。白髪で黒いサングラスをかけた老婆だったのだ。
「あ、あの婆さん!」
「マダム月神……」
右京と音子をこの世界に誘った婆さんがそこにいた。
「7000G、他にありませんか?」
「くっ……7100G」
7500Gと言って相手の戦意を挫くべきだったが、右京たちの資金は8000Gである。残りがわずかしかないことと、突然の婆さんの乱入で気が動転した。致命的なミスだったかもしれない。
「7500G」
婆さんは躊躇なくそう告げた。これはまずい。果てしなくまずい。右京はこの勝負勝てないのではないかと思い始めた。クイクイと左の頬を突っつく使い魔を発見する。
「主様。言うのを忘れていたでゲロ」
「なんだ、ゲロ子。今は絶体絶命のピンチだ」
ゲロ子はあの不思議なポケットから、ヘンテコなアミュレットを取り出した。
「実はクロアからこれを預かっていたのを忘れたでゲロ」
「何だそれは?」
角の生えた悪魔の女の子が目をつむって寝てる姿のレリーフが描かれたペンダント状のアミュレットだ。
「スタンのペンダントでゲロ」
「スタン?」
「説明はあとでゲロ。主様、7600Gと宣言するでゲロ」
もういませんかという司会者の確認の声が響く。ここで答えなければ、あの婆さんに宝石が取られてしまう。
「7600G」
そう右京は反射的に叫ぶ。それと同時にゲロ子がアミュレットを握りしめて魔法を解放する。あの婆さんに向けて魔法をかけたのだ。もちろん、それは誰も分からない。右京もどうなったのか分からない。だが、婆さんが全く動かないことに気がついた。
「な、なんだありゃ?」
「30秒間、相手の気を失わせる『気絶』の魔法が使えるでゲロ。特殊な魔法だから、周りのは気づかれないでゲロ。本人も気付かないでゲロ。クロアが心配だから持っていけと渡したのを忘れていたでゲロ」
「ばかやろう! それを早く言えよ。それにそういうアイテムは事前に匂わせておくものだ」
「匂わせるってどういうことでゲロか? まあいいでゲロ。主様、切り札はここぞという時に出てくるものでゲロ」
「おまえは忘れていただけだろ!」
「バレたでゲロか」
思わぬゲロ子のアイテムのおかげで資金が豊富と思われた婆さんの口を封じた。これで競合相手は値段を上げたくても宣言できない。さすがに右京は勝ったと思った。だが、そういう時にこそ、思わぬハプニングが起こるのだ。
「7650Gじゃ!」
序盤で死んだはずのカシム教授が復活したのだ。どうしても実験材料に欲しい教授は、資金をかき集めて健気に再参戦したのだ。だが、それは右京にとってはた迷惑な行為。しかも最悪のタイミングであった。ゲロ子の魔法のおかげで封じていた婆さんの時間が再び動き出す。
「8000G」
(あああああっ……)
婆さんの宣言に右京は泣きたい気持ちになった。自分たちが出せる最高額になってしまった。これ以上は追撃できない。
「う、右京さん……宝石が……宝石が……」
右京のタキシードの裾を掴む音子が泣き出した。目に涙をいっぱいためて、次から次へと溢れ出す。ここでベルダンディの石を失えば音子は帰れないのだ。何だか可哀想になってきた。だが、無い袖は触れない。
「ちくしょう!」
「8500Gでゲロ!」
右京の絶望の叫びと並行してゲロ子が叫んだ。右京は驚いて自分の使い魔を見る。
「ゲロ子~っ」
「ゲロ子は主様の使い魔でゲロ。使い魔はここぞという時に主を助けるでゲロ」
「ゲロ子、えらい、おまえは使い魔の鏡だ」
「9000G」
婆さんはあきらめない。なぜ、この宝石にこだわるのか分からないが、右京や音子をこの世界に送った張本人なら宝石を渡すまいとするだろう。
「ゲロ子、行け。お前の金という力であの婆さんをぶった斬れ。今こそ、金無双だ!」
「9100Gでゲロ」
「ど、どうした? ゲロ子」
ムムム……と唸るゲロ子。そして申し訳なさそうに右京に白状した。
「ゲロ子の持ち金は600Gでゲロ」
「なっ、なに~っ! だって、おまえ、アイスクリーム屋で儲けていただろ!」
「全部使ったちゃったでゲロ」
そういえば、宝石をごっそり指に付けていた。儲けた分、全部使っていてもおかしくない。
「ば、バッキャロー~」
「9500G」
婆さんは勝ち誇ったようにそう宣言した。
「他にありませんか? それでは宝石はマダム……」
「1万2千Gだよ」
司会者の袖をくいくいと引っ張る黒いマントで身を包んだ幼女が一人。1万2千Gと書かれた小切手をヒラヒラと見せびらかしていた。婆さんはその金額に固まり、勝負を諦めた。
黒マントの黒髪幼女は右京に向かってウィンクした。その口からちっちゃな八重歯が覗いている。




