至高のタレと新しい味
わ~ん。
料理編が終わらん。外伝扱いの話なのに長いと怒られそうだ。
アミカのアパートを訪れたのは60歳を過ぎた初老の老人。髪の白さと顔に刻まれたシワが年齢を物語っているが、背筋はきちんと伸びて未だ現役の労働者という風体だ。
そして、この男が着ている灰色の作業着はアミカにも馴染み深いものであった。それはイヅモ団子店の職人が着る作業着であったからだ。アミカの夫であったマルクも毎朝、アミカが洗濯したその作業着に袖を通して店に出勤していたのだ。忘れるわけがない。
「ダグさん……」
「奥様……申し訳ありませんでした」
そうアミカにダグと呼ばれた男は土下座をした。ダグはイヅモ団子店の職人でボリスよりも先輩であった。先代の右腕として長らく老舗の味を支え、先代が亡くなりマルクが後を継いだ時も後見人として助けた人物だ。だが、今回のボリスの乗っ取り計画に騙されてアミカたちの追放に加担してしまったのだ。
「わしらはボリスの言うことにまんまと騙されたのです。奴はマルクさんが亡くなってしまった後に、老舗の味を受け継ぐのは我々職人だと主張したのです。その時は奥様は素人でとても老舗の味が守れるとは我々、職人一同は思いませんでした。奥様が経営に口出しをしないということなら、ボリスの主張も悪くないと思ったのです」
マルクの後を継ぐ子供は4人いるがみんな幼い。後を継ぐには少なくとも10年の歳月は必要だ。妻であるアミカは貴族の令嬢で職人たちと働くことは思えなかったし、現に結婚してから差し入れや励ましには現場に来るが、団子作りに関わったことはない。
それでボリスは一時的に職人たちによる共同体が経営権を握り、子供が成長し、一人前の職人になるまで店を守ろうと主張したのだ。内容自体は悪い話ではなく、職人達もそれしかないだろうと納得して協力した。ところが、共同体の代表のはずのボリスは、それを私物化してしまい、本家であるアミカと子供たちを無一文で追い出してしまったのだ。当初はアミカとの再婚を狙ったのだが、断られたのでこのような強硬な手段に及んだのだ。
職人たちは反発したが、反発するものは容赦なく解雇するとボリスは宣言したので、多くの職人や従業員は従わざるを得なかった。団子職人なんて他に潰しが効くような技術ではないからだ。クビになれば明日からの生活に困ってしまう。
「それでもイヅモ屋の味が守れれば、先代やマルクさんの意思を告げると思っていたのです。ところが、ボリスの奴、材料を安い粗悪品に変えたり、焼くときの炭を安いものに変えたりと合理化を掲げてやりたい放題です。これでは先代やマルクさんに顔向けできません」
そうダグはアミカに頭を下げた。アミカはそっとダグの肩に手を置いた。
「頭を上げてください。一緒に夫の……マルクの味を守っていきましょう」
「奥様……」
「はいはい……。お涙頂戴はこのくらいにするでゲロ」
ゲロ子が割って入った。老練な技をもつダグが来てくれたということは、団子の生地を練る技術が手に入ったということだ。これは大きな前進だ。
それからダグの手を借りて団子作りの試作が何日も行われた。熟練の職人が生地を作るとかなりイヅモ団子に近いものができた。明日が出店という日にそれは完成した。味見をしていたホーリーも太鼓判を押す美味しさである。
「この団子の美味しさを引き立てるのはタレです」
そうダグは試作品を作りながら、説明をする。イヅモ団子店では、団子に醤油ダレを2度付けして焼く。そして最後に特別のタレに仕上げで浸すのだ。これは至高タレと言い、使って残ったタレに新しいタレを継ぎ足し、継ぎ足し使っていた。店主は店が終わった後に、新しいタレを継ぎ足して自宅に保管するのが伝統となっていたのだ。
マルクはその至高のタレを店に持っていく途中に事故に会い、亡くなってしまった。持っていたタレの入った壺はその時に割れてしまったのだが、実は中身の半分で作ったものが自宅に密かに残していたのだ。アミカに残された秘伝のタレである。
なぜ、マルクがそんなことをしたのか。残された壺が厳重に密閉されていたところを見ると、マルクはさらにタレを改良しようとしていた節がある。1年寝かして熟成させようと考えたのだ。
その1年寝かしたタレが今、アミカたちの目に前にある。通常の醤油タレで付け焼きした団子に、この仕上げの至高のタレにくぐらせる。香ばしく焼き上げられた団子に深い黄金色に輝くタレが絡むと何とも言えない美しさと美味しそうな匂いに包まれた。
「う~ん。これは美味しいです」
「美味しいですううう……」
「お父さんのお団子だあ……」
ホーリーもヒルダもアミカの子供たちも絶賛する。イヅモ団子店のレシピに沿って熟練の職人が練り上げ、丁寧に焼き上げた団子である。質を落としたイヅモ団子店より美味しいはずだ。
「これなら勝てますよ。わたくし、自信をもってこれを出品できます。きっと、ご主人様も気に入ってくれるはず……」
「そうですね。これなら主人の目指した団子としてお店に出せます」
ヒルダとアミカは勝負に勝てると思った。ほぼマルクが作っていた味を再現した。しかも熟成された秘伝の至高タレが仕上げとなる。材料の質を落とした今のイヅモ団子店に勝てるはずだ。
「そうでゲロか? ヒルダは甘いでゲロ。大甘の大甘でゲロ」
「先輩、ひどいですううう……。わたくしは冷徹なバルキリーです!」
「ゲロゲロ……。この程度ではゲロ子は勝てないと思うでゲロ」
団子をほおばり、口にタレをいっぱいつけたゲロ子がそう疑問を投げかけた。ヒルダがゲロ子に反論する。
「先輩、適当なことを言わないでくださいよ。先輩も美味しいと思ってたくさん食べているんのでしょ? 勝てない理由なんて考えられません」
ゲロ子は試食と称して串で実に10本食べている。これだけ食って勝てないとは説得力がない。ちなみにホーリーは20本ぺろりと食べている。
「勝てないでゲロ。この味ではイヅモ団子店と同じでゲロ。タレは確かに上かもしれないでゲロが、オリジナルの模倣だと客に思われては向こうの方がネームバリューがある分、勝てないでゲロ」
「でも、向こうは質を落としていて……」
「相手は汚いでゲロ。そんなの明日だけ、最高の材料で勝負するに決まっているでゲロ。味がほとんど変わらなければ、オリジナルの方が食べ慣れた分有利でゲロ」
どちらの団子を買うかを決めるのは、ショッピングモールに来た客なのだ。味に明確な違いがなければ、食べ慣れた老舗のイヅモ団子に投票するに違いない。同じではなくそれを超える味でなければ、勝てないだろう。さすがゲロ子である。だてにアイスクリーム店を繁盛させていない。
「そんな……主人の味の再現でも勝てないなんて……」
アミカもダグも途方にくれた。ここまでにするにも大変であったのだ。もうコンペの日は明日である。今から工夫するにしても時間がない。
「どうしましょう……先輩……」
「ゲロゲロ……。任せるでゲロ。実は団子のことをよく知っている人間を知っているでゲロ」
2日前に右京の元にやって来た中村音子という女の子だ。明日のコンペの後に右京と宝石を手に入れるためにアマガハラの都へ行くという。団子という食べ物は、主である右京が元いた世界にはたくさんあった食べ物だという。右京は今回、コンペの主催者側なので中立を守らないといけない。団子に関するアイデアは提供できないが音子ならできるはずだ。
「なんで私が団子の試食をしなくてはいけないの……」
右京の使い魔であるゲロ子が、同じくホーリーの使い魔のヒルダを伴って、音子のところへやって来た。音子は月海亭に宿泊し、出発の日を待っていたのだ。
文句を言いつつも、その目は焼きたてのみたらし団子の皿を映している。それは湯気を立てて美味しそうに輝いている。
「いいから食べるでゲロ。そしてアドバイスをするでゲロ」
「何だかムカつく……。うざい」
「そんなこと言うと、この団子は食べさせないでゲロ」
「ちょ、ちょっと待って。食べないとは言っていない」
ゲロ子は皿をわざとゆっくり下げようとする。先程から、音子の目が団子にクギ付けなのをお見通しだ。食い意地が張っている音子の性格を知っていたのだ。
「じゃあ、食べるでゲロ」
「ふん。食べてあげる……。もぐもぐ……これは軟らかい。使っているのは小麦粉ね。小麦粉だと軟らかすぎるから、ちょっと香ばしさにかけるね」
「音子の世界では、団子は何で作るでゲロか?」
「白玉粉とかだんご粉ね」
「なんでゲロか?」
「確か白玉粉はもち米の粉を水でさらして乾燥させたもの。だんご粉は米粉ともち粉を水でさらして乾燥させたもの。米粉が入るとちょっと硬くなってお団子向き……」
音子はお菓子作りが趣味の女の子なのだ。和菓子も得意レシピの一つだ。これくらいの知識はある。
「ゲロゲロ……。音子、お手柄でゲロ。ヒルダ、急いで市場で粉問屋へ行くでゲロ」
音子のおかげで情報を仕入れたゲロ子とヒルダは粉問屋でだんご粉を仕入れる。そんなものこの世界にあるのかと思ったら、さすが粉問屋。料理の材料として量は少なかったが、ちゃんと仕入れをしていた。団子を作ると聞いた粉問屋の主人は、目をまん丸にしたが。
それを使ってダグに生地を作ってもらう。中はモチモチだが、表面は固く、よりしっかり焼けるので香ばしく仕上げられた。タレをつけて2度焼き、最後に秘伝のタレをくぐらせると完成だ。
「こ、これは美味しいですううう……」
「完全にイヅモ団子を超えたでゲロ」
「これはいけると思います」
アミカは一口食べて涙を流した。食感ははるかにイヅモ団子を超えていると思う。しかし、基本の味はマルクが残してくれた伝統の味なのである。いわば、この団子はマルクからバトンタッチされたものをアミカが完成させた味とも言えた。新しい時代を切り開く味なのである。
(あなた……。私たちを見守ってくださいね)
アミカは手を合わせて亡き夫のことを思った。
「奥様、方針が決まったら明日の準備をしないと。まずは500本は作っておかないと」
ダグはここからが勝負だと思った。明日で新しい団子の知名度をあげ新しい店を作るのだ。
「そうですね」
子供たちも手伝って団子の生地を丸めて明日の準備をする。作業は夜中までかかった。
「先輩……何やってるんですか?」
夜も更けてみんなが寝てしまった後に、ヒルダはゲロ子がぐるぐると壺に何か入れてかき混ぜている姿を見た。眠いので夢現である。
「勝負を決める切り札でゲロ。ゲロ子特性の仕上げダレでゲロ……」
ゲロ子も眠そうだ。どうやら、隠し球でゲロ子の特性の団子たれを作っていたようだ。これをどこで使うのかは定かではないが、ここぞというところで使うのだろう。
「完成したでゲロ……。もう眠るでゲロ」
パタンとゲロ子は倒れた。そのままグーグー、ゲロゲロと寝てしまう。
月明かりの中を黒い影がさっと動いた。その影はアミカのアパートへ忍び込み、タレの入った壺を抱え込むと暗がりに姿を消した。
「ぐーぐー。ゲロゲロ……」
「はああ……。スキスキスキ……右京様……ダイスキ……」
そんなことは知らずに、明日の勝負に備えて眠るゲロ子とヒルダであった。




