ヒルダとイヅモ団子
「なるほど。音子もあの婆さんによって、この世界に放り込まれたというわけか」
右京は音子の話を聞いて、オーガ加藤も音子も自分もあの白髪の婆さんが絡んでいることを知った。そして、その婆さんが『マダム月神』という名前であったことも知り得た。右京が鑑定をした時には、まだ売却の契約を結んでいなかったので老婆のことは何一つ知る時間がなかったのだ。
「私は帰りたい。生徒会は私の居場所。早く帰らないと学園祭が終わってしまう……」
「もう終わっているでゲロ」
ゲロ子の言う通り、この世界に来てそろそろ1年が経つ。音子も右京と同じような時期に飛ばされてきたのなら、とっくに昔に終わっているだろう。
(いやいや……待てよ?)
もしこの世界と現代日本の時間軸が同じなら、自分の扱いはどうなっているのであろうか。謎の失踪後、1年近くも出社していないのだ。右京は間違いなく会社をクビになっているだろう。帰っても無職という身分がもれなくプレゼントされる。失踪じゃなくて異世界に行ってましたなんて釈明しても信じてもらえない自信は100%ある。
音子の場合はどうであろうか。学生が失踪。1年後に無事に帰って来ました。異世界に行ってました云々は信じてはもらえないが、理由を誤魔化せば学校には復帰。留年扱いではあるが元の生活をある程度は取り戻せる。学生と社会人の差を考えると右京が帰ることは、音子と同じではない。
だが、3つの宝石を装着した『リセットロッド』は1年前に戻してくれるという。これなら、右京も失踪する前に戻るのだから、失うものはなくなる。帰っても不利益はあまりないと思われた。タイムスリップでよく問題になる、戻ったら、失踪する前の自分に出会わないだろうかとか、過去を知っている人間が戻ることで歴史が変わらないかなどの疑問も多くある。
それでも音子が依頼してきたリセットロッドを手に入れることは、悪い話ではない。もちろん、どうしても帰りたい音子はともかく、右京は帰りたいという気持ちはあまりない。
帰ればしがないサラリーマンだが、この世界では一国一城の主だ。しかも、今は業務拡大で商売が波に乗ってきたところである。友人もできたことだし、積極的に帰る気にはならない。
ただ、音子はこの世界をゲームの世界だと言っている。その根拠は定かではないが、この世界で暮らすならこの世界がなんなのか。なぜ、右京や音子がこの世界に来なければならなかったのかは知りたいところだ。
「よし。この杖はボスワースさんのところで修理しよう。ウルドの石をはめ込んでもらおう。それができたら、アマガハラのオークションへ行こう。そこでベルダンディの石を手に入れるんだ」
「分かった……」
杖の修理が出来上がるまでに3日はかかる。その間、音子は月海亭に宿泊し、さらに情報を集める。右京は忙しい仕事を片付けて、しばらく出張できるようにスケジュールを調整しなくてはいけない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
中村音子が右京を訪ねてくる1週間前のこと。ホーリーが神官を務めるイルラーシャ教会の夕方のお祈りの時間である。
(先輩にあってわたくしにないもの……。ご主人様がわたくしに首ったけになる方法……)
ホーリーの教会でのお祈りの最中に不謹慎にもそんなことばかり考えているバルキリーのヒルダ。祭壇のところで祈る振りをしているのは毎日のことだが、憂い顔で祈る姿が神々しいと評判であった。
ホーリーのイルラーシャ神の教会は、移転したこともあってこの協会の属する信者は日々増えていた。その理由の一つにヒルダの祈る姿に魅せられてということがあった。この脳内『右京様スキスキスキ』妄想の祈りであることがバレたら、信者たちは一体どうするであろうか。
(ああっ……。そうだ!)
ヒルダは一つの回答を得た。どうしても分からなかったゲロ子と自分との差である。性格から言葉遣い、使い魔としての能力、どれをとっても圧倒的にヒルダの方が上なのに右京がゲロ子を傍におく理由。
「商売だわ! わたくしもゲロ子先輩みたいにお店を経営して、ご主人様に認めてもらえれば……絶対にわたくしの魅力に気づいてもらえるはず!」
違う。絶対にその方向性は違うのだが、ヒルダはそう思い込んだ。右京に気に入られたいなら、ストーカー的行動をやめることと、ゲロ子と同じくお笑い要員的な立場からの脱却を図るべきなのだ。特級精霊というエリートのヒルダ。自分を客観的に評価することが苦手。思い込んだら突っ走る女なのだ。
「はい。みなさん……。食事は十分ありますからね」
お祈りの後にホーリーは教会のボランティアスタッフや子供たちと協力して、町の恵まれない子供たちとその親に食事を振舞う。今日は週に2回ある『子供レストラン』と称する子供を抱えた親を支援する食事会なのだ。
ホーリーは貧しかった1年前のことを思い出して、特に子供たちにはお腹いっぱい食べてもらおうと最近始めたものなのだ。今日のメニューは肉と野菜がたっぷり入ったシチュー。ふかふかのパンに果物のデザートだ。全部、食べ放題である。来る客は小さい子供を連れた若い母親が多い。夫と死別したり、離婚されたりして貧しい境遇になった人たちだ。
最近、この子供レストランにやってくるようになった女性がいる。名前はアミカ。年齢は32歳で上は12歳の女の子。10歳の男の子、7歳の女の子に4歳の男の子と4人の子供を抱えた未亡人だ。日々の仕事で疲れきった表情であるが、どことなく気品のある顔だちで、ちょっと前まではいいところの奥さんだった雰囲気がある。
「たくさん食べて行ってくださいね」
ホーリーがアミカの子供たちの皿のシチューのおかわりを配る。子供たちが無我夢中で食べている様子を見ながらアミカは涙ぐんだ。
「お母さん、温かくて美味しいよ」
「お肉がたくさん入っているよ」
「りんごも美味しい」
アミカは市場の手伝いをして働いているが給金が少なく、子供たちが満足させるだけの食べものを買うことができなかった。1日1食のパンと野菜の切れ端が浮いたスープが精一杯の食事なのだ。ホーリーが開いたこの子供レストランのことを聞いて、週に2回だけだが子供たちがお腹いっぱい食べさせてあげることができるようになった。
「ホーリー様。ありがとうございます、ありがとうございます……」
アミカはホーリーの手を両手で握って感謝の気持ちを伝える。日々、仕事に疲れていても子供たちの元気な姿を見るとまだ頑張れると思う。
「失礼ですけど、アミカさんはずっと貧しい生活をしていたようには思えないのですが、今の暮らしをするようになったのはいつからですか?」
パタパタと飛んでヒルダがそうアミカに尋ねた。アミカも子供たちも着ている服は古くなってはいたが、最初は高価だっただろうと思われる生地で作られていたからだ。
「お恥ずかしい話ですが……」
そうアミカが身の上話を語り始めた。アミカは元々、このイヅモの町の老舗のお菓子屋『イヅモ団子』を経営するマルクという男の妻であった。イヅモ団子はこの町の名物であり、値段も手頃で美味しく、町の人々のおやつや旅人のお土産によく売れていた。
何代も続く老舗店に嫁いだアミカは、没落貴族の娘であった。貴族ではあったが、明日の食事にも困るという生活ぶりで、たまに買って食べるイヅモ団子が唯一の楽しみというほど落ちぶれていた。たまたま、団子を買いに来たアミカを店頭で団子を焼いていた若主人のマルクが見初めて嫁となったのだ。
「主人との10年の結婚生活は夢のようでした……」
アミカは幸せだった時のことを思い出した。18歳で嫁いだアミカはすぐに子供に恵まれた。それもあって老舗団子店の若女将として店の経営に関わることもなく、家で子供たちを育てることに専念していた。ところが、1年前にマルクが事故で死んでしまったのだ。
両親も既に他界しており、店の経営に関わっていなかったために番頭のボリスに店の権利を全て取られてしまったのだ。さらに親戚一同に財産を掠め取られて、無一文で家からも追い出されしまったという。
「それはひどい話ですね」
ヒルダはその話を聞いて腹が立った。番頭のボリスという男もそうだが、親戚と称する人々のアミカと子供たちに対する仕打ちは酷すぎる。
「私も世間知らずだったのです。ボリスが店の経営は一切任せてくださいというので、契約書にサインをしてしまいました。100年続く老舗が乗っ取られてしまったのです」
家を追い出されたアミカは子供たちを抱えて途方にくれた。自分の両親も既に他界しており、帰る家もない。親切な従業員の紹介で今のアパートは借りることができたが、小さな子供がいては満足に働くこともできず、自分の服や何とか持ち出せた家具や貴金属を売って生活してきたが、もう売るものもなくなってしまったのだ。
「騙されたということで、役所に訴えることはできなかったのですか?」
ホーリーはそう尋ねた。場合によっては、右京を通してこの町の執政官であるステファニー王女に聞いてもらうこともできると思ったのだ。
「それが……。ボリスは法律的にも完璧に書類を整えて、合法的に店の権利を自分が譲ってもらったということにしていました。お役所に調べてもらいましたが、無効だということを認めてもらうのは無理だということです」
「そうでしょうね。その男のやり口、随分、前から計画していたのでしょうね。それにここで言い争っても老舗の看板に傷がつくだけ」
「はい……。イヅモ団子は主人が愛していたものです。このイヅモで100年続く老舗店です。あの男と争うことでその看板を傷つけたくないです」
アミカの言葉にヒルダの中で何かが閃いた。
「ご主人の遺品の中にお団子のレシピとかありませんか?」
「レシピはあります。でも、秘伝のタレの仕上げの秘密だけは一子相伝だったので分からないままです。ボリスは職人として長く働いていたので、味の再現はしたようですが、今の味は主人のものではありません。実は主人は家に秘伝のタレの入ったツボを残していました。今も密封して家に保管してあります。それだけは何とかこっそり持ち出せたのです。それは主人の大事な形見なんです」
そうアミカは答えた。マルクはそのタレの入ったツボを大事に保管していたという。
「ホーリーさん、ご主人様に相談してもよいかしら?」
「右京様に? ヒルダさん、何か考えが浮かんだのですか?」
「イヅモ団子は1年前から味が変わったと町では言われています。それでも味は悪くないので、売れ行きはそんなに落ちてはいないのですが、おそらく、マルクさんが作っていた老舗の味が受け継がれていないのだと思います」
ヒルダはどんと胸を叩いて仁王立ちした。
「アミカさん、やりましょう。こちらが本家本元のお団子屋ということを証明して、ボリスという男をへこましてやりましょう!」
ヒルダ、ゲロ子に対抗して団子屋のスポンサーに?




