缶詰の味と閻魔大王の事情
「ゲロゲロ……チキンのクリーム煮はちょっと味が薄いでゲロ」
「うむ。これは改良の余地ありだな。ゲロ子、そっちの2缶を開けろ」
「了解でゲロ」
「うむ。こちらの香辛料で煮た魚とオイル漬けサーモン肉はかなりいける」
右京とゲロ子は持ってきた携帯食である缶詰を食べている。右京が乾パン屋の「カクヤ」主人のジョセフに作らせたものだ。缶詰のアイデアは右京が出したが、料理についてはこの世界の人間に任せた方がいいだろうとの判断だ。予想通り、色々とバリエーションが豊富で面白い。
特に魚の缶詰は、詰めてから殺菌のために再度、熱を加えるので骨まで軟らかくなっており、コリコリと食べられてかなり美味しい。あと、昨日食べた肉の缶詰は肉の煮凝りで固められて中々のものであったし、豆の水煮は肉の缶詰と混ぜるとちょっとしたご馳走になった。
旅先でこんな食事ができたら最高だろう。これは冒険者の必須アイテムとして売れると右京は思った。ちょっとダメなものもあるが、開店から10~20種類の缶詰を売ることができそうだ。
問題は缶詰の製造だが、それについては少々厄介な問題が持ち上がってきた。右京が冒険に出る前にジョセフから聞いた話であるが、町の道具屋を牛耳る『ダイフクヤ』のエヴァが、食品問屋に圧力をかけたようで材料が売ってもらえなくなったというのだ。試作品程度なら、市場で手に入れられるが、大量生産するとなると安定的に供給されないと困る。
ダイフクヤのエヴァは、イヅモの町では老舗であり、顔も利くので乾パンを製造する小さな店に嫌がらせをするのは容易であった。
「あのババアめ。サリナさんを自分の息子の嫁にすることを諦めてないな」
「強欲ババアでゲロ」
年寄り=分別があり、上品で優しいなどというのは幻想だ。先ほどの奪衣婆もそうだったが、業突張りで身勝手な年寄りもいるのである。ダイフクヤのエヴァもその手の老人で、未だに店の経営を息子に任せず、でしゃばってやりたい放題にしていた。老害とはよくいったものである。そして、この老害ババアが狙っているのが下請けで乾パンの製造をしている『カクヤ』のサリナである。
サリナはジョセフの妹である。エヴァに連れ去れそうになったところを越四郎に助けられたこともあって、今はいい関係になりつつある。右京としては越四郎に幸せになってもらいたいので、応援するつもりなのだ。不当な圧力で未来ある若者の未来を捻じ曲げてもらいたくはない。
「帰ったら、何とかしないとな」
「お仕置きするでゲロ」
とは言っても、イヅモの町では影響力のある老婆である。新興の商売人である右京が、どこまで対抗できるかは分からない。今回の圧力も証拠が残らないようにやっているだろうし、商売人どうしの争いには行政府は関知しない。
「がるるる……」
ケルベロスのクロが唸り声を上げた。ここまでクロに乗ってきたので、随分早く黄泉の国の中心へ進むことができたが、近づくにつれて武装した鬼のパトロール部隊に出くわすようになったのだ。大抵は10人程の小部隊なのでクロ1匹で蹴散らしてきたが、今回は違うらしい。報告を受けた鬼どもが大部隊でやってきたのだ。その数は500。ケルベロスを捕獲するための檻まで持参してきている。
「お前か、黄泉の番犬ケルベロスを手懐けた亡者は!」
隊長らしき鬼が叫ぶ。体長は2mを超える大きな体。身につけているのは、お約束の虎のパンツに棍棒と知性の欠片も見られない。
「俺は亡者ではない。魔夜という女の子を探しているんだ。知らないか?」
右京は極力穏便にことを進めようと、そう言葉を選んで話しかけたが、鬼たちは亡者である人間に対しては常に上から目線なので右京の言うことを聞こうともしない。まずは、ケルベロスめがけて網を投げつける。網には魔法が仕掛けられているのだろう。ケルベロスのクロは力が抜けてしまってへなへなとその場に座り込む。
「クロ! クロに何をした!」
「裏切り者の番犬は処分する。お前もな」
「主様、ワンころを失うと自分の足で歩くことになるでゲロ」
「ちっ……やむを得ない。使いたくないが……」
右京はセクシー写真集を取り出す。テーマは『暴食』
鬼のお姉さんが膝をついてこっちを悩ましげに見つめている。ブラが外れていて、たわわな乳を両手で隠している。
「ねえ。お・ね・が・い」
「食べて~ん」
「グゴッ」
「ウプ」
「げふっ!」
500人の鬼たちの胃袋がパンパンになる。ここ数日に食べたものが胃に再現される魔法『ストマック・バースト』の発動だ。苦しくて鬼たちは仰向けになって動くことができなくなる。その隙に網を外してクロを助ける右京。
「悪いが先へ進ませてもらうよ」
倒れている鬼たちが少々気の毒だったが、邪魔をするなら仕方がない。ちょっとここで苦しんでもらうことにする。彼らも鬼だから胃は丈夫だろう。
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黄泉の国では、毎朝に会議が開かれる。黄泉の国の王である閻魔大王に様々な報告がされるのだ。一つの報告は1分以内ですることが決められているが、それでも会議は1時間以上続く。細々なことまで報告されるのだ。
閻魔大王はでっぷりと太った体を椅子に預けて、朝から退屈な報告を聞いていた。年を取って太っているので、頬の肉が重力に負けて垂れ下がっているが、それはそれで愛嬌がある。娘の魔夜にはダイエットしろと言われて、ご飯の量を半分に減らされ、お腹がすいて眠れないのが最近の悩みだ。
「最近、亡者が服を着たまま、裁きの窓口に来るようになったとのことです」
「何だと? 奪衣婆の奴め、仕事をさぼっていないか? 亡者共は丸裸にしてこの世界では誰が上なのかをはっきりさせるために服を剥いでいるのだ」
そう獄卒の報告に閻魔大王の部下である秦広王がそう意見した。彼は規則に従うことを是とする性格で守らないものを許さない気質であった。
「秦広王よ。服を剥ぎ取るか否かは脱衣婆の判断だ。亡者は裁きを受けるまでは、平等に扱うのは悪いこととは思わない」
そう閻魔大王が口を開いた。確かにそのようなきまりはない。きまりがないので、これまで脱衣婆に既得権として黙認していただけなのだ。だが、秦広王は閻魔大王の言葉に従うどころか、これをチャンスとばかりに議論を吹っかける。
「大王よ。少々、甘過ぎはしませんかね。この黄泉の国は死者の国。死者どもを裁く国ですぞ。亡者共には威厳と畏怖をもって接するべきかと」
秦広王はいかにもやり手といった風貌で、黄泉の国の高官が着る官服を見事なまでに着こなし、次期、黄泉の国のリーダーと保守派から支持を集めている男だ。黄泉の国住人なので年齢は定かではないが、人間なら40代前半。ビジネススーツを着せたら有能な部長というイメージの男である。だが、彼は有能な部下というわけではなく、密かに閻魔大王派の家来を陥れて失脚させて、自分の力を拡大していた。狙うは次期、閻魔大王の座なのである。
黄泉の国の閻魔大王の座は世襲ではない。有能な者の中から、黄泉の国の住人が100年に一度選出するのだ。その選出の時期が迫っていた。今の閻魔大王は温厚で平等な態度で接していたので、黄泉の国の住人からは慕われていたが、もっと厳しさをと要求する者たちからは、物足りないとも評されていた。
「秦広王よ。裁くところだからこそ、常に改善を重ねて自らを律することが必要なのだ」
「ほほう……。自らを律するとは。そういえば、先日は魔夜様が人間界へ家出なさったそうで。自らを律すると仰せられても自分の娘さえも律することができないとは……おや、これは失言でした」
クスクス……と高官たちの中から失笑が漏れた。大王派ではなく、秦広王派の者たちであろう。大王派の高官たちは眉をひそめた。こうもあからさまに挑戦してくるとは。大王も無礼者として処分してよいのではと思ったが、温厚な大王は動こうともしない。
閻魔大王としては、秦広王の勢力が侮れないほど大きくなっており、ここで事を構えるのはよくないとの判断であったが、周りからは弱腰と見られた。ますます、増長する秦広王派である。
「ゴホン……。報告を続けよ」
閻魔大王は咳払いをしてあえて無視した。ここで怒ってもこの件に関しては分が悪い。娘の魔夜が黄泉の国は堅苦しいと文句を言って、人間界に家出をしたのは事実であり、そのことはあまり公言できないことであったからだ。
「警備隊一個中隊が、ケルベロスを従えた亡者に魔法をかけられて、全員、病院送りになったとのことです」
「何だと!」
「亡者がそんなことをできるはずが……」
「そもそも、あの気性の荒いケルベロスが飼い慣らされるはずが……」
高官たちは信じられないことだと口走った。そもそも、亡者が魔法など使えるわけがない。それを聞いて秦広王はテーブルを叩いて立ち上がった。
「これは一大事ですぞ、大王。もし、その話が本当ならば、これは黄泉の国の存亡に関わる出来事ですぞ」
秦広王はこの出来事を利用しようと考えた。たぶん、取るに足らない小さなことだと決めつけていたが、閻魔大王の株を下げることならなんでもしようと考えていたのだ。そして、このことは以前から計画していたことを実行するチャンスだと判断したのである。
「その件については、詳しいことが分かるまで調査をせよ」
閻魔大王はそんな秦広王の思惑を察知して、この件を先送りしようと考えた。だが、秦広王は食い下がる。
「大王、甘いですな。それは甘い判断です。そんな悠長なこと言っていては、この黄泉の国が破滅しますぞ」
「だが、秦広王よ。この黄泉の国に人間界の勇者がやって来ることは、過去になかったわけではない。勇者ヘラクレス、勇者ジークフリート、それぞれに目的があってこの世界に足を踏み入れている。話を聞いてやればそれで済むのではないか」
「だから、大王は甘いのです。人間どもを容易に近づけてはこの世界の権威に関わるというものです」
「だが、その者が亡者ではなく、生者なら我々には手出しができないぞ」
「そんなはずがありません。どうせ、獄卒どもが厳しさを忘れて職務怠慢をしているだけです。ここは私が兵を率い、一挙に問題解決をしてみせます」
そう言うと秦広王は席を立った。もはや大王の決裁など必要としない。自分が決めれば、この黄泉の国の半分は自分が思うままになると自負していた。
「よろしいのですか? 大王様」
そう閻魔大王派の高官が耳元で囁いた。
「今は泳がせておけ。あの者は自分が有能だ、信望があると思い込んでいる。奴に従っているのは1割程度。あとは利に吸い寄せられている連中と勝ち負けで有利と考えている連中だ。奴が失敗すれば、直ぐに離れる」
「しかし、奴が今の勢力のまま、反乱を起こせば大変なことに……。時間を与えればこちら側も切り崩されますよ」
「よいではないか。それで敵味方がはっきりするというものだ。この黄泉の国はここ数万年、長年の慣習で腐りつつある。新しい変革をするためにも守旧派を一掃するチャンスだ」
「大王様……」
そこには、普段の温厚な大王の姿は感じられない。数万年前に閻魔大王として選ばれただけのことがあると高官は思った。この大王の力は計り知れない。けっしてデブで愚鈍ではないのだ。それに比べて、自分の才を誇る秦広王は器が小さいと思わざるを得ない。
「あの……大王様。これはまだ未確認情報でしたので、報告しなかったのですが……」
そう先ほど、報告をした極卒がおずおずと話しかけてきた。大王は身分の上下にかかわらず、普段から話を聞いていたので話そうと思ったのであろう。
「何だ。言ってみなさい」
「その亡者は手に不思議な魔道書を持っていたとのことです」
「魔道書? まさか、黄泉の書では……」
「それがセクシー何とかという本らしく……」
「な、何だと……。ちょっと待て。そのことは極秘事項だ。誰にも話していないな?」
「はっ。病院送りになった獄卒の一人が見たという話ですが、にわかに信じ難く、幻でも見たのかということになっています」
「うむ。そういうことにしておけ」
閻魔大王は慌てて自室に戻った。部屋には黄泉の国に伝わる歴史書、魔道書、法律書の類がずらりと並んでいる。その中の一部分に手を伸ばした。数冊が表紙こそは真面目な題名がついていたが、中身はセクシー写真集である。その中でも超レアな『セクシーウィッチ写真集』がない。これは黄泉の国の魔道書の中でも特に選んだ七つの強力魔法と写真集をコラボした珠玉の一冊なのだ。
「うおおおおおっ……。ない、ない。一体誰が~っ!」
娘の魔夜が家出するときに、人間界で売ってお金にしようと勝手に持ち出したとは知らない閻魔大王であった。




