魔夜、初めての経験
初めてって…アイスクリームを食べることです。
死者の国にはアイスはないw
「クークー……」
気持ちよさそうに店のソファで寝ている小さなクロア。昨晩、本の解析をしていたので眠いのであろう。そもそも、クロアはバンパイアで基本眠らないし、眠っても太陽の光に弱いこともあって昼間に眠る。今は午前中だが、小さなクロアはわんわん泣いた後に疲れて寝てしまったのだ。どうしてこんなことになったのか、おおよそ見当はついていたが、肝心のクロアからはまだ話が聞けていない。
クロアはあの『黄泉の書』をもってきていた。それはまだ鍵がかけられていて、右京も開くことができない。ただ、鍵と本を固定させる帯がクロアに渡した時より、位置がずれていた。おそらく、クロアは一度解除したはずだ。となると、この本の影響でクロアは幼女になってしまったのだろうと思われた。
「おはようございます。右京様」
「ご主人様~っ」
いつものようにホーリーとヒルダがやって来た。そして、ソファに座っている右京を見てフリーズする。右京の膝を枕にして気持ちよさそうに寝ている子供を発見したからだ。
「う、右京様……子供がいらしたなんて……」
「ご主人様~。このわたくしを差し置いて、どこの女性を孕ましたのです? きっと、どこのメス豚がご主人様を誘惑したのでしょう。そして、適当に子供を産んでご主人様に押し付けて逃げたに違いないわ。ああ……かわいそうなご主人様。でも、心配ありません。海のように深く、山のようにそびえ立つわたくしのご主人様への愛は、永遠に不滅です。例え、子供がいようともわたくしは、イッツ、オッケー……」
ホーリーは目に涙が溜まってウルウルしているし、ヒルダはブツブツと勝手にストーリーを作って持論を展開している。
「おいおい、誤解するなよ。俺がこっちの世界に来たのは1年も経っていない。こんな大きな子供がいるわけがないだろう」
寝ている子供は4、5歳くらいである。そう言われれば、右京の子供であるはずがない。
「それによく見てみろ。この子供はクロアだよ」
「クロアさん?」
ホーリーが改めて寝ている子供の顔を見る。言われてみればクロアである。クロアそっくりだ。クロアの娘だとしても年齢が合わない。
「どうして、クロアさんが小さくなったのでしょうか?」
「おそらく、俺が鑑定を依頼した『黄泉の書』の影響だろう。開けた形跡があるから、何かトラップが仕掛けてあって、その影響で小さくなってしまったと思う」
「黄泉の書ですか?」
ヒルダがパタパタと飛んで、その本を見る。体長15センチのヒルダよりも大きい本だ。ヒルダは同じ妖精でもゲロ子よりも博識だ。黄泉の書については多少の知識がある。
「黄泉の書は黄泉の世界で使われる魔道書です。そこには88もの魔法の使い方が記されていて、その呪文を唱えるだけで魔法が使えると言われています。残念ながら、この世界には写本しかなく、効果は確かめられませんがマジックアイテムとしては、超一流のものだといえます」
「だが、ヒルダ。クロアはこれを偽物じゃないかと言っていたが」
「そうですね。写本と比べると表紙がシンプルです。それにページ数も随分と少ないです。本物はもっと辞典のように分厚いですが、これはひどく薄いですね。まるで雑誌のよう」
「この小さなクロアが起きたら事情を聞こうと思うが、話せるかが問題だ」
「そうでゲロな。記憶も幼児化している可能性があるでゲロ」
そう言うとゲロ子の奴、ペタペタとクロアの頬を触る。気になってクロアが手で払う。それをかわして、さらに触ったり、つねったりしようとしたので右京はゲロ子を摘んで壁に叩きつけた。ぺちゃんこになるゲロ子。いつも、クロアにはいじめられていたので、チャンスとばかりに仕返しをしようとしたのであろう。
「ゲロ子、小さい子をいじめるなよ!」
「ゲロゲロ……いじめてないでゲロ。ちょっと、いじっただけでゲロ」
右京はゲロ子を見ていて、これはまずいことになったと思った。以前の都の政変でクロアを亡きものにしようとする脅威は減ったのだが、それでもクロアは命を狙われる重要人物なのだ。これまでは無敵のバンパイアだったので、問題なかったが今は無力な幼児だ。襲われたらひとたまりもない。
「ご主人様。この本の鍵は魔法の鍵は解除されています。かかっているのは単純なウォード錠のみです。ネイさんなら簡単に開けられるでしょう」
ヒルダが本を見て確かめたようだ。チェック・ザ・マジック。物体に魔法がかけられていないかを確認する魔法だ。それによると鍵には魔法はかかっていない。但し、本自体はビンビンに反応するので、普通の本ではないことが分かる。
「まだこれを売った魔夜はこの町にいるでゲロ。詳しいことを聞いてみたらよいでゲロ」
ゲロ子、壁に叩きつけられて、よいアイデアを思いついたようである。本の謎を探るには売った本人に聞くのが一番であろう。
「あと、わたし、この町の王立図書館に務める司書さんを知っています。彼女の本の知識はものすごいですから、きっと役に立つと思います」
ホーリーもそう言ってくれた。まずは、魔夜を探し出して本について聞く。起きたクロアからも情報を集め、ホーリーの知り合いの司書に聞くというのがよいだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔夜は朝から上機嫌である。いつもなら、今頃、超忙しい仕事をしている時間なのに、今は美味しそうなアイスクリームの店の前でどれを食べようか、選んでいるのだ。アイスの種類は、普通のミルク、チョコ、キャラメル、ストロベリー、プリン味。これにフルーツやナッツを混ぜるので、組合わせはかなり多い。
さらにゲロゲロアイス名物のソフトクリームは、ミルク、チョコ、マロン、ストロベリーにそれぞれのミックスが楽しめる。
アイスはミニが銀貨1枚程。通常のシングルが銀貨2枚になるし、フレーバーをいろいろと入れると2G程になることもあるが、かなり豪華なアイスになる。アイスはカップに入れられてくるが、これには小さなクッキーが1枚ついてくる。追加のクッキーは銅貨1枚で1枚付いてくるのだ。
「わ~っ。どうしよう、どうしようデス……。みんな美味しそうでどれも食べたいデス。いや、今の魔夜にはお金があるデス。100Gもあるから、どれも食べられるデス」
正確に言うと宿代で20Gほど支払ったから、残りは80G程しかないが、それでもアイスを買うには、この10G札8枚は偉大だ。
「お嬢ちゃん、どれにする?」
ゲロゲロアイスの店員が魔夜にそう聞く。先程から、ショーウィンドーを見て30分もうんうんと考えているのだ。店員の緑色のエプロンには、ゲロ子の顔がプリントされており、店頭には1m程のゲロ子の人形が置いてある。
「うん。決めたデス。やっぱり、ここはオーソドックスにいくデス。ミルクアイスをダブルにラズベリーとイチゴ、粒チョコを追加で、ナッツも入れて。クッキーは3枚追加デスね」
「はいよ!」
店員はケースからアイスを取り出す。冷たくした鉄のプレートに置くとトッピングの具材を入れて混ぜ合わせる。それを見ながら魔夜はソフトクリームも注文した。まずは、チョコのソフトクリームを舐めて前菜とするのだ。
「はあ~ん。なんて幸せなのデス」
魔夜は渡されたソフトクリームを舐めながら、注文したアイスが出来上がって来るのを見つめる。練り合わされてカップに入れられ、小さなクッキーが上に4枚突き刺されて出てくる。
「ハムハム……」
ちょっと大人味のチョコレートソフトクリームも絶品だったが、出てきたフルーツ味のアイスはさらに格別であった。それをスプーンで一口すくって口に入れる。
「ふ~ふふ~ん。サイコーデス!」
まずは口いっぱいに広がるミルクアイス。そのあとにくるフルーツの酸味。ラズベリーとイチゴで味が異なる。ナッツ香ばしさを演出し、チョコがアイスとは違った甘味を感じさせる。
「あ~ん。これ最高デス! 黄泉の国にもあったらいいなあ~デス」
「魔夜様」
アイスに夢中で魔夜はテーブルの周りを黒いサングラスと黒い帽子、黒いマントで覆われた異様な集団が取り込んでいるのに気がつかなかった。一見、誰だか分からないのだが、魔夜には分かった。自分を連れ戻しに来た父親の部下だ。
帽子で角を隠し、マスクで牙を隠している。黄泉の国の鬼たちだ。
「お父様が心配しております」
「お戻りください、魔夜様」
「いやデス。魔夜はここのアイスを全種類食べないと帰らないデス。帰っても黄泉の窓口はイヤ。あんな忙しい仕事まっぴらデス」
「魔夜様、窓口業務は将来、魔夜様が黄泉の裁判官になるために修行ですよ。わがまま、言ってはいけません」
そう言うと黒づくめの男はパチンと指を鳴らす。すると2人の黒づくめの男が担いだ籠が現れた。
「さ、さ……これにお乗りください」
「嫌デス~っ」
籠に押し込められる魔夜。アイス店にいた客も唖然として止めに入れない。そこへ、右京たちが現れた。
「おい、お前たち、その女の子をどこへ連れて行くんだ」
「待つでゲロ」
右京が叫んで駆け寄る。黒づくめ集団は慌てて走る。うち体の大きな2人が殿で右京の目の前に立ちふさがる。ファイティングポーズを取る。かなり大きな大男だ。駆け寄る右京の顔めがけてパンチを浴びせる。それをまともに受ける右京。
「あれ?」
全然痛くない。殴られたのに衝撃も痛みも感じない。さらにもう一人の男が右京の腹にパンチ。全く痛くない。
(俺、急に強くなったのか?)
今度は右京の反撃だ。右手に持った本で叩く。ボシュッっと煙が上がって一人消えた。
「な、なぜ、この世界の人間がそれを持っているんだ?」
男が消えたのを見て、もうひとりが叫ぶ。だが、その瞬間に右京は問答無用のひと叩き。その男も消えた。この本、とんでもない武器だ。その間に残りの男たちは魔夜を乗せた籠を守って走り去る。
10mほど走ると姿がだんだんと薄くなり、そして消えてしまった。まるで別次元へ行ってしまったように。アイス店にいた客も右京も突然の出来事に立ち尽くすしかなかった。
「これで手がかりの一つが消えてしまったでゲロ」
「あとはクロアとホーリーが紹介してくれた司書しかいない」
(一体、この本は何なのだ?)
右京は手に持った本を眺めた。この本の攻撃で消えたということは、あの黒づくめの男たちは人間ではないのであろう。




