決意
足取り重くホーリーは自分の教会に帰ってきた。ふと顔を上げると教会の前にマイザー婦人と見知らぬ若い男が立っている。若い男は着ている服から神官学校の生徒だと見て取れた。
その男は裕福でうまいものをたらふく食べているせいか、ぼてっと白い大福餅のように太っている。手には砂糖をまぶした豆のお菓子の入った袋を持って片手で掴んでは口に運び、ボリボリと口を動かしている。脂ぎった不潔な感じでクチャクチャと口を動かしているのが気持ち悪い。
「おやおや、ホーリー。今お帰りかい」
「マ、マイザーさん。何か御用ですか? 今月の家賃は支払ってあるはずですが」
「ふん。そんな用事ではないよ。それより、ホーリー、浮かない顔じゃないか」
「……」
ホーリーは嫌な予感がした。妙にマイザーが優しい口調なのだ。こういう時はよからぬことを考えているに違いない。横に立っている醜いおデブがマイザーの服をクイクイと引っ張った。
「ボ、ボクチン、気に入った。この娘がいい」
「そうですかい、そうですかい。それはよかった」
「前金はたっぷりはずむよ。ボクチンが合格した日にお祝いで楽しんじゃおう。しばらくは、ボク専用にしたいからね」
「それですと、これくらいはいただかないと」
マイザーは小声でそう言い、男の白いぷよぷよした手のひらに指でなぞった。男は頷く。
「パパに言えば、そのくらいお小遣いでもらえるさ。合格祝いで女囲ってもいいかとおねだりすれば簡単だよ」
「そうですかい、そうですかい」
もみ手をして猫なで声を出すマイザー。二人揃うと気持ち悪い光景だ。ホーリーはこそこそ話す二人のやりとりを見ていて、嫌な予感がした。自分の身にとてつもない不幸が襲ってくる予感だ。
「ふん。この方は伯爵様のご子息で、今は神官学校に通っていらっしゃるジルドおぼっちゃまでいらっしゃる。ホーリー、この方はお前を町で見かけてお見初めになられたのだよ」
マイザーがそう紹介する。くんくんと鼻を鳴らしてジルドと紹介されたおデブ男が、脂肪臭をプンプンさせ、豆のお菓子で脂ぎった口元をベロベロ舐めて近づいてくる。恐怖で動けないホーリー。ジルドは遠慮なくホーリーの首筋の匂いをくんかくんかと嗅いで、恍惚とした表情を浮かべた。
「こんなところに上等な花があるなんて、たまには野の花もいいもんさ。こういう素朴な花を無茶苦茶にできるかと思うだけで、ボクチン、出ちゃいそう」
「はいはい、おぼっちゃま。た~んと出してくださっていいのですよ」
(何を出すんだ? 何を?)
「マイザーさん、どういうことですか?」
「ホーリー、まだ分からないのかい? あんたはわたしの店で働くんだよ。それであんたの最初のお客がジルドおぼっちゃま。半年ぐらいは専用で可愛がってくださるよ。デビューから専用待遇だなんて、あんたは運がいいよ」
「そ、その話は断りました!」
「おや、いいのかい? 私は知っているよ。あんたが神官の試験を受けられなくなったってこと。神官になれなきゃ、お金は入ってこないだろ。それに神官がいない教会は廃止される。この教会も取り壊しだね。そうなるとあんたたちの行くところはない」
「出ていきます。どこか住むところを探します」
「逃がしはしないさ。この前は言わなかったが、ラターシャ司祭の葬式の費用の500G。利子も加えて700G。この借金は払ってもらうよ」
「そ、それはマイザーさんが払ってくださるって……」
「冗談はよしておくれよ。なんで私がそんな親切をしなきゃいけないんだい。貸しただけだよ。借用書にはあんたのサインもある。払う期日は1ヶ月後だよ。1ヶ月も待つなんて、私はなんていい人なんだろうね。払えないときは体で返すというのも私の親切心さ。そうでなきゃ、あんたは牢屋へぶち込みさ」
意地悪そうに、そして勝ち誇ったようにマイザーはホーリーに告げる。この不幸な少女に選択肢は他にないという確信をもっている。
「私のところに来れば、子供たちは学校に行ける。毎日ごはんも食べられる。なに、あんた次第さ。あんたの気持ちで決まる。悪い話じゃないさ。それに、あんたもこの仕事気に入るさ。旦那方に可愛がってもらって、さらに金がたんまり入ってくるんだ。女冥利に尽きるというものだよ」
ホーリーにとっては地獄である。最初にあんな気味の悪い男におもちゃにされるなんて屈辱にも程がある。遊ばれて捨てられて、また別の男に遊ばれる。そんな生活は絶対嫌だ。
だが、このままでは自分も子供たちも行詰まることは間違いない。あのラターシャ司祭の形見のメイスがどんなに高く売れても、いずれはお金はなくなってしまう。お金がなくなれば、マイザーの提案を受けなければいけなくなってしまうだろう。ホーリーは決心した。やるしかない。自分の未来も子供たちの未来も切り開くのだ。自らの手で。
「マイザーさん、お断りします」
「ふん。まだ自分の立場が分からないのかい? 馬鹿な娘だこと。いいだろうよ。そのうち、私に泣きつくことになる」
そう言うと、マイザーは余裕のある表情で踵を返した。ジルドはマイザーに何か言ったが、マイザーが小声で返すと満足そうに頷いた。嫌だ嫌だという女を口説くのもまた一興みたいなことを言ったのだろう。
ホーリーは悲しくなった。自分にはお金がない。お金がないことで神官学校にも通えず、受験資格もない。あの醜く太った若者は神官学校に通い、毎日おいしいものを食べて、そして、金の力で不幸な女の子を弄ぶ。許せないとホーリーは思った。
「お姉ちゃん、やめなよ。危険だよ」
ピルトはそうホーリーを止めた。ホーリーが子供たちに自分の決意を伝えたのだ。小さな子供たちは意味が分からなかったが、年長のピルトとタバサは理解した。
「明日から、カイルさんのところで鍛冶の見習いとして働くんだ。給金を入れるからみんなで働けばなんとかなるよ」
「私も市場でアルバイトする。今よりたくさん掛け持つ、だからお姉ちゃん止めて」
「ピルト、タバサ、ありがとう」
ホーリーそう言って二人を抱きしめた。意味の分からない小さな子供たちもホーリーの体に引っ付いてくる。
「でもね。それでも生活していくのは無理。ピルト、あなたは鍛冶屋さんで腕を磨きなさい。タバサ、あなたも働くより勉強が大切。大丈夫。怖いけれどお姉ちゃんはやるわ。あなたたちが勇気をくれるから、お姉ちゃんはやれる」
「ホーリーお姉ちゃん」
子供たちはみんな泣いた。ホーリーも泣いた。貧乏は悲劇を生む。そして、貧乏から逃れるのは容易ではない。だが、勇気をもって立ち向かい、克服した時に貧困からの脱却がかなう。泣いていては逃れられない。努力と勇気で立ち向かわねばならないのだ。
「来たな……」
朝霧の中を歩いてくる少女の姿を遠くに見つめて、霧子・ディートリッヒは自分のもつ愛剣に触れた。見込んだとおりに神官見習いの少女は、自分の過酷な運命に抗う道を選択したのだ。




