ハンババ討伐
竜騎兵とは一般的に火器を装備した騎兵を言うが、これといった定義はない。その装備は時代や国によって様々であり、竜騎兵の「竜」の字も特に意味はないのだ。一説にはマスケット銃で武装し、それを撃つと火を噴いているように見える姿からドラグーンナイトという名称で呼ばれ、そこから竜騎兵となったとも言われている。
そう言う意味では、オルンハルト公爵が率いる竜騎兵の装備は魔法アイテムである爆裂の弾を仕込んだ矢を放つ短弓とサーベルを装備した騎兵であった。矢を放ち爆発させる様はドラグーンと言ってもおかしくはない。戦争では機動力と一撃の破壊力、そして突進力が売りで決戦の切り札として扱われている兵種である。
その竜騎兵部隊が山に住み着いたハンババ討伐に向かった。指揮するのはオルンハルト公爵。昨日、右京にぶっ飛ばされてケガをしてしまい、目のところにアザを作っていたので、それを隠すために眼帯をしていた。眼帯をしたイケメンゴリラである。
ハンババという魔物は古代バビロニアのギルガメッシュ叙事詩に出てくる由緒正しいモンスターである。その話によるとハンババは巨大な体をもつ強力なモンスターで、さしもの勇者ギルガメッシュも友人の巨人エンキドゥの力を借り、専用の巨大な武器を使い、さらに神の助けを得てやっと倒したという。
イナの町に住み着いたハンババはそれほどは強くなかったが、それでも両足が獅子、硬いウロコと野牛の角をもち、強力な攻撃手段をもつ厄介なモンスターであった。
「者共、退くな!」
オルンハルト公爵はサーベルを抜刀し、配下の兵士に下知する。しかし、強大なモンスターの前に訓練された兵士ですら恐怖を覚えた。
グオオオオオッツ……。
地鳴りのような恐ろしい咆吼に竜騎兵の乗る馬も驚いて立ちすくみ、一歩も動けない。そのために竜騎兵たちは下馬して戦うしかなかった。まずは爆裂魔法を仕込んだ短弓による攻撃を敢行する。これは皮膚に刺さった途端に爆発するもので、強大なモンスターには効果が高いと思われた。
しかし、80人の兵士が放った矢の攻撃は、硬い鱗をもつハンババには全く通じない。矢は跳ね返され、爆裂の魔法が発動してもその程度ではねずみ花火程度であった。ボンボンと爆発するが、ダメージを与えているようには思えない。逆にその音がハンババをより凶暴にさせた。
矢の攻撃が効かないので、オルンハルト公爵はやむを得ず、抜刀して戦うことを命じた。こうなれば接近戦による人海戦術しかないと考えたのだ。しかし、一人として突っ込んでいくものはいない。軍の中でも勇猛を誇る竜騎兵でこの体たらくである。
「バカもの! 怖気づくな! 逃げるものは斬る!」
オルンハルトの叱咤でなんとかその場に踏みとどまった兵士たちだが、ハンババが炎のブレスを吐くともはや、耐え切れなくなった。最初のブレスで20人が火に包まれると残りの兵士は恐怖で逃げ惑うばかり。さらに、追い打ちの毒ブレスが吐かれてバタバタと倒れていく。
「うぎゃあああっ……」
「助けてくれ~っ」
兵士どもの悲鳴が山々に響き、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。すさまじい攻撃力にオルンハルトは自分の目論見が甘かったことに気付いた。いくら巨大なモンスターでも80人いれば、数で抑えこめると思っていたのだ。だが、オルンハルトも意地がある。ここでおめおめと引き下がるわけには行かない。
「バカもの! 後ろへ下がれ!」
絶望的な戦いをするしかなかった兵士たちに叱咤する女性の声が響いた。一斉にその声の主を見る兵士たち。その人物は黒い髪をポニーテールにした妙齢の女性であった。手には刀と呼ばれる東方の島で使われる武器をもっている。
勇者アオイである。アオイは右京の店で手入れた「獅子王」を腰に吊るし、体は着物と袴(剣士の服)に簡単な胸当て(これは『英雄の胸当て』というマジックアイテム)を着用している。
「ハンババに魔法防御も使わず挑むなど、自殺行為だ」
「お、お前は!」
オルンハルト公爵はその女性の顔を見て思わず声を上げた。それは懐かしい顔であったからだ。
「生きていたのか! アオイたん」
ゾゾゾ……と背中に冷たいものが走った勇者アオイ。オルンハルトの顔はよく知っている。かつて、この公爵の嫁になるために東の島国『義』からやって来たのが彼女であったからだ。
「ゲゲゲ……。エテ公」
20年ぶりの再会である。葵公主のことを『アオイたん』と気持ち悪い呼び方で呼んでいることからも分かるが、オルンハルト公爵は20年前に一目見た時から、この女性にベタ惚れであったのだ。
グオオオオオッ……。
ハンババが緑色のガスを口から噴射する。致死性のガスである。これを吸えば一瞬で呼吸困難となる。逃げ遅れた兵士がバタバタと倒れる。
「兵士を下がらせろ。これ以上の犠牲者を出させるな!」
昔のことを思い出している暇はない。今は重要な戦いの真っ最中なのだ。アオイはすぐさま、ハンババ討伐の体制に入る。まずは、自らにファイアウォールとトルネードオプションの魔法を唱えた。ファイアウォールは炎のブレスを無効にする防御魔法。トルネードオプションは自分の周りに3つの小さな竜巻を召喚する魔法だ。ハンババは吐く毒ブレスをこの小さな3つの竜巻の風の力で吹き飛ばすのだ。
ボスキャラ級と戦う時には自分の防御を高め、攻撃力を高めてから攻撃に入るのが鉄則だ。勇者といえどもハンババ級のモンスターとなると長期戦になるからだ。
オルンハルト公爵は兵に撤退命令を出す。ここはアオイに任せた方がいいだろうという判断だ。生き残った兵士たちは撤退命令を受けて、ハンババの攻撃を受けない場所まで下がった。オルンハルト公爵のみがサーベルを抜いてアオイに加担する。このサル公爵は勇敢なところだけは美点であった。猿人公爵、ハンババの炎や毒のブレスを恐れず立ち向かう。
アオイは腰に吊るした『獅子王』を抜刀する。ずっしりとくる重さが体全体に戦う気持ちを浸透させる。不思議と勇気が次々と膨らんで行くのが分かる。
(この刀、手にしっくりとくる。この感じ……いい)
キラリと剣が光る。その瞬間にアオイはダッシュする。瞬足でハンババに近づくのだ。そしてハンババの体に三太刀切りつけた。硬いウロコも切り刻まれ、血しぶきが上がる。
だが、ハンババも反撃する。ワシのような鋭い爪でなぎ払い、近づいたアオイを追い払うと炎のブレスを浴びせかける。だが、あらかじめ展開してあったファイアウォールの魔法が発動している。炎はアオイのところで2つに割れていく。
「くそ、これでも喰らえ!」
オルンハルトが近づいてサーベルでハンババの左足を突き刺す。だが、硬いウロコに阻まれてサーベルはぐにゃりと曲がってしまう。その瞬間にハンババの蛇の尻尾がオルンハルトを強く打った。通常の人間ならこの一撃で絶命してしまうのだが、さすがはイケメンゴリラ。強靭な体は地面に数度打ち付けられて転がっても命を奪うまでには行かなかった。だが、衝撃はかなりのもので気を失ってしまう。慌てて部下の兵士たちが引きずって後方へ撤退させる。
「そんなヤワな武器では、この怪物は倒せない」
カチャリと『獅子王』をひねって音を鳴らすアオイ。瞬間に近づくとさらに斬りつける。それを迎撃するハンババ。鋭い爪攻撃を間一髪でかわす。さらに噛みつき攻撃を体を空中で回転させてかわす。顔に対して何発か斬撃を放つ。
グギャアアアッ……。
ハンババは苦しみ、今度は毒ブレスを吐く。それもアオイの周りを回っているプチトルネードが拡散させて毒を無効化する。プチトルネードはハンババの硬いウロコもかまいたちのように切りつけていく。
長期戦となった。攻撃は圧倒的にアオイが押していたが、ハンババの直接攻撃が一度でも当たれば致命傷になるために、長期戦になればなるほどアオイが不利になる。ハンババのHPは削りつつあるが、アオイにも決定打がなかった。
(ハアハア……。さすがにしんどい。私も歳か?)
このクラスのモンスターとちまちま戦えば、2、3時間の攻防は覚悟しなくてはならない。アオイは魔法も仕える剣士でいわゆる冒険者ギルドの職業カテゴリーは『勇者』であるが、主な攻撃方法は刀による攻撃であった。防御魔法と補助魔法は使えるが、攻撃魔法は不得意であったからだ。よってハンババに致命傷を与える攻撃魔法はもっていなかった。
「葵公主様、これを!」
背後から男の声がした。もう何年も会っていないが懐かしい声。アオイはその声を忘れることはなかった。
「越四郎!」
振り返ると飛んできたのは刀。それは、アオイが伊勢崎ウェポンディーラーズへ修理を依頼した愛刀『源氏車』であった。アオイがハンババ退治に行くと冒険者ギルドで聞いた越四郎は、その刀を急ぎ修復して届けに来たのだ。
「公主様、甲信流の奥義を」
アオイが習得した甲信流の剣術には、究極の奥義が存在する。それは2本の強力な刀を用いた二刀流によって成立する技である。
『双龍光殺』
二刀流から繰り出す二百連擊である。さらに越四郎は自らの愛刀を抜いた。彼のもつ刀は『心空』と名付けたもの。自分が作った刀の中でもっともよいものであった。
「拙者と公主様で三百連擊をお見舞いするのです」
「それしかないな、越四郎、行くぞ!」
アオイは2本の刀を握ると前で交差させる。逆上するハンババを睨みつけ、呼吸を整えると越四郎をちらりと見て目で合図した。越四郎が頷いた瞬間、アオイの姿が消えた。
タン……。
地面を蹴って飛んだのだ。ハンババの頭上で回転すると両手にもった2本の刀を使い、目にも止まらない剣戟を繰り出す。越四郎も同時に攻撃を繰り出す。
鍛えられた名刀はハンババの硬いウロコをものともしない。アオイと越四郎が刀の動きを止めた時には、ハンババは白目を向いて、その巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。
「任務完了」
アオイはそうつぶやくと2本の刀を鞘に収めた。越四郎も刀を収める。そして、20年間探し続けた人を見た。その姿は昔と変わりない雰囲気の幼馴染の公主であった。
「葵公主様」
「越四郎、越四郎か……久しぶりだな」
アオイはポニーテールにしていた髪留めを右手で外す。豊かな黒髪がサラサラとこぼれ落ちて首を振るとそれが光りながら広がった。
「葵公主様、今まで一体何を……」
越四郎がこれまでに手に入れた情報だと、葵公主はオルンハルト公爵の下から逃げ出し、追っ手から逃れるために川に入って行方不明になったと聞いている。
しかし、あの葵公主が自ら命を断つなんて考えられないと越四郎は20年間も彼女を探すことになったのだが、まさか、勇者になっていてモンスター討伐をしていようとは……。
(いいや、よく考えれば十分ありえる。葵様は昔から型破りな性格であった)
巨大なモンスターを倒し、カカカ……とご満悦な公主を見ると越四郎は今までの苦労を忘れる思いであった。
「越四郎、今までのことは町に帰ってから話そう。今は任務完了を一刻も早く依頼者に報告しないといけない。それにあのエテ公にも公式の場でガツンと言っておかねばな」
オルンハルト公爵は担架に乗せられて、運ばれていくところであった。それを冷たい目で見ている葵。よく考えれば、アオイはあの猿人公爵の妻であったのだ。
「それにしても越四郎。お前はおじさんになったな」
アオイはそう越四郎を見て言った。かつて一緒に遊んだ14歳の少年は、昔の面影はどことなく残っていたが、やはり年月は人を変える。
越四郎、34歳。ちょっと頭の毛が気になるおじさんである。




