受験資格
「う、右京さん……」
突然、名前を呼ばれて右京は振り返った。キル子が泣いて飛び出した入口に今度はホーリーが立っている。クタクタの神官の服と帽子はそのまま。桃色の髪もくすんで見える。目に涙をいっぱいためて今にもこぼれそうである。あの隣エリアの教会から歩いてきたのであろうボロ靴がさらにくたびれた感じである。
「ホーリー……どうしたんだ?」
「姉ちゃん」
右京とピルトがそう言うと我慢していたものがプツンと切れた。
「うああああああああっ……。わたし、わたし……どうしていいのか……」
右京の胸に飛び込んで泣き出すホーリー。思わぬ展開に固まってしまう右京。一体どうしたというのだろうか。ひとしきり右京の胸で泣いたホーリーはエルスさんになだめられて椅子に座っている。まだ、泣きじゃくっている。
「おい、ゲロ子。あの娘は何なんだ?」
いつの間にか戻ってきたキル子がゲロ子を捕まえてそう聞いた。恥ずかしさで思わず逃げ出したキル子であったが、途中、ワケありな感じのホーリーとすれ違い、気になって振り返るとあの鍛冶屋に入っていくではないか。気になって戻ると右京の胸に飛び込んで可憐な少女が泣きじゃくっているシーンに出くわしたのだ。これは気になって仕方がない。
「あの娘はホーリーというでゲロ。貧乏さを売りに主様に近づいているビッチ2号でゲロ」
ギュッとゲロ子の頬をつまむキル子。確かに右京に屈託もなく泣きつくホーリーにイラっとしていたが、下心があってあんな態度をしているようには思えなかったのだ。両方のほっぺたをグイグイと引き伸ばしてキル子はホーリーの情報をゲロ子から聞き出した。
「なるほど……。神官試験が今年から受験資格が変更になったと」
「は、はい。今年から神官学校に2年間通った者しか受けられないそうです」
それはひどいなと右京は思った。ルールを変えるならもっと前もって予告するべきだし、神官学校に通った者なんて条件は金持ち以外なれないということである。しかも神官のいない教会は廃止するという予告までされていた。このままでは、あの教会からも追い出されて、ホーリーたちは路頭に迷ってしまう。
「姉ちゃん……」
ピルトも心配そうにホーリーに声をかける。ホーリーの目標は3等神官になってあの教会でみんなと仲良く暮らすことなのだ。そのために昼はアルバイトをし、夜は遅くまで試験勉強をしていたのだ。それこそ、頼み込んで系列の教会の司祭に使い古した中古の試験問題集を譲ってもらい、繰り返しボロボロになるまで勉強をしていたのだ。それなのに試験さえも受けさせてもらえないなんて。
「行こう」
右京はメイスを木箱に入れるとホーリーの腕を掴んだ。神殿で鑑定書を作成してもらうついでに、試験が受けられる道がないかレオナルドに聞いてみようと思ったのだ。
「あ、あたしも行くよ」
キル子もついて来る。キル子としては、ここで関わっておかないと何だかまずいと心の中で警告する声に突き動かされたのだ。薄幸の美少女は強敵である。
「ああ。それは本当だ。昨日、正式に決定されて国中に布告されたよ」
レオナルドは訪ねてきた右京にそう説明する。この国で神職に就くには国家試験にパスすることが条件だ。今回、制度を変えたのも年々、神官を志す者が多くなったことと、受験者の質を高めるために取られた決定だという。神官学校に2年通い、修了証を得たものだけが受験資格があるという今回の改定だ。
「しかし、今年、試験を受けようとしていた人が困るじゃないか!」
右京はホーリーのために食ってかかる。レオナルドは神殿の研究者に過ぎず、試験のことで文句を言っても仕方がないのだが、誰かに怒りをぶつけないと収まらないのだ。
「う~む。それはあまりないかな。学校を出ずに試験に受かった人間はこの10年出てないし、受験者もほとんどいないんだよ」
「ここに一人いるよ。彼女だ。ホーリー。今回、試験を受けて受からないと彼女が困るんだよ」
「といってもねえ。僕に文句言われても困るし。そもそも、ここはアイテムの鑑定するのが仕事だ。試験の苦情を言われても困る」
「それもそうだけどさ」
レオナルドは右京の後ろで下を向いて泣きじゃくっている少女を見て、ちょっと気の毒だと思ったがどうにもならないことも知っていた。それに仮に彼女が受験したところで、自己流の勉強で難関の神官試験をパスできるとは思えなかった。
「ほうほう……。確かにメイスは本物じゃった。依頼の鑑定書出来上がったぞ」
メリン1等神官が、右京がレストアしたメイスを持ってカウンターまでやって来た。箱にそれをしまい、鑑定書を中に入れる。鑑定書には(パトリオール・マニシッサが若き頃に使用したメイスである)と明記されている。これで価値は1万G以上はいくだろう。
「レオナルド。神官試験には特別枠があったろう」
思い出したようにメリンはそうレオナルドに聞いた。特別枠と聞いて、レオナルドは試験要項を取り出して確かめてみた。確かに特別枠がある。
<社会人枠の設定>
冒険者の見習い神官として勤めたもので、モンスター討伐値が1000ポイントを超えた者は社会人枠として受験資格を有する。
この文言をレオナルドは読んだが首を振った。右京の後ろにいる女の子が当てはまるとはとても思えない。
「あるにはあるが、そのお嬢さんには当てはまらないよ。冒険者でもないし、そもそも1000ポイントを超えるなんて1ヶ月後の試験まで無理だろう」
「1000ポイント?」
右京は冒険者の仕事の成果はギルドの管理によるポイント制で管理されているということは知っていたが、それがどのように管理されているか知らなかった。
「ゲロゲロ……。主様、このゲロ子が教えるでゲロ」
ゲロ子が右京の肩から飛んで後ろのキル子の腕につかまった。ズルズルと降りて手首にはまったブレスレットに触る。
「このギルド発行のアイテムで冒険の記録ができるでゲロ。ここにモンスターに与えたダメージが記憶されるでゲロ」
ゲロ子がキル子のブレスレットに触り、両目がくるくると回転して数字を表示する。そこには123206ポイントと表示されている。
「スライムやゴブリンなどの低レベルモンスターを1匹討伐で1ポイント換算だ」
キル子がブレスレットを見せてそう補足した。ちなみに記録媒体はブレスレット型から、ペンダント型、懐中時計型に指輪型と種類は豊富だそうだ。これでドライブレコーダーのごとく戦闘データをポイント化するらしい。さらに対戦して倒したモンスターのデータを映像化して幻術士が再現して、闘技場で戦わせることができるのだ。このおかげでV.D.(バーチャルデュエル)のイベントができるのである。
(それにしても……)
右京は思った。キル子のポイント123206って、ゴブリンを12万以上殺したってことかよ! (断罪レディ)という二つ名は伊達ではない。
(キル子、こええええ! コイツは怒らせたら本当にキルされる)
「やっぱり、ダメなんですね……」
悲しそうにポツリとホーリーは口に出した。右京もどう励ましてよいのか分からない。夢に向かって挑戦すらできないのはあまりにも可愛そうだ。そんな右京とホーリーの様子を見て、霧子がこうきっぱりと言った。
「道はあるさ」
「?」
「何言ってるでゲロ?」
「その子が受験できる方法を知っているってことさ」
なんでそんなことを言ってしまったのか、霧子自身も口に出してから考えてしまったが、受ける方法は簡単だ。
「その子を冒険者ギルドに連れて行って、登録すれば冒険者になれるさ。それに1000ポイントだろ……。普通なら無理だけど」
霧子はそう言って、右手でホーリーのあごをグッと上げた。泣いているホーリーをグッとにらみつける。
「あんたが本気なら、あたしが協力してやるよ。その武器が役に立つはずさ」
「どういうことだよ」
話が見えてこないので右京はキル子に確かめる。キル子のアイデアはこうだ。ホーリーを冒険者ギルドに連れて行き、冒険者に登録する。これは簡単だ。簡単な身体検査で登録できる。問題は1000ポイント。安全に普通にちまちまやると2、3年はかかってしまう。短期間で稼ぐにはかなりのリスク、危険なモンスターと戦わないといけないのだ。
「ポイントを稼げる奴はいる。あの鎧の化物だ」
キル子が前回の冒険で出会ったという鎧の化物。そいつは、町の外にある迷宮の地下4階に出現した。ベテランパーティの冒険者も退けるその守備力と攻撃力のおかげでより稼げる5階以下に行けなくなってしまったのだ。幸い、追いかけては来ないガーディアンタイプのモンスターだったので、適わないと思えば逃げ出せばよかったから死人は出ていないが、退治するには骨が折れそうだ。この町のギルドに登録している冒険者には荷が重く、都から高レベルパーティが近日、討伐に来るらしい。
「あいつはおそらく、魔界から召喚されたモンスターだ。通常の武器じゃ歯が立たなかった。あの鎧が全ての攻撃を無効にしちまうんだ。だけど、そのメイスなら奴の魔力を打ち砕くことができる。祝福された武器にはそういう力がある」
キル子はホーリーの顔をじっと見る。
「もちろん、あんたに死ぬ覚悟がないといけないけどな」
(それは無理でしょ)と右京は思った。自分でもそんな怖いモンスターと対峙したくはない。ましてや、ホーリーはか弱い女の子だ。キル子のような女戦士ではないのだ。ホーリーはガタガタと体を震わしている。怖いのだろう。当然の反応だ。それに目指していた神官試験が受けられなくなり、それを解消するために冒険者になってボス級のモンスターと対峙するというのだ。混乱するに決まっている。
「か、考えさせてください」
ホーリーはやっとのことでそう言った。
「試験は4週間後だろう。試験受付終了は2週間後だ。あまり時間はないぞ」
「わ、わかっています。今日1日だけ考えさせてください……」
「分かった。明日の朝、右京の店に来い。やる気があれば特訓してやるよ」
「は、はい……」
ホーリーは言葉を振り絞り、やっとそう答えて、フラフラと神殿を後にした。その後ろ姿がかわいそうで右京は思わず声をかけたくなったが、キル子がそれを遮った。
「この件はあの子自身が乗り越えなくてはいけないんだ。口出しは無用だよ」
「しかしなあ。あんなか弱い女の子にいきなりモンスター退治は過酷だろう。しかもいきなりボス級だなんて」
「そうでゲロ。レベル1の初心者をボスキャラ戦に使うようなものでゲロ」
ゲロ子の例えは的を得ている。確かにベテランパーティに新人キャラを混ぜてボス戦をクリアすれば、一挙に経験値が稼げてチャラチャラリ~っといくつもレベルが上がりそうだが、現実はそういうものではないだろう。しかもホーリー自身が武器を持ってダメージを与えないといけないのだ。
「彼女の持つ武器の性能には自信があるんだろう?」
キル子はそうカウンターの上の箱を見た。開けられた箱にリニューアルされたメイスが安置されている。神殿の鑑定書も添えられている。メリン1等神官の鑑定によれば、邪悪な魔族に絶大な効果を発揮する能力があるとされる。素人の一撃でも当たれば、かなりのダメージを与えられるはずだ。
「自信はあるさ。だけど、使うのは彼女自身だ。ホーリーが使いこなせるかどうか」
「あたしに考えがある。任せときなって……」
そうキル子は右手の拳で自分の胸をぽんと叩いた。革製の胸当てから見える褐色の大きなバストがプルンと揺れる。
「キル子、お前って、いい奴だな」
「な! 馬鹿言うな。これはお前のために……その、あの、お前の悲しむ姿は見たくないというか……」
もごもごするキル子。いつもははっきりものを言う性格なのに右京に対することになると言葉が素直に出てこない。
「なんか言ったか?」
「ば、バッキャロー。とにかく、決めるのは彼女自身だからな」
そう言うとキル子も神殿を後にした。後はホーリーがどう判断するかだ。このことは右京にとっても商売上、計り知れない宣伝効果をもたらす。素人のホーリーがこのメイスを使って仮にそのボス級モンスターを退治したら、相当な箔がつくだろう。1点物の武器にはそんなエピソードが必要なのだ。ただ、それはうまくいった場合の話ではあるが。




