政略結婚の企み
「ホーリーさん。わたくしは何だか変だと思います」
部屋に帰ったホーリーは、ハンナが持ってきた夕食を部屋でヒルダと食べていた。ヒルダはホーリーの胸の谷間で一部始終聞いていたのだ。
「事情は大体掴みました。変なのはホーリさんを今頃になって探し出したことです。絶対に何かありますよ。それにセガール侯爵、なんだか優しそうに振舞っているところが怪しいです。母親もあの泣き方はちょっとおかしいですよ」
「ヒルダさん、人の悪口を言ってはいけません。愛の神イルラーシャは許しを乞う人に愛で応えよというのが教義です」
そう言ってホーリーは食事の前のお祈りをする。手を合わせて一日の恵に感謝するのだ。これは物心ついた時からラターシャと一緒に粗末な食事の前でずっと行ってきた習慣だ。目の前に並べられた食事とは雲泥の差の薄いスープと固いパンだけであったが。
「わたくしにはそういう気持ちはわかりません。わたくしはバルキリーですから。裏切りには死を、背信にも死を……が教義です」
ヒルダは神の使いであるが、どうやら仕えるのは戦の神らしい。今は右京を崇めるイケナイ天使になりつつあるが。
「ヒルダさん、何かあったとしてもわたしはイヅモへ戻りますから。関係ありません。それにわたしを生んでくださった方には感謝をしたいと思うのです。生んでくださってありがとうございますって」
さすがホーリー。その心は純粋で真っ白。性善説で固まった聖女様のようである。でも、立場は聖女なのに俗世間に召喚されて、ゲロ子の影響も受けたヒルダは、ホーリーのように全てを受け入れる寛容さはなかった。
「食事をしたら、少し調べてみます。あと、右京様たちが心配しているでしょう。その後、イヅモへ戻ってホーリーさんの無事を報告します」
「お願いね」
教会の子供たちも心配しているだろう。ここに1、2日は滞在することになるかもしれないが、必ず帰ることをヒルダに伝えてもらおう。
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「わたくしは認めないわ! 神官か何だか知らないけれど、あんな庶民を姉だなんて認めるものですか!」
「ですが、姉さん。あの人をこの侯爵家の養女にしないと姉さんが困るんじゃないですか」
14歳のジュラール少年はそう2つ年上の姉に冷ややかに切り替えした。突然、血の繋がった姉が現れるというイベントに参加させられるために、都の学校から呼びつけられたのだ。加えて実の姉のヒステリーの世話までしたくない。
「そうだけど、ジュラール。一時的にしろ、あんな下賎な女をこの栄光あるセガール家に入れるなんて汚らわしい」
セリナはそう言ってテーブルにあったコップを掴んで地面に投げつけた。気に入らないことがあるとこうやって、物に当たるのだ。粉々になったコップは召使が片付けることになる。
(やれやれ……)
贅沢でわがままいっぱいに育てられた姉のセリナとは違って、ジュラールは冷静に物事を考えられる少年であった。この時代、貴族だからといって贅沢な暮らしは保証されていないのだ。
一応、セガール家はこのイナの町の木材生産を仕切る権利を持っているが、木材が高く売れなければ収入も安定しない。昨今の木材価格の低迷でずっと赤字続きに加えて、現在はとある事情で木材の生産をすることができず、セガール家は経済的に苦境に喘いでいるのだ。
「姉さん、栄光あるセガール家とか言っても、20年前の話ですよ。今は先祖の財産を食い潰しているだけの没落しつつある家です。それなのに父上は何も分かっていない」
「没落しつつあるですって! そんなことないわ! 我がセガール家はこのイナの町の領主よ。昔からの旧家なのよ。それが没落だなんて」
「姉さんは他家へ嫁ぐ身だから、真剣に考えてないでしょ? 昨年から木材の出荷が止まっているけど、再開のめどは未だに立っていない。再開したとしても赤字続きの事業じゃどうにもならない。収入がないから財産を切り売りしてるんだ。姉さんのそのドレスだって、支払いは月賦だって知ってますか?」
セリナはわがままを言って父に買ってもらったドレスを見る。かなり高価だったが父は嫌な顔せず買ってくれたものである。
「嘘よ。そんなこと信じないわ」
そもそもいつも都の寄宿舎にいる弟がそんなことを知っているはずがないとセリナは思った。この弟のでまかせだと決めつけたのだ。
ジュラールはこの危機に父が旧態依然とした方法で、ピンチを乗り切ろうとしているのをバカバカしく思った。貴族の旧態依然とした方法とは、政略結婚である。かつて母のアプリコット家が没落の危機を乗り越えようとこのセガール家に嫁いできたように、今回も同じように娘を犠牲にしてこの危機を乗り切ろうというのだ。
(全く、嫌な世界だぜ。僕は自分の能力だけで人生を切り開いていく)
ジュラールは都で貴族の子弟が通う学校に行っているが、貴族の身につけるべき学問だけで満足する気はなかった。空いた時間で図書館へ通い、経済学や政治学を学んでいた。将来は商売で身を立てようと思っていたのだ。
(それにしても、あのお姉さんは美人だったな。あの猿人公爵オルンハルトに嫁がせるのはもったいない。だからといって、セリナ姉さんもかわいそうだけど……)
ジュラール少年が猿人公爵と呼ぶオルンハルトは、今年で45歳になる男だ。都の高級軍人で陸軍中将。このイナの町の守備隊長をしている男だ。軍人としてはそこそこ使える男だが、女癖が悪く、これまで妻を5人ももって全部離縁している。愛人も数多いとされる。本人はゴリラのような容貌で、絶倫体質。子供は12人いるという性欲の権化のような男である。
性格も宜しくなく、行く方面で賄賂を要求したり、女を要求したりするなど評判が悪く、何年かすると任地を移動されていると噂される。いわば不良であるが、身分が高くてしかも大金持ち。中央政府も扱いに困っているという男である。
「あなたやっぱり、こんなことやめましょう」
「うるさい。裏切っていたお前がそんなこと言えた義理か!」
部屋に戻ったシンシアとセガール侯爵は言い争いをする。ホーリーを連れてくる前の晩もシンシアは抵抗した。自分がこの家に嫁ぐ前に生んだ娘の存在が夫にばれたのは、1年前のこと。それまでシンシアは秘密にしていた。それは自分の実家であるアプリコット家のためでもあったが、生き別れた娘のためを考えたのだ。
ホーリーがラターシャの神殿で孤児として育てられたことをシンシアは知っていた。嫁いでから密かに調べさせていたのだ。ラターシャがホーリーを連れて姿を消したこともあり、所在を見つけたのはホーリーが5歳の時。しばらくは神殿に寄付という形で養育費を出していたが、夫に怪しまれたためホーリーの存在がばれて利用されないために関係を絶ったのだ。だが、ついに1年前に夫に知られてしまったのだ。しかも、最も恐れていた状況下においてだ。
「ふん。結婚した当時から処女じゃなかったと思ったが、子供までいたとはな。とんだビッチだったわけだ。お前の実家は家のためにビッチを差し出したわけだ」
この世界では貴族の娘は嫁ぐ際には、処女性が求められる。非処女はキズものとして低く見られるのだ。男にはそんな縛りはないから、男尊女卑の風潮が強い。だが、シンシアが悪いわけではない。シンシアは愛し合った男と無理やり別れさせられて、この家に嫁がされたのだ。風の噂では恋人の男は病で死んでしまったという。そんな悲しみの中でセガール家の嫁として1女2男を生んで務めを果たしたのだ。
「とにかく、このピンチを乗り切るにはオルンハルト閣下の力を借りるしかない。幸いにもオルンハルト閣下は、今は奥様がいない。娘を嫁がせれば武力と財力の支援が受けられるのだ」
「あなた……それではホーリーが……」
「では、お前はセリナを差し出すというのか? あの可憐で可愛い、目に入れても痛くない可愛いセリナを!」
「そんなことは言っていません。でも、代わりにホーリーをなんて」
「あれは私の娘でないが、全然関係ないわけでもない。幸い、あの美少女だ。オルンハルト閣下もさぞ喜ばれよう。とにかく、お前は黙って私のいうことに従っておればよいのだ」
ヒルダはこの夫婦の会話を盗み聞きしていた。まだ詳しいことは分からないが、どう考えてもホーリーにとっていいニュースではない。
「まずはご主人様にお知らせしよう。その後、ホーリーさんを脱出させる方法を考えなきゃ」
急ぎ、イヅモの町へ瞬間移動する。特級妖精のヒルダなら一瞬でイヅモの町へ帰れるのだ。
ゲロ子ももっている特殊能力だ。
「ヒルダ、遅い。どうしていたんだ」
「すみません。まずはご報告です。ホーリー様は無事です。調べ物をしていたのでこんなに遅くなってしまいました」
無事と聞いて右京にタバサ、カイルに弟子入りしたピルト少年もほっと胸をなでおろした。ヒルダの説明を聞く。まだ、不確かな情報ではあるが、ホーリーが何かの悪巧みに利用されそうなことは間違いないだろう。
「せっかく、母親に会えたのにホーリーがかわいそう過ぎる」
これは右京の正直な感想だ。せっかく、17年ぶりに会った母親だ。ホーリーは以前に右京が見つけたカバンから、出生の秘密を知っていた。会おうと思えば会いに行けたのに母親の立場を慮っていかなかった。そんなホーリーの気持ちを踏みにじる行為である。
「ゲロゲロ……。ホーリーは不幸になる体質でゲロ。ほっとくと勝手に不幸になるイベントに巻き込まれるでゲロ」
ゲロ子にいわれるとそんな不幸な少女に見えてしまうホーリー。だが、彼女はそんな不幸な流れを自分の努力で切り開いていた。それでも個人の努力では限界もある。ちょっとだけ、助けてやるのが友達というのだ。
「明日、ホーリーを迎えに行こう。ヒルダ、それまでホーリーを守ってくれ。お前ならできるはずだ」
「ご主人様、分かりました。このヒルダ。ご主人様とホーリー様のため、この身を捧げます。特にご主人様に9対1の割合で……ぐふぐふ」
そんなヒルダを見て、ちょっと胸騒ぎがした右京。ヒルダのスペックはゲロ子をはるかに凌駕する。魔法攻撃もできる優秀な特級妖精である。だが、よく考えるとこれまではヒルダは肝心なところで役に立ってない。そんな右京の心中を察する我らがスーパー使い魔ゲロ子。右京に片目をつむって、任せておけと胸を叩いた。
(心配するなでゲロ。ここは主様の切り札、ゲロ子もついて行くでゲロ)
(いや、お前が行っても心配がなくなるわけではないが)
右京、ますます心配になるが自分が到着するまで、ホーリーを守ってもらわないと困ると思いゲロ子の同行を許可する。
ゲロ子はホーリーの使い魔ではないので、瞬間に移動できない。でも、ヒルダに掴まっていけば可能なのである。




